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2019年1月15日 (火)

安万侶は古事記に国の復活・再生といふ大きな願いをこめて書き上げた

「日本では古来から、武はどこまでも混沌を鎮め、正道に導くために用いられる」と昨日書いた。

神武天皇による建国以来でも日本国は何度か混乱する。

例えば身近なところでは450年前の戦国時代、150年前の明治維新。

いずれも武をもって平和が回復された。

ーー

それ以前はどうだったのか。

ーー

ホツマツタヱは、倭建命をヤマトタケと書く。

この名前からすると混乱を武(たけ)をもって正道に導いた人であると想像される。

ヤマトタケが全国を平定し神上がられた後、父の景行天皇は夢をご覧になる。

その夢にヤマトタケが出てきて、歌を詠む。

ーー

わがひかる はらみつにしき あつたかみ もとのしまはに おれるかひかわ

この歌は逆読みからも、「わがひかる」と読める特殊な「折れ数え歌」になっている。

ひかわ(氷川)はソサノオ(素戔嗚尊)のことを示す言葉であり、この歌から天皇は、ヤマトタケがソサノオの生まれ変わりであったことを知る。

(ヤマトタケとソサノオは熱田神宮の御祭神となっている)

ーー

日本では、このように国が混乱すると、英雄の転生者が現れ国を救うという。

ーー以下「伊勢雅臣コラム」より抜粋編集

夜久正雄著『古事記のいのち』より

著者は、『古事記』が「建国精神」の再生を願って書かれた、というのである。

『古事記』は、天武天皇(御在位673-686年)が編纂を命ぜられ、太安万侶が編纂し和銅5年(712年)に、元明天皇に献上された。

天武御即位の10年前、663年、わが軍は、百済支援のために半島に赴いた。

そして白村江の戦いで、唐・新羅連合軍に大敗する。

ーー

大陸から引き上げた後、唐の侵攻に備えて、九州・太宰府に水城や山城を築き、東国の防人たちが防衛の任についた。

(大宰府にはいまも当時築かれた水城や山城が残されている)

また、ご即位の前年、672年には壬申の乱があり、国内政治も動揺していた。

国家の危機に際し、国民は頼るべき「根っこ」を求めた。

「わが国はいかに建国されたのか」を知ろうとしたのだった。

ーー

こうして編纂されたのが古事記であった。

ーー

幕末の志士たちは、『古事記』から、その「建国の精神』を汲み取って、明治維新の指導的精神とした。

『古事記』は神話と伝承を書き表しただけではなかった。

『古事記』の編纂者たちは、「わが国はいかに建国され、混乱時にどのように再生されたのか」を神話・伝承の中に求めた。

ーー

そういう読み方を夜久正雄・亜細亜大学名誉教授はされているのである。

それでは『古事記』に現れた「建国・再生の精神」とはどのようなものか?

教授の指摘を見てみよう。

ーー

「『古事記』に出てくる英雄や神々は、いはゆる支那の聖人、君子ではない」

「失敗もすれば挫折もする、そして苦しみ煩悶する」

「いはば、人が経験するであらうと思はれるあらゆる苦難を経験してゐるのです」

ーー

「失敗し挫折し煩悶する」英雄の典型が「倭建命(ヤマトタケ)」である。

『日本書紀』では「日本武尊」、『古事記』では「倭建命」、和訓は同じ。

ヤマトタケについて、夜久教授は次のように紹介している。

ーー

「(国を再統一するという)大事業を成就した英雄として描かれてゐます」

「大和の国を中心に、関東と九州を合せて再統一し、日本国にした」

「倭建命の背景には、全国統一に努力した、幾百万の日本人の祖先の声がこもってゐる」

「その幾百万の祖先たちの国家再生への足跡は、決して生ま易しいものではなかったはずで、沢山の悲劇を伴ふ努力であった」

「それゆゑに倭建命の御生涯はもとより、その御最期にいたっては、まことに悲劇的な記述になってゐます」

ーー

その倭建命の御最期の状況を教授は以下のように解説している。

ーー

ヤマトタケは父・景行天皇の「(東国の)荒ぶる神とまつろはぬ人等を言向け平らげよ」との命令を果たす。

大和への帰途、今の三重県のあたりで亡くなる。

(伊吹山のイブキ神がオロチとなって横たわっていたのを踏み越えてしまったために、その神に祟られて神上がられた)

