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2018年11月29日 (木)

輝くものは いつもここに わたしのなかに

宮崎駿監督作品に映画「千と千尋の神隠し」がある。

この映画は多くの人に支持され興業成績の記録を作った。

そして主題歌となった「いつも何度でも」が多くの人に愛唱された。

ところがその歌詞が全く意味不明なのである。

ーー「いつも何度でも」歌詞

呼んでいる 胸のどこか奥で いつも心踊る 夢を見たい 悲しみは 数えきれないけれど その向こうできっと あなたに会える

繰り返すあやまちの そのたびひとは ただ青い空の 青さを知る 果てしなく 道は続いて見えるけれどこの両手は 光を抱ける

さよならのときの 静かな胸 ゼロになるからだが 耳をすませる

生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街も みんなおなじ

ーー

呼んでいる 胸のどこか奥で いつも何度でも 夢を描こう 悲しみの数を 言い尽くすより 同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出の そのなかにいつも 忘れたくない ささやきを聞く こなごなに砕かれた 鏡の上にも 新しい景色が 映される

はじまりの朝 静かな窓 ゼロになるからだ 充たされてゆけ  海の彼方には もう探さない

輝くものは いつもここに わたしのなかに 見つけられたから

ーー歌詞ここまで

この主題歌は、木村弓女史が作った曲に合わせて作られたのだという。

つまりちあきなおみが歌う「喝采」と同じで、詩より曲の方が先に作られたことになる。

その事情をこの歌詞を作った作詞家の覚和歌子女史が以下のように述べている。

ーー以下抜粋編集

歌い手の木村弓さんとは8年来の仲です。

彼女は20数年前に脊椎を痛めてその治療に必死になって生きてきた人なんです。

そんな理由からほとんど遊ぶための外出もしない。

たまたま「もののけ姫」を見に行ったらひどく感動して、その感動のままに宮崎駿監督に自分の自主制作CDやテープを添えて手紙を書いた。

そしたら一週間後にご本人からお返事をいただいた。

ーー

監督のもとには多いときで一日に大きな段ボール3箱分の手紙が来るのだそうです。

それに目を通すこと、まして返事を書くことの確率の低さは天文学的だと後から聞き、ああよほどのご縁だったのだと思いました。

ーー

返事には、「いま進行している企画の音楽をお願いするかもしれないが、期待しないで待っててください」とあった。

木村さんはその手紙を私に見せてくれながら言ったんです。

「今ずっと頭の中で鳴っていて消えない曲があるの、もしかしたらこれのための曲かもしれない」と。

その作詞を木村さんから依頼されてテープを預かったんです。

ーー

私は3ヶ月間、テープを放置したまま曲を聞きませんでした。

なぜだかすぐに詩をつけるのがもったいない感じがしたんです。

さすがに催促を受けるようになったので、ようやく机に向かって書き始めたらそれこそ12.3分でできてしまった。

ちょっと普通じゃない感じでした。

ーー

木村さんはとても喜んで歌ってくれて、それをテープに採り宮崎監督に送ったのです。

ーー

3ヶ月後、監督から「企画自体が潰れました、ごめんなさい」という返事をいただきました。

私はまあ、そんなもんだろうと思い、木村さんとは、いい曲が出来ただけでよかったじゃん、と言い合いました。

木村さんはその歌をとても大切になさって、ライブで何度も歌われました。

ーー

もう曲がお蔵入りになった映画『煙突描きのリン』の主題歌のために作られたなんてことさえ忘れかけた頃。

作ってからほぼ2年半後、ジブリから電話があり「あの曲を宮崎監督が忘れられないので、『千と千尋の神隠し』で使わせて欲しい」と申し出を受けたんです。

これ、ちょっとないような、珍しい話でしょう、運命的というか(笑)。

ーー

「さよならのときの静かな胸 ゼロになるからだが耳をすませる 生きている不思議死んでいく不思議 花も風も街もみんなおなじ」

この4行を書いているとき、何故だか泣けて仕方なかったんです。

自分でも変だなと思いました。

