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2019年1月 6日 (日)

死を見るから、生が輝く

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

執行草舟(対)横田南嶺『風の彼方へ―禅と武士道の生き方』(PHP研究所)

横田南嶺氏は、臨済宗(禅宗)・円覚寺派管長である。

この禅の修行者・横田氏を相手に執行氏が「武士道の根源的精神(死ぬこと)をぶつけて」みるとどのようになるか。

その結果生まれたのが本書だった。

ーー

会話は、仏光国師、般若心経、白隠和尚、聖ペテロ、山岡鉄舟、山本玄峰、三島由紀夫、フェノロサ、北条時宗、パール博士、特攻隊など豊饒かつ多彩である。

しかも、それぞれが思想の本源を語ろうとするので長くなる。

こうして思想・哲学・芸術、そして宗教、武士道が語られる。

ーー

近代史の解釈では、大東亜戦争、特攻隊への解釈に近代的合理主義による裁断めいた記述もある。

が、それぞれが独自の思想信条をもっている。

また福沢諭吉への低い評価も気になる読者がいるかも知れない。

ーー

横田「小学生のころから、死の問題を解決するのは座禅しかないと思って、今日までやって来ました」

「でも、周りを見ると、死を考えることを隠そうとしている」

執行「無条件の長生きがすばらしい価値になってしまった」

「そして死そのものを悪徳にしてしまった」

「しかし、とにかく生きろというのは、人を不幸に陥れる考え方だと思っています」(pp286−287)

ーー

横田「死を見るから、生が輝くという執行先生のお言葉は同感です」

「死を思わないから生が輝いてこない」

「玄峰老師が亡くなるときのお言葉が、『旅に出る』です」

執行「(旅は)人生を一言で表す本質的な言葉だと思います」

「(芭蕉は)体当たりの野垂れ死にを覚悟して生き切りました」

「死ぬ前に詠んだ『旅に病んで 夢は枯野を 駆けめぐる』は有名です」(p208)

ーー

「(対談目的は)どのような生き方をしたらいいのか」だが、それは「命を燃焼し尽くす」ということに尽きよう。

こういう本を読むと読書の至福を感じるものでもある。

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心と体」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難う御座います。
>>私の死生観
 人それぞれに死生観が有って良いのだと、幼い頃から思って居ました。 と言うのは、私は幼い頃から、腕白ではありましたが、虚弱体質で、直ぐ熱を出すし、7歳迄に、アメーバ性赤痢、破傷風、喉の奥を縦笛でつき通した、と、3度も死に懸って、都度、親に心配をかけて居た子供でした。

 40以降は、それ迄の出鱈目な生活が祟って毎年、奇病を発症して、60代には、左目失明(61)、脳梗塞(62)、そしてMRSD(63)と毎年生命に関わる病気をしましたので、今日まで生きながらえているのが寧ろ不思議な位です。

 然し、一昨年MRSDで死線を彷徨って居た時は、勿論、何も覚えて居ませんが、目が覚めると、非常に爽快な気分だったし、気持ちがまるで向精神薬を使ったかの様な、上機嫌だった事を覚えています。

 病院のベッドに2週間に亘って、磔の刑に架けられたような状態で身動きできなかった時も、間近に迫って居た死に対する恐怖感は未だ少しありましたが、嫌悪感はモゥ無くなって居ましたね。 つまり、死を受け容れる態勢が出来つつ有ったと言う事でしょう。 本当の意味で、「拾った命だなぁ」と感じましたのでね、そういう状況をキープしてくれた女房に本当に感謝して居ます。

 「如何に死ぬかは、如何に生きたかと、等価である」とは、私が中学生の頃、初めて行った、知覧の特攻基地跡に有る記念館に展示している、特攻兵士の遺書に書かれて居た言葉です。

 其処で、習ったばかりの吉田兼好の徒然草の中に、「永らえば、恥多し」と言う一節を思い出して居ました。 其頃は、何故そんな事を思い出すのか分りませんでしたが、今になって思うと「幾ら完璧を目指しても、只年数を経過しただけでは、何も進歩しない、短くても、死と向き合った濃密な時間を過ごしたものだけが気付けるモノが有る」と言う事なのだと、今はそう思えます。

