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2019年2月 7日 (木)

然(しか)るに爰(ここ)に不幸なるは近隣に國あり、一(ひとつ)を支那と云(い)ひ、 一(ひとつ)を朝鮮と云(い)ふ

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

「時事新報」という新聞の発行に携わっていた福沢諭吉は、明治18(1885)年に社説を書く。

それが後年、『脱亜論』と呼ばれるようになりました。

新聞の社説ですから、2200字、原稿用紙5枚半の短いものです。

文章は短いですが、そこに書かれた内容は、明治政府の基本政策ともなったとても大切なものです。

現在の日本政府もこれを国の基本政策とすべきだと考えています。

(原文が読み辛いと感じる人はその後の要約をお読みください)

ーー以下原文

世界交通の道便にして、西洋文明の風 東に漸(ぜん)し到る処(ところ) 草も木も此風に靡(なび)かざるはなし。蓋(けだ)し西洋の人物 古今(ここん)に大(おおい)に 異(ことな)るに非(あら)ずと雖(いえ)ども 其(その)擧動(きょどう)の 古(いにしえ)に遲鈍(ちどん)にして 今に活潑(かっぱつ)なるは 唯(ただ)交通の利器(りき)を利用して 勢に乘(じょう)ずるが故(ゆえ)のみ。

故(ゆえ)に 方今(ほうこん)東洋に國(くに)するものの爲(ため)に謀(はかるに 此(この)文明東漸(とうぜん)の勢(いきおい)に激(げき)して 之(これ)を防ぎ了(おわ)る可(べ)きの覺悟(かくご)あれば 則(すなわ)ち可(か)なりと雖(いえ)ども苟(いみじく)も世界中の現狀を視察して事實(じじつ)に不可なるを知らん者は世と推(お)し移(うつ)りて共(とも)に文明の海に浮沈(ふちん)し共に文明の波を揚(あ)げて共に文明の苦樂(くらく)を與(とも)にするの外(ほか)ある可らざるなり。

文明は猶(なお)麻疹(はしか)の流行の如(ごと)し。目下(もっか)東京の麻疹は西國長崎の地方より東漸(とうぜん)して、春暖と共に次第に蔓延(まんえん)する者の如し此時(このとき)に當(あた)り、此れ(これ)流行病(はやりやまい)の害を惡(にくみ)て、 此を防(ふせ)がんとするも、果(はた)して其(その)手段ある可(べ)きや。

我輩(わがはい)斷(だん)じて其(その)術(すべ)なきを證(しょう)す。

ーー

有害一偏(ゆうがいいっぺん)の流行病にても尙且其(なおかつその)勢(いきおい)には激(げき)す可(べか)らず。況(いわん)や利害相伴(りがいあいともな)ふて、常に利益多き文明に於(おい)てをや。

啻(ただ)に之(これ)を防(ふせ)がざるのみならず、力(つと)めて其蔓延(そのまんえん)を助(たす)け、國民(こくみん)をして早く其(その)氣風(きふう)に浴(よく)せしむるは、智者(ちしゃ)の事なる可(べ)し。

西洋近時(きんじ)の文明が、 我(わが)日本に入(はい)りたるは、 嘉永(かえい)の開國(かいこく)を發端(ほったん)として、 國民漸(ようや)く、其(その)採(と)る可きを知り、 漸次(ざんじ)に活潑(かっぱつ)の氣風(きふう)を催(もよ)ふしたれども、 進步の道に橫(よこた)はるに 古風老大(こふうろうだい)の政府なるものありて 之(これ)を如何(いかん)ともす可(べか)らず。

政府を保存せん歟(なら)、文明は決して入る可(べか)らず。 如何(いかに)となれば、 近時の文明は、 日本の舊套(きゅうとう(旧套))と兩立(りょうりつ)す可(べか)らずして、 舊套(きょうとう)を脫(だっ)すれば、 同時に政府も亦(また)、廢滅(はいめつ)す可(べ)ければなり。

