無料ブログはココログ

« 北朝鮮と民族の核を持とうとする韓国は、「米国を通じた準同盟国」でもなくなり、仮想敵として取り扱われるであろう | トップページ | 日本人は溥儀に天皇と同等の文化力(満州国を再興する力)を求めたが、それは幻想であった »

2019年2月 4日 (月)

もし日本に責任があるとすれば、戦争に敗れたことである

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

関岡英之『帝国陸軍、知られざる地政学戦略、見果てぬ「防共回廊」』(祥伝社新書)

本書は『帝国陸軍、見果てぬ「防共回廊」』(祥伝社)の改訂増補版である。

ウィグルの動きなど、最新情報が相当量、加筆されている。

下記は、『帝国陸軍、見果てぬ「防共回廊」』(祥伝社)が出た直後の評者(宮崎)の書評である。

ーー

不都合なことが多い所為か正史からきれいさっぱりと消された事実が存在した。

それが、最近公開された機密文書、公電から徐々に明らかにされ「近現代史の空間にぽっかり空いた穴を埋めた」。

戦前の大日本帝国の壮大な秘密工作、すなわち支那包囲網の構築、ユーラシア戦略、その希有壮大な全貌が、ようやく明らかにされた。

ーー

しかし本書は過去に出された大陸浪人伝や馬賊物語、日本人の侠客まがいの血湧き肉躍る冒険譚とは、まったく性格が異なる。

馬賊になった日本人・小日向白朗や野中進一郎等の活躍は、大日本帝国のユーラシア戦略とは無関係であった。

ーー

それにしても労作だ。

ーー

関東軍の「秘密工作」と諜報活動の中身がいかなるものであったのかを探りあてることは困難を極めた。

当時の雑誌にちょっと書かれた論文や人名録をたよりに、それを書いた人物を探し出し、取材している。

或いは引き揚げてきた人の遺族を三年がかりで訪ねあて、残っている写真やら遺品をヒントに、どのようなことが行われたのかを探り出している。

ーー

この作品は、自らは部屋にこもって、資料を集め、それを読み込むことで、事実を探り出す、安楽椅子探偵(bed detective)の作品だと言えよう。

いや歴史の狩人(かりうど、history hunter)の作品と形容した方がぴったりかも知れない。

ーー

つまり旧満州とモンゴル~ウィグルに「親日国家群」を樹立させようとして獅子奮迅の活躍をした民間人、大陸浪人、支那通、イスラム教徒、軍人らがいたのだ。

その背後には「国益」「国家目標」を共有する政治家と官僚たちがいた。

あの大日本帝国の熱血とその建国精神があった。

ーー

これらの作戦を立案し、推進させたのが、中央に居た森銑十郎、板垣征四郎らであった。

その戦略的人脈の直系に辻政信や東条英機がいた。

ーー

しかし戦後の支配者となった在日・反日勢力は、教育界、言論・メディアを支配することで、「護憲、東京裁判史観、侮日」を日本人に強制することに成功した。

それゆえ現代日本人の多くが、大日本帝国が侵略戦争をしかけたと思い込んでいる。

しかも、日本の反日メディアは、いまもそのように言い続けている。

それで、いきなりこの本を読んでも、当時の日本が置かれていた国際環境や政治環境(リアル・ポリティックス)を理解できないだろう。

ーー

いまのフフホト(当時は「厚和」と言った)にあった興亜義塾に学ぶ二人の男がいた。

西川一三(かずみ)と木村肥佐夫である。

東条英機は彼らに「西北支那に潜入せよ」という密命を出す。

「(彼らは)モンゴル語、北京語、ロシア語や現地の地理、歴史、政治経済などの学習と軍事訓練にいそしみ」

「その後さらに一年間、モンゴル人ラマと起居をともにし、一モンゴル人になりきるべく、その風俗習慣を徹底的にたたき込んだ」

ーー

西川は「残置諜者」(忍者用語で言えば「草」)のごとく「モンゴル人ロブサン・サンボー」と名乗り、以後終戦を挟んで八年間、アジア各地を放浪した。

現在の内蒙古省にあたる地域は日本の勢力圏だったのだ。

ーー

「その西方に位置する寧夏省、甘粛省、青海省は敵地であり、中国国民党、中国共産党の漢人、モンゴル人、チベット人、ウィグル人などの各民族」

「当時『東干人』(トングァン)と呼ばれた回民(ムスリム、イスラム教徒)などの諸勢力が割拠してしのぎを削る危険地帯」であった。

ーー

西川はこれらの地区で諜報活動をしながら、さらに西へ進む。

「(そこで)ソ連からの援蒋ルートを目撃する」

「北方からドラム缶や平気を満載したトラック隊が土煙を上げて姿を現し、航空機が甘粛省の省都蘭州方面へ爆音」を響かせていた」

「命がけの密偵等はなぜそうした危険を冒してまでも祖国に尽くしたのか」

「密命の背景にある巨大な日本の構想とは、西北民族の包囲網を以て支那を攻略するという一大政策であった」

「蒙古族、チベット族を友として漢民族を包囲する体制を作り上げることこそ支那事変解決の鍵であった」からだ。

ーー

西川はやがてチベットへ潜入した。

そこで日本の敗戦を知る。

ヒマラヤを越えてインドで初めて(八年間の密偵生活のなかで、初めて)日本人と見破られた。

ーー

相手は日本の支援で訓練を受けインド独立のためにチャンドラ・ボーズ軍で戦った親日インド人だった。

終戦を知らされても「草」の任務をまっとうするために帰国せず各地に潜行した西川はようやく帰国してから、『秘境西域八年の潜行』という本を書いた。

ーー

著者の関岡氏は、それを高校時代に読んで感動し、それが本書を執筆する原動力となったのだという。

ーー

「1933年一月、関東軍は陸軍きってのモンゴル通と言われた松室孝良大佐を(中略)、関東軍司令部付とし、熱河省の承徳特務機関長に任命した」

「彼は陸軍士官十九期、張家口を拠点に二年間、内モンゴルや西北各地を視察し、西の果ては甘粛省涼州(現代の武威市)にまで到達した」

と別の任務を背負った松室大佐の物語が平行する。

ーー

潜入した先で軍閥のボスと意気投合したり馬賊や山賊に捕縛されるも脱出したり、私たちが知る小説『夕日と拳銃』(壇一雄)の伊達順之助の世界だ。

いや、このあたりを舞台にしたのは胡桃沢耕二だった。

ーー

松室の任務とは何だったのか?

