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2018年11月27日 (火)

「明治維新という大業」は、「五箇条の御誓文」から始まった

ーー以下「伊勢雅臣コラム」より抜粋編集

慶應3(1868)年1月3日に「王政復古の大号令」の詔勅が出され、同4月6日に「五箇条の御誓文」が布告された。

その中で、天皇は「諸事、神武創業の始(はじめ)に原(もと)づき」と宣言された。

未曾有の大変革は、初代天皇、神武の昔を原点として始められたのである。

ーー

「五箇条の御誓文」は

1 廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ
2 上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フべシ
3 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
4 舊來(旧来)ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クべシ
5 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スべシ

ーー

この第二条について松浦教授は、条文の成立過程をたどることで、その意味を明らかにしている。

それによれば「五箇条の御誓文」の起草者の一人である由利公正(ゆり・きみまさ)は「経綸」について、こう述べている。

ーー

「経綸」の術は、業を興(おこ)すにあり。業を興すは、資本を充(み)たすと、販路をえるの二案の外、あるべからず。(「国民利幅について」p253)

ーー

「業を興(おこ)す」とは、現代でいう「起業」である。

それは「資本を充たす」、すなわち資本の蓄積であり、「販路をえる」からなる。

この二つは自由主義経済の基本である。

ーー

先人たちは、富国強兵のもとが、近代経済の発展にあり、そのためには起業と資本蓄積による自由主義経済を基盤とする、と見抜いていたことになる。

ーー

そして、議会制民主主義や自由主義経済など現代的な政治経済体制の構築を、「神武創業の始」の精神に立ち戻って行おうとした。

ここには、近代化と歴史伝統の奇妙な組み合わせがある。

ーー

歴史伝統と近代化は多くの国では衝突している。

たとえば、フランス革命では近代化の名の下に、キリスト教会が破壊され、教徒が弾圧された。

現代でもイスラム教では利子をとることを禁じており、この伝統的教義と現代的金融制度の対立は、イスラム教国にとって難しい課題となっている。

ーー

議会制民主主義や資本主義経済は、当時の最先進国、イギリスに学んだことだ。

そしてそれらを取り入れて成功している。

それもわが国の政治伝統、「神武創業の始」という神話にまで遡って行う、という。

こんな「破天荒」な試みが、なせ成功したのか。

ーー

それは、議会制民主主義と資本主義経済という近代的政治経済制度が、わが国の神武創業以来の伝統と親和性を持っていたからだと考えるほかない。

さらにいえば、これら近代的政治経済制度を発展させたイギリスの歴史伝統と、わが国の歴史伝統の間に響き合うところがあった。

ーー

まず、議会制民主主義から見てみよう。

共同体に関する決定は、個人の独裁ではなく、話し合いで決める、という文化は、すでに日本神話に見られる。

須佐之男(スサノオ)が、高天原にやってきて乱暴狼藉を働いたので、天照神(アマテルカミ)は天の岩戸にお隠れになり、万事がうまく運ばなくなってしまった。

神々は天の安の河原(あめのやすのかわら)に「神集い集ひて(かむつどいつどいて)」、アマテルカミをどう引き出すか、またスサノオをどう処分するかを、相談されている。

ーー

聖徳太子は、十七条憲法において以下のように、衆議を通じて皆の知恵を集めることの大切さを示された。

ーー

上和らぎ、下睦(むつ)びて事を論(あげつら)ふに諧(かな)ひぬるときは、則(すなは)ち事理自ずから通ふ。何事か成らざらむ

(和気藹々(あいあい)と議論を尽くせば、物事の道理が通る、そうなれば、出来ない事などあろうか)

ーー

鎌倉幕府が制定した御成敗式目は長らく武家社会の成文法となったが、そこでは次のように自由な議論を奨励していた。

ーー

ただ道理の推すところ、心中の存知、傍輩を憚(はばから)ず、権門を恐れず、詞(ことば)を出すべきなり

(ただ道理を追求して、他者の思惑を憚ったり、権力者を恐れたりせず、発言するべきだ)