然(しから)ば則(すなわ)ち、 文明を防(ふせい)で、其(その)侵入を止(と)めん歟(なら)、日本國(にほんこく)は獨立(どくりつ)す可(べか)らず。

如何(いかに)となれば、 世界文明の喧嘩繁劇(けんそうはんげき)は、 東洋孤島の獨睡(どくすい)を許(ゆる)さゞればなり。 

ーー

是(ここ)に於(おい)てか、 我(わが)日本の士人(しじん)は、 國(くに)を重(おも)しとし、 政府を輕(かろ)しとするの大義(たいぎ)に基(もとづ)き、 又(また)幸(さいわい)に帝室(ていしつ)の神聖尊嚴(しんせいそんげん)に依賴(いらい)して、 斷(だん)じて舊政府(きゅうせいふ)を倒(たお)して、 新政府を立て、國中(くにじゅう)朝野(ちょうや)の別なく、 一切萬事(いっさいばんじ)、西洋近時の文明を採り、 獨(ひと)り日本の舊套(きゅうとう)を脫(だっ)したるのみならず、 亞細亞全洲(あじあぜんしゅう)の中に在(あっ)て、 新(あらた)に一機軸(いちきじく)を出し、 主義とする所は唯(ただ)脫亞(だつあ)の二字に在(あ)るのみ。

我(わが)日本の國土(こくど)は、 亞細亞(アジア)の東邊(ひがしのほとり)に在(あ)りと雖(いえ)ども、 其(その)國民の精神は、 既(すで)に亞細亞の固陋(ころう)を脫(だっ)して、 西洋の文明に移りたり。

ーー

然(しか)るに爰(ここ)に不幸なるは近隣に國あり、一(ひとつ)を支那と云(い)ひ、 一(ひとつ)を朝鮮と云(い)ふ。

ーー

此(これ)二國(にこく)の人民も、 古來(こらい)亞細亞流の政敎風俗に養(やしな)はるゝこと、 我(わが)日本國民に異(こと)ならずと雖(いえ)ども、 其(その)人種の由來(ゆらい)を殊(こと)にするか。

但(ただ)しは、同樣の政敎風俗(せいきょうふうぞく)中に居(い)ながらも、 遺傳敎育(いでんきょういく)の旨(むね)に 同じからざる所(ところ)のものある歟(のか)、日支韓三國相對(あいたい)し、 支と韓と相似(あいに)るの狀(さま)は、 支韓の日に於けるよりも近くして、 此(この)二國の者共(ものども)は、 一身に就(つ)き、又(また)一國(いっこく)に關(かん)して、 改進(かいしん)の道を知らず。

交通至便の世の中に、 文明の事物(じぶつ)を聞見(ぶんけん)せざるに非(あら)ざれども、 耳目(じもく)の聞見(ぶんけん)は、 以(もっ)て心を動かすに足らずして、 其(その)古風舊慣(こふうきゅうかん)に戀々(れんれん)するの情(じょう)は、 百千年の古(いにしえ)に異(こと)ならず。

ーー

此(この)文明日新(にっしん)の活劇場(かつげきじょう)に、 敎育の事を論ずれば儒敎主義と云(い)ひ、 學校の敎旨は仁義禮智(じんぎれいち)と稱(しょう)し、 一(いち)より十(じゅう)に至るまで、 外見の虛飾(きょしょく)のみを事として、 其(その)實際(じっさい)に於ては、 眞理原則(しんりげんそく)の知見なきのみか、 道德(どうとく)さへ、 地を拂(はら)ふて、 殘刻不廉恥(ざんこくふれんち)を極(きわ)め、 尙(なお)傲然(ごうぜん)として 自省(じせい)の念(ねん)なき者の如し。 

我輩(わがはい)を以(もち)て、 此(この)二國を視(み)れば、 今の文明東漸(とうぜん)の風潮に際し、 迚(とて)も其(その)獨立(どくりつ)を維持するの道ある可(べか)らず。

