無料ブログはココログ

« 人類に与えた被害は、共産主義は高々100年だが、キリスト教は2000年である | トップページ | 日本という国が間接侵略されている非常事態 »

2018年10月 6日 (土)

「君の名は。」の中で歌われる「何でもにないや」をわかるように編集してみた

井上陽水の(わたしのこころはなつもよう)でおわる「少年時代」の歌詞は全体としては全く意味不明だ。

しかし歌われている曲を聞けば、聴衆は、陽水の少年時代を生き生きと感じることができる。

「君の名は。」で三葉の声を演じていた上白石萌音(かみしらいしもね)が歌う、RADWIMPSの 「なんでもないや 」の歌詞も、全体としては・意味不明なのである。

ーー歌われる場面の説明

主人公の一人・瀧(たき)が、もう一人の主人公である三葉(みつは)に会いに行く。

しかし瀧に見覚えのある三葉の住む町は、3年前に落下した隕石に直撃され潰滅していたのだった。

その時、5百人を超える住人が亡くなっていたことを知る。

瀧は記憶の中から、三葉と入れ替わっていた時に訪れたことのある宮水神社の御神体のある場所へ行く。

御神体は確かに存在した。

三葉の祖母・一葉から、御神体を囲む水堀を超えれば・あの世だという話を思い出す。

ご神体に供えられていた三葉の作った口噛み酒を呑む。

口噛み酒は三葉の半身であり、瀧は3年前隕石が落ちる前のまだ生きている三葉と入れ替わることができた。

そして住人(三葉も)たちを隕石の落下による破壊から救う。

この曲「何でもないや」は、その時に歌われる。

ーー以下歌詞

二人の間 通り過ぎた風は どこから寂しさを運んできたの 泣いたりしたそのあとの空は やけに透き通っていたりしたんだ

いつもは尖ってた父の言葉が 今日は暖かく感じました

優しさも笑顔も夢の語り方も 知らなくて全部 君を真似たよ

もう少しだけでいい あと少しだけでいい もう少しだけでいいから もう少しだけでいい あと少しだけでいい もう少しだけ くっついていようか

僕らタイムフライヤー 時を駆け上がるクライマー 時のかくれんぼ はぐれっこはもういやなんだ 嬉しくて泣くのは 悲しくて笑うのは 君の心が 君を追い越したんだよ

星にまで願って 手にいれたオモチャも 部屋の隅っこに今 転がってる 叶えたい夢も 今日で100個できたよ たった一つといつか 交換こしよう

いつもは喋らないあの子に今日は 放課後「また明日」と声をかけた 慣れないこともたまにならいいね

特にあなたが 隣にいたら もう少しだけでいい あと少しだけでいい もう少しだけでいいから もう少しだけでいい あと少しだけでいい もう少しだけくっついていようよ

僕らタイムフライヤー 君を知っていたんだ 僕が 僕の名前を 覚えるよりずっと前に

君のいない 世界にも 何かの意味はきっとあって でも君のいない 世界など 夏休みのない 八月のよう 君のいない 世界など 笑うことない サンタのよう 君のいない 世界など

僕らタイムフライヤー 時を駆け上がるクライマー 時のかくれんぼ はぐれっこはもういやなんだ

なんでもないや やっぱりなんでもないや 今から行くよ 僕らタイムフライヤー 時を駆け上がるクライマー 時のかくれんぼ はぐれっこ はもういいよ

君は派手なクライヤー(泣き虫) その涙 止めてみたいな だけど 君は拒んだ 零れるままの涙を見てわかった 嬉しくて泣くのは 悲しくて 笑うのは 僕の心が 僕を追い越したんだよ

