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2018年11月16日 (金)

朝日新聞記者は、もちろん英語がお上手なのでしょうが、読者は日本人なのですから、まずは日本語の勉強からやった方が良いんじゃないでしょうか?

ーー以下「ttensanブログ」より抜粋編集

朝日新聞の記事から

(2018/11/10 朝日新聞) 日本の英語力は非英語圏で49位。スイスに本部のある国際語学教育機関が今月、英語を母語としない88カ国・地域を対象に調べた「英語能力指数」を公表した。日本は3年連続で、5段階で下から2番目の「低い」と認定された。

世界116カ国・地域で教育事業を展開する「EFエデュケーション・ファースト」はオンライン上で無料の英語力測定テストを実施し、2011年からこの指数を公表。今年は世界で約130万人のデータを分析し、日本は数千人が参加したという。

日本の順位は11年には44カ国・地域で14位だったが、年々下落している。日本法人のサンチョリ・リー社長は「日本と他国との差は相対的に開きつつある」と指摘した。

ーー引用ここまで

日本の英語力が低いのは別に問題ないとブログ主は考えています。

というのもほとんどの分野の最新の学術論文が日本語訳でちゃんと理解されているからです。

ーー

朝日新聞は、ことある毎(ごと)に日本の政治はダメだ、日本死ね、と騒いでいます。

しかし、朝日が批判して例えばマイナンバー法をやめさせたのは、年金問題を作るためであったり、朝鮮人が通名で口座を作り脱税しやすくするためであったのです。

また「コンクリートから人へ」という彼らの主張は、地震や台風被害を大きくするためであった。

ーー

日本人の英語力が諸外国の人たちに比べて劣っているという批判的な記事は、これらと同様の悪意ある宣伝でしょう。

ーー

外国語は、使う機会がないといつまでたっても話せません。

ところが日本国内では、英語を使わなくても生活に不自由しない。

日本人が英語が話せないのは当たり前のことなのです。

ーー

普通の日本人が思考を巡らせる時は日本語を使っています。

日本人は、日本語で高等教育が受けられ、研究者の中からノーベル賞受賞者が続出している。

つまり日本人は、日本語を使って、自分たちの手で、立派に近代を拓いたのです。

日本人は日本語を使って客観性、合理性、公平性のある近代的思考をすることができた。

英語よりも語彙数が多い日本語を複雑に組み立て会話や文章作成ができれば、世界のどこへ行っても現地の言語を翻訳して理解できてしまう。

ーー

例えば英語圏で新しい概念が作られ、それを学ばないと未来を生きられないとします。

そんな時でも日本語をきちんと身に付けてから英語を学んでも決して遅くはない。

というのも、これまでそうであったように、英語が使える日本人が日本語訳してくれると考えて間違いないからです。

また、日本人は英語がしゃべれなくても、就職に困らない。

ーー

他の国では、たとえ欧米先進国であっても、高等教育が英語でなされていたりする。

例えば多言語社会のインドでは、英語が共通語となっていて、英語がしゃべれなければ国内でも意思疎通ができないのです。

(支那も多言語社会で共通語は支配者の話す言葉であった)

そして旧植民地国では英語ができないと就職もできない。

インドでもそうです。

ーー

「日本語で高等教育が受けられ、日本語が使えるだけで就職にも困らない」

これは、とても素晴らしいことなのです。

わざわざ英語を習わなくても、たいていの知識は日本語になってる。

ーー

上記の朝日新聞記事は EFエデュケーション・ファースト社という英語教育で商売をしている業者の悪意ある宣伝記事とも言える。

劣等感を煽って危機感を持たせてそれで物を買わせる、その典型的なやり口であるからです。

ーー

そして、朝日新聞の天声人語や素粒子というコラムを読むと、記者は外国人ではないかと感じてしまう。

ーー

従軍慰安婦を捏造し、さらに女性を性奴隷にしたと書いて、世界中の日本人を不利な状況に陥れた。

もし朝日記者が自分たちの誤報で、世界中の日本人に被害を与えたことが理解できないのならば、朝日記者は日本語の感性が崩壊していると言えましょう。

朝日新聞記者は、もちろん英語がお上手なのでしょうが、読者は日本人なのですから、まずは日本語の勉強からやった方が良いんじゃないでしょうか?

