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2018年12月17日 (月)

国家としての農家への認識は、斎庭の稲穂を栽培するという大事を行う宝であったのです

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

日本書紀が書かれた時代、漢字を我が国の標準文字として採用していこうという運動が行われていました。

そこで、過去に様々な形で伝承されてきたものを、まる40年近い歳月をかけて探し出し、参照して漢字表記に書き直した。

参照したということを日本書紀は、「一書曰(いっしょにいわく)」と書いています。

この「書」という字は、「聿」の部分が、手に筆を持っている象形、下の部分が焚き火の象形です。

つまり「書」は、火を焚くと燃えてなくなってしまうものに、筆で何かを書きつけることの象形であるわけです。

ーー

従って「一書曰」とあれば、書は文献を意味します。

ということは、日本書紀・以前に書き残されていた文献があった。

現時点では、記紀以前の文献は「現存しない」と言われています。

私(ねず)は、神代文字の文献が今も伝承されている、と思っていますが、これは個人の意見です。

ーー

日本書紀は、天孫降臨までの物語を本編として紹介します。

そのあとに、日本書紀よりも古い時代に書かれた文献に、三大神勅(アマテルカミのお言葉)があるとして、それを紹介するのです。

ーー

三大神勅とは以下の3つを指します。

1 天壌無窮の神勅(てんじようむきゅうのしんちよく) 皇孫がシラスことによって、瑞穂の国は天地とともに永遠に栄える。

2 宝鏡奉斎の神勅(ほうきようほうさいのしんちよく) 八咫の鏡を御神鏡にしなさい。

3 斎庭稲穂の神勅(ゆにはいなほのしんちよく) 我が国で育てられる稲は天照神から授かった稲穂。 私たちは、その稲から成るお米を日々いただくことで神の民の一員となる。

ーー

以下それぞれについて説明していきます。

1 天壌無窮の神勅  (てんじようむきゅうのしんちよく)

「葦原千五百秋之瑞穗国  是吾子孫可王之地也」豊葦原の千五百秋之瑞穂の国は、是れ吾が子孫の王たる可き地なり(とよあしはらのちいもあきのみずほのくには、これあがうみのこのきみたるべきくになり)

「宜爾皇孫、就而治焉」宜しく爾皇孫就きて治(しら)せ(よろしくいましすめみまゆきてしらせ)

「行矣、寶祚之隆、當興天壤無窮者矣」行牟、宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と無窮かるべし(さきくませ、あまひつぎのさかえまさむこと、まさにあめつちときはまりなかるべし)

ーー

(現代語訳)葦の原の広がる豊かな瑞穂の国は、わが子孫が王となる地である。

よろしく我が孫よ、行って治(しら)しめなさい。

さあ、お行きなさい、宝のように幸いを得て隆(さか)えること、まさに天地と共に永遠となりましょう。

ーー訳ここまで

天孫降臨の意義を明らかにした神勅です。

「天照神の直系のご子孫が天皇の地位にあり、地上の中つ国をシラスことにより、その地上の国は天地が未来永劫続くのと同様、未来永劫栄えます」という意味です。

従って、天壌無窮の神勅とは、天孫の皇位が続く限り、地上が栄えるということです。

ーー

では、「栄える(原文:宝祚)」とは、誰が栄えるのでしょうか。

その答えは、そこに住む人々、つまり民衆のことです。

最高権威である天皇が治(しら)すということは、民を「おほみたから」とするということです。

そして民は、天皇の「おほみたから」という地位を得ることによって、政治権力者からの自由を手にすることになります。

だから民が「宝のように幸いを得て、天地と共に永遠に隆(さか)える」のです。

ーー

2 宝鏡奉斎の神勅(ほうきようほうさいのしんちよく)

「吾兒、視此宝鏡、当猶視吾」吾が兒(みこ)、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾れを視るがごとくすべし(あがみこ、このかがみをみまさむこと、まさにあれをみるがごとくすべし)

「可興同床共殿、以為齋鏡」興に床を同じくし、殿を共にして、斎鏡(いはいのかかみ)と為す可し(ともにゆかをおなじくし、とのをともにして、いはひのかがみとなすべし)

ーー

(現代語訳)わが子よ、この宝鏡を視(み)ることは、まさに私(天照神)を見るのと同じにしなさい。

お前の住まいと同じ床に安置し、お前の住む宮殿に安置し、祭祀をなすときの神鏡にしなさい。

ーー

このときの宝鏡が「八尺鏡(やたのかがみ)」です。

これは天照神(アマテルカミ)が天の岩戸にお隠れになられた際に、その天照神にご出現いただくために作られた鏡です。

高天原の八百万の神々が天の安河に集まって川上の堅石を金敷にして、金山の鉄を用いて作らせた。

その鏡を未来永劫ご安置し、その鏡を見るときは天照神を見るのと同じにしなさいというのが宝鏡奉斎の神勅です。

ーー

鏡は「かがみ」ですが、「かがみ」から「が(我)」を取ったら「かみ」です。

つまり人の上に立つ者は、我を持ってはならないという戒めでもあります。

そしてこの宝鏡奉斎の神勅があるがゆえに、天皇は常に「無」であり、「無」であるがゆえに億兆と心を通じることができるとされてきたのです。

これが日本と日本人の基礎となる形です。

ーー

ちなみに、ここで天照神(アマテルカミ)は、「吾(あ)が兒(みこ)」と呼びかけています。

この「あ」は、単純な一人称ではなくて、「天照神を通じてあらゆる神々と通じる」という意味が込められた「あ」となっています。

ーー

3 斎庭稲穂の神勅(ゆにはいなほのしんちよく)