ーー

こういう政治伝統のあるところでは、「広く会議を興し、万機公論に決すべし」と打ち出しても、誰も違和感を感じずに、ただちに納得したのではないか。

そして、その総意が大日本帝国憲法制定と議会開設につながっていったのである。

ーー

次に第二項に関わる自由主義経済の伝統を見てみよう。

わが国の古代には、諸豪族が土地と民を私有するという経済制度だったが、大化の改新において、公地公民の原則が採用された。

人民は国家に所属する「公民」であり、一定の「公地」が配分された。

租税さえ払えば、その公地でどのように収穫を増やすかは、それぞれの所有者の自由とされていた。

ただシナの制度とは違って、女性や子供、高齢者にも一定の土地が配分されていたことは、公民としての基本的人権という考え方があった事が窺われる。

ーー

これが成功して、人口増加を招き、配分すべき土地が足りなくなると、自分が開墾した土地は私有地として所有することが認められるようになる。

これが発展して、武士がその所領を持つ封建制度が発展した。

ーー

さらに戦国時代には、大名たちの土地開拓が進み、空前の経済発展をもたらした。

ーー

江戸時代には、民間が商業航路を運営したり、両替商が銀行業務を行ったり、今日の自由市場経済の基盤が出来上がっていた。

西欧列強に負けない近代経済の基盤を、すでに当時のわが国は持っていたのである。

ーー

ただし徳川幕府以来の身分制度は職業選択を制約し、人々の自由な経済活動を阻害していた。

この制約を取り払って、国民一人ひとりに至るまで、自由に経済活動に取り組めるようにする。

これが「上下(しゅうか)心を一(いつ)にして、盛んに経綸を行うべし」の目指す処であった。

ーー

したがって、第二条も、自由経済に慣れた当時の日本人から見れば、当然の方針であり、かつそれまで身分制度の制約を受けていた人々にとっては、両手をあげて歓迎すべき改革であった。

ーー

このように、「五箇条の御誓文」はわが国の政治経済の伝統を基盤としていることは明らかだ。

その上で西洋から学んだ議会、自由貿易の制度を取り入れて、独立を守るための「富国強兵」を実現しようとしたものであった。

ーー

もう一つ、この御誓文に力を与えたわが国の伝統が、皇室の「民安かれ」の祈りであった。

五箇条の後に、次の勅語が添えられた。

神々に五箇条を誓われた後で、天皇が国民に語られたお言葉である。

ーー

我が国未曾有(みぞう)の変革を為(なさ)んとし、朕(ちん)、躬(み)を以て衆に先んじ天地神明に誓い、大(おおい)にこの国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆またこの旨趣(ししゅ)に基き協心努力せよ。

