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2018年11月22日 (木)

秀吉の朝鮮出兵は、世界を植民地化し、太陽の沈むことなき大帝国を築きあげていたスペインの日本侵略を思いとどまらせるための行為であった

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

秀吉はなぜ朝鮮征伐を仕掛けたのか。

秀吉の朝鮮征伐が行われた当時、「明国も朝鮮も国民国家ではなかった」ということをまず知っておかなければ話が前へ進みません。

明国も朝鮮も、国の権力者(支那皇帝や朝鮮王)が国民を代表して国民のための統治をしていたのではなかったのです。

分かりやすく言うと、支那皇帝や朝鮮王というのは、現在の日本ヤクザの組長にすぎなかった。

ーー

支那全土に多数の組(軍閥)があり、それらの組織を最強の組が取り仕切る。

支那では、遊牧民(外来王朝・明)が最強の組でした。

朝鮮は、その明の力によって朝鮮王を名乗っていたにすぎません。

だから朝鮮王には、「庶民生活を豊かにし、国を栄えさせる」という意思は全くなかった。

ただ庶民から収奪すること、それが支配者の特権だった。

ーー

いまでも支那大陸や朝鮮半島諸国の国はそれに近い構造をもっています。

ーー

一方、秀吉の時代に登場するスペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスなどの西欧諸国は、16世紀~17世紀に人口を半減させるような戦乱の時代を経て、国民国家となった国々でした。

その背後に西洋人の行動原理となっていたのがキリスト教でした。

キリスト教は神のもとに平等を説きます。

つまり神によって祝福され王となった者は、同じく神によって祝福された民(私有民)とともに栄えなければならないという宗教観があります。

ーー

この場合支那・朝鮮と違い、信者以外は人間としての扱いを失う一方、王は支配する国を繁栄させるという使命を持っていたのです。

ーー

さて、ヤクザが支配していた朝鮮に秀吉の軍勢が上陸したとき、複雑なことが起きました。

朝鮮ヤクザの多くが日本に寝返って朝鮮ヤクザと戦ったのです。

その一方で、朝鮮ヤクザに(飲ませ抱かせられて)取り込まれた大名が、清正や行長や島津の軍勢と戦うという場面が出現したのでした。

実際の戦場は、かなり複雑な様相を呈していたのです。

ーー

平気で裏切るという行為は、いまも朝鮮人に見られます。

ーー

日本と朝鮮半島の海峡で戦った李舜臣は、まさにその典型でした。

朝鮮人らは、李舜臣の活躍によって、日本は海上を封鎖され、朝鮮半島への補給路を断たれたために、半島からの撤退を余儀なくされたと主張しています。

ーー

しかし史実(記録されている話)はまるで異なります。

李舜臣は、朝鮮の海将として文禄元(一五九二)年八月二十九日に釜山港を占領していた日本軍に戦いを挑んでいます。

が、あえなく敗退しているのです。

ーー

また、慶長三(一五九八)年十一月十八日の露梁海戦は、李舜臣による卑劣な戦いでした。

彼は、停戦協定が結ばれたあと半島から引あき揚げる途中の日本の軍船に追い打ちをかけた。

しかも李舜臣は、この海戦で返り討ちにあって戦死している。

朝鮮人にとっては残念なことでしょうが、李舜臣によって、海上補給路を断たれたという記録は、どこにもないのです。

ーー

この秀吉による数十万の兵と大量の鉄砲を動員した朝鮮出兵を見たスペイン人たちは、日本を植民地化することをあきらめた。

秀吉の朝鮮出兵は、世界を植民地化し、太陽の沈むことなき大帝国を築きあげていたスペインの日本侵略を思いとどまらせるための行為であったのです。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>秀吉の朝鮮出兵に意味
 私も英邁で実は戦争が嫌いな秀吉が、何故、益もない朝鮮出兵などしたのだろうと、ずっと訝しく思って居ました。 色々探して読んだ本の中には、固より秀吉は賤民の出で、半島からの密入国者の子だったと言う話まで挙げて居る本が有りましたが、是は流石に、真偽を確認する術がないので、取り上げる事は出来ません。

 然し、当時は、明も元を倒して王朝交代を遂げたばかりで、朝鮮も高麗から王権を奪ったばかりでしたが、朝鮮に変わったら、仏教は禁じられたし、階層差別がより厳しくなって、今までいた両班層も、見知らぬ遊牧民族の女真族に交代されて、生産層の農民や僧侶は、身分を最下層に落されて、苦しい生活に喘いで居たので、倭寇繋がりで日本の漁民と交流が有る済州島の漁民を通じて、秀吉まで救援要請が来ていた、と言う仮説を、カナリ信じて居ました。

