無料ブログはココログ

« 支那は、我々が望んでいたように、自由を拡大する方向には進まなかった | トップページ | 支那はやがて「無限地獄」の奈落へと陥落する »

2018年10月13日 (土)

見上げると空には虹がかかっていた

新海誠監督の特筆すべき作品の中に、アニメ映画「君の名は。」ともう一つ、「言の葉の庭(ことのはのにわ)」がある。

2012年12月24日新海誠監督は「新作アニメーション『言の葉の庭』によせて、思うこと」として、およそ次のように書いている。

ーー

初めて「恋」の物語を作っている。

すくなくとも自分の過去作では描いてこなかった感情を、本作ではアニメーション映画の中に込めたいと思っている。

企画を立ち上げる時に思い出していたのは、例えば次のようなことだ。

ーー

この世界には文字よりも前にまず、当たり前のことだけれど、話し言葉があった。

万葉の時代、日本人は漢字を自分たちの言葉である大和言葉の発音に次々に当てはめていった。

たとえば「春」は「波流」などと書いたし、「菫(すみれ)」は「須美礼」と書いたりした。

現在の「春」や「菫」という文字に固定される前の、活き活きとした絵画性とも言えるような情景がその表記には宿っている。

ーー

そして、男女が互いに相手を思う「こひし」という感情については「孤悲(こひ)」と書いた。

漢字からは一人でいると悲しいという感情を表そうとしたことがわかる。

7世紀の万葉人たち、我々の祖先が、恋という現象に何を見ていたかがよく分かる。

ーー

ちなみに子育てをし日常生活を共にすることを無視した「恋愛」は近代になってから西洋から輸入された概念である。

ーー

かつて日本にあった、「孤悲(こひ)」。

本作「言の葉の庭」の舞台は現代だが、描くのはそのような「孤悲(こひ)」、愛に至る以前の、孤独に誰かを希求するしかない感情の物語だ。

誰かとの愛も絆も約束もなく、その遙か手前で立ちすくんでいる個人を描きたい。

現時点ではまだそれ以上のことはお伝えできないけれど、すくなくとも「孤悲」を抱えている(いた)人を力づけることが叶うような作品を目指している。

ーー抜粋引用ここまで

「言の葉の庭」の話を読者に共有してもらうために超短編仕立てにしてみた。

ただし物語の内容を少し変えて、雪野百香里(ゆきのゆかり、声・花澤香菜)先生の視点で組み立てた。

ーー以下「言の葉の庭」

私が何をしたのというのか。

男子生徒の一人が私に恋をしたのだという。

しかし、私には身に覚えのないことだった。

後で分かったのはその男子生徒に恋する女子生徒がいて私の悪口を広めたらしい。

ーー

高校で古文を教えていたのだが、噂は生徒のうちに広まり、生徒の親たちもそれを問題にした。

授業も好奇の目で見る生徒の中では成り立たなくなった。

同僚にも相談したが彼らにも生活があるので私個人のことで振り回すわけにはいかない。

学校も表ざたになるのを恐れて、私の何もないという主張を却下し、退職を迫った。

ーー

私は孤立し、その理不尽に心身ともに病んだ。

ビールとチョコレートしか味覚を感じなくなり、学校へ行こうとすると足がもつれるようになってしまったのだ。

ーー

ある雨の日、学校へ行こうとしたが、どうしても体と心が動かない。

それで登校(出勤)途中の新宿御苑前駅で下車し、新宿御苑で過ごすことにした。

丁度、屋根のある休憩所・東屋(あずまや)があった。

この自然豊かな環境は、孤立し、体と心を病んでいる自分を元に戻すのを、一人で歩けるようになるのを助けてくれるように思えた。

そこでビールをのみ、チョコレートを食べ本を読んで過ごすことにした。

ーー

こうした生活を続けていた時、私が勤務する学校章の付いたシャツを着た男の子が、同じ東屋にやってくるようになった。

その生徒は雨の日の午前中だけ、ここで何やらノートにひとしきり書いてそれから登校しているようだった。

私がビールを飲みチョコレートを食べるのを不思議そうに横目で見ている。

彼が落とした消しゴムが私の方に転がってきたので拾って渡してやると、礼を言い、私のたべものでは身体を悪くすると心配してくれた。

そのことがきっかけで、お互い言葉を交わすようになったが、私は、自分が古文の教師をしていることを示すために、彼に万葉集・人麻呂作の和歌を提示してみた。

ーー

雷神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留(とど)めむ

(雷が鳴り響き雨でも降ってくれないであろうか、 そうすれば、あなたをこの場に引き止めることができるのに)

私の悪いうわさはもう学校中で知られている。

彼が学校で友人か誰かに、この歌のことを尋ねれば、彼は私の素性を知るはず。

しかし、その男子生徒は、その後も、私が彼の通っている学校の教師であると気づいた様子はなかった。

ーー

何時(いつ)しか私は、その男子生徒との会話を楽しみにし、雨の日を待ち望むようになっていた。

教師であることも忘れることができた。

そうしているうちに味覚もすこしずつだが戻って来た。

ーー

久しぶりに弁当を作って東屋に行くと、彼も自分で作ったという弁当を持ってきていて、余分に作ったのでどうぞという。

まだ味覚が完全ではないので、作った料理がおいしいはずはない。

私が作