ーー歌詞ここまで

曲を聞くと、意味が分かる気がするが、やはり全体として何が言いたいのか意味がよくわからない。

視聴者も素晴らしいと絶賛する一方で、意味が分からないと疑問符をつける者がいる。

それで曲を聞かなくでも歌詞がわかるように編集してみた。

映画の中で「俺」と自称している瀧に歌わせる。

ーー以下抜粋編集

君に会うまで優しさも笑顔も夢の語り方も知らなかった

君のことはずっと前から知っていたのに

君にはもう会えないと気付かされた時

寂しさに襲われひとしきり泣いた

そのあと見上げると空がやけに透き通っていたりしたんだ

ーー

君のいない世界なんて考えられない

はなればなれはもういやなんだ

そして嬉しくて泣き悲しくて笑うなんて

星にまで願った叶えたい夢の中の最上のもの

君が隣にいてほしいと

ーー

少しだけでいい あと少しだけでいい

もう少しだけ くっついていようか

少しだけでいい あと少しだけでいい

もう少しだけくっついていようよ

ーー

君もはなればなれを拒(こば)んだ 

零(こぼ)れる君の涙を見てわかった

俺の右手首には君が身に着けていた組み紐があるよ 

心が体を追い越して時を駆ける俺たち

何でもないや やっぱりなんでもないや 今から行くよ

« 人類に与えた被害は、共産主義は高々100年だが、キリスト教は2000年である | トップページ | 日本という国が間接侵略されている非常事態 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難う御座います。
>>文章と詩の違い
 文章と詩の共通点は、どちらも「共感」を読み手に求めている点だと思いますが、文章は、読み手を意識して、「分る様に」努めて書いて居るのに対し、詩作は、恰も1枚の絵の様に、相手の自由なイマジネーションを抽き出して、解釈自由にしている部分が有るが、最後は読み手の共感を得られる、選び抜かれた言葉を掲げる、と言うのが、私の、詩作に関する認識です。

 ですが、この「なんでもないや」で締め括る詩が、言わんとして居るのは、今迄、云って来た事は全て妄想だった。 と言う全否定にも聞こえるし、そのイマジネーションこそが、現実の裏側に位置して居て、我々の魂の本体は、その表裏を行き来している存在なのだ、と言う、極めて、特殊な認識を読者に感じ取ってほしいのかなぁ、と思いました。 

 この詩を作った人の、特殊な認識は、多分、個人的な実体験で(夢の中で、かもしれないが)「君の名は」のストーリーの原点に成った体験「=記憶」なのかもしれませんね。すると、此の詩作者が、「君の名は」の原作と違う人だったとすれば、2人は、心の同じ構造の感覚的なものを通して、作品を通して感覚世界を共有していた可能性が高い。

 是は、謂わば、「自分だけの世界」と思って居たのに、共感者が現れて、自分の世界が皆に認知・共有されて行くと言う現象を作品が、惹き起こして居ると言えましょう。

 斯うした訴求力は、詩作に求められる根源的なモノでしょう。

 私の解釈が的外れなものである可能性は有りますが、この作品が、世界の人種国境を超えて多くの支持を集めているのは、テーマが人間の普遍的な「男女の愛」であり、然も、時空を超えている点、つまりは、謂わば霊魂の世界の人と人の間の、交わりを描いたものダカラ、皆が、「興味があるが、知り得ない事」だからなのだろう。

 この点で似通って居る他のモノを一つ挙げれば、其れは宗教と言う事に成るだろうが、宗教の世界も、現実には、「存在証明不可能」なもので、結局、信じるしか術が無いのだが、この作品は、同じ次元に踏み込んでいても、現実には唯のアニメでしか無く、なんら強制力を伴なって居ない点で、今迄に無い作品だと思いますね。

 そして人間は、生物としてこの世に在る限り、孤独なのだが。斯ういった作品を通して、見ず知らずの他人同士の心と心を、時空を超えて、触れ合わせるのが、表現で有り、芸術なのだろうと思います。 ダカラ、真の芸術は、純粋に感覚だけで、深い感動を齎し、其処に、解説や説明など本当は要らないのです。

 良く、表現者が人類が味わう痛みや苦しみの中で、一番苦しい「生み出す苦しみ」を味わって居る」(B.ラッセル「幸福論」)と、云いますが、「産み出してしまうと、その作品は独り歩きを始めるので、創作者は、謂わば、産みっ放しになるが、創作者は次の、作品の創作を迫られて居るので、苦しみが絶える事は無い、ダカラ、創作者こそが、此の世で一番不幸な職業である。」と、続けて居ます。

 私は、一介の技術者でしかなく、創作活動とは無縁の人生を送って来たので、その「産みの苦しみ」の詳細は、判りませんが、産み出すものが、自身の悩みや苦しみまでも、引っ包めた処から、出て来るモノなら、相当に苦しい事が予想できますね。