幸(さいわい)にして其(その)國中(くにじゅう)に 志士の出現して、 先(ま)づ國事開進(こくじかいしん)の手始(てはじ)めとして、 大(おおい)に其(その)政府を改革すること、 我(わが)維新の如(ごと)き大擧(たいきょ)を企(くわだ)て、 先(ま)づ政治を改(あらた)めて、 共(とも)に人心(じんしん)を一新(いっしん)するが如き活動あらば格別なれども、 若(も)しも然(しか)らざるに於ては、 今より數年を出(い)でずして、 亡國(ぼうこく)と爲(な)り、 其(その)國土は世界文明諸國の分割に歸(き)す可(べ)きこと、 一點(いってん)の疑(うたがい)あることなし。 

ーー

如何(いかん)となれば、 麻疹(はしか)に等(ひと)しき文明開化の流行に遭ひながら、 支韓兩國(りょうこく)は其(その)傳染(でんせん)の天然に背(そむ)き、 無理(むり)に之(これ)を避(さ)けんとして 一室內(いっしつない)に閉居(へいきょ)し、 空氣の流通を絶(たち)て窒塞(ちつへい)するものなればなり。

ーー

輔車唇齒(ほしゃしんしん)とは、 隣國相助くるの喩(たとえ)なれども、 今の支那、朝鮮は、 我(わが)日本國のために一毫(いちごう)の援助と爲(な)らざるのみならず、 西洋文明人の眼を以(もっ)てすれば、 三國の地利(ちのり)相(あい)接(せっ)するが爲(ため)に、 時に或(あるい)は之(これ)を同一視し、 支韓を評するの價(あたい)を以(もっ)て我日本に命ずるの意味なきに非ず。

例(たと)へば支那・朝鮮の政府が、 古風の専制にして法律の恃(たの)む可(べ)きものあらざれば、 西洋の人は日本も亦(また)無法律(むほうりつ)の國かと疑(うたが)ひ、 支那・朝鮮の士人(しじん)が惑溺(わくでき)深くして 科學(かがく)の何(なに)ものたるを知らざれば、 西洋の學者(がくしゃ)は日本も亦(また)、 陰陽五行(おんみょうごぎょう)の國かと思ひ、 支那人が卑屈(ひくつ)にして恥(はじ)を知らざれば、 日本人の義俠(ぎきょう)も之(これ)がために掩(おお)はれ、 朝鮮に人を刑するの慘酷(ざんこく)なるあれば、 日本人も亦(また)、共に無情(むじょう)なるかと推量(すいりょう)せらるゝが如き。

ーー

是等(これら)の事例を計(はか)れば 枚擧(まいきょ)に遑(いとま)あらず。

ーー

之(これ)を喩(たと)へば、 比(この)隣軒(りんけん)を並べたる一村一町內の者共が 愚(おろか)にして無法にして 然(し)かも殘忍無情(ざんにんむじょう)なるときは 稀(まれ)に其(その)町村內の一家人が 正當(せいとう)の人事に注意するも 他の醜(しゅう)に掩(おお)はれて堙沒(まいぼつ)するものに異ならず。

其(その)影響の事實(じじつ)に現(あら)はれて 間接(かんせつ)に我(わが)外交上の故障を成すことは 實(じつ)に少々ならず、 我(わが)日本國の一大不幸と云ふ可(べ)し。

ーー

左(さ)れば今日(こんにち)の謀(はかりごと)を爲(な)すに、 我國(わがくに)は隣國(りんごく)の開明(かいめい)を待(まっ)て、 共(とも)に亞細亞(あじあ)を興(おこ)すの猶豫(ゆうよ)ある可らず。

寧(むし)ろ其伍(そのご)を脫(だっ)して、 西洋の文明國と進退を共にし、 其(その)支那、朝鮮に接するの法も 隣國(りんごく)なるが故(ゆえ)にとて 特別の會釋(かいしゃく)に及ばず。

正(まさ)に西洋人が之(これ)に接するの風に從(したがい)て 處分(しょぶん)す可(べ)きのみ。

惡友(あくゆう)を親しむ者は 共に惡名(あくみょう)を免(まぬ)かる可らず。 我(わ)れは心に於て、 亞細亞東方の惡友(あくゆう)を謝絶(しゃぜつ)するものなり

(明治18年3月16日『時事新報』)