ーー

「万民保全」という言葉に注目したい。

すべての国民の「全きを保つ」ことが、この国是を定めた目的であった。

それは具体的には、西洋列強に植民地化されたアジア・アフリカの民が受けている塗炭の苦しみを、日本国民に与えてはならないということであった。

この祈りをさらに具体的に示されたのが、「五箇条の御誓文」と同日に明らかにされた「国威発揚の御宸翰(ごしんかん、天皇の国民へのお手紙)」であった。

ーー

そこには、「天下億兆、一人もその処を得ざる時は、みな朕が罪なれば(国民が一人でもその処を得られなければ、それは私の罪であるから)」とある。

ーー

国民一人ひとりに至るまで、その人物に適した働き場所を与え、生きがいを得られるようにすることが、天皇としての責務である、と。

陛下の「民安かれ」の祈りを受けて、国民がそれを実現すべく、「協心努力」することが、わが国の「根っこ」にあるということになる。

陛下の祈りの下で日本国民は互いに協力し平和で豊かな国を作ってきた。

ーー

「五箇条の御誓文」は、江戸時代の老朽化した諸制度を取り払い、「根っこ」の力を取り戻したのだ。

このようにして日本人は、国家存亡の危機に立ち向かったのである。

「明治維新という大業」は、「五箇条の御誓文」から始まったと言えよう。

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コメント

縦椅子様

今日も素晴らしいブログ有難うございます
≪慶應3(1868)年1月3日に明治天皇は「王政復古の大号令」の詔勅が出され、同4月6日に「五箇条の御誓文」を布告され、天皇は「諸事、神武創業の始(はじめ)に原(もと)づき」と宣言された。≫
≪議会制民主主義や自由主義経済など現代的な政治経済体制の構築を、「神武創業の始」の精神に立ち戻って行おうとした。ここには、近代化と歴史伝統の奇妙な組み合わせがある≫
中でも≪4 舊來(旧来)ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クべシ
≫は、悪しき風習から脱却した新生日本を目指されたもので、今の日本があるのはこの4条があるからであると思います。
«「五箇条の御誓文」と同日に明らかにされた「国威発揚の御宸翰(ごしんかん、天皇の国民へのお手紙)」であった
ーー
そこには、「天下億兆、一人もその処を得ざる時は、みな朕が罪なれば(国民が一人でもその処を得られなければ、それは私の罪であるから)」とある。≫
--
この有り難いお言葉に涙せざる者はいようか?-涙を禁じ得ない!! 感謝!!

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>五箇条の御誓文に始まった近代日本
 伊勢さんの文章は、常に、「日本文明の守護者」と言う立場にブレが無く、安定している様に感じます。

 日本の歴史に現れた、政治のエッセンスを拾い集め、飛鳥時代の大化の改新で公地公民で、国家の基本的な考えを示したうえ、公地を女子供、老人にも与えたから自ずと、人口が増え、人々は、女性を大事にし、子供や老人も大切にされた。

 鎌倉時代の御成敗式目で、議会制の重要性を維持し、そして、戦国時代の混乱期には、その混乱を、逆に流通の発展の基礎を創り上げるのに利用したのには、上から下まで一貫した、社会を発展せしめ、以て、「皆が安らかな毎日を送れますように」と言う、スメラミコトの祈りを実現しようとする民の志を持った努力が有ったのは、言う迄もない事のように思えます。

 この傾向は、超古代から、長い時間を懸けて培われて来たモノでしょう。 然し、古代には、治める地域も限られており、従い、スメラミコトガ統治する人間も、万余となったのは、縄文時代も、晩期ではなかったか。 

 即ち日本文明は、海で隔絶しているが故に、西洋の様に、地続きで常に、地中海沿岸や黒海沿岸の文明開化国からの、侵略の圧力を受けてはいなかった、特に、宗教を異民族に強制する様な思想は、端から、生まれなかったのは、大きな僥倖であったと言えよう。

 それに、日本は南西北東方向に長い大陸に付随した、列島で、氷期の海退期には、大陸の一部であったと考えられるし、海流や風の向きも、日本列島に向けて流れ、吹いて居るのだから、あちこちから、様々な民族が列島には移り住んで来たに違いありません。

 然し、定住するのに成功したのは、列島の厳しい自然に順応で来た者だけで、然も、日本の風水害の脅威は、異民族であろうが何だろうが「力を併さ無ければ、全滅する」と言うレベルなので、例えば、「嵐の最中に敵の寝所を襲い皆殺しにする」様な真似を許したら、日本列島に生き残れるものは一人も居なくなったであろう。 然し、超古代にはそういう失敗は幾らでも起こったのでは無いだろうか。

 そして、列島には風水害の他にも、火山の爆発に拠る火砕流「=火龍」や土石流「=水龍が有り、地震・津波が有り、高潮迄あるので、命からがら助かった人々も、中には、にほんレッツに棲み着くのを諦めた人々も居ただろう。 

 そういう人々が、大陸で、日本列島の事を、「行くのも大変だが、住むのは更に難しい土地である」と紹介して居たのは間違いない。 ダカラ、侵略も殆ど行われてこなかったのだと思う。 結果的に、自然の脅威は、日本を護る盾になって居るのでしょう。