その時に数首の歌を詠まれる。

ーー

「倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく青垣(あおがき) 山隠(ごも)れる倭(やまと)し美(うるは)し」

ーー

「〈大和は日本の一番いいところだ。幾重にも重なってゐる青い垣根、山の中にこもってゐる大和は実に美しい〉といふ意味である」

「この最初の歌は、自分の故郷である大和の国を讃へた歌なのです」

「能煩野(のぼの)といふと三重県鈴鹿郡ですから、大和までほんのわづかです」

「たぎたぎしくなった(骨折した)足をひきずって来て、大和の国を間近かにのぞんで詠んだ」

「この歌にも、その当時の人々の大和の国に対する非常な愛着が表はれてゐる」

「故郷といふもの、そこへ帰ってくれば、もう敵の土地とは違ふのだ、といふ感じ、それがここによくあらはれてゐる」

ーー

九州を平らげた後、休む暇(いとま)もなくすぐに関東を平らげた。

ヤマトタケに従い故郷を離れ、異郷でいのちを落とした武人たちも少なくなかったはずだ。

ヤマトタケのこの歌は、そういう人々を偲びつつ、歌い継がれてきたものと思われる。

ーー

「倭建命の背景には、全国の再統一に努力した、幾百万の日本人の祖先の声がこもってゐる」とは、こういう事である。

ーー

ヤマトタケは、次に以下の歌を詠む。

「命(いのち)の全(また)けむ人は、畳薦(たたみこも)平群(へぐり)の山のくまかしが葉をうずに挿(さ)せ」

ーー

つぎの「命の全けむ人は…」の歌について。

「命を全うして凱旋する人々は、平群の山(奈良県の山)のくまかしの葉を髪にさす飾りとして挿しなさい、といふ意味です」

「自分はここで死んでしまふけれども、国に帰ったらくまかしの葉を頭にさして命長らえたことを祝へよ、と言ったのです」

ーー

くまかしの葉を髪に挿すとは、『新編日本古典文学全集 (1) 古事記』の注釈では次のように説明されている。

「大きな樫、樫の常緑の葉を髪に挿すのは、その生命力につながるための共感呪術」と。

ーー

教授は、「死んでゆく人が、残る者の祝福をしてゐる」といふのです。

「死に臨んで、生存者の上に心を馳せる」

自分が死んでゆくときに、残る人の祝福を祈るといふことは、容易にできることではない。

こうしたヤマトタケに、日本民族は深い尊敬と憧憬の念を捧げてきたのです。

ーー

ヤマトタケは最期に次のように詠う。

ーー

「はしけやし吾家(わぎへ)の方(かた)よ雲居(くもゐ)起ち来も」

「こは片歌なり」

「この時御病いと急(にはか)になりぬ」

「ここに御歌よみしたまひしく、「嬢子(おとめ)の床の邊(べ)に吾が置きしつるぎの大刀(たち)、その大刀はや」 と歌ひ竟(を)へて、すなはち崩(かむあが)りたまひき」

「ここに駅使(はや(う)まづかひ)を上りき」(このことを早馬使いにことづてた)

ーー

(なつかしい、わが家の方から、雲がこちらへ湧き起ってくるよ)

(雲は生命力の発現、それが自分を包み込まんとするかのように自分の方にやって来る)

ーー

最後の歌の「その大刀はや」には、次の注釈がある。

ーー

(大刀を、自分から離れてしまったものとして哀惜する)

