無料ブログはココログ

« 支那共産党がついている嘘は余りにも多すぎて、書ききれない | トップページ | 殲滅するには、相手が敵であるという「証拠」がなければならない »

2018年12月31日 (月)

人々をウソにまみれた政治(人治)から開放(liberalに)したい

ーー以下「田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)コラム」より抜粋編集

石平著『中国五千年の虚言史』(徳間書店)より。

ネットから情報を得ているような人は、支那人が歴史を持たない人たちであることはもう常識のようになっている。

しかし、これまで、ネット環境が整備されるまでは、支那4千年の歴史などという話が大真面目に信じられていたのだった。

ーー

例えば1912年の辛亥革命によって滅びた清朝は、第一公用語を女真族の言葉・満州語としており、第二公用語をモンゴル語としていたのである。

その事実は、琉球と清との公文書が満州語(パスパ文字)で記されていることからわかる。

漢文が出現するのは、ようやく第三公用語としてだ。

ーー

つまり支那大陸は、さまざまな異民族支配を受けてきた土地なのだ。

その地を異民族が立ち代わり支配し、それぞれの王朝を築いてきたのである。

連続する民族の記録(歴史)など成立するはずがなかった。

ーー

つまり、石平氏の「中国五千年」というのは、日本人が想像する「支那人の5千年の歴史」などではないのだ。

中国など1949年にできた新興国であり、「支那人」という民族など大陸にはいなかった。

居たのは、それぞれの言語、習慣、文化を持つ多種多様の人々なのである。

石平氏の「中国五千年」というのは、大ウソなのだ。

これを書名にした石平氏と出版社の、皮肉というか批判精神は本書を最初から最後まで通底している。

ーー

本書では支那最初の統一王朝となった秦(しん)から現代までの、権力者たちが繰り返す大ウソを鮮烈な筆致で描いている。

ーー

例えば、毛沢東による「大躍進政策」を見てみよう。

当時の地方政府の役人たちによるウソつきぶりは全く笑えない。

地方政府の役人たちは、独裁者毛沢東の無謀な要求に沿うことで、自分たちの評価を高めようとして、コメの収穫量を実際よりもけた外れに多く申告した。

中央政府は申告された収穫量に応じて税としてコメを徴収した。

その結果、各地方には猛烈な飢餓が実現してしまったのである。

ーー

当時の専門家やメディアは、収穫量が明らかにウソだと知っていたにもかかわらず、保身と打算により、このウソ(大豊作)を全土に喧伝(けんでん)していった。

その結果数千万人が餓死した。

これは自然災害ではなく、まさに政治のウソが招いた人災であった。

ーー

アジア人で初めてノーベル経済学賞を受賞したインドのアマルティア・センは、このような飢饉(ききん)を「権原」によるものであると指摘した。

(「権原」とは、その行為をすることを正当化する、法律上の原因)

