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2018年11月26日 (月)

つまり騎馬民族説はまったく成り立たない

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

宮脇淳子『モンゴルの歴史 遊牧民の誕生からモンゴル国まで』(刀水書房)

これは世界初のモンゴル通史である。

思えばソ連崩壊後、歴史(過去の記録)が白紙のもとで誕生した新生モンゴルには、自らをかたる歴史教科書がなかった。

世界に求めたら、日本人学者がモンゴル通史を書いていた。

さっそくモンゴル語訳がなされた。

ーー

最初の四分の一は、遊牧民の烏合離散があり、部族どおしの確執があり、異民族の侵略と戦い、異教徒との戦争もあった、「チンギス・カーン登場以前」である。

ここで重要なのは次の指摘である。女史曰く、

「北アジア遊牧騎馬民をモンゴル系かトルコ系かに分類するという命題には、重大な欠陥がある」

「第一に、その系統が人種のことを指しているのか、言語のことを指しているのかはっきりしないこと」

「第二に、歴史的に大いに混血してきた現在のモンゴル民族やトルコ民族を基準にして、かれらより古い時代の遊牧民がどちらの系統に属していたか、どうして決められるだろう」

ーー

「トルコ系民族に分類されている人々は、時期こそ違いがあるが、イスラム教に帰依した人々で」ある。

「モンゴル系民族に分類される人々とは、十六世紀以後にチベット仏教徒となった人々」のことだと。

そういうことかと、目から鱗が落ちる。

ーー

さて内蒙古自治区にある成吉思汗御陵(漢族は「成陵」という)のことである。

評者(宮崎)と女史の共著でも話題になった。

実際に評者は、オルダスから南下して、カンバシ新区という世界最悪のゴーストタウンの取材に行った折に、ついでに成陵に立ち寄った。

オルダスからタクシーで2時間ほど南下した草原にあり、そこは俗っぽい観光地になっていた。

ーー

評者は、運転手の漢族に「モンゴル族という異民族が建てたのが元朝であり、なぜ漢族のあんたたちが祀(まつ)るのか」と聞いてみた。

すると、『おなじ中華民族で問題はない』と答えたのだった。

(宮崎、宮脇共著『本当は異民族がつくった!虚構国家中国の真実』、ビジネス社を参照)

ーー

しかしここは、1956年に、支那共産党が勝手に「成陵」と決めた場所にすぎない。

それでは実際の成吉思汗御陵はどこにあるのか。

女史は、次のように書いている。

ーー

「葬儀がおわったのち、遺骸は、オノン、ケルレン、トーラ河が源を発する、ケンティ山脈のブルハン・ハルドンの山の一嶺に埋葬された」

「墓には盛り土も墓標もなく、埋葬が終わると、多数の馬に踏ませて土を平らにした」

「やがて樹木が生い茂って、ハーンの遺骸がどの樹木の下に埋葬されているかはわからなくなった」

ーー

その後記述は、チンギス・カーンの世界征服に突入するが、「モンゴル帝国」の仕組みと、モンゴル人の活躍は本書を読んでのお楽しみとしたい。

ーー

所々に挟み込まれた『余滴』もまた読書人には楽しめる。

ーー

敗戦後、占領軍は、日本人を被征服民族に仕立て上げようとした。

それに協力し、東大教授の職を安泰にし文化勲章まで手にした男がいた、それが江上波夫であった。

彼は、東北ユーラシア系の騎馬民族が、南朝鮮を支配し、やがて弁韓を基地として日本列島に入り、

4世紀後半から5世紀に、大和地方の在来の王朝を支配ないしそれと合作して大和朝廷を立てたという説を出した。

この説は占領軍のお気に入りとなり、在日・反日勢力が支配する戦後日本の言論・メディアと学会を席巻した。

ーー

この説について女史は、さらりと次の事実を列挙する。

「遊牧をしない騎馬民族はいない」(乗る馬には蹄鉄をする)