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>日本社会での英語の価値
 実は私は、商船学校でも航海科の出なので、エンジンや周辺補機の知識は、名前だけだっりしたのですが、入った会社は、船の修理屋ですから、最初は営業に回されて訳が分からず、悶々として居ましたが、親会社のビルの一室にしつらえた、「出張営業所」の席の隣に座っておられた顧問「=会社の元会長で、親会社の部長だった」の方からも、「裡の会社は、プロの機関士相手の仕事だから、専門知識が無いのでは務まらんし、余計に苦労する。 君は、未だ若いんだからやり直しが効く、早く故郷に帰って、親元から通える仕事に就きなさい」なんて、転職を進められていました。 

 然し、鹿児島から折角出てきたのに、何も得られず帰るのでは、尻尾を巻いて逃げる負け犬の様な気がして悔しく、何か活路は無いだろうかと思って居ました。 

 すると、そのお爺さんが、毎日、英字新聞を広げて、時折、辞書を繰って居るのを看て、「若い頃、米国にも赴任されて居たと聞きましたが、向こうの新聞とこちらの新聞って、英語表現に差が有りますか?」なんて質問をしましたら、「確かに、事実を伝えるのが新聞の役目だが、読み手の事は当然考えて居るだろうよ、でも、是「=確か、Daily Mainichiだった」は、キット、外人が書いているね」と、だって、日本人の感覚では無いものが多いカラね」と答えでした。

 そして「処で、君は英語はドゥなんだ?」と訊かれたので、「中学生の時は、得意教科でしたが、商船学校で遊んでいましたのでね」と言うと、「そうか、じゃぁ、是から海事英語や工業英語を、勉強しなさい、何せ、裡の連中は、理系頭ばっかりで、英語はからきしの奴ばっかりだが、この先は、外船の仕事が増えるので、使ってもらえるかもしれんぞ」と、発破をかけられて、早速本を買いに行き勉強を始めました。

 勉強を始めると、確かに、専門分野の英語は、機械名や設備の名前など特殊な名詞が多いのと、動詞も倒れる、起きる、旋回するなんて、学校では使わない単語が、山の様に有り、或いは、削る、削正する、研磨する、と日本語の表現では、「削る」なのに、その程度に拠って、使う単語が違う事に気が付き、俄然面白くなって来て、早く現場に行って、外人相手に、使って看たくなりましたね。

 其れから半年位後に、親会社の監督さんの進言も功を奏してして、本社の船舶部に転属に成りましたが、やはり最初から現場は無理で、先輩が日本語で書いた工事仕様書を英訳するディスク・ワークを延々とやらされました。

 でも、前述の様に、同じ表現の作業でも、程度によって、使う単語が違うので、その度に、訊きに行ったり、調べたりして、半端、悪戦苦闘の毎日でしたが、新たな知識を得ると言うのは、嬉しいもので、全く苦に成りませんでしたね、そして、この経験が、後で、色々活きました。

 例えば、欧州系の機関士に、修理工程を説明するのに、使う単語に拘って、話をすると、大概、一発でOKが出ましたが、現場もみずに、現場作業の人の話を日本語を機械的に訳した云い方では、何回も、同じ質問が来ました。 で、現場に行くと、疑問が氷解すると言うパターンが多かったですね。