 そして、今は「天に与えられた自分の命、能力を最大限に発揮して、世の為人の為に、生き抜いてこそ、天命を全うしたと言える」と言う、特攻兵士の言葉で得た結論に、疑いを持たなくなりつつあります。 現世的な目標は、確かに生きる為に重要なアイテムですが、達成して終うと、逆に重荷になって終う事が、屡々見られますね。

 日本人は、西洋人の様に現世的な成功を、稼いだ金銭の多寡や、名声の高さで測ろうとしますが、その達成したモノが即ち彼や彼女の人生を不幸にして居る事は珍しくない。 「人は一人で生まれて来て、一人で死んでゆく」この天然の法則は、生き物である限り変わらないし、亦変える必要もない。 死は飽く迄も個人的な問題なのです。

 人は、死んだら生き返って来ないのも、自然の法則で、随い、何時かはやってくる死の世界に向けて、心の準備を高齢者ほどしているのは、傍で見て居ても良く分ります、とはいえ、死は何時も、突然に訪れるモノです。 

 死の覚悟が出来て居ずにジタバタするのが見苦しいとか言いますが、死ぬのが怖いのも苦しいのも、天が定めた生物を繁栄させる術ですからね、仕方が有りません。 そうで無ければ、悩みが多い高等生物程、生きる苦しみから逃れる為に直ぐに死んでしまう。

 例えば、他人の痛みの一種かもしれませんが、恥を忍んで生き抜くのも、実に辛い事である事を、我々は、知らねばならないと、思いますね。

 然し、唯物論を唱えるものは、自身の死んだ後は、ゴミに成る事を受け容れているのだろうか、ユダヤ教徒の様に「土から生まれ、土に還る、人間で有るのは泡沫の夢である」と考えるのが、唯物論に一番近い様に思うから、共産主義は、やはり、ユダヤ教徒、若しくはキリスト教徒の考案であろうと思います。

 其処には、仏教徒の様なご先祖様への感謝も、家族の温かみや思いやりも無く、亦、バラモン教の様に、魂の輪廻転生で、精神の向上を図ると言う、あの世をパラレルワールド的に見る、希望も無い、唯の、ニヒリズムでしかない様な気がしますね。

 賢人曰く、人を遺すのを最上とし、仕事を遺すを中とし、金を遺すを下とするそうですが、では私の様に子供すら残せなかったモノはどうなるのでしょうか、無駄に生きたと言う事か、と一時は落ち込みましたが、他人の評価は、時間の経過と共に、千変万化するモノだし、では、我々と同じくこの世で生きている、生き物は、唯生きているダケの他に何が出来るだろうか、と、考えれば、「只、生きているだけで、尊いのだ」と気づくのには、宗教の教えが必要でしたね。

 人生の価値等、周囲との比較で決めるのなら、本人の虚像だけが称賛を受けて居るダケで、本人は釈迦牟尼が言う様に、絶えず変化をし続けているのだから、自身の絶頂時と比べられて、惨めな思いをさせられ、絶望するなんて愚かな話でしかない。

 やはり、自分の与えられた、天賦の力を、最後まで全力を出し切って死ぬのなら、天命を全うした事に成りはしないだろうか、私は、そうありたいと、この頃切に思って居ます。

縦椅子様

 あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いいたします。

 ゆっくり目覚めると・・・生きているということを認識します。
 いつもは4時30分ごろ、長男の起きる音で目を覚まし付き合います。今日は、いつものように5時半に送り出せました。それからひと眠り、7時に目を覚まし、このブログを見せていただくのが楽しみです。そのあと次男に付き合い、送り出すのが日課です。
 今日のテーマは「死を見るから、生が輝く」というものですが、よく考えるのは、「自分の後のことでどうなるか…」ということです。自分は問題なく幸せにさせていただいているのに…」ということです。今のある私がこれからの生きていくひとたちにすこしでも何かのやくにたてたらいい・・・」と思うことと、縦椅子様のご健康とご多幸を心よりお祈りいたしております。

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