(それは、美夜受比売への思いを込めたものであるとともに、大刀とともにあった、苦難を含む東征全体に対して向けられたものである)

ーー

教授も、この最後の歌をこう評する。

ーー

「この歌が倭建命の辞世の歌となった」

「この辞世の御歌こそ、まぎれもなくヤマトタケの恋愛と戦闘との激しい御生涯を、一首に集約してゐる」

ーー

また、最後の一文については、こう言われる。

ーー

「歌ひ竟(を)へてすなはち崩(かむあが)りたまひき」

「ここには、人生に没頭して最期の瞬間まで努力して、「息絶えて逝く」といふ、人生観が見られる」と。

死ぬ最期まで力いっばいの努力を尽して、そして死んでゆく。

死の最期まで努力を尽すのです。

ヤマトタケは、体が動かなくなりつつあるときにも、神の救ひを呼ぶのではない。

ーー

さういふ生涯に、我が先人は大きな感動を覚え、限りない愛惜の念を抱いてきたと思われます。

ーー

散々乱暴してきた、といふのでは英雄でもなんでもない。

ヤマトタケは、心のままに従ひながら、自己一身の感情をこえて、国といふものの中に、身を捧げた。

国のために生命を奉げたからこそ、英雄となった。

ーー

日本国の再生には、ヤマトタケのような英雄が無数にいただろう。

教授は「英雄を書くといふことが、『古事記』の一つの目的であった」と書く。

ーー

英雄を思い出すことで、国の危機を乗り越えようとした。

それが、『古事記』に込められた「建国・再生の精神」だった。

教授は編纂者・太安万侶(おほのやすまろ)を引きつつ、こう結んでいる。

ーー

「歴史の真実の、さらにその背後にある民族の生命」

「安万侶は古事記に国の復活・再生といふ大きな願いをこめて書き上げた」

「民族の生命を、『古事記のいのち』として感受したいものです」

ーー

現代の我々も国家的危機を迎えている。

外からは支那・南北朝鮮の軍事的圧力を受けており、内には在日・反日勢力が日本国とその文化伝統の破壊を画策している。

それらを乗り越えるための知恵が、『古事記』には、心のままに従ひながら、自己一身の感情をこえて、国といふものの中に、身を捧げたヤマトタケの物語として語られている。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難う御座います。
>>古事記に著された倭建命の武の心
 大和武尊については、日本の歴史上の英雄である事が、良く知られていますが、その御生涯についての詳しい話は、ついぞ聞いた事が無かったので、一級の資料と思しき夜久名誉教授の著述をご紹介いただき、誠に有難き事と感謝申し上げます。
 
 読んで居て、先ず感じたのは、大和武尊の国を思う心は、70有余年前の特攻兵士に引き継がれていると、感じました。

 私が初めて、私の故郷指宿のの山の向こうに有る知覧の特攻記念館を訪れた時、展示してある彼らの遺書に触れました。其処には、この大和武尊の故郷や人を思う心と同じ、「死に行くものの、生きて行くモノ達への思い」が、溢れて居ました。

 有るものは、年老いた両親や祖父母を気遣い、有るものは、まだ幼い弟妹の心配をして居る様が,書き遺されて居ました。 自分は明日突入して、大空に海に、肉片となる運命に有るのに、そんな事への怖れや、理不尽さへの抗議など微塵もなく、唯々、是から先の日本に待って居るであろう苦難の道を思い、皆の心配が綴られて居ました。

 其処に現れているのは、死して尚、護国の鬼とならんと言う、公に私を捧げ尽くした心が現れていると感じ、涙が止まらなかった事を覚えていますが、周りの人々も同じ様子だった事を覚えています。

 その特攻兵士と同じ思いが、今より1800年も前に、大和武尊の故郷を前にして詠まれた、辞世の句にあったとは、今迄知る由もなかった事で、その不明を深く愧じております。