「当時、関東軍は満州帝国の四周を睨み」

「土肥原賢二少将率いるハルビン特務機関がシベリアでの諜報活動」

「板垣征四郎少将率いる奉天特務機関が華北分治工作」

「(そしてこの)松室孝良大佐率いる承徳特務機関が内蒙工作」

「(それら)を展開する、という三正面作戦を構えた」

ーー

密命の中味とは「満州帝国の姉妹国として、内モンゴル全域を領土とし、チベット仏教を国教とする独立国家『蒙古国』を樹立せよ」だった。

さすれば、甘粛省から東トルキスタンへ至るイスラムの地域にも独立の気運が伝播し、チベットもモンゴルに呼応し、

「日本を中心とする満州国、モンゴル、回教国、チベットの環状同盟を形成」すると。

壮大無比、「ついには全アジア民族の奮起を促し、アジア復興を達成しうる」 これが日本の戦略だったのである。

ーー

勇躍してかれらは敵地へ潜入する。

軍事情報を集めながら日本の同盟軍となりそうな有力者や軍閥の発見にも努める。

しかも各地では反漢族感情が強く、日本への期待は強烈であった。

ーー

ウィグルでは東トルキスタンが独立し、やがて中ソの陰謀で木っ端みじんに解体されるのだが、日本の密偵が少数、現地にもぐった。

大半は敦煌、蘭州あたりで回民の軍閥に邪魔された。

だが回民軍閥も共産革命樹立以後は毛沢東によって粛正され、或いは少数が蒋介石について台湾まで逃れた。

日本軍は東ウィグルへ到達できなかった。

ーー

蒙古を独立させるために獅子奮迅の活躍をしたグループは、功名争い、セクト争いを繰り返しながらも徳王、粛親王を助け、一時的には政権を樹立した。

ーー

こうして著者の関岡氏は近代・現代史の空白を埋めるべく資料を丹念に読み込み、図書館へ通い、関係者に取材を繰り返し、ようやくその全貌を掴んだ。

あの時代、いまの若者が及びも付かない壮大な夢(ロマン、浪漫)に命をかけた熱血の日本人がいたのだ。

ーー

だが全ては太平洋戦線における作戦の齟齬、物量補給路の切断、兵站の維持不能などによって敗戦に追い込まれ、日本の夢ははかなく消えた。

満州族、蒙古族、ウィグル、チベットの民が、以後どれほど苦しみ、いまも支那共産党帝国の圧政に苦しんでいるか。

もし日本に責任があるとすれば、戦争に敗れたことである。

« 北朝鮮と民族の核を持とうとする韓国は、「米国を通じた準同盟国」でもなくなり、仮想敵として取り扱われるであろう | トップページ | 日本人は溥儀に天皇と同等の文化力(満州国を再興する力)を求めたが、それは幻想であった »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>大東亜共栄圏建設に懸けた戦前日本人の心意気
 然し、物凄く稀有壮大な話で、戦前日本の陸軍を中心とした、日本伝統の諜報活動が展開されて居た事実を知って、関岡さんが味わったであろう感動の数十分の一でも味わう事が出来、その中身を知って更に驚嘆して居ます。

 この話を読んで、初めて、土肥原賢二中将や板垣征四郎中将が、東京軍事裁判で死刑判決を受けたのかも、凡そ、理解できました。 要は、援蒋を行って居たのは、英米軍のみならず、中立条約を結んで、中立だった筈のソ連も、加担して居たワケで、「ファシズムの日本の侵略戦争」と言う構図が、根底から崩れて終う。。