自分で書いているのに、自分が書いていない感じ。

そういう状態で書いた詩はあとから何度読んでも、たった今初めて出会ったみたいに新鮮なんですよね。

ーー抜粋ここまで

しかし何度考えても覚女史が感動した内容がわからない。

この歌で著名人となってから、覚和歌子女史は、「ゼロになるからだ」という題名の本を書いている。

しかし、何が言いたいのかわからないのだ。

ーー

生きている不思議 死んでいく不思議

花も風も街も みんなおなじ

さよならのときの 静かな胸

ゼロになるからだ 充たされてゆけ

こなごなに砕かれた 鏡の上にも 新しい景色が 映される

はじまりの朝 静かな窓

ゼロになるからだが 耳をすませる

ーー

覚和歌子女史の上記のような何か深い意味ありげな言葉の羅列を省いてみるとすっきりとしたのでお目にかける。

以下抜粋編集・縦椅子

ーー

いつも心踊る 夢を見るたび人は あやまちを繰り返す 

悲しみは 数えきれず ただ青い空の 青さを知る 

けれどこの両手は 光を抱ける 

呼んでいる 胸のどこか奥で

道は果てしなく 続いて見える その向こうできっと あなたに会える

ーー

悲しみの数を 言い尽くすより 同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出の そのなかにいつも 忘れたくない ささやきを聞く

いつも何度でも 夢を描こう 

呼んでいる 胸のどこか奥で 

海の彼方には もう探さない

輝くものは いつもここに わたしのなかに 見つけられたから

ーー編集終わり

しかし多くの読者にとっては、全くの意味不明であろう。

「輝くものは いつもここに わたしのなかに」は、禅でいうところの「直指人心見性成仏(じきしにんしんけんしょうじょうぶつ)」つまり辞書的な意味として、次のようなことを考えている。

真理は自己の心の外にあるのではなく,自己の心のなかにこそ発見される,真理であるその自己の本性をみるならば,仏(覚者、悟れるもの)となることができる,と。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>降りて来るモノと自分の中で現れるモノ
 宮崎駿氏って、遭った事は勿論ありませんが、あまり好きではありません、理由は「お花畑脳全開」な処が嫌なのです。 唯、作品の中に独特の静けさが存在して居て、その描写がとても素晴らしいと思って居ました。

 夭逝して、もぅ故人に成られましたが、杉浦日名子と言う、漫画家が居ました。 彼女の代表作の一つに、「百日紅」(さるすべり)と言う、葛飾北斎とその娘「おえい」の日常を書いたものが有りますが、その中で、北斎宅に、出入りしている若い絵師の英泉(実在の人です)が、おえいに「龍の書き方」を説明する下りがあるのですが、「龍を書きたいと思ったら、こう待って、降りてきたら一気に書くのよ」と、つまり、「龍は降りて来るモノ」なのです。

 然し、その画けた龍の良し悪しを、絵描き仲間は、当然の様な調子で批評し合って居るのですから、まるで、龍と言う実体が有るかの様な共有認識が有ったのでしょうね。

 勿論、現実には、龍と言う生き物はいませんし、似た動物も居ませんよね。ダケド、書き上がった龍から伝わって来るモノでその良し悪しが評価されたのだと思います。 昔の人のイマジネーションの世界は、凄いものが有ると思います。

 ですが、今日取り上げて下さった、詩は、同じ降って来たモノでも、龍などでは無く、明らかに天の啓示でしょう。 此の場合、彼女は、詩を与えられたと言う事なのだと思います。 その詩が、歌となって多くの人の心に届く事を、神は願われたのでしょう。

 「人を感動させるものは、生きもの全てを感動させるものだ」と言う確信は、釈尊が最初に教えを説いたのは、鹿野苑の鹿であった、とすれば、魂のレベルには、人間と動物の境目などある筈が無い。

 皆、生きとし生けるものは、今生で、生と言う苦しい行に耐えて、魂を向上させているのだと、思えば、生に対する執着さえも、軽い事のように思えます。

 然し、是は競争などではありませんから、与えられた生の時間を使って、他の、多の、為になる事を心掛けて、生きれば、魂はキットそのベールを一枚一枚はがして、自分の本性が現れ、成仏「=生まれ替わらなくても良くなる、領域」に達するのでしょう。