ーー原文ここまで

ーー以下要約

世界交通の道便(みちべん)にして、西洋文明の風、東に漸(ぜん)し到(いた)る処(ところ)草も木もこの風に靡(なび)かざるはなし。

此(この)文明東漸(とうぜん)の勢(いきおい)に激(げき)して之(これ)を防ぎ了(おわ)る可(べ)きの覺悟(かくご)あれば 則(すなわ)ち可(か)なり。

世界中の現狀を視察して事實(じじつ)に不可なるを知らん者は共に文明の波を揚(あ)げて共に文明の苦樂(くらく)を與(とも)にするの外(ほか)ある可(べか)らざるなり。

文明は西國長崎の地方より東漸(とうぜん)して、麻疹の春暖と共に次第に蔓延(まんえん)する者の如し。

ーー

此れ(これ)流行病(はやりやまい)の害を惡(にくみ)て、 此を防(ふせ)がんとするも、果(はた)して其(その)手段ある可(べ)きや。

我輩(わがはい)斷(だん)じて其(その)術(すべ)なきを證(しょう)す。

ーー

利害相伴(りがいあいともな)ふて、常に利益多き文明に於(おい)ては、啻(ただ)に之(これ)を防(ふせ)がざるのみ。

力(つと)めて其蔓延(そのまんえん)を助(たす)け、國民(こくみん)をして早く其(その)氣風(きふう)に浴(よく)せしむるは、智者(ちしゃ)の事なる可(べ)し。

ーー

西洋近時(きんじ)の文明が、 我(わが)日本に入(はい)りたるは、 嘉永(かえい)の開國(かいこく)を發端(ほったん)とす。

國民漸(ようや)く、其(その)採(と)る可きを知り、 漸次(ざんじ)に活潑(かっぱつ)の氣風(きふう)を催(もよ)ふした。

しかし、 進步の道に橫(よこた)はるに 古風老大(こふうろうだい)の政府なるものありて 之(これ)を如何(いかん)ともす可(べか)らず。

ーー

政府を保存せん歟(なら)、文明は決して入る可(べか)らず。

近時の文明は、 日本の舊套(きゅうとう(旧套))と兩立(りょうりつ)しない。

舊套(きゅうとう)を脫(だっ)すれば、 同時に政府も亦(また)、廢滅(はいめつ)せざるを得ないからだ。

ーー

文明を防(ふせい)で、其(その)侵入を止(と)めれば、日本國(にほんこく)は獨立(どくりつ)す可(べか)らざる故(ゆえ)なり(西洋列強の植民地になる)。

ーー

是(ここ)に於(おい)てか、 我(わが)日本の士人(しじん)は、 國(くに)を重(おも)しとし、 政府を輕(かろ)しとした。

そして、帝室(ていしつ)の神聖尊嚴(しんせいそんげん)に依賴(いらい)して、 斷(だん)じて舊政府(きゅうせいふ)を倒(たお)し新政府を立てた。

國中(くにじゅう)朝野(ちょうや)の別なく、 一切萬事(いっさいばんじ)、西洋近時の文明を採り、 獨(ひと)り日本の舊套(きゅうとう)を脫(だっ)した。

ーー

それだけではない、亞細亞全洲(あじあぜんしゅう)の中に在(あっ)て、 新(あらた)に一機軸(いちきじく)を出したのだ。

その主義とする所は唯(ただ)脫亞(だつあ)の二字に在(あ)るのみ。

我(わが)日本の國土(こくど)は、 亞細亞(アジア)の東邊(ひがしのほとり)に在(あ)る。

しかし、 其(その)國民の精神は、 既(すで)に亞細亞の固陋(ころう)を脫(だっ)した。