つまり、餓死が政策として堂々と行われたことになる。

実際には豊富な食糧があるにもかかわらず、地方役人の「嘘の申告」という保身行為によって、支那人民は食糧を得る権利を失い餓死を余儀なくされたのだ。

ーー

同じようなことが1940年代のベンガルにも起こり、300万人の餓死者を出した。

90年代の北朝鮮でも、同様に、数百万人の餓死者を出した。

これらの場合「実は食料がある」ことを知らせず、無いというウソを流布することで国民の大多数を死に至らしめたのだ。

問題はそのような政治の在り方であろう。

ーー

支那では、このようなウソの流布によって民衆が苦境に陥ると、革命が起こり、権力者の交代が起きてきた。

このような権力者の交代劇は、支那大陸の中で何度も繰り返された。

ーー

それはなぜだろうか。

石平氏は言う。

「ウソに基づく政治の在り方を変えようとしなかったからだ」と。

支那人は、権力者の交代はあったが、徳治つまり「人治」は、変えようとはしなかったのだ。

現在も、古来からの政治、つまり法の上に共産党(権力者)がいるという状態が続いている。

ーー

この「人治」という考えは、権力者たちだけではなく、広く支那大陸に住まう人たちに抱かれている。

もちろん人治は、儒教という宗教によって「徳治」として幾重にも偽装が凝らされた。

つまり、支那の時の権力者たちは、徳があるから「統治者としてふさわしい」と「偽装」する必要があったのだ。

ウソでも何でも民衆に「徳がある支配者」を信じ込ませないと、革命を起こされてしまう。

ーー

徳がないとみなされると、新しい権力者に取って代わられる。

むしろ、それが必然であることが、支那人社会の「常識」になっている。

これが「易姓革命」つまり権力者の姓が変わるということだ。

ーー

歴代の支配者たちは「革命」を避けるために、腐敗を退治することを民衆に宣伝してきた。

ただし、実際に行われたのは、政治的粛清・権力闘争であった。

石平氏はこのような単なる権力者の交代劇に批判的なのだ。

ーー

例えば、習近平は、同僚政治家や官僚たちの腐敗を追及することで自分の業績を顕示してきた。

その行為によって、彼は無期限の国家主席(皇帝)の座に就いた。

だが、腐敗の追及の実態は、権力闘争であり、独裁体制を強化するための手段にすぎなかったのだ。

ーー

いわゆる「パナマ文書」の中で、習主席の一族が海外で膨大な蓄財をしていると指摘された。

すると、支那当局は「パナマ文書」に関する国内での報道や言及を厳しく規制した。

つまり、習近平と彼を支持する共産党は、習近平主席(president)の権威(徳)が傷つけられるのを恐れているのだ。

ーー

というのも、習近平に支配者としての資格(徳)がないとされれば、「革命」を起こされてしまうからである。

しかし支那に必要なのは「革命」ではなく、「政治制度」の改革なのだ。

「易姓革命」を何度行おうと、「政治制度」の改革なくしては、支那は近代国家にはなりえないのである。

ーー

支那人の民主活動家・劉暁波氏は、現在の支那共産党政治を「ポスト全体主義体制」だと批判し、政治体制の民主化を唱えた。

劉暁波氏の発言は欧米人から支持され、彼はノーベル平和賞を授与される。

しかし彼の支那共産党政治に対する批判は、(共産党による)人治から利権を得ている人々から猛烈に反発され弾圧されたのである。

ーー

石平氏の支那共産党による人治への批判は、劉暁波氏のそれと大きく交差している。

日本の自由主義(リベラル)者は、その石平氏の発言を、悪意を持って曲解している。

(日本の自由主義者は親支・反日であり支那に対する体制批判に無条件で反発する)

だが、彼の著作や発言に見られる「人々をウソにまみれた政治(人治)から開放(liberalに)したい」という真意は、正しく理解されるべきだろう。

« 支那共産党がついている嘘は余りにも多すぎて、書ききれない | トップページ | 殲滅するには、相手が敵であるという「証拠」がなければならない »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>米支戦争後シナが人治体制を脱せるか否か
 石平さんのシナの歴史観は、客観的にして俯瞰的なものであり、シナ人として非常に冷静で、一人の人間として敬意を表したい。

 俯瞰的な視点では、逐一・詳細な歴史観では、見えなかった共通点が浮かび上がり、恰も、法則の様なモノが働いて居る様に看取出来る場合が有る。 此の場合それが人治=徳政と言う儒教由来の考えたなのだろう。 其処から、易姓革命に直結している事で,その正しさが納得できる。

 西洋人でもそうだが、「自民族の歴史に対する価値観が、「勝者が造る」様な場当たり的なものを容認して居ては、社会の道徳や理性は、決して進化しない。 シナ・朝鮮の歴史と同じで、真実の成分が含まれていない歴史からは、何も教訓も真理も得る事は出来ないのは、当たり前である。

 其処から考え起こせば、人類は何尾為に智慧を与えられ、現在この地球上で、他の生物を圧して繁栄する事を許されているのか、と言う解が見出せる、 即ち、「争いの無い、平和で、お互いへの思いやりに溢れた世界の構築」であり、決して「一つの民族が勝ち残って他の民族を家畜化する」様な世界では無い。 そういう世界がもし実現したとしたら、それは、即ち人類が絶滅の一歩手前になって居ると考えるべきだろう。

 然し、民主化は、人間の理想世界へ辿り着く、手掛かりに過ぎない。 真に、理想世界をこの世に顕現させる為には、「利他愛、利他心」が不可欠な事が、言うまでもない。 然し、歴史を俯瞰すれば、競争に勝ち残る人間は、そういう人格とは無縁であろう、ダカラ、優れた個人が成し遂げた理想世界は、永続きしない、個人の生命には限界があるからである。

