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2018年12月19日 (水)

支那は33もの王朝が興亡を繰り返したが、日本は連続する歴史、万世一系という特色がある

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

北影雄幸『天皇論の名著』(勉誠出版)

本書は、まず北畠親房の『神皇正統記』の紹介と分析がなされる。

『神皇正統記』は次のように始まる。

「大日本は神国なり。天祖初めて基をひらき、日神ながく皇統を伝え給う」

そして彼は、こう結論する。

「日本を統治する方は覇権を以って天下を統一した武家の統領である征夷大将軍などではなく、神の末裔」

「すなわち皇統一系の天皇でなければならぬ」と。

『神皇正統記』は、北畠親房の時代を超えて読み継がれ、現代においても日本文学全集に入っており、文庫でも読める。

ーー

本書では次に山縣大弐の『柳子新論』、本居宣長『直毘霊』、平田篤胤『古道大意』と続く。

山縣は倒幕の理論形成の先駆けであり、維新の源流と評価される。

が、讒訴(ざんそ、無実の罪を着せられ)され、処刑された。

ーー

嘗て評者(宮崎)は小誌平成27年5月26日号で、江宮隆之『山縣大弐伝ー明治維新を創った男』(PHP研究所)を論じつつ、次のように書いた。

ーー抜粋引用開始

山縣大弐は知る人ぞ知る江戸中期の思想家である。

彼は、徳川将軍五代のおり、幕府の正統性を疑問視し、或る事件(明和事件)で解職。

甲斐から江戸へ出て私塾を開いた。

が、『柳子新論』により「王政復古」を訴えたため、幕府から危険視され、やがて倒幕の疑惑を持たれて斬首されたのだった。

まるで百年前の吉田松陰のごとし。

ーー

いってみれば思想家としては、徳川幕府打倒の先駆者だが、こんにち、この人を知る者は殆ど居ない。

しかし山縣大弐は、斬首から百年後、幕末の日本に蘇った。

それは吉田松陰が山縣を知ったからだった。

ーー

松陰に山縣大弐の思想を初めて伝えたのは学僧・宇都宮黙林だった。

黙林は松陰が野山獄に繋がれていたおりに、萩へやってきて、突如、文通をはじめた。

この宇都宮黙林をやや過大評価したのが河上徹太郎の『吉田松陰』だったが、それは後世の話である。

こうして松陰は、公武合体から討幕へと思想的転換(著者はこれを「松陰の窯変」と比喩している)をなした。

ーー

しかし山縣大弐の「明和事件」は詳細が分からない。

なぜならその資料が「老中阿倍伊予守の手によって全て焼き捨てられた」からだ。

ーーここまで引用

幕末から維新にかけて、次のような書物が書かれ世論を動かしたのだった。

藤田東湖『弘道館記述義』
吉田松陰『講孟余話』
『軍人勅諭』
福沢諭吉『帝室論』
福沢諭吉『尊王論』

ーー

福沢は「帝室は政治社外のものなり」として、つぎのように訴えた。

「苟(いやしく)も日本国に居て政治を談じ政治に関する者は、その主義において帝室の尊厳とその神聖を濫用すべからず」

支那は33もの王朝が興亡を繰り返したが、日本は連続する歴史、万世一系という特色がある。

福沢はそのことを強調してやまなかった。

ーー

旧文部省が編んだ『国体の本義』の現代的説明のあと「戦後編」になる。

ーー

津田左右吉の『日本文化の現状について』
徳富蘇峰『国史より観た皇室』
小泉信三『帝室論』
竹山道雄『天皇制について』
林房雄『大東亜戦争肯定論』
三島由紀夫『文化防衛論』

ーー

戦後、津田左右吉、小泉信三、そして竹山道雄は意外なことに保守派からも批判された。

その中でも特に津田左右吉への痛罵は強かった。

が、原因は読み違えであり、津田は天皇廃止論でも批判者でもなく「万世一系」を称えていたのだった。

ーー

てっきり天皇制廃止論を書くと期待して岩波書店が原稿を津田左右吉に依頼した。

ところが、反対の内容だったので社内が騒然となったのだという。

これらの名著は今のところ歴史教科書に出てこない。

それゆえ今どきの若い日本人は誰も知らないのである。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新ありがとうございます。
>>国学と言う隠蔽された領域
 鎌倉前期の北畠親房に始まる、日本の国学、即ち天皇論は、江戸中期~幕末に懸けて、各地で盛んになった。 要は、世界の事が次第に分かって来るに連れて、日本が世界でも特異な文化と政体を持った国で有る事が、見えて来たからだし、すると、現状の武家支配の幕府と言う政治体制は、本筋から道を踏み外しているのではないかと言う疑問が、幕府の圧力に拠って、却って確信へと変化して行ったのだと思う。