 私は64年間の人生で、偶に、斯うした体験を、リアルな夢として数回記憶して居ますが、其れが起こったからと言って、現実面で何かが変わったり、始まったりはした事が有りません。

 寧ろ、自分の中に眠って居る、或いは、隠されているモノが、ベールを一枚ずつ剥ぎ取られる様な感動を、その度に感じます。 オソラク、この体験は皆さんにも有るのではないかと思います。 夢の中なので、覚えて居ないだけで。

 それが、現実に比して、何故、何の為に起こって居るのか等、幾ら考えても分らないので、考えない事にして居ますが、起こると涙が溢れて、時には号泣している時も有ります。 でも終わったら、心が洗われた様な晴れ晴れとした気分になるので、一種の心の新陳代謝なのかもしれないと思って居ます。

 これは、詩(うた)の中に在る様に、自分の中に在るものを、天啓に拠って姿を現した自分の中に在るモノ、つまり、神様から頂いた、魂「=真我の吾」なのかなぁと思ったりして居ます。

 すると、人生と言うのは、魂である自分の本性を発見する為に与えられた時間であると言う事に成りはしないだろうか、そう考えれば、見性成仏こそが目標足り得ると説かれた釈尊の意図も見え始めてきたような気がします。 然し、仏に至る途は、遥かに遠く、多分、残り僅かな今生では、辿り着けないであろうと思って居ます。

 然し時空と言うものも、実は、蟻の思想なのだろうと思いますから、其処に期待して居たりします。ww

縦椅子様

≪呼んでいる胸のどこか奥で いつも何度でも 夢を描こう   悲しみの数を 言い尽くすより 同じくちびるで そっとうたおう ≫
たましいが呼んでいたのでしょうか、けさ「たのみにしていたゆめ」けんものにであいました。「覚めざらまし」とおもうほどのたのしいゆめでしたが、今日の素晴らしいブログを見、夢の続きをみているような気分でおります。
多分きのう今建て替え中の精華小学校の跡地の建物が、お披露目間近になっていてその興奮から、そんな夢を見たのでしょう。
旧精華小学校の雰囲気を残す土壁の一角に
   Memory of Seika Elementary School
と刻印されてあるではありませんか。ありがたいことです。かってあった校舎のアーチのある窓も再現されていて、上品な雰囲気をたたえた懐かしい学び舎があるではありませんか!
跡地の利用のことでこのブログに何度も訴えたことがあり、ご心配をお掛けいたしました。きっとブログ主様にご尽力いただいたに違いないとおもっております。今日はいい夢を見れた報告と、感謝のお礼の気持ちを込めて!ありがとうございます!!

ナポレオン・ソロさま

いつもナポレオン・ソロさまの語るソロ節に魅了されております。その語りを楽しみに、コメントをのぞく毎日です。
≪杉浦日名子と言う、漫画家の代表作の一つに、「百日紅」(さるすべり)と言う、葛飾北斎とその娘「おえい」の日常を書いたものが有ります≫が、
私は朝井まかて氏の「眩」で北斎親娘の日常を知りました。
-北斎は五才の娘「おえい」を大きな胡坐に座らせ、真剣に「画法」を説いてい、娘を見下ろして「な」と言うが、「なるほど」と得心の声を洩らすのは弟子らだ。-とあります。
弟子の中で、≪北斎宅に、出入りしている若い絵師の英泉が、おえいに「龍の書き方」を説明する下り≫のソロ節は絶妙で≪「龍を書きたいと思ったら・・・」と龍と言う実体が有るかの様な共有認識のもとに切磋琢磨して競い合ったが有ったのでしょうね。≫はしびれます。
北斎が嘉永2年の正月に90歳になった後、4月に亡くなるまでの数か月の間に完成された「雲竜図」は北斎の構想力と技法の真骨頂を表してい、「おえい」や英泉をはじめとする弟子たちの手本となり続け、私たちに感動を与え続けてております。
そして「応為」こと「おえい」は、父親北斎が亡くなったばかりであることを急いで書き記した手紙を弟子の北岑に出しており、最後の最後まで親子一体で画業に邁進されていたことがうかがえます。北斎は神の域に到達されておられたのでしょう!
「百日紅」を私も読んでみたくなりました。感謝!

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