 維新になって、日本が戊辰戦争や西南戦争と言った、万余に及ぶ死者を出す様な、内乱を経たとはいえ、僅か⒛年の間に、すっかり、その国の様相を変える事が出来たのは、詰まる所、日本は決して屈する事は無かったけれども、お手本にした、当時世界の覇者で有った英国と、大陸辺縁に在る島嶼国家である以外にも、色んな意味で親和性が有った事が大きいと私も思います。

 就中、先帝陛下がご留学あそばしたのは英国で有り、国王のジョージⅤは、陛下を我この様に可愛がり、故に、陛下は英国を敵に戦争する事に最後まで反対しておられた。 それが、西欧列強と言う、侵略民族ゲルマン人の罠に拠るものである事は、ジョージ国王から、欧州の仕組み「=当時は世界の仕組み」について、教えられていたからだと思います。

 然し陛下は、未だ共産っ主義者の危険性についてのご認識が甘かったとおもいます。 実は共産主義者こそ、世界では専制主義体制と見做される日本の、最大の敵であったのですから、その陛下のご信頼を裏切った、共産主義者近衛文麿は、正に、日本の敵であり、万死に値しましょう。

 彼が如何に愚かであったかと言うのは、ゾルゲや尾崎の裁判が終わり、死刑が執行されても、尚、彼は、スターリンに休戦講和の仲裁と、天皇護持を依頼しているが、是にスターリンは、8月7日のソ満国境を超えての侵略で答えました。

 結局、彼はその後、裁判に出廷の前夜、近衛上奏文をしたためた後、毒を煽る瞬間迄、スターリン、否、共産主義を信じて居た事に成りますね。

 安定した政治と言うものは、経験知を積み重ねて、判断して得られる結果で有って、「新しきものが、是までの旧弊を打ち破って、楽園を齎す」と言う事は、人類の歴史上起こった事が無い、事なのだ、と言う現実を、歴史から読み取れない男が、一国の総理大臣の職を3度も拝命しては、日本は亡びますよね。

 日本人は、昭和7年の5・15事件、そして昭和11年の2・26事件の裏に、陸軍に共産主義思想が蔓延して居た事を、もっと、深刻に考え、近衛など、共産主義者と思しき政治関係者は投獄して、政治から遠ざけるべきでしたね。 

 結果から言えば、第二次世界大戦は、共産主義者が、資本主義国を罠に賭けて、世界の覇権を握ろうとした企てであった事が、今になって、ヴェノナ文書やフーバー・レポートで明らかになっていますが、日本陸軍の赤化については。全く議論すらされて居ないのは、未だに、そういう勢力が日本の社会の中枢にいると言う事でしょう。

 安倍さんの「戦後体制を終わらせる」施策を完遂しようと言うなら、先ず、「何故に、未だに日本共産党が、公党として存在して居るのか?」と言う疑問を解消すべきです。 其れ無しには、日本は、元の様な国には戻れません。

「五箇条の御誓文」は、聖徳太子の「17条憲法」と並べて日本の国の根幹だと思っています。

>五箇条の後に、次の直後が添えられた。

この中に、「万民保全」との言葉があり、さらに

>この祈りをさらに具体的に示されたのが、「五箇条の御誓文」と同日に明らかにされた「国威発揚の御宸翰(ごしんかん、天皇の国民へのお手紙)」であった。
>そこには、「天下億兆、一人もその処を得ざる時は、みな朕が罪なれば(国民が一人でもその処を得られなければ、それは私の罪であるから)」とある。

大政奉還した江戸幕府から、天皇は「五箇条の御誓文」と「国威発揚の御身感宸翰」を明らかにされ、そこでは国民の幸いを御自身の責任にされています。

そして、それは大東亜戦争の終戦時にまで、引き継がれていたと思います。
こんな国民の統治者なんて、世界のどこにもいないと思います。
素晴らしいなどとの言葉では、表現できません。
この国に生まれたことを幸せに思わなければ、罰が当たります。

蒋介石氏は南京錠に逃げ込んだ後、部下をそのままにして財宝と共に重慶へ逃げ込みました。

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