「以吾高天原所御齋庭之穂、亦当御於吾兒」吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が兒に御せまつるべし(あがたかまのはらにきこしめすゆにはのほをもて、またあがみこにまかせまつるべし)

ーー

(現代語訳)吾が高天原に作る神聖な田の稲穂を、わが子に授けましょう。

ーー

この斎庭稲穂の神勅によって、日本国中で栽培される稲は、ことごとく「天照神からの授かりもの」という位置づけになります。

民は、その稲を栽培するわけです。

そして私たちは、その稲から成るお米を日々いただきます。

ーー

「戸喫(へぐい)」という言葉がありますが、同じものをいただくということは、同じ仲間となる、共同体の一員となって心を通じ合うという意味があります。

神社などで、参拝のあとに「直会(なおらい)」といって、奉納したお米や作物などを、みんなで一緒にいただきますが、そうすることによって神様と心を通じあうことになります。

ですからお米をいただくということは、天照神(アマテルカミ)に通じるやまとひとの一員となるということでもあります。

ーー

そしてこのご神勅によって、全国でお米を栽培する民は、高天原の稲を栽培する人々という位置づけになります。

だからこそ、民は「おほみたから」という位置づけになります。

ーー

近年では、お百姓は収奪されていたなどという、とんでも説がまかりとおっています。

が、国家としての農家への認識は、斎庭の稲穂を栽培するという大事を行う宝であったのです。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>記紀は古代人の叡智の集積
 私は、天武帝が古事記の編纂を命じた時は、中大兄皇子と中臣鎌足が謀って、大極殿でから蘇我入鹿を誅殺した乙巳の変の直後父親の蝦夷が、自宅に帰って自害し、自分の痛いもろともに、自宅の書庫に保管してあった日本の歴史文献と思われる資料を焼き尽くしたと思って居ました。

 蘇我氏は、外来人との噂が多い氏族で、主に仏教を携えてきたのだから、書庫に在ったものは、仏教の教典が多かったのではないかと推察しますが、中には、日本原初からの歴史を書いたモノ、或いはそれを、漢字を使って文章に書き改めたモノも、含まれていたのではないかと思いますが、其処には、蝦夷の朝廷に対する復讐心も感じられますね。

 ですから、稗田の阿礼をリーダーとする、記紀編纂部隊は、その焼失した文書の元に成った、日本の古代文字で書かれた文書を全国から、40年も懸けて掻き集めたのでしょう。

 然し、40年と言えば、人の人生の大半を費やしてしまいます、仮に、始めは16歳位でも、40年後は56歳で、今でも人生の後半、当時なら最終の10年間の入り口に立ったと言う認識はあった筈です。

 其処から、膨大な数の文書の解読を始めたのではなく、集まって来る文書を解読する事から始めて、40年間を準部に宛てたので派内でしょうか、然し、古事記が完成しても、新たな資料が、集まって来るやも知れず、其処で、古事記を後世の資料とする心算で編纂し、その資料を基に、新たに集まった資料から得られた成分を書いたして、或いは書き改めてできたのが、「日本書紀」なのではないかと、推察します。

 それにしても、日本の古代人も叡智に溢れる人々だったと思います。 「斎庭の稲穂」と言うからには、日本列島に稲作が伝来した9千年間、水耕稲作が始まったと思しき、7千年前、そして、大規模な水耕稲作が始まったのが約3千年前ですが、何故そんなに、日本人派水耕稲作を本格的に始める事に逡巡して居たのかと言う疑問が湧きますが、其れは、列島の転向の厳しさと、7千年前~3千年前迄の4千年間に起こった地球規模の気候変動が有った所為でしょう。

 水耕稲作は、今でも難事業で、3月に種籾を撒き苗を育てて、4~5月に田を耕して水を入れ、田植をしてから約5ヶ月、田んぼにぁァりっきりになって世話をしなくては、良いコメは取れません。この期間は、畑作の植生にも一番良い時ですから、人手の少ない古代なら、2者択一に成らざるを得ませんが、嘉品種大量栽培と言う農法は、収穫も大きいが、5カ月の間の天候のリスクは大きいので、人々は収穫するまで、冷や冷やものだろうと思います。

