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2019年3月14日 (木)

支那人は「歴史」が共産党の捏造であることを知っている

1980年当時北京の骨董街に行ったことがある。

骨董屋が立ち並んでいて、泥で古色をつけた置物が並べられていた。

どこに行っても同じ像が並んでいるので大量生産された現代物であることは明らかだった。

ほどなくして秦の始皇帝の遺跡から兵馬俑が発掘されたという報道がなされた。

そしてあるとき神戸の南京町に行くと、派手な装飾のある門のすぐそばにその兵馬俑が数体並んでいた。

一年後に行くともうなくなっていたのだが、確かにあった。

ということは、兵馬俑というのも支那人お得意のでっちあげなのかもしれないと思ったものだ。

ーー

支那・朝鮮人それにマルクス主義者というのは、目の前に黄色の紙を見せても、それを赤だと言い張るような人たちなのだ。

戦後日本の学会は、そんな大嘘付き(客観性、公平性、公共性なし)のマルクス主義者(支那・朝鮮人)らがいる在日・反日勢力によって支配されてしまった。

そして彼らは日本の記紀に記されていた神話(かんがたり)の内容をことごとく存在しないと否定してしまったのだ。

ーー

神話を認めるような発言は、言論・メディアを支配する彼らによって、ことごとく黙殺され表に出ないように工作された。

ところが不思議なことに、渡辺昇一氏の発言については彼らは黙認していたきらいがある。

1、アメリカ人が創始者の青山学院教授という氏の背景
2、皇室について血族結婚を繰り返していたなどという謬説を流していた

これらが、在日・反日勢力を黙らせていた理由ではないかと私は考えている。

ーー

ネット上ではあらゆる考えが飛び交っているが、その中でも日本の歴史に対する意見はもう刮目(かつもく、目をこすってよく見る)すべき内容になっている。

特に在日・反日勢力による日本の歴史改竄についての非難は喧(かまびす、うるさいほど)しい。

宮崎正弘氏が、渡辺昇一著を紹介されているのでお目にかける。

この著書の中でも渡辺氏は、まるで占領政策が実行されていないかのように、次のように言ってのけるのである。

「日本では敗戦前には古代史を扱うことがタブーに触れやすかったために、それが解禁されたとたんに、一挙に記紀の歴史的価値を一切否定した」と。

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

渡部昇一『古事記の読み方』(WAC文庫)

司馬遷が記した『史記』には「殷」が存在したと記されている。

ところがその場所が不明なことと、それゆえに存在したという証拠が不明であるため、長らく司馬遷の作り話と考えられてきた。

日本でも考古学上の発見が相次いでいるように、支那でもいたるところが掘り返されて、司馬遷の記述に根拠が与えられている。

ーー

実際、殷の王宮があったとされた河南省鄭州で、殷の遺構が発掘され、王朝の実在が証明された。

評者(宮崎)は15年ほど前に、この殷の遺構を現地に見に行ったことがある。

草ぼうぼうの土手のなかに作業中の看板があった。

当時、見学者は少なかった、というより普通の支那人というのは歴史には興味を持たないのだ。

(支那人は「歴史」が共産党の捏造であることを知っている)

ーー

1974年に支那西安で地元の住民により、始皇帝陵が発見された。

その後兵馬俑坑が発見され、それは、この陵を取り巻くように配置されており、その規模は2万㎡余におよぶ。

3つの俑坑には戦車が100余台、陶馬が600体、武士俑は成人男性の等身大で8000体ちかくあり、みな東を向いている。

始皇帝の王宮・阿房宮跡も特定された。

ーー

ホメーロスの叙事詩「イーリアス」にトロイア戦争があったと記されている。

しかし長い間それはホメーロスの創作とされ実在しない物語とされてきた。

ハインリッヒ・シェリーマンは、トルコ北西部の海辺の草原で古代跡地を見つけ、私費で発掘して、それが、ホメーロスの書いたトロイアの遺跡であることを証明した。

ーー

エジプトのロゼッタで1799年に発見された石版には、古代エジプト文字であるヒエログリフ(神聖文字)、デモティク(民衆文字)、それにギリシア文字の3つが記されている。