 すると、「ではイエスや釈尊は、どうなのだ?」と言う反論が出て来るだろう、然し、答えは明らかである事を皆知って居る、彼らは「神にメッセージを託された人、即ち預言者であった」と言う事である。

 天啓と言うものを経験した事がある方も、世には大勢居らっしゃると、私は思って居ます、何故かと言えば、人類は、モゥ、一人の預言者だけでは、救えない程その数が多くなり、環境に対応する事で様々な価値観を持つに至っており、預言者が一つの真理を示しても、受け取り方が様々では、意見がまとまらない。 今の地球上の人類の数は、実に、77億人なのです。

 其処で、神様は、多くの人に天啓を降ろして、個人の特性を経た「気付き」の中に、真理を織り込んで、世界に広げて行こうと為されたのだと思います。 その気付きを具体化する為に、「民主主義と言う政体が,現状では最適手段である」と言うだけの事です。 本当に必要なのは、神から降される天啓を基にした、神政「=テオクラシ―」政治であろうと思って居ます。 その実現型に近いのが、日本なのです。

 民主主義の良い処は、嘘が直ぐに、現実化して人々にバレて終う事です。 然し、皆に報せる為には、マスメディアと言う媒体が必要になります。 現代、力を握って居る者は全て、このマスメディアを力で掌握して、意のままにして居る、或いは、マスメディア自体がスクラムを組んで、情報を勝手に取捨選択して流して、世論操作をして居る。

 つまり、有った事実を無かったように「報道しない自由」を行使し、逆に無かった事を有った様に偽造して「フェイクニュース」を流して居る。 全メディアが共同歩調を採る様にする事で、」メディアが第4の権力であると、嘯いて居るのだ。 そして、眞に残念ながら、是が日本の実態である。 

 つまり、日本の政治は、西洋政治と交わったが故に劣化している徒言えましょう。 然し、日本の文明は、その強力な消化力を特徴として居ます。 日本には古拠り、様々な文物や人が漂着して、日本人に色々な刺激を与えてきました。

 日本人達はその新たな知識や考え方を直ぐに受け容れ、体現して看て、現実に使えるものと、反対に現実に合わない害に成るなるものとを分別しで、外来のモノの良い処だけ、或いは、本質を見抜いて取り込み、その文物を基礎として、其れを遥かに上回るものを、新たに創りだして居ます。

 今は、その分別の最中だと考えれば、好いのだと思います。

 然し、日本人が、決して忘れてはならない事が一つだけあります。 其れは、「歴史は必ず、検証された事実の集積である事を基本とする」と言う事です。 前述した様に、嘘の歴史からは、教訓も真理も得る事は出来ません。

 「我々の人生は、その歴史の1ページを紡いで子孫の為に遺す為に有る」とすら言えると私自身は思って居ます。

 シナでは、亦、一つの王朝が滅び。新たな王朝が起ころうと言う節目に差し掛かって居ます。 歴史を盛れば、このタイミングには多くの人が犠牲になって居ます。 今のシナの人口は14~15億人はいるだろうと言われて居ますが、米国との熱戦が始まれば、戦闘だけでは無く各地で起こる暴動や内乱で、多くの人命が失われると、予想されて居て、有る計算に拠れば、半数の民衆が死に絶えると、云われて居ます。

 共産党の政権が始まって以来、シナで葉1億人が不正な死に方をして居ると言われて居ますが、その止め、で6~7億人の人々が命を失う事に成り卯と、予想が立つのは、人類にとって大きな悲劇だと思いますが、シナで葉、斯う言う事は何回も起こっており、中には、全人口が1/3になったと言う記録もあるとか。 正にこの世の地獄で有ろうと推察します。

 その地獄のシナ社会を理想の社会だと信じて疑わない人々が、日本には大勢います、然も、日本の政治や司法の中枢にも、相当の数の人間が、愚かにも「自分の為だけ」に、共産主義を信奉しているのです。 ダカラ、シナやソ連の社会の惨状を知っても「我関せず」なのですから、人間として最低レベルだと言えましょう。

 彼ら共産主義者に、平等・公明・公平・勧善そして利他愛の重要性を説いても。鼻で嗤い飛ばすに何故なら彼らは自分が生きている世の中だけが全てなんですから、彼らには最初から未来世界など自分には、預かり知らぬことなのです。