 有る時などは、米国の船の仕事で、付き合いのあるポンプ・メーカーから、「通訳で帯同してくれないか」と言う、オファーが来ましたが、その会社には、米国に10年も居て、日本に帰って来た、若い人が居たので、戸惑って居ると、「専門知識が伴って居ないと、通じないんでなぁ、現場を知って居るアンタに頼もうと思って」と言う言葉に促されて、行くと、インドの国営ラインの船でした。 

 直ぐに、担当者の一機士と話が通じて、仲良くなり。仕事はスムーズに運んだのですが、「昼飯を食うか?」と言われて、上階の食堂に行きましたが、途中の階では、廊下に寝そべって居るものが多く、異様な雰囲気だったのですが、或る階以上になると、急に、すっきりしたので、後で一機士に訊くと、「あの階から上が、士官エリアなんだよ」と言われ、「あぁ、カーストに拠るのだろうな」と推測できましたね。

 その後も、インド船、或いはインド人の乗り組みの船が増えて、度々行きましたが、インド人の頭の良さは本物で、仕事でトラブった事は有りませんでしたが、やはり、カースト制度の影響は顕著で、或る船などでは、「日本人は、シナ人と同じだから、一番下のカーストだよ」と云われて、インドは、好んで行く処では無いな、と思いましたね。

 そして、是は別の船ですが、彼ら同士で話して居る時には、英語で無く、別の言葉なので、「何語?」と訊くと「パーリ語」と答えましたが、時々聴きとれる単語に、英語と同じ意味で使って居ると思しき、同じ発音の単語が聞こえるので、是も訊くと、「あぁ、、だって、インド・ヨーロッパ語族って言うだろ、其れに、我々は、インド・アーリア族だが、カーストの低い連中は、ドラビタ人が多いな、彼らは、パーリ語しか出来ないのが多い」とか言ってましたね。

 話は、スレチになって終いましたが、云いたかったのは、私の拙い英語力でも通用する程、日本の、特に、工業技術者の英語レベルは低いのですが。祖の工業技術自体は、明治維新以来の外来のモノなので、先人に、英語やドイツ語を一生懸命に勉強して、道を開いてくれた、名もない人たちがいるんだろうなぁ、といつも感謝して居ました。

 お蔭で、商船学校の2次試験で、担当教官に「君は、もし、入試の点数が良く無くて、2学級ある機関科に回されても、学校に来る気が有るか?」と訊かれた時に、即座に「いいえ来ません、私は船長に成りたいので」と断った私は、実は、技術・家庭科の評価が、常に2の機械音痴にして、天性の「ぶきっちょ」でしたのに、何とか飯が食えるようになったんですからね、然も、「エンジンの専門家だって、厚かましいですね」www

 「朝日新聞なんて、読む価値が無いよ、だって、安倍政権批判ばっかりで、客観性が無いモノ」と言う発言が、この頃、私が左よりだなぁ、と思って居た人から出る様になって、然も、駅の売店にも、喫茶店にも置いて無い、試しに「朝日新聞ないんですか?」と訊くと、「全然売れないんで、モゥ置くのを止めたんです」とか、「評判悪いし、置いていても、誰も読まないんでね、止めました」と言う答えです。  序に、毎日も置いて居ない売店、喫茶店は多いですね。

 マァ、電車で新聞を読んで居る人も、喫茶店に新聞を読みに来る人も。殆どいなくなっていますからね、スマホの普及に拠って紙媒体のメディアは、急速に衰退していますね、特に、スマホなら、情報の比較が瞬時に出来ますから、フェイクニュースがすぐバレるので、朝日信者も、馬鹿らしくなってきたんだと思いますね。www。

英語は全くちんぷんかんぷんであり、分からないのですが、英語力の測定テストでも、日本は駄目なようで人並みなのかとホッとしています。

日本では、昔の英語の授業では中学校からだったのですが、最近の小学校の授業では、英語が週1回あります(担任の先生による授業ですが、学校によっては外国人の先生がいる所もあります。)

