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2019年2月 5日 (火)

日本人は溥儀に天皇と同等の文化力(満州国を再興する力)を求めたが、それは幻想であった

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

加藤康男『ラストエンペラーの私生活』(幻冬舎新書)

本書は2014(平成26)年に刊行された『禁城の虜』に加筆、修正した新書版である。

最後の皇帝となった溥儀(ふぎ)の真実とは。

家庭教師だった英国人が書いた『紫禁城の黄昏』にも彼の性格異常と偏執的な性欲が書かれているが、岩波の翻訳書はその部分を割愛していた。

(岩波はこのような割愛を多用することで戦後の言論界を在日・反日勢力に都合がよいように操作していた)

映画『ラストエンペラー』とはかけ離れているが、発売と同時にベストセラー入りしている。

ーー

溥儀はなぜ異様な性欲を持つように至ったのか。

溥儀は二歳と六ヶ月で皇帝の座について、幼年期から女官に性行為を教え込まれた。

十代で宦官との同性愛、そして宮廷内で宦官達を虐待する性癖を身につけた。

十六歳で本妻と妾を同時に娶り、後に正妻の産んだ子を「捨てよ」と命じ、「不義密通の疑いがある」として正妻を幽閉した。

ーー

愛新覚羅溥儀は、1908年12月に3歳で帝位につき1912年の辛亥革命で退位させられた後も紫禁城に住んだ。

が、1924年北京政変で、紫禁城を追われると天津の日本租界に逃げ延び、28歳で満州国皇帝となった。

そして日本が世界戦で負けた後はソ連に抑留された。

ーー

通化事件の舞台ともなった場所から、溥儀は日本軍の用意した飛行機で奉天へ逃げ、そこから日本へ逃亡する予定だった。

ところが、偶然進駐してきたソ連軍に発見され拘束されてしまったのだ。

ソ連を転々としていたのも束の間、東京裁判では、のこのことソ連側証人として市ヶ谷の軍事裁判法廷に出てきた。

あれほど日本に依存しておきながら、スターリンの命じるままにでたらめな証言を行い、さらにそのあとは支那に送還されて撫順刑務所で共産党員による洗脳を受けた。

ーー

評者(宮崎)は通化の現場や、遼寧省の炭鉱町に残る撫順刑務所跡で溥儀の拘束されていた部屋を見ている。

したがってこのあたりの記述と撫順刑務所の情景とが重なった。

やがて溥儀は釈放されたが、毛沢東によって、支那共産党の宣伝道具として酷使された。

ーー

こう書くとなにやら彼は悲劇の主人公のように見える。

しかし彼は、比類なき権力欲、物欲、我欲、性欲、名誉欲、自己保身に汲々とする俗物であった。

そして自立性を完全に欠如させた性格破綻者であったのだ。

ーー

日本人にとっての天皇は日本文化の保持者であり日本文化(日本国)そのものであった。

日本人は溥儀に天皇と同等の文化力(満州国を興す力)を求めたが、それは幻想であった。

彼は単なる俗物であり、満州国を興す力など持っていなかった、日本は彼に振り回されただけだった。

ーー

本書は性格破綻者であった溥儀の虚実を抉り出した労作である。

溥儀には、(日本人が期待した)文化力が微塵もなかった。

そんな彼の身に起こったことには歴史の皮肉(アイロニー)、というより日本人の先入観がもたらした残酷さを感じた。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>ラスト・エンペラーの実像
 否、酷い話ですね、 一人の人間を、此処までダメ人間に出来るものかと、改めて、漢文化の深い悪の成分が感じられて思わず、身震いがする程です。 きょううて居に使えていた宦官も官女も、オソラク漢民族でしょう。 宗族主義の彼らにとって「民族の敵」である清王朝の幼い皇帝の世話を任された事自体、千載一遇のチャンスと思わなかった筈が無い。其処では、人間として堕落する様な全ての教育と環境が用意された事だろう。

 是を命じたのは一体誰だろうか、後世、独裁者で「清王朝を潰した張本人」と評価されている、西太后であろうか、ならば、自分の権勢の強さに溺れて、その態勢の維持「=保身」にしか頭が回らなかったと見ゆる。頂点に立つモノが、こうした利己主義者なら、如何なる大国も簡単に滅ぶと言う典型であろう。