 その上、ソ連こそが、その黒幕だった事に繋がる情報を持って居るので、彼らに生きて居られたら、戦争の大義は絶対に成り立ちませんよね、ダカラ、連合軍としては、諜報機関の責任者であった彼らに、生きて居られたら、実に都合が悪かったと言う事でしょう。

 つまり、第二次世界大戦の本当に目的は、新興国日本を叩きt潰して、白人支配の体制を堅持しよう、或いは、支配しようとして居た、勢力の陰謀だったと言う事ですね。

 そして、その悪の目論見は、まんまと成功して、ヤルタ会談で、日本の両手両足をもぎ取り、達磨状態にして、米国が散々嬲った後、天皇陛下を処刑して日本と言う国をこの地球上から無くすつもりで居たのでしょうね。 

 其れに加担したのが、日本人近衛文麿であり、尾崎穂積以下、朝日新聞の記者の面々や共産党の共産主義者で有ったと言う事ですね。

 然し実際に、「草」として、現地人に成り切って、一生を終えようとして居た西川・木村氏を始めとする、諜報機関員は、完全に「捨て駒」としての役割を甘受して、大目標の満州国の確立の為に、その一命を賭した事は、若くして、250kg爆弾を抱いて、敵かんに突っ込んで散華した特攻兵士や3倍以上の敵をものともせず最後の1兵に、至るまで降伏せず、戦い抜いた前線の兵士たちの奮戦ぶりと何ら遜色はないと思います。

 思うに日本員には、共通した信念の様なものが、存在していると感じますね、その強い意志は目に現れ、引き締まった顔つきに出ますから、何処かで日本人を知って居る者は、幾ら上手に化けて居ても、隠しようが無かったのでしょうね。 この事実は、是からの日本人は、、参考にすべきだと思います。

 逆に世界には、斯うした日本人の柔和な雰囲気の中でも、時折、真の勇者が見せる見せる、「燃える様な目」や「冷静で理知的な表情」が、大嫌いな連中が居る様ですね。 言うまでもなく、彼らに嘗て酷い目に遭わされた人たちでしょう。 それが、反日のハザール人ではないかと私は思います。 

 つまり、日本人に自分達が描いた計画を妨害されて、大きな痛手を背負った事が有る、と言うワケです、例えば、米国ポーツマスで行われた、日露戦争の処理を決める会議で、ジョン・D・ロックフェラーが、大慶油田を狙って、満州進出を計画して居たのに、小村全権に一蹴された様に。

 正義と信じて通したものでも、悪の試みを持って居たものにとっては、妨害者以外の何物でもない、と言う事ですね。

 然し思うに、是ほどの諜報機関の規模と優秀さなら、キット、ハザール人の細部に至るまでの情報は、既に入手して居た可能性が高いでしょうね。 勿論、戦争の黒幕は、ソ連のスターリンだった事も、知って居たし、満州に張り付いて居た関東軍精鋭を、兵站路を潰された南の島嶼戦に回すと聞いた時、彼らは、日本の敗戦を覚悟したでしょう。

 西川・木村両氏は、関岡さんの様な方のお力で、世の中に、その存在を知られて居ますが、御両名同様、潜っていた人々の大半は、故郷に帰る事も叶わず、任務の中で、人知れない山奥や寒村で、或いは、砂漠で、現地人、或いは身元不明者として死んで行った方々も、沢山いるに違いない、そう思うと、有り難さに、落涙を禁じ得ません。