「遊牧民なら馬の去勢を知らないはずがない」

ーー

ところが日本の古墳から出土する馬具には蹄鉄がないのだ。

江戸時代の絵画をみても、箱根を越える馬は蹄鉄ではなく特殊な草鞋(わらじ)を履いているだけだ。

日本に蹄鉄と去勢の技術が入ったのは明治以降だった。

つまり日本に対する騎馬民族説は江上波夫畢生(ひっせい、一生の)の謬説(びゅうせつ、嘘)だったのだ。

ーー

このような、戦後社会を支配してきた言論・メディアの説に対して、さりげない批判の矢が随所に放たれている。  

読書の秋にふさわしい重厚な一冊である!

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>大和朝廷の騎馬民族渡来説の完全否定
 歴史を愛好しているモノに取って、此の江上波夫の大和朝廷騎馬民族説には、始めから違和感が有りました。 確かに、4~5世紀の日本には、確たる歴史資料が存在して居ません。

 然し其れは、蘇我蝦夷が、乙巳の変で、息子入鹿を討たれて絶望し、自宅に籠って自宅に火を放って、自ら滅んだ時に、日本の古代からの歴史資料が収まっていた書庫も全焼して、失われた可能性が高いと思います。 そして蝦夷は、それを復讐心から意図的にやったとも、思います。 その呪いが、江上波夫と言う訳ですね。

 其処に、どの様な文書が納められていたのか、今では知る由も有りませんが、300年も後の世に、古事記や日本書紀を編纂する時に、編者は、如何なる資料を用いたのでしょう。 編纂するのに、長い時間と膨大な手間が懸った事は、直ぐに想像がつきます。 その作業を行った、稗田阿礼以下、先人達に、満腔の敬意を表します。

 その辺りの疑問は、我々日本人が日本の古代の歴史を復元しつつ、国民を始め世界に周知して、以て、人類の大同団結の世界を造ろうと言う、遠大に思える理想の母体となる精神、「我ら神の子にして等しく神聖である」から生まれ出ずる、「和の心」「悲の心=共助の心」「労働を愉しむ心」を掲げて、行く裡に、キット、自ずと判って来る事なのではないかと思います。

 江上波夫と言う名は、曲学阿世の代名詞になると思います。例え、出だしは、「沈黙の4世紀」を埋める、仮設の一つだったとしても、文明国に本に、そういう環境を作ったのは、浅い歴史しか持たず、歴史に対しする価値観の低い、米国で有ったと言う事も忘れてはイケませんね。

 それにしても、宮脇女史がモンゴル史を編纂して、モンゴルの皆さんの愛国心に資する事が出来る様にしたと言うのは、歴史学者としては本懐を遂げたと言える程の業績だと思います。

 江上波夫の「学問屋」ぶりは、日本の歴史学の汚点にしかならないと思います。 日本文明にのみならず、モンゴル族にとっても、重大な謬説で有り、この様なものに文化勲章を授ける文科省の役人の程度の知見の低さは、絶対に改革しなければならないと思います。

 「チンギス・ハーン」は、この前、蔵書にあった横山光輝(漫画家)の全五巻を、ルーペを使って、やっと読みましたが、やはり、話に粗密が有り過ぎて、作者が三国志や史記で見せた、時系列の正確さや緻密な情景描写が失われているのは、基本に成る歴史資料が無いカラだと思いましたが、女史は其れを通史でまとめたと言うのですから、モンゴル民族の歴史学に取って、今後、背骨の様な存在となるに違いありません。

 そうする事で、シナの歴史のいい加減さや、歴史に対する価値観の低さが、世界に明らかになって行くでしょうね。 

 チンギス・ハーンのお墓は、横山光輝氏も、故郷の山麓に埋められ、「故郷の土に還るのだ」と言う、故人の遺志通り、本当の墓は、石碑も墓標もなく、森の何処かと言うだけしか判らないのです。