細かい違いはあるが、本質的には同一の文章が全部で三つの書記法で著されていると早くから推測されていた。

そして1822年、ジャン=フランソワ・シャンポリオンもしくは物理学者のトマス・ヤングによって解読された。

解読されてから分かったことは、それが紀元前196年にプトレマイオス5世によってメンフィスで出された勅令が刻まれた石碑の一部だということであった。

この解読によってエジプトの遺跡に数多く残され、解読不能のヒエログリフを読み解くことができるようになった。

ーー

このような経過、事実を踏まえれば、記紀に記された「神話」もまた、歴史的事実を踏まえているのではないのか。

記紀には膨大な人名、地名が出てくる、それは恐らく、数百年、あるいは数千年の長きにわたって口承で伝えられた物語に基づいているからではないのか。

ーー

渡部昇一氏はソ連共産党の歴史の改竄ぶりを、ここに被(かぶ)せる。

ソ連共産党の創始者はシュリアプニコフであることが分かっている。

ところが、レーニンが党書記となると、かれを党史から抹消してしまったのだ。

何故なら、「革命初期の共産党中央委員会のメンバーが亡命知識人であった」からだった。

ーー

亡命知識人らは、ロシアで労働者の蜂起を知って慌ただしく海外から帰ってきた。

そして労働者・蜂起の指導者がシュリアプニコフであることを知る。

ところが亡命知識人の革命同士らはシュリアプニコフが気に入らなかった。

それで革命同士によって、彼は「牢獄で処刑され」てしまう。

つまり、自分たちが抹殺した人物を党史に残しておくわけにはいかなかったのだ。

ーー

支那共産党の創始者は、毛沢東ではなく、陳独秀であった。

陳独秀もまた、支那共産党の党史から抹消されてしまった。

というのも、支那共産党が、毛沢東を革命の指導者として神格化してしまったからだ。

つまり毛沢東の上位に居た陳独秀が邪魔になった。

ーー

上海の新天地には共産党第一回大会・会議場後を記念する記念館がある。

そこには、主要メンバーの蝋人形があり、毛沢東がいるのだが、陳独秀の姿はない。

しかし当時の毛沢東は幹部の使い走りに過ぎなかった。

毛沢東主導が確立するのは、1935年、敗走(「長征」と言い換えた)途中の貴州省の遵義会議以後である。

世界中で研究が進み、隠しおおせなくなって、支那共産党はしかたなく陳独秀を創始者として復活させた。

ーー

1982年秋・日本に留学中であった魯迅(ろじん)の孫・周令飛が台湾に亡命した。

評者(宮崎)は、直ちに台北に取材にいった。

日本では文豪・魯迅の名は広く知られており、周令飛は魯迅の嫡孫という名声の下(もと)にあった。

支那人の多くは魯迅など知らないが、それでも周令飛は共産支那の特権階級に居た。

ーー

彼は文革時代について、「父親が西洋のレコードを庭でたたき壊している現場を見つめていた」といった。

そして魯迅の孫は次のように語った。

「最初に職を得たのは解放軍の機関誌の写真班で、毎日、写真の改竄(かいざん)をしていた」

「つまりこの集会に映っている某某を抹消し、替わりに某某を入れろ、という指令に従っていた」

「(その結果)政治情勢と権力闘争の過程で、都合の悪い人物は重要会議に出席していなかったことになった」

「(そして)当時無名だった人物が、突如重要会議に出ていたという、歴史の創作がおこなわれた」

「(つまり私は)写真の「修正作業」をしていた」と。

ーー

この事実は、周令飛自身が書いた『北京よ、さらば―魯迅の孫が語る中国の30年』(産経新聞社)のなかでも明記されている。

ーー

「真理省の記録係が、絶えず過去の文献を、詩までも、改竄し続けている光景が描写されている」

と、渡部昇一氏はジョージ・オーウェル著『1984年』を引用して、戦後歴史教育の悲惨さに思いを馳せる。

教育現場では、驚くことに、「神武天皇から第二十五代の武烈天皇までないことになっている」と。

ーー

2019年3月12日の産経新聞「正論」欄で、楊海英・静岡大学教授は「中国の跋扈する歴史修正主義」と題して次のように書いた。