でも、昔は小学校では英語の授業をしていませんでした。
それが、ゆとり教育の始まった頃だったと思うのですが、小学校では授業の程度が低くなったので、関係ないものから見ますと、授業時間が余るような現象があったようにも思えました。
此が、ゆとり教育の終了と共に、授業の難易度が上がったために、授業時間が多く必要になったと思うのですが、同時に道徳の授業も入ってより授業時間が必要になり、さらにここで、英語の授業が入りますと、ますます授業時間が必要になったのですが、ゆとり教育の始まった頃に、土曜日の授業もなくなっていますから、教員側から見れば、授業時間が足りないために、子供達に十分、履修させる時間が足りていないのではないかと思います。

それに、子供達には中途半端に英語を教えるのなら、その前に日本の国語を、十分にする方が先ではないかとも思います。

昔は英語を始めるのは小さな内の方が良いのだと言われましたが、日本語はすべてを表現できる言葉ですから、まず日本語の教育をしてから、外国語を勉強しても良いと思うのです。

自分は英語が全く出来ないのですが、日本の中ではそれで不自由しませんし、外国へ行くことになれば、即席英語で何とかなるだろうと思っていますし、それで足りなければ、最近は外国語との翻訳機が出始めていますから、苦労することはあまりないと思っています。


ところで、日本語は終戦後にGHQから、難しすぎるから漢字やひらがなを無くして、ローマ字表記で済ますとの方針が示されました。
しかし、日本人は漢字をマスターしているとの説明から、漢字表記をそのままにされた経緯があります。

しかし、韓国におけるハングル文字は、漢字を教えずにハングル文字だけになったことから、今の韓国人は日本人がひらがなだけの使用に限定されたようなもので、同音異義語が多数発生し、文章の前後を考えて使わねばならない状態になっているようです。
日本は、漢字とひらがな、カタカナの使用が出来て、良かったと思いますし、英語は中学生の頃から徐々に覚えて、後は必要に応じた勉強をすれば良いと思っています。

>ポッポさん ソロです。
>>小学生に対する英語教育の無意味
 私も、ポッポさんの「英語教育をするならその分国語教育を充実すべきだ」と言うご意見に、賛成です。

 大体、日本語と言うのは、既に漢語やカタカナで書く外来語に拠って多国籍化しているのです。 その中でも、漢語は、漢字が表意文字で有るので、読めなくても、意味は大体分りますが、表音文字の英語は。そう言うわけにもいかず、単語を一つ保突覚えなくてはイケませんから、日頃津川に戸すぐに忘れて終います。 

 人間の脳の機能には、記憶と論理解析の分野が、有りますが、是が偏って居ると、所謂、天才になるのですが。偏り過ぎて居ると、所謂「白痴の天才」に成ると思います。 其れは兎も角、単語を丸暗記してそれを使いこなす言語能力は。男より女の歩が優れて居ると言う事、逆に、知見で得た論理的なものを組み合わせて、物事を理解、或いは、新たな論理を構成する能力は、男の方が優れて居ると言われて居ます。

 小学生の時代は、全てが、成長過程に有りますので、早熟な子も、奥手の子も居るものです、ですから、言語横領が発達し易い女の子の場合は、概数的に有効だと言えるかもしれませんが、男の子の場合、差が着くでしょうね。

 問題は、その事に拠って、子供のモチベーションが影響される事です。 私も、小学校の時分には、早熟でしたが、高校に入る様な時分には、劣等生だった子が、背も伸び、声も変わって、まるで別人になって、成績もトップクラスに成った、と言う例を、何人か、知って居ます。 

 ダカラ、植物を育てるには、その植物に拠って、水をやる時期や施肥する時期や量を考えて与えねば、却って、ダメにして終う事になるのは自明の理でしょう。

 一生使いもしない英語を無理に習った為に、勉強が嫌いになる方が、よっぽど買いが有るし、そんなに言語に拘るなら、全ての理解の手段として必要な国語の読解力や暗記力を鍛えた方が、よっぽど、為になると思います。