 日本人の国を思う心は、古今変わって居ないと言う事でしょう、否、こうした心が連綿と受け継がれて居なければ、日本は3万年も、文明を育て、維持して来れなかったと、確信します。

 こうした先人が命懸けで護って来た、平和で美しい、そして懐かしい日本を、自分も護りたい、その為にこの命を使いたい、と願う心こそ、特攻隊を発案した大西中将が、特攻志願兵が、殺到している事を聴いて「日本は、後2千年は大丈夫だ」と感動したと言うエピソードに、繋がったのだと思います。 彼も大和武尊の心を知って居たのではないかと思います。

 私が常々寄稿しているブログで、「この処、宗教めいた投稿があり注意すべきだ」と言うコメントが有りましたが、それがもし、私のコメントを指して居るなら、「何を言うか、日本は神道の国だぞ、貴方ぼいう宗教色と言うのが、どのような範疇を持って居るのか知らないが、目に見えないモノを、称揚したり、有り難がったり、或いは畏れたりする事だけを宗教だと言うのなら、貴方は心の無い唯物論者でしかない、つまり共産主義と言うカルト集団の一員でしかない」 と反論してやりたいですね。

 目に見えないモノ、伝統的に信じられて来たモノを、態と否定して見せる、或いは、「科学的ではない」と言って軽視するのは、「人は死んだら、ゴミに成る」と考えている、愚かで、本当にゴミの価値しか遺せない人なのでしょう。

 そういう考えを欠片でも持って居ては、靖国神社を参拝しても、天皇陛下のお誕生日をお祝いしても、形だけの事で、九州や北海道と言った遠くに棲んで居るカラ、或いは、高齢で矢体が不自由なために、参拝出来ない人々でも、彼らの先人の心に同調した、お国の為に命を捧げた先人を強く思う心や天皇陛下を尊ぶ心に敵うはずがない。

 よく、「同調圧力」の害を挙げる人が居ますが、私などは、天邪鬼なので、そういう事を云いだすのは、「他人に、自分の決断の責任転嫁しただけの卑怯者だ」としか思いません。 嫌なら断れば良いし、反対意見が有るならハッキリと意思表示すれば良い。 それが出来ないのは、単に、自分の心が弱いカラ、或いは、その事象に対する関心がそれほど強く無いカラでしょう。

 思えば、特攻兵士にもそういう圧力が有ったと考える事が出来ます。 然し、特攻が成功しようが失敗しようが、かなり高い確率で、骨も遺らない無残な結果が待って居る事を、考えれば、同調圧力だけで、特攻志願などできません。

 それは、特攻兵士の中に、数十名の(知覧では、数十名ですが・・)半島出身と思しき兵士の遺書も有って、そこには、「朝鮮国万歳」とありました。 彼らの心を汲み取り受け継ぐ朝鮮族は、もぅ居ないのでしょうか、彼らは犬死だったと言うのでしょうか、当時の朝鮮が本当に日本の植民地なら、「朝鮮国万歳!」のフレーズは出てきません。

 故郷を思い、両親や兄弟・姉妹の心配をし、友がきを思う処に発する、愛郷心(patriotism)こそ、愛国心(nationalism)の原点なのは、世界どこでも同じなのです。

人間は、名を遺し、仕事を遺し、金を遺そうとするが、一等大事なのは、心を遺し、繋げて行く事、即ち「志を継ぐ人を遺す」事であると私は、改めて、判りました。

縦椅子様
 
 今日も素晴らしいブログ有難うございます。
 『古事記』には、国というものの中に、身を捧げた日本武尊の物語を余すところなく書かれた英雄の伝説で、その残された数種のうたに、国に対する深い思いをよみこまれ、そのおもいは、民族の命として、語り継がれている」との素晴らしいブログに感動いたしております。有り難く拝読いたしました。感謝!!

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