そして、 西洋の文明に移りたり。

ーー

然(しか)るに爰(ここ)に不幸なるは近隣に國あり、一(ひとつ)を支那と云(い)ひ、 一(ひとつ)を朝鮮と云(い)ふ。

ーー

此(これ)二國(にこく)の人民も、 古來(こらい)亞細亞流の政敎風俗に養(やしな)はるゝこと、 我(わが)日本國民に異(こと)ならず。

しかし、 其(その)人種の由來(ゆらい)を殊(こと)にするか。

あるいは同様の政敎風俗(せいきょうふうぞく)中に居(い)ながらも、 遺傳敎育(いでんきょういく)の旨(むね)に 同じからざる所(ところ)のものある歟(のか)。

日支朝鮮三國相對(あいたい)し、 支那と朝鮮と相似(あいに)るの狀(さま)は、 支・朝鮮の日に於けるよりも近い。

此(この)二國の者共(ものども)は、 一身に就(つ)き、又(また)一國(いっこく)に關(かん)して、改進(かいしん)の道を知らず。

ーー

交通至便の世の中で、支那・朝鮮人が、文明の事物(じぶつ)を聞見(ぶんけん)しないのではない。

耳目(じもく)の聞見(ぶんけん)が、支那・朝鮮人の心を動かさない。

支那・朝鮮人が、其(その)古風舊慣(こふうきゅうかん)に戀々(れんれん)するの情(じょう)は、 百千年の古(いにしえ)に異(こと)ならないのだ。

ーー

昨今、文明は日々新たになっている。

それなのに、支那・朝鮮人が、敎えているのは仁義禮智(じんぎれいち)と稱(しょう)し、 一(いち)より十(じゅう)に至るまで、 外見の虛飾(きょしょく)のみ。

眞理原則(しんりげんそく)の知見なきのみか、道德(どうとく)さへ、地を拂(はら)ふて、 殘刻不廉恥(ざんこくふれんち)を極(きわ)めている。

それでも支那・朝鮮人は、傲然(ごうぜん)として、自省(じせい)の念(ねん)がない。

ーー

我輩(わがはい)を以(もち)て、 此(この)二國を視(み)れば、 今の文明東漸(とうぜん)の風潮に際し、迚(とて)も其(その)獨立(どくりつ)を維持するの道ある可(べか)らず。

ーー

支那・朝鮮人が、先(ま)づ政治を改(あらた)め、人心(じんしん)を一新(いっしん)することができなければ、今より數年を出(い)でずして、亡國(ぼうこく)と爲(な)ろう。

其(その)國土は世界文明諸國の分割に歸(き)す可(べ)きこと、 一點(いってん)の疑(うたがい)あることなし。

ーー

なぜなら、支那・朝鮮が、文明開化に背(そむ)き、無理(むり)に之(これ)を避(さ)けんとしているからだ。

ーー

今の支那、朝鮮は、 我(わが)日本國のために一毫(いちごう)の援助と爲(な)ら無い。

それどころか、三國の地利(ちのり)相(あい)接(せっ)するが爲(ため)に、 時に或(あるい)は之(これ)を同一視されてしまう。

例(たと)へば支那・朝鮮の政府が、古風の専制にして法律に依らないでいると、西洋の人は日本も亦(また)無法律(むほうりつ)の國かと疑(うたが)う。

支那・朝鮮の士人(しじん)が、科學(かがく)の何(なに)ものたるを知らざれば、西洋の學者(がくしゃ)は日本も亦(また)、 陰陽五行(おんみょうごぎょう)の國かと思う。