「(共産党は)辛亥革命を賛美した」

「満州人が支那を268年間にわたって長期支配できたのは、限りなく『漢化』つまり『支那化』したためだという」

「この言説には支那人の歪んだ心理が内包されている」

「支那人の文化力のほうが優れているという空想だ」

ーー抜粋ここまで

本書で、渡部昇一教授は、こうまとめる。  

「(マルクス主義者は)権力の座についた天皇家がその政権を正当化するために記紀を捏造させた(という)」

「ソ連が現政権に都合の悪いシェリアプ二コフを抹殺した(ように)」

「(ところが)記紀のほうには、天皇家に都合の悪そうな話も随分たくさん書かれている」

ーー

天皇家に都合の悪いことを述べている箇所が幾つもあることは多くの読者にとって周知の事実だろう。

つまりマルクス主義者が捏造してきたようなことはなかった。

神武天皇は実在したと考えて間違いないということだ。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難う御座います。
>>共産主義者の歴史軽視について
 前に、シナの歴史教科書の冒頭のページに、「是は、共産党史観である」との一文が掲げてある、と言う話を聞いて、知り合いのシナ人に訊いてみたが、「見た事ない」「興味がない」「歴史なんて習って居ない」と言うものばかりでしたね。

 オソラク、是を書いた日本人は、共産主義体制下に有っても、古代の漢民族の理性が、現代のシナ人にも遺されていると言いたかったのだろうと思いますね。

 一昔前の、大方の日本人は皆、シナは日本の文化の発祥地だ、シナは日本文化の源流だ、と素直に信じて居た。

 それを実証するかの様に、三国志演技、史記・・と、紀元2~3世紀に書かれたかの様に粉飾された読み物や4世紀の西晋の王羲之に始まり、唐代に隆盛を極めた書道、そして絵画に於いても、水墨画や南画と言った当時世界の文明では、唯一、紙を使った表現法として、文明としては、飛び抜けた存在で有った事は間違いないだろう。

 然し、それ等の文物が、実は、長江文明と言う先文明からの剽窃に過ぎないと言う事が、前世紀の80年代初頭に発見された、河姆渡遺跡や良書遺跡と言った、4千年前処か、6千年~8千年前の遺跡が発掘されて、然も、大規模水田耕作の跡も見つかって、20世紀前半に見つかった、黄河文明には、先文明が存在した事が確定した。

 此処で、両方の文明を比較するに、黄河文明の主たる構成民族は遊牧民、或いは、狩猟採集民である事は、彼らが、騎馬に長けており、移動・移住が簡単に出来るので、土地を季節に拠って選択出来ると言う利点があるから、農耕を行ってその収穫を糧に、コツコツと富を蓄えて飢饉に備え、自然を良く観察してその変化を読み取って、生活や耕作法に工夫を凝らす様になった。

 是等には、全て苦役を伴う労働が必要であり、工夫を投入して創った田畑は、その成果であるから、其処に、土地に対する価値が生まれるが、定住しない遊牧民には、理解できない考え方であろう。

 こうした民族を取り巻く環境の違いに拠って、異なって来る生業が、民族性にどのような影響を与えるかと言う視点が生まれた。

 歴史をこうした視点で俯瞰して看れば、遊牧民や狩猟採集民の生活は、自然の気候変動に大きな影響を受けて居る事が分るが、土地を耕して植生を育てる思想が無い彼らには、その自然に抗う術は無い。

 雨が1ヶ月も降らなければ、牧畜は簡単に死ぬし、その牧畜を食糧として居た遊牧民も飢えて死ぬ、ダカラ、生きる為に。持てるものを襲って自分が生き延びる。 それが、何時しか民族の常識化するが、何時まで経っても、自分で食糧を生産する事は難しいし、しんどい上、確実では無いので、考えない。

 故に、農耕民族の長江文明は、遊牧民族の黄河文明に滅ぼされたのである。 然し、剽窃しただけの文明は、謂わば、模倣に過ぎないので、自らの情報発信力を持つには至らない。 つまり、その原理や工夫を要求した現象に迄思いが及ばないから、彼らが出来るのは、既成のものそっくりに外観を造る事が限界に成る。