 人類の歴史上、最大の版図を持つ大帝国を創り上げた偉大な英雄は、自らの評価を、唯「民族の為に戦い抜いた、1人の遊牧民」としてしか持って居なかった。 と言うモンゴル人の死生観や独特の価値観を、シナ式に商売のネタにするのでは、チンギス・ハーンも浮かばれまい。 モンゴル人は、「貧乏人には貧乏人の誇りが有る」と心の底では思って居るに違いない。

 シナの四蛮「=東夷・西戎・南蛮・北狄」と言うが、其れは、鳥も直さず、シナ人の構成を云っているに過ぎない。 多分、一番多いのは、西戎「=遊牧民」を祖先とする人々であろう、周以降の匈奴族の王朝は皆これで有る。 次が、北狄「=狩猟採集民」で、殷が挙げられるが、彼らは後に、半定住化して、靺鞨族と言う種族になって、高句麗や渤海のツングース系の国を造る、日本にも渡来して来て居て、東北部に蝦夷族と混血した可能性が高い。 

 つまり、古代の日本人は、ツングース系の北狄族が、山間部に生息して、狩猟採集だけで暮らして生けるぐらい日本の山の食資源は豊かで有ったと言う事だろう。

 其処へ侵入して来たのが、古くは5万年前に、スンダ・ランドを出発した、海路伝いに東夷族、長江伝いに南蛮族が、ひょきの海退現象で、巨大な内海であった、東シナ海に辿り着き、著公文眼を創った、それが、極東の民族のルーツなのだが、海に隔絶された列島以外は、生産手段を持たない西戎や北狄が。気候変動で飢えると、水と食料を求めて、南侵を始める、

 大陸の歴史は、この繰り返しで有ろう。 シナ文明史は、農耕文明であった長江文明の遺産を、食いつくすだけの歴史になって居る。 漢民族と言う、今や架空の民族は、固より、他の文明を剽窃して、他の文明の上に、ドン殻だけをしつらえる、張りぼて文明で有ったが、共産シナが、長江文明を只管隠蔽しようとするのも、その事実がバレるカラだと思う。

 序に云って置くと、江上氏の説の根拠は、その流れが日本でも起こったに違いないと言う、蓋然性だけの様に感じる。 是に、日本の天皇制を無くしたい、共産主義者達が賛同しただけに過ぎないと私は思って居ます。 共産主義は、歴史に取って、害に成りこそすれ、一利も無いものであると言えましょう。

>敗戦後、占領軍は、日本人を被征服民族に仕立て上げようとした。

日本の国に対する騎馬民族征服説は知っていましたし、此を小説にした豊田有恒氏のものも楽しく読んでいましたけれど、占領軍のお勧めだとは知りませんでした。
占領軍が日本人を貶めるための一つの方策に乗って、学者が妙な学説を作れば、それはタダの売国奴で恥を知れと言いたいです。

遊牧民の馬には蹄鉄が有、日本の馬具に蹄鉄はなく、特殊な草鞋しかないとなれば、日本に騎馬民族は来なかったのですし、そう出なくとも日本の馬は小柄でしたし、騎馬民族の馬とは体力が違ったと思いました。

騎馬民族征服説が嘘と判明し、戦後左翼の出鱈目が一つ明らかになりましたけれど、此からも彼らの嘘が一つ一つ判明していくのだろうと思います。

いつもいろんな有益な情報をありがとうございます。

『去勢ないじゃん』
これだけでニチユ同祖論とか騎馬民族説とかみんなひっくり返っちゃうんですよね。
私も別のルートで「江戸末期に日本を訪れた西洋人がびっくりしたのは『去勢の習慣が無いこと』」と言うことを知って目から鱗でした。

騎馬民族は天孫族の神々様のご先祖様ですよ。

『Wonder_Ryuchanの大人の日記』に色々と詳しくアップしてます。

また、私が日月神示の一厘の仕組みも紐解きましたよ。

それでは

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