支那人が卑屈(ひくつ)にして恥(はじ)を知らざれば、 日本人も恥知らずと思われてしまう。

朝鮮に人を刑するの慘酷(ざんこく)なるあれば、 日本人も亦(また)、共に無情(むじょう)なるかと推量(すいりょう)せらるゝが如き。

ーー

是等(これら)の事例を計(はか)れば 枚擧(まいきょ)に遑(いとま)あらず。

其(その)影響が、我(わが)外交上の故障を成すことは 實(じつ)に少々ならず、我(わが)日本國の一大不幸と云ふ可(べ)し。

ーー

左(さ)れば、我國(わがくに)は隣國(りんごく)の開明(かいめい)を待(まっ)て、共(とも)に亞細亞(あじあ)を興(おこ)すの猶豫(ゆうよ)ある可(べか)らず。

寧(むし)ろ其伍(そのご)を脫(だっ)して、 西洋の文明國と進退を共にするべきなのだ。

支那、朝鮮に接するからといって、その法も、特別の會釋(かいしゃく)に及ばず。

正(まさ)に西洋人が之(これ)に接するの風に從(したがい)て 處分(しょぶん)す可(べ)きのみ。

ーー

惡友(あくゆう)を親しむ者は 共に惡名(あくみょう)を免(まぬ)かる可(べか)らず。

我(わ)れは心に於て、 亞細亞東方の惡友(あくゆう)を謝絶(しゃぜつ)するものなり。

ーー抜粋要約ここまで

ーー

商売というものは、互いに約束事(ルール)を守るという一点がなければ、繁栄を安定させ継続させることなどできないものです。

先に商品を渡して、その後にお代を頂戴する段階になったら、嘘を並べ立てて苦情を申し立て法外な損害賠償を要求したりする。

そんな無法国が現実に存在します。

ーー

共産支那(中華人民共和国)が成立したのが1949年、南北朝鮮が成立したのは1948年のことです。

国民国というのは、本来は、国民の繁栄と安定と幸せの継続を求めて成立しているものです。

しかし、この特亜3国はそうではなく、一部の政府高官や官僚、あるいはそれらと結託した人たちが個人の利益を得るための国です。

ーー

特亜3国では、いまだに事実上の王朝政治が継続している。

つまりこの三国は、我が国とはまったく文化が異なる国なのです。

福沢諭吉の『脱亜論』は、特亜3国が成立するよりも前の1885年に書かれたものです。

しかし、『脱亜論』は、現代においても、そのまままるごと通用します。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>福沢諭吉と村田新八の指摘の正確さ
 福沢諭吉の脱亜論の原文は、恥ずかしながら初めて目にしましたが、内容については、複数のシナ・朝鮮論の記述で、部分的には知って居ましたが、全文を読むと、やはり、その時代の人が直面して居た現実と言うものが感じられますね。 

 そして、その状況は、現在、国家の政体が風前の灯火に成って居るシナ・朝鮮の状況なのに、一部の政治関係者を除けば、社会も大衆も全く意に介して居ない様子まで同じですが、是等の大衆の反応は、世界どこでも同じの様に思いますね。 ですから固より、大衆に取っては、目先の日常の生活の問題方が遥かに大事で、国の危難など全く自覚できないのが、寧ろ当然なのだ、と言う事だと思います。

 然し、国が滅んでしまえば、個人の権利や利益の得失なども一緒に胡散霧消してしまうのですがね。 然し我が国は、その状況で、寧ろ、下級武士層が西洋列強の侵略を予感し、その情報を掻き集め、皆に周知しようとするも、幕藩体制を維持せんとする力が、その活動すら弾圧して、安政の大獄等で多くの有為の人材が、命を失った事は、日本に取って痛恨事でありましょう。

 物理学では、慣性力と言う自然現象が有る事を教えますが、この政体維持力は、正に、社会に於ける慣性力に等しいと思われる。 然し、諭吉さんは、その事を非難してはいないので、そういう力が働くのは、或る程度、已むを得ないと認識して居たのだろうし、それが当時の社会常識だったかも知れない。

 唯、シナ・朝鮮の指導者が、国の為、民衆の為では無く、自身の慾得の為に、政体を死守せんと、していた事を指して、付き合うべきではないと警告しているのですね。

 つまり、諭吉さんは、シナ・朝鮮には、国家と言うものが、国民の安寧を維持しながら、発達・繁栄すべきである、即ち民の生活や国民の生命を守る為に存在していると言う、土台になる考え方が、端から存在して居ない事を見抜いて居ると言う事でしょう。 そして、そのザマは、134年経った今でも、丸で変わって居ないのです。

 日本がシナ・朝鮮と付き合っても、何の為にもならない、と言うのが、諭吉さんの結論で有り、蓋し、慧眼であると言えると思います。

 然し一点、諭吉さんが、学ぶべしとした欧州も、その本質が明らかになるにつれ、シナ・朝鮮と全く変わらない国である事が、分って来るのです。 

 そして、この事は、諭吉さんがこの説を著す、十数年前に大久保利通と共に、欧米を1年間に亘って視察した、薩摩の村田新八が、欧米のその未開さを喝破している事を、このブログで知りました。 