 戦後、在日・範囲地勢力が支配するマスコミの世って、恰も、「後付け」の様に、語られた日本の「大東亜開放」の大義ですが、↑に語られた事を、考えれば、端から、白人支配の文明を打倒して、アジア人の理想の大国家、「五族共和の満州国を樹立しよう」として居た事は明らかで、その具体的な行動をあちこちで行って居たと言う事ですね。

 ですから、戦争を始めた事は決して間違いでは無かったが、始める時期と相手が、罠を仕掛けて居る事も、察知して居たのに、強行したは、当時の海軍が、山本五十六や南雲忠一を始めとする幹部が東北人の幹部ばかりで有った事に、やや疑問を感じますね。

 日本も決して一枚岩では無く、自分達の現実を理解できない、湖中のしか出来ない人が、結構いたのではないかと思います。

 是も、日本人の反省すべき処でしょう。 曰く、自分達だけが正しいのでは無く、同じ現実でも違う見方もあって、双方、或いは、もっと違う見方も一つの現実に足しては存在する」と言う認識を持たずに、只管、自分だけが正しいと言うのは、間違いの元に成るのは、当然の事だろう。

壮大な話です。
日本人の活躍で壮大な話は、戦前の支那のことで満州の馬賊や満洲浪人だと聞いたことがありましたけれど、「男のロマン」としてのことだと思っていたのですが、本当のことで、しかも大日本帝国が本当にやっていたとは思いませんでした。
命懸けでこのような作戦に携わっていた軍人がいたとは、信じられない気持ちです。

日本が連合軍と戦うときに、陸上戦では中華民国が主敵でしたから、その補給路を絶とうとするのは当然のことですが、その時に支那の北側から西側を支那とは別の国を建国させるというのは、発想として素晴らしいし、その国々が連携するとき八紘一宇の精神にも繋がり、大東亜での協和を得られれば、これもまた大きな平和と発展に繋がったと思います。
中華民国が支那共産党と西安事件で協調をしなかったならば、支那共産党は殲滅されていたと考えますし、日本は元々中華民国と争う気はなかったのですから、大東亜戦争自体がもっと変わったものになっていたと思います。

それが、西安事件によって中華民国と支那共産党が連携したため、日本は支那と戦うことになったし、中華民国に米国は義勇軍を潜り込ませました。米国の義勇軍は、朝鮮戦争における支那の義勇軍と同じ働きをして日本は難儀させられました。
その他にも、ソ連が援蒋物資を運んでいたことを初めて知りましたが、これは日ソ中立条約の完全な違反です。
ソ連は、昔も今も信用できない国だと言うことが、よく分かりました。

此に比べますと日英同盟は、正に条約を正しく実行されたと思います。此は、日本と英国が対等に、誠実に条約を実行したもので素晴らしかったものだと思います。
近年、英国は日本にフワッとした好意を寄せているように思いますが、ヨーロッパでの孤立感が強くなったことから、日英同盟の時の日本を思い出しての行動かも知れないと思いました。


日本にこんな作戦を考える将軍として、東条英機がいたことに驚きます。
戦争に負けたため戦後の支配者は、東条英機を始めとする日本の政府・軍部を、只管、あしざまに批判しましたけれど、戦後の歴史を見直した歴史を、国民として勉強したいと思います。


>もし日本に責任があるとすれば、戦争に敗れたことである。

確かにそのとおりなのですけれど、日本が敗戦した後に米国が支那の状況を把握し、中華民国と支那共産党とソ連の力関係や、支那の状況を分析していれば、現在のアジアの状況はなかったのです。

米国こそが、今日のアジアを作り出した責任を負うべきだと思います。

『神我と小我のせめぎ合い。』

学級崩壊した教室にぽつんと存在する比較的善なる普通の生徒に
寄ってたかって攻撃を加え教室から追い出さんとする落ちこぼれ
不良グループという様相でしょうか。

普通の比較的善なる生徒が教室から消えたら、元々自習教室で
あったことから、学びの舎に非ずと云った判断が下り、廃校となって
いたやも知れませんね。


コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 北朝鮮と民族の核を持とうとする韓国は、「米国を通じた準同盟国」でもなくなり、仮想敵として取り扱われるであろう | トップページ | 日本人は溥儀に天皇と同等の文化力(満州国を再興する力)を求めたが、それは幻想であった »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31