 処が、薩摩藩は、密貿易で利益を得ていたので、他の藩よりも、入手できる情報が多かったことも有り、独特な意見を持って居た。 その国学を横目で見ながらも、西洋列強の帝国主義から日本を護る為には、寧ろ、現状を改革して、諸藩の結束力を固め、決して日本の中で、外国と通じ、利己的に利益を求めて、日本を分裂させる事が有ってはならないと考えた。

 ダカラ、薩摩藩主嶋津斉彬は、逸早く日本を近代化しようと、反射炉を創り、自前で大砲を生産できる様に動いたのでしょう。
 そして、江戸幕府に働きかけて、一部の幕閣だけでなく、雄藩連合に拠る、政治へと政治改革を進めようとして居ました。

 然し、江戸幕府の政治が破綻して居たのかと言うとそうでは無かったのは、260年もの間、島原の乱や天保、天明、宝暦の三大飢饉の折の混乱を除けば、平和で秩序ある良く治まった社会が営めていたのだから、守旧派も多かったのは当然の話だったでしょう。

 要は、米国ペリーの黒船4隻の砲艦外交を「太平の眠りを覚ます上憙撰 たった四杯で夜も眠れず」と江戸で読まれた川柳が示す様に、西洋列強の東洋侵略の魔手が、とうとう、日本にも伸びて来たが、武力恫喝で、開国を要求して来たのは、知見が有ったイギリスでもスペインでも無く、米国と言う新興国が相手であった事で、国内は騒然となったのですね。

 西洋列強のアジア侵略は、遠く、信長、秀吉の頃にはすでに日本で知られて居たのですから、大国シナ(清)が、英国にアヘン戦争と言う理不尽な戦争を仕掛けられ敗北し、領土を蚕食されている事も、皆、情報としては知って居た。

 ダカラこその国学の流行であったと考えます。 吉田松陰などは、長州藩の要職に在りながら、黒船に無理やり乗り込んで捕縛されて、野山獄に繋がれた。

 其れだけ、日本に対する思いが強く、「世間を騒がして居る夷狄の脅威とは如何なるものか」を確かめたい、その為には無茶でもなんでも構うものか、と言う、居ても立っても居られない気持ちがひしひしと伝わって来る。

 この時代の世は、米本位制の江戸経済が、江戸初期と末期との比較で、米の生産量の爆発的な増加(3倍)に対し、人口は殆ど変わらない、と言う供給過剰の背景が有るのに、武士の俸禄は、江戸初期に定められたままだったから、武士の生活は、時代と共に困窮して居た。 逆に、米が安くなり、庶民の生活に余裕が出て来て、大衆目当ての見世物、浮世絵、小説、等々、江戸文化が花開いた。

 何処の藩でも、俸禄の低い下級武士は農耕をしお金を稼いでて居たし、薩摩藩や土佐藩の様に、藩に拠っては、「郷士」と言う武士と百姓の中間の身分を公式に認めて居る処も有った。 つまり、幕藩社会は経済から崩れて行ったとも言えましょう。 

 是に拠って、家康が、江戸初期に、其れまでは、自由に行き来して居た民衆を生産力として、土地に縛り付ける目的で、戸籍を作る上で必要な、人別「=個人の特定法」するのに、職業別に「士農工商」と言う分類法を用いたのが、何時しか身分法になって終ったのです。

 人口の中身は、制度設計当初から、1割にも満たない武士階級が、残る9割以上の生産層を統治するシステムだったが、斯うした経済要素の変遷で、庶民と武家層の経済力が逆転して終い、幕末には、武士を捨てて百姓に成るモノも多かったそうである。

 こういう世情なので、倒幕の機運は、半農の下層武士から起こり、倒幕の士師の中には、中流以上の武士の名前は、数える程しかいない。 幕府方の首魁格で有った勝海舟も、2両3人扶持の足軽の子である。

 つまり江戸幕府は、データを見ながらの経済政策が取れなかった事を原因として、行き詰まりを起して居て、 大商人に拠る買い占めや売り惜しみで米価を操作する等、幕府は、米本位制を維持・制御する事が出来無くなっていました。 その様は、 大塩平八郎の乱や米騒動に拠って、明らかになっており、自然崩壊を起す要素が幾らでも有ったとも考えられると言う事でしょう。

 現実の歴史を看て、事実のみを並べて、俯瞰して看れば、史実には書かれて居ない処に、世の中の流れを変える人物がいたり、事件が起こって居る事が分りますし、世の流れは、恰も、大河の流れの様、時には早く激しく、時には穏やかにゆっくりと流れるが、行き過ぎた場所には決して戻る事が出来ない、最終的には、流れ着く処に辿り着くように定められて居るのだと思いますね。

 ですから、大事なのは、川の流れの向きダケで無く、現在自分達は何処にいるのか、と言う現実の認識が一等大事なのであって、濁流の中を走り続ける日本丸を波間に沈めては何にもならないのだと思いますね。 そういう、基本的な事が分らない人が大過ぎますね。

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