 曰く「欧米社会には、日本が学ぶべき特性は一つとして、見当たらず、学ぶ対象にするべきに非ず」と、是亦、慧眼で村田が、日本文明の神髄足る、民をオホミタカラとし、皆が、神の子として等しく神聖であると言う、精神を心に刻んで居た事が推測できます。 

 そして村田は、一緒に洋行した大久保利通が、現実主義者であったが故に、西洋の科学技術に圧倒されて、一種のカルチャー・ショックに罹って居た事も批判して、引き止める大久保たちを尻目に、全ての官職を辞して、さっさと薩摩に帰って終い、それに、同じく薩摩の士族出身のモノが続いて、数年後に西南の役が起こるのです。

 我々子孫は、諭吉さんの脱亜論は知って居たが、其れより早く論じられていた、村田新八の、欧州文明批判は、殆どの人が知るまい、薩摩出身の私ですら知ったのは、このブログでのご紹介に拠ってであった。 

 確かに新政府としては、未だ燻る、江戸260年の慣性力を懼れて居たのは分るが、諭吉さんも仰っている通り、大衆の間に出来た流れと言うものにも慣性力が存在する。 然し、マスコミと言うものが、萌芽はして居たが、未だ、力として存在して居るとは言えなかった、その当時なら、社会の慣性力の方を懼れたのはやむを得ないでしょう。

 然し其れを、後継の明治政府が、放置したが為に、日本の庶民も、エリート層も、昭和16年に戦争が始まるまで舶来信仰が、続いてしまった。 否、共産主義もその一種だと言うなら、今でも引き摺って居ると言って良いだろう。 村田の欧州文明批判を、ちゃんと聞いて解析を行って居れば、日本が、欧米勢と大戦争をする迄には、至らなかったかもしれない。

 然し、日本は欧米勢力の理性を信じすぎたが故に、意図的に世界で孤立させられて、当然ながら、建国以来、初の敗戦を経験し、米国に拠って、文化・精神面ではかなり遅れた米国文化を、問答無用で押し付けられたが、日本の文明の消化力は凄まじく、その未開な部分を日本流に訂正・矯正しながら、自分のものにして、数次上の文化を創りだし、発信し返して、世界から称賛されて居るのである。 例えば、近年の野球がそうである、と思いますね。

 現在の世界情勢は、シナ・朝鮮と言う異端の文明が、滅びて消滅する寸前に有ると言って良い。 オソラク朝鮮・韓国は、3月までに国を失い、6月までに、処分が決まるであろうし、シナも、6月までには、その処理の行方が決まるだろう。 どちらも、途中に熱戦が無ければの話だが。

 そうなった時の日本は、明治初期と、よく似たシチュエーションに置かれていると、言えるかもしれない。 つまり、諭吉さんが心配して居た、「日本がシナ・朝鮮の未開な国と混同される惧れ」が、無くなったのだが、逆に、新たに、「では、日本文明とは一体何か?」と言う、目が改めて向けられるだろう。

 然し、その点については、例えば、和食や盆栽と言った、シナ・朝鮮とは一線を画するものが、既に欧米に紹介され、親しまれている、盆栽などは、日本よりも欧州での熱の方が高い位なのだそうだ。

 私はこの先は、日本文化の神髄である、他に対する「心遣い」の表し方で、あのシナ人すら感嘆させている、日本文明の魅力が「他を思いやる心の延長である、観るものの立場に立って創り手が工夫を凝らす」と言う、欧米にも、シナにも、そしてムスリム圏にもない「利他の心」、したモノに有る事を、存分に知り、その作り手の仕掛けの意図を学び取って、日本の「和」の心に行き付いてほしい。

 西洋人も日本の絵画や音楽、そして、文学作品や工芸品に現れる余白で、自分のイマジネーションを愉しむと言う、高度な技と心を看取出来る域に迄、その心性を磨いて、感じ取ってほしいものですね。 そうして日本の和の心が世界に広がる事を期待します。

以下に書かれていることはほぼ事実です。
管理人さまはご存じのことと思いますが。

ねずさんこと小名木善行氏についての疑問点
http://www.tamanegiya.com/blog/2015/03/06/779/

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