 最初の朝鮮征伐の時には、半島内に、呼応する勢力が居て、人別帖が保存してある役所を焼き討ちに懸けて、役人を殺したと言う史実をその証拠に挙げて居ます。

 然し今でも秀吉の朝鮮征伐には、疑問が多く、様々な説が有る様です。 然し、このねずさんの、「スペインの日本侵略を諦めさせるのが目的」と言うのは、秀吉が、高山右近が日本の婦女子を、火薬と引き換えに、バテレンを通じて海外に売って居た事に激怒して、高山右近以下キリシタン大名とバテレン「=宣教師」の追放令を出したのと、時系列的にどうなのかと言う問題は有りますが、説得力が有ります。 つまり、その時にスペインの意図を知って、日本の実力を見せる為に朝鮮に出兵した、と言う仮説は判ります。 

 更に、朝鮮が元寇の時の高麗の様に日本侵略を、今度は海洋勢力のスペインを唆し、彼らの軍事力を以て、日本侵略を朝鮮が企てていたが、是を、反朝鮮勢力の倭寇が察知して、秀吉に通報し出兵の決断に至った、と考えます。 見方に拠れば、半島内の反朝鮮勢力が、秀吉を利用したのかもしれませんね。

 多くの犠牲者や兵糧や武器弾薬などを浪費する戦争には、皆が納得できる大義が必要で、其れ無しには、部下たちの出兵への理解は得られないだろうし、逆に、自分の足許に火が点いて終う結果に終わっては、完全に自滅行為に成りかねません。

 朝鮮攻めの主力となるのは、当然、九州の諸大名でしょう、殊に、薩摩の嶋津は、肥後に配した加藤清正と、筑紫に排した黒田神官兵衛・長政親子で、2重にふたをする程、警戒して居たのですが、その嶋津が、「鬼嶋津」と形容される様な獅子奮迅ぶりを示したとの話です。 亦、倭寇を起した対馬の漁民たちは、永年の仇を取ろうと張り切って居たでしょう。

 生きて居る間、ずっと不遇をかこって居て、死に方も殆ど、自爆に近い士に肩なのに、李舜臣を殊の外、持ち上げるのは、本当の歴史を明らかにすれば、朝鮮王は、唯の卑怯者でしか無く、第一、遊牧民出自の女真族に、海戦の先方の良し悪しなど判断のつけようがなかったでしょう。 海に対する知見が無いのに、李舜臣を称揚するしか、歴史が無いのは、悲惨と言う他は無いですね。 彼らには、対馬漁民の歴史的な怨念は理解できないでしょうね。

 然し、日本の戦後の歴史家は、この謎を大きく取り上げて来なかったのも、不思議と言えば不思議なので、此処にも、ラジオ・プレスコードの縛りで、「韓国やシナに不都合な事は伝えてハイケナイ」が、働いて居るのかもしれませんね。 マァ、日本人にとっては、秀吉の朝鮮出兵の意図など、どちらにせよ、どっちでも大勢には影響はないと、考えたのでしょうがね。 歴史を重視して居ない米国人のやりそうな事です。

>朝鮮ヤクザの多くが日本に寝返って朝鮮ヤクザと戦ったのです。

朝鮮征伐のとき、朝鮮から見れば日本は外寇であったのです。
その日本に、朝鮮人が何の打ち合わせもなく味方するのでは、朝鮮が強いはずはありません。
これが朝鮮の実態だったから、秀吉の朝鮮征伐軍は朝鮮を征伐できたと思います。


今、朝鮮では素晴らしい将軍であったとされる李舜臣は、本当はたいした将軍でもなかったけれど、東郷平八郎元帥が朝鮮人には碌な将軍がいなかったといった朝鮮人に対して、朝鮮人も李舜臣がいたと慰めたら、これが李舜臣は凄い将軍だったと言うことになりました。言わば、日本が作ったような話です。

考えて見れば、貴族が民衆を踏みつけて生活していた朝鮮では、民衆に愛国心など育つはずはなく、愛国心を持たない兵では強くなれないのは仕方の無いことで、これが朝鮮戦争での韓国軍の弱さに繋がっていたと思います。
それで、韓国兵はその軍隊が相手を圧倒する戦力を持っていれば、兵は敵に強く向かい民族特有の残虐性を出しますが、相手が強ければ持久性がなく、戦線が崩れてしまうと思います。
それで、督戦部隊が必要になるのです。

近代戦では、兵の精神から鍛え上げるので督戦部隊はないと思いますが、有事の際にはどうだろうと考えるのですが、北朝鮮と統一するようなことになれば、韓国軍の士官以上は粛正されることになると思います。
士官以上なら、こんなことは分かっているでしょうから、政治的に統一直前になったら、クーデターを起こす可能性があります。北朝鮮はそれを予想して、対策を講じると思います。

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