 小学生の英語教育は、何か、陰謀が混じって居る様な気がして私は反対ですね。 其れに、ドゥセやるなら、英語圏の国のネィティブ・スピーカーのリーディングで無くては、肝腎のヒアリングが、身に尽きませんので、コレマタ無駄です。

 マァ、文科省改革派、可成り徹底して長期にわたってやらないとダメだと思いますね、何せ、日教祖が相手ですからね。

縦椅子さま

 私は長い間英語というものに取り組んできたように思います。が、お恥ずかしいことに、さっぱり上達しません。だからいつも自信がない状態です。それはいくらやっても英語を話す人のように、完璧に正しい発音をすることは土台無理だと頭の中で思ってしまっているからです。英語を臨機応変に、話したり書いたりその場の状態に合わせて使いこなせるなんて、無理だと思います。だって私達は日本人ですもの…英語を話す人のように完璧な英語を自信をもって披露できないとおもいますが、努力は出来ると思います。
 兄が「レスター先生の学校」という挿絵入りの本をくれたり、ジョルジュ・サンドの本に魅了されて、子供時代はすっかり文学少女で、兄たちが読んだ家にある古い本で難しい漢字を使った本を読み漁り、おこずかいを貰ったら、すぐに本を買いに走りました。何故か外国文学でした。日本のことについて知る機会ははあまりありませんでした。だから縦椅子さまが、万葉集など日本文学のブログが大変ありがたく、日本の言の葉に触れる機会を与えて下さり感謝致しております。
 高校時代の英語は分厚い参考書で深く英文法を教えてくださり、英作文なども充実していて、文法の力は随分つきましたが、英文読解となりますと努力が足りないので挫折しております。
 ある施設で中学の英語の教科書:CROWNI・II・IIIをじっくり分析し、プリントを作る作業をしました。そしてわかったことは英語の基礎は中学3年間の教科書に凝縮されているということです。英語の環境はあるに越したことはないですが…英語は中学からでも遅くはないと思います。子供は自由にすきなことをし、夢中になれるものを早く見つけてその才能を伸ばしていけるのがいいと思います。
堺のBook・Offで宮沢賢治の銀河鉄道の夜を買い求めました!きらきらする銀河の中をジョバンニとカムパネルラを乗せた汽車が行く…天の川の中を・・・日本にはこんなにも素晴らしい詩情をたたえた世界を描いてくれている人がいる・・・ありがたいことです!
 私はいまでは読みたい本の洋書版を買ってよみ、気に入った英文を書き写したりし、英文の中の人の感情を読み取るようにしています。というのはひとの怒りや悲しみといったようなものは、原文の方が心をうつからです。勿論私には、翻訳本も不可欠ですが・・・葉隠の対訳本は素晴らしいと思います。本文ぼ日本語訳文と英語に直した英文と3つの文が一冊で楽しめるのですから・・・ほんとうに奥がふかい!

縦椅子さま

 朝井まかてさんの「グッドバイ」は朝日新聞金曜夕刊に連載中ですが、日本の長崎で初めて外国との取引を始めた女商人ーお希以(おけい)の奮闘ぶりを描いた連載小説ですが、取引の上で言葉の苦労があったようで、・・・
 大隅(以前から英語を学んでいて、流ちょうな話しぶりだとか)からは、「英語は誰に習うた」と問われた。
 「習うも何も、私は何としてでも伝えねばならず、相手の気持ちば汲み取らねばならんかった、そがん局面の積み重ねですたい」
 「そうも曖昧で、取引ばでくっとか」
ーー誠意と度胸で言葉の壁を乗り越え、信用を第一に…頑張った人達により、日本は開かれてきたのだと思います。また辞書の編纂など先人達の多大な努力のお陰で今の日本の語学環境があるのだと感謝しています。

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