 「外見だけ似せても、ちゃんと機能しないではないか?」と反論があろうが、其処は、遣い方まで学習出来ないので、相手に信じ込ませれば、其れで足りる、つまり、最初から「虚仮脅し」と考えたのが、定住しない遊牧民を祖先に持つシナ人の考え方であろう。

 20世紀に成って、700~800年続いた異民族支配が終わったが、その時には、シナ人自体の民族の出自は、殆どが、情報発信力の無い、遊牧民族に成って居たのは、支配者が遊牧民族なのだから、やむを得ない事であろう。

 ダカラ、群雄割拠時代が、大清帝国滅亡から約50年続いたが、殆ど馬賊と言われる騎馬民族集団で有り、匪賊「=強盗殺人集団」と呼ばれたのも、寧ろ、当然の事だったに違いない、

 処が此処に、赤匪と呼ばれる集団が加わる。 共産主義者集団の事だが、彼らは最初から、強盗殺人集団として誕生したのは、祖先の血であったと考える他は無い。

 そして、その実態も、調べて看れば、朱子学を実践しているだけで、単に、強盗殺人を正当化しただけに過ぎないものであった。 仲間内の争いを正義/不正義の視点で書いて居る後世の人が居るが、元々が、犯罪集団に過ぎないのに、正義/不正義で分類してなんになろうか?

 ソ連にしても、共産シナにしても、幹部内の粛清は「勝ち残ったものが正義」と言うだけの事である、つまりは組織内の権力闘争でしかない。

 そして、この様に正義が存在しない組織に、然も正義があるかのように見せて居るカラ、共産党にとって、真実の積み重ねで有る歴史は、自己の正義の完全否定以外の何物でもない、ダカラ、利用出来る部分だけ利用して、後は、軽視しているのである。

 如何に、共産主義者が理性の仮面を被って、偽りの正義を唱えようと、一皮めくれば、破壊と暴力しか知らない遊牧民の窃盗団の戯言でしかない。

 ダカラ、国民の90%以上が農奴だったと言って良い、ロシアを共産主義革命に導いたのは、レーニンを首領とする、ハザール窃盗団だったし、其れを駆逐して独裁体制を築きあがたのは、強盗殺人の御尋ね者のグルジア人、スタ―リンだった。

 共産主義者達は、自国民を2500万人も殺したスターリンや1億人も殺したと言われる毛沢東を、建国の偉人と称えて、その霊廟まで建てて、丸で神の如く崇めて居るが、当に愚かしい事である。

様々に、探求し続けて点と点を目にし、其れが線になり繋がる
有り様から、唾棄したくなる現実の乱立に、放棄してしまいたく
なるほどの感覚を持つに至る。

ほんっとに、クソなんだな現世(地球)に来ている連中って・・・。
糞ならまだ優良な肥料と云えるので、糞にも劣る・・。
こんなんでも神の一部って・・・どんだけよ??もう捨ててしまえょ!
って進言したくなる。まぁね、最低レベルの未熟部分って事からす
ると、然もありなんなんだろうけど。
せっかくの教訓教材の「悪」も人類総「悪」化したら、洒落にならん。
と、八つ当たりも甚だしくなってくる。

話は変わりますね。、
其れにしても、ソロさんの知識の多彩さには、脱帽です・・。
ソロさんのコメントは見かけると必ず目を通させてもらって
ますし、勉強にもなります。楽しいですし、感謝です。
多くの方の注目と尊敬をも集めていられると察します。
ソロさん自身に少なからず判官びいきな処も感じます。
お人柄なのでしょうね。

とるに足らない個人的な話で恐縮なんですが、数日前に何と
夢に安倍首相が登場いたしまして、笑顔で握手されてハグま
でされました。 ただの夢なのに非常にうれしく、感動しきりです。(笑)
次は、トランプさんにも登場願えたらなぁ・・なぁんて。

一笑に付されるやもしれませんが、夢に警告された経験が多々
あるので、無下にできないのです。

笑えないんですが、警告夢に「凶」とでっかく毛筆で書いた文字
を面前に見せてくるやり方をされたときは、さすがに「舐めてんの?」
と憤りましたが、目覚めた当日の出来事で納得しましたね。
青天の霹靂状態に陥りましたけど。

私のベッドの上に和服を着た見知らぬ日本女性(?)と黒髪の
白人系の男性が座していて、その男性の方が、傍らに、赤地に
白い小花模様のつんつるてんの着物を着て立つ私の両掌の上
に掌からはみ出すほどの十字架をそっと置いたのです。、その
十字架をじっと見つめる私という夢。十字架はロザリオではあり
ませんでしたね。
(内心、誰?この二人??)