 溥儀が28歳で満州国皇帝に成った時、パトロンだった関東軍が差し向けた担当者は、あの大杉栄一家殺しの、甘粕正彦だった。 

 甘粕は、戦後の左傾のマスコミに拠って、殊更に悪人であるかのように描かれていたが、実は、満州映画の理事長を務め、その発展異大きな貢献を遺して居る、殊に、その、権威を嵩に着たものに対する硬骨ぶりは有名で、映画女優と芸者の区別もつかない、当時の「文化人」から、女優を守った事で、甘粕を慕う映画人は多く、亦、彼の葬儀には、3千人を超す、日本人と満州人が押し寄せたと言うから、慕われて居た人だったのです。

 シナ共産軍に拠って、天津に押し込められていた溥儀を救い出すのに、甘粕は端から高圧的な態度で接して、洗濯物の中に隠したり、行李の中に押し込めたり、苦力に化けさせたりで。凡そ、元清朝12代皇帝に対する仕打ちでは無かったが、結果、満州国の皇帝になれたワケで有る。 

 彼は東条英機とは、陸士の先輩・後輩の間柄以上に、縁が深く、甘粕事件で、禁固10年を言い渡されたが、翌年には釈放されて、満州に赴いて居る処ぁら、肩書は民間人だったが、元陸軍憲兵大尉であった事から、ハルビンに居た陸軍特務機関長土肥原大佐の指揮下に入ったと考えるべきだろう。

 甘粕に寄せる信頼感から、東条の意向も働いて居たかもしれない、そして勿論、溥儀の監視役で有った事は、云う迄もない。

 それに比べて、溥儀の一生は、正に、性格破綻者そのモノだった、同性愛者にして女性を性具としてしか見て居ない振る舞い、簡単に人を裏切る、恩知らずであったが、是に、共産主義思想の洗脳を受けたのだから、救いようが有るまい。 清王宮の漢人達「=宦官と官女たち」の深慮遠謀に拠る清王朝への復讐は、見事に結実したのである。

 然し、此処へ来て、満州が亦、注目される様な事態が起こりつつある。 其れは、満州族の故地である、現シナ東北部の人口が、主に、東北部の農業開発の成功によって、20年前に5千万だった人口が、3倍の1億5千万人にも膨れ上がって居るそうである。

 戦後に、シナ内部では、漢民族以外とされる民側の粛清・殲滅が長年に亘って行われて、内モンゴル族と満州族は、固有の文化も消され、民族の言葉も絶えて終い、古に、金王朝を建てた、女真族の後裔である満州族は、全滅した事に成って居た。

 処が、実際は滅んだのは、文字や言葉だけで、漢民族を名乗る事だけで、民衆は生き延びて居た。 そして、徐々に人口を増やして、現在の様な状況に成って居ると言う。 

 一時前には、シナの人民軍で最大最強は何処かと言われれば、広東軍であると即答が帰って来たが、其れから20年、今や同じ質問には、東北軍であると、答えるだろう。 然も、高度に機械化された、機動部隊であると言う。

 もし、この中身が、実は満州人の兵士で占められていたら、戦前にシナが抱いて居た、脅威の再来となるだろう、即ち、シナの周辺諸国が全て、シナに反旗を翻すと言う事である。

 勿論、現状のままでは、共産シナ中央が強すぎて、話にもならないが、米支戦争の結果によっては、シナの共産党支配は終焉を迎える事に成る公算が高い。 そして、シナを後継するモノは、シナの借金9500兆円を担える信用をもつもので無ければ、世界恐慌が起こって終う。 その役目は、共産シナの信用力では、到底無理であろう。

 すると此処で、シナ共産党の抑圧が解けて、復活する国々を考えて、米支戦争が終わった後の世界地図を思い描いて看れば、チベット、ウィグル(東トルキスタン)は、勿論の事、内蒙古、そして満州で有ろう。 他にも、正州「=万里の長城内の区域」内で、自民族の建国を主張する民族もあるやもしれませんが、取り敢えず、そう言った処でしょう。

 この4カ国の中で、独立で生計が建てられそうな国は、満州国しかありません。 すると、此処で、満州と国境を接しているロシアの動きが気になりますね。 それに、朝鮮族は、元々女真族の一支族に過ぎません。 朝鮮・韓国共に国が消滅した場合、実質的に、吸収するのは、満州内に居る朝鮮族である可能性は高いですよね、

 この満州の行方が、現在のシナ・韓国・朝鮮、反日特亜三国の運命を握る事に成りそうな気がしてなりません。

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