 唯、嗤うべきは、多くの人民を虐殺した毛沢東やスターリンを、その民族が、国の創始者として崇めて居る事で、その為の廟を作って居る始末。是では700年前に死んだ、英雄チンギス・ハーンの「墓無用、私の亡骸はモンゴルの土となろう」と言う潔さは、お2人共、生前には云わなかったようですね。www

 本年も大晦日となり、本日で2018年が終了して、明日から2-29年が始まります。 思えば、今年一年も色々な事が起こり、多くの災害や異変があちこちに出現した年、亦、色々な有名人がこの世を去ったとしでも有りました。 私の一生の中でも、記憶に残る一年でした。

 一年間、休まず交信を続けて来られた縦椅子様の、ご努力,と献身的なお心は、眞にありがたく、お蔭様で多くの知見を増やす事が出来ましたし、自分の生きるべき道にも確信が持てる様になりました。 本当に心の底から感謝申し上げます。

 亦、来年もよろしくお願いいたします。 尚、今日から3日までは、女房の実家に身を寄せる事に成って居ますので、ブログにコメントは出来ません(PCが多分ないので)

 佳き年をお迎えください。

縦椅子様、今年最後のブログ更新をありがとうございます。

子どもの頃には、支那4千年の歴史なんて余り聞かなかったと思いますけれど、私が覚えているのはインスタントラーメンのコマーシャルで「中国5千年の歴史」です。

考えてい見れば,清国の公用語が女真族の満州語で第二公用語がモンゴル語、第三公用語が「漢文」とのことですが、此は文字のことなので,言語はどうなったのかとの疑問を覚えました。
それはともかくとして、支那は征服民族の言語が公用語であったので,連綿と続く支那文明というものはなかったと言うことですから、四千年はもとより、せいぜい200年から300年の王朝の歴史しかなかったし、明国の歴史は清国が作ったけれど、清国以降の歴史は未だ作られていないことに、その後の政権が落ち着いていないことを示しているのだと思います。


>当時の地方政府の役人たちによるウソつきぶりは全く笑えない。

米の生産量で,成績が良かったことにすれば、そのときは良いのですけれど、その後に生産量に応じた徴税を行えば、税額が大きくなりますから、納税をするものにとっては大変な負担が発生します。
生産者にすれば、生産量が少なくて叱られるのか、生産量では叱られなくてもその後の徴税で叱られるのか。どちらにしても、飢餓が起こったのでは救われません。


> 石平氏は言う。
「ウソに基づく政治の在り方を変えようとしなかったからだ」と。

嘘で政治を行うから,民は政治を信用せず、政治を行う国を信用しません。元々支那は外来民族が征服王朝を作るのですから、そこにいる民には愛国等在りません。
この場合、王朝が傾いたときには、政権にいるものだけが此を守ろうとするだけで、民にとって王朝は守る必要もないのです。
ですから、現政権が倒れて次期政権が国を征服しても,民にとっては何も変わることはないのだと思います。
そんな国は,愛国心がないから国を守らないので、多国に攻められたときには弱いと思います。

縦椅子様、今年一年お世話になりました。
よいお年をお迎えください。

縦椅子様
 今日12月31日が明日1月1日に刻々と近づいています。今年ほど最後のほうの月が早鐘のように過ぎていくと思った年はありません。そして今日ほど一刻も早く明日に飛び越えてほしいと思った日はありません。
 縦椅子様今年一年毎日素晴らしいブログを掲載していただき有難うございます。この一年を締めくくる曲といえばやはり、10月28日の辻井伸行氏のピアノによる「ラ・カンパネラ」の演奏だと思います。この曲は後で知ったのですが、ショパンとリストの合作とも言える曲で二人はこの曲で友情をはぐくみ、若くしてショパンが亡くなった一年後にリストは「愛の夢」という曲をショパン捧げています。二人の友情はまるで「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカムパネルラのようですね。
あと一時間ばかりになりました。こころの中ではすでに「ラ・カンパネラ≫が鳴っています。やがて除夜の鐘もなることでしょう。
本当に今年一年有難うございます。お礼申し上げます。感謝!!

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 支那共産党がついている嘘は余りにも多すぎて、書ききれない | トップページ | 殲滅するには、相手が敵であるという「証拠」がなければならない »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31