茄子だけが一個ぽつんと出てきたり、背景なぞない処がみそ。
布袋様がポツン、とか・・目茶苦茶シンプルなおでまし。

解釈に苦慮する私への配慮なのでしょうか?却って「???」
状態です。

今回は思いっきりスレチな内容で、気分転換を図ってみました。
ご容赦のほどを・・・・・。

縦椅子さま

 今日も素晴らしいブログありがとうございます。
 カズオイシグロ氏の「遠い山なみの光」に戦前の退職した教育者が戦後の教育と教育環境を憂う文章を掲載します。-ハヤカワ文庫:カズオイシグロ「遠い山なみの光」小野寺健訳から抜粋

場所は原爆を受けた数年後の長崎の狭い家に住む夫婦に、夫の父が訪ねてくる・・・なにか息子に話がありそうだ。
p38「この頃の連中は、教えを受けた人のことをかんたんに忘れる」
「ええ、まさにそのとおりです」
夫は食事を終えて箸を置いた.わたしがお茶をつぐ。
「この間、妙なことがあってな」と緒方さんは言い出した。「いま考えてみると、むしろこっけいな話だがね。長崎の図書館である雑誌を見つけたんだよ。-教師たちがつくってる雑誌さ。知らない雑誌でね。昔はなかったもなだ。あれを読んだら、日本の教師はみんな共産主義者になったのかとおもうだろうな
「たしかに日本では共産主義がさかんになっていますよ」と夫はいった。
「おまえの友だちの松田重夫もこの雑誌に書いているんだ。ところが、驚いたね。その論文の中にわたしの名前が出てきたんだよ。ちかごろじゃ自分がそれほどの有名人とは知らなかったな」
「長崎には、今でもお義父様のことを覚えてる人がたくさんいますわ」わたしは口をはさんだ。
「じつにおどろいたさはなしさ。遠藤博士とわたしのことが書いてある。わたしたちの退職のことだ。わたしの誤解でなければ、松田はわたしたちが職を失ったのは当然だと言いたいらしい。それどころか、わたしたちは終戦と同時に追放されるべきだったという口ぶりなんだ。まったく驚いたね」
「たしかにあの松田重夫ですか」二郎が訊いた。
「あの男だ、栗山高校だから。驚いたな。よく家へ来ちゃ、おまえと遊んでたじゃないか。お母さんもあれをとてもかわいがっていた。図書館で一冊買えないかと訊いてみたら、女の司書が注文してくれると言っていた。おまえにも見せるよ」
p40「恩知らずじゃないかしら」わたしは言った。
「まったく驚いたよ」といって、緒方さんはわたしのほうを向いた。「それに栗山高校の校長にあの男を紹介したのは、このわたしなんだからな」

p83「困ったもんだな。しかし今の日本にゃ、わかいものに影響をあたえるものが多すぎる」
「たしかにそうですね」
「今の若い連中は、みんな思想だの理論だのに押し流されている。だがあの男もいずれは目がさめて謝るだろう。一人の人間としての務めというものは、時期をのがさず教えてやるのが大事だ。マツダは自分のしていることの意味を考えてみたことがないんじゃないかと思うんだよ。あの論文だって、右手にペンを持ち、左手に共産主義に関する本を持って書いたんじゃないのかね。いずれは目がさめると思うんだ」--一旦ここで切ります。