 
 食糧の不作・凶作は、一族の絶滅にもつながる大事ですが、其処が,「お天道様次第」なのですから、経験知から周期的に冷夏や旱魃が来る事は、予想出きる様になった、とは思いますが、自然界の天候の周期の誤差は±200~300年も有りますから、余り意味は無く、結局、見えないモノに縋る他は無いのは、今も昔も同じ事です。

 然し、今の日本もそうですが、今と同じ天才に毎年見舞われて居た古代人も自分達の上に「天佑神助」が働いて居る実感が、折に触れ有ったと思います、其れは、我々民に取って、大変ありがたい事ではあるものの、打つも働くとは限らないモノだし、見えないモノだけに、確信が持てなかったモノを、斎庭の稲穂で簡単に説明して終った。

 つまり、水耕稲作に踏み出せなかった日本人に、「稲を作る事こそ、自分達の将来への不安を吹き飛ばし、民族の数を増えさせる神の幸わう方法なのだと、知らしめた」のでしょう。

 稲作は、人間に炭水化物の摂取を昂進しますので、人々はより活動的になり、頭も使うようになったので、知恵も、随い工夫も、新たなアイデアも、生み出されるようになり、神が報せた事は、真実になっていった。

 確かに、水耕稲作は冷夏や旱魃に弱く、その面では如何ともし難かったのですが、その分、大量に収穫でき、然も保存が効くと言う利点が有ったので、余剰分は備蓄すると言う事を繰り返して行く裡に、土地が瘠せているとか、不作で米が不足している処に、分け与えて行く裡に、豊かな村はそうでない村よりも発言権が強くなって、行きました。

 村同士の争いのネタに成るのは、水争いで水源となる川の上流と下流とでは、今でも犬猿の仲の処が有ります。 中でも、旱魃を何とかする為には、特の川の上流・下流域を問わず、農業用水の安定供給が必要と気付いたものから、用水池を作る案が提出され、その池の開鑿は主に、雨の少ない冬の間に行われたが、故に毛の有効性が知れ渡ると、皆で、忙しい農作業の合間にも人を出して、完成させていった。

 正に農業が、就中、手間がかかる水耕栽培が、民に知ら強めた「木共同作業の大切さ」では無かったか。

 斯うして日本は少しづつ、農村から国の形が出来て行きました。 その国造りのパターンが、全国(米作が出来ないかった東北・北海道を除く)に、広まったのは、BC8~9年の頃では無かったか。

 然し、この頃は未だに地方豪族は、「自分の国優先」の考えが強く、朝廷も豪族連合の主としてのオホキミの役割の方が、本来の祭祀王スメラミコトの役割より濃かったように思います。

 BC5世紀の後半から凡そ200年程、「孝」が冠に着く帝が続きますが、私は是は、九州に王朝が移されて居た期間だと思います。 其れを後世に帝に号を贈るときに、判る様に区別したと言う事では無かろうかと思います。

 その後、9代開化帝の御代(BC138~BC77年)に、飛鳥に王権が戻り、10代崇神帝の御代に、九州勢力が降伏・帰順して、飛鳥王朝は再出発したと言う事でしょう、そして、応神帝の御代に、仲哀帝の時分に計画されていた出水平野の大開墾が本格的に始まり、播磨・吉備や丹波の住民が大挙して居ず伊平野に集散して、ナニワ潟に続く低湿地の葦の原だった、和泉・河内平野を大水田地帯に換えて、爾後、日本は大きな力を持つ事に成りました。

 王朝を新たに始める「=時代が変わる節目」に、帝だった方の号に「神」と言う事を入れたのは、歴史の変遷と言う意味をも、持たせた優れたアイデアだろうと思います。

 然しこうして、先人が過ごして居た歴史を看ても、つくづく、日本は農業立国であり、「神幸わう瑞穂の国」である、神のお導きに従い、現状を改善する為には、我が身の辛苦を厭わず、否、寧ろ労働そのモノを信仰して来たのは、80歳後半の御祖母さんが、田植え機に成ると喜々として、田んぼに毎日出かけて行く事で分りました。

 日本人に取って、労働は、自分の生活を改善する為の喜びに繋がる行為で有り、同時に神にささげる何よりのささげものなのです。

 我々の文化は、「匠」の文化と言う一面も持って居ます。 其れは、日本人ン根っこが、実は、3つの民族で出来て居るカラ出すが、江戸期にはそうした違いも、日本人と言う括りの中に吸収されました。 

 今、我々日本人は、真の日本の歴史を再発見して、農耕民としてん自覚を、労働信仰者としての有るべき社会像を、歴史に学び、世界に発信する時ではないでしょうか。

日本の国は、天皇陛下が皇居でお米を作り、皇后陛下が蚕の繭から糸を紡ぐ、謂わば天照大神の子孫として日本の臣民に食と衣類が途切れぬように祈っていただいていることを、普通のことと思っているのですけど、考えてみればそんなことをして下さる王族が、他国にいるのだろうかと思います。

一般の国民の幸せを願って下さる、天皇陛下、皇后陛下を始め、皇室の方々に感謝したいと思います。

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