縦椅子様

今日も素晴らしいブログ有難うございます
RADWIMPSとは?前前前世とは?で検索してみると、そこには4人の若者が、草むらで、陽をあびてギターを手に歌い、踊り、美しい言葉と楽曲をて奏でている場面に遭遇…風のように自然にとけこみ、難解な歌詞をいともたやすく歌い上げるこのグループはYouTubeの検索回数がNo.2だとか・・・すごいグループだということがわかりました。
 それであべのの本やへいきましたら、新海監督みずから執筆の映画原作小説「君の名は。」を見つけ求めました。本のあとがきに書かれていたのですが、「僕はこの小説を自宅と映画の制作スタジオ、それぞれ半分ずつくらいの割合で書いていたのだけれど、映画本篇への安藤さんの献身的な仕事ぶりのおかげで、(略)小説を書く時間を作り出すことができた。それから、映画の音楽を担当してくれたRADWIMPSの楽曲たち、小説ではもちろんBGMはながれないけれど、RADWIMPSの歌詞の世界に、この小説も大きな影響を受けている。映画『君の名は。』においては音楽が担う役割は特に大きいのだけれど、それが映画・小説それぞれでどう演出されているか、確かめていただければ嬉しい(そのためには映画も観ていただく必要がありますね。ぜひみてください!)。」とのこと・・・するとけさ目覚めたら、≪「君の名は。」の中で歌われる「何でもにないや」をわかるように編集してみた≫と≪ーー歌われる場面の説明≫と≪それで曲を聞かなくでも歌詞がわかるように編集してみた≫とのこころうつ歌詞を載せてくださいましたので、歌詞がより深く身に沁みとおりました。いい曲ですね!映画も観てみることにします!!
本当にありがとうございます。感謝!!

縦椅子様

 「君の名は。」は結局はqazxsamaの曰く『魂』の問題を扱っていると思います。人は死んだら「たまとしい」になると・・・よく掲載されていましたことが、よみがえります。本を少し再現してみます。
 p184「・・・・・・私、あの時・・・・・・」
そして洪水みたいに流れ込んでくる、瀧くんの記憶。一つの町を滅ぼした彗星災害。本当は三年未来の東京に暮らしていた、瀧くん。その時、私はもういなかったこと。
星が降った夜、あの時、私は……
 「死んだの……?」
       ⋆      *      *
 人の記憶は、どこに宿るのだろう。(略)
 p185三葉の魂。それはきっと今、俺の体の中にいるはずだ。
俺のこころがここに、三葉の体のなかにあるのだから。でも……と、さっきから俺は思っている。
 俺たちは今も、一緒にいる。(略)
あの日の三葉の記憶を、そして俺は思い出す。   
      *  *   *
 p186その日、三葉は学校へ行かずに、電車に乗った。
 p187奥寺先輩と瀧くんのデートの場に行って、私はどうしたいんだろう。(略)会えっこない、と三葉は思う。(略)でも、もし会えたら……。
 p188駅のホームの屋根の隙間に、懐中電灯みたいな夕日が沈んでいく。(略)見るともなく、三葉は電車の窓を眺めている。
ふと、息を呑んだ。
弾かれるように、立あがった。
 p189今、目の前を通り過ぎた窓に、彼がいた。
三葉は走り出す、電車は停車し、その窓にすぐに追いつく。(略)ドアが開く。(略)ドアが閉まる。電車が動きだす。三葉は
すこしずつ進む。そして一人の少年の前で、立ち止まる。周囲の音が不意に消えていく。そんな気が、三葉はする。
 目の前には、三年前の、まだ中学生だった俺が立っている。
 p190「瀧くん」
 中学生の俺は、突然名を呼ばれたことに驚いて顔を上げる。
 p191「……覚えて、ない?」おずおずと、上目遣いになって、知らない女が俺にそう問う。
 「……誰? お前」(略)
    でも、もうこの場所にはいられない。ドアが開き、何人かの降車客について、三葉もあるきだす。遠ざかり始めた背中を見て、俺はふいに思う。
p192このおかしな女の子は、もしかしたら、俺が知るべき人なのかもしれない。そんな説明のつかない、でも強烈な衝動に突き動かされ、あのさあ!と俺は声を上げている。
 「あんたの名前は……」
 三葉は振り向く。でも、降車の人波に押されて離れていく。三葉は不意に、後ろ髪を結った組紐をほどく。そして俺に向かって差し出し、叫ぶ。
 「みつは!」
 俺は思わず手をのばす。(略)俺はその色を強く掴む。
 「名前は、三葉!」
      *     *     *
 三年前のあの日、お前は俺に、会いに来たんだ。
 俺はようやくそれを知る。
 p197  -カタワレ時だ。    (略)
 まさか。 (略)そこには、三葉がいた。(この場面はいざなぎと
 いざなみの神話を想起させます)
 p227……………… ……… ……でも。
 君の声は、耳に届く。
 「目が覚めてもお互いわすれないようにさ」
 あの時君はそう言って、
 「名前書いておこうぜ」
 私の手に書いたんだ。(略)文字がある。目を凝らす。 すきだ
これは時空を超えた不思議な霊的体験です。わたしは、おかげさまで、素晴らしい体験をさせていただいており、感謝の毎日でございます。本当にありがとうございます。

 


コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 人類に与えた被害は、共産主義は高々100年だが、キリスト教は2000年である | トップページ | 日本という国が間接侵略されている非常事態 »

2021年4月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30