縦椅子さま 
 
 「遠い山なみの光」小野寺健訳の続きです
p91「アメリカ人というやつには、日本の事情がまるでわかっていない。わかったためしがないんだ。連中のやりかたはアメリカ人相手にはいいかもしれんが、日本では事情が違う。まるで違うんだ」緒方さんは溜息をついた。「規律とか忠誠心、こういうもので昔の日本はまとまっていた。嘘のようだが、そうだったんだ。誰にも義務感があった。家族に対しても、目上の人間にたいしても、国にたいしてもだな。ところが今じゃ、誰も彼も民主主義、民主主義だ。自分勝手ななまねがしたい、義務なんか放り出したいとなると、いつだって民主主義をもち出す」
p92「ええお父さんの言う通りです」二郎はあくびをしながら顔を掻いた。
「教育にしたってそうだ。われわれは何十年もかけてひとつの制度を作り上げ、大事にしてきた。アメリカ人がやってくるとこれを引っ剥がして、あっさりずたずたにしてしまった。日本の学校もアメリカの学校と同じにして、子供たちにもアメリカの子供と同じことを教えるんだと決めてしまった。それをまた、日本人は何もかも歓迎したんだかららね。民主主義、民主主義で大歓迎だ」-緒方さんは首をふったー「日本の学校のいい伝統はめちゃめちゃだよ」(略)
「その新聞にでも書いてあるのか。わたしは子供の教育に一生を捧げてきた。ところがそれをアメリカ人にずたずたにされるのを見る羽目になった。いまの学校教育はじつに異常だよ。子供たちの躾といったら、驚いたものだ。今じゃ何一つ教えちゃいない。いいかね、子供たちは自分の国の歴史を何も知らずに卒業していくんだよ」
p93「たしかに困ったことかも知れませんね。しかし、ぼくらが学校にいたころにも妙なことはありましたよ。たとえば、日本は神様が造った国だなんて教えられて、日本は神の国で、最高の民族だなんてね。教科書は隅から隅まで暗記させられたし。失くなってもいいものだって、あるんじゃないかなあ」
「しかし二郎、物事はそう単純じゃないぞ。おまえにはそういうものの持っていた意味がやはりわかっていない。わたしたちは大事なものが次の世代に引きつがれていくように、子供たちが自分の国にたいしても、正しい姿勢をみにつけるように、身を捧げてきたんだ。昔の日本には精神があった。それが国民を団結させていたんだ。今の子供たちは、どうなると思う。何が大切なのかということを学校で教わらないーまあ、人生になんでも勝手に要求しろということは、教わるんだろうがね。家へかえれば、母親 が父親の支持する政党に投票しないというんで、夫婦喧嘩をしている。何たるざまだ」―以上です―ここに緒方さんの怒りを掲載出来て感謝です。長い文読んでくださいましてありがとうございます。

>ばら様 ソロです。
 最後のノーベル文学賞受賞者、カズオ・イシグロ氏の作品のダイジェスト、有難うございます。 私は目を悪くしてから、読書は、目の負担になるので、仕事を辞めたのを汐に、読まなくなりましたので、とても有り難いですね。

 緒方さんの御怒りは、私も祖父から良く聞かされたので、判りますが、何故是を、英国生まれで英国育ちの筈の、イシグロさんが、本に書ける程情報を蓄積できるのかが、チョット不死gな気がしました。 しかも、舞台は戦後間もない長崎ですからね。

 松田重夫と言う名前が出てきましたが、戦後の風潮として、GHQのWFIPに迎合する様な、言動をするモノは、優遇されると言う咋な傾向が有った事は、私も、母親から聞いて知って居ます。

 大連からの引揚者である私の母方の一族も、反日でしたが、其れは、WGIPへの迎合では無く、日本政府の満州や米国からの引揚者に対する、不当に冷たく無責任とも言える扱因いに抗議していたからです。

 そういう意味では、日本人向けにならその辺りも、書かないとバランスが取れませんが、是は、英語圏の読者向けの話でしょうから、如何に、米国が強行したWGIPが、日本の既成の伝統文化の美風を、何の斟酌もせず破壊したか、と言う告発をして居ると言う意味で、今迄には見られない本で、戦後今迄の日本では、決して発行出来ない本の内容だと、思います。

 然も、この作家がノーベル文学賞を受賞したと言う事は、戦前の日本文化や伝統精神を明らかにした、或いは、戦後のGHQが行った日本の文化破壊の内容を告発する事が、世界で公認された、と、受け取って良いのだろうかと、思いました。

 カズオ・イシグロのノーベル賞受賞は、陰謀渦巻く世界の中に射した、一筋の光明だったのかもしれませんね。

 本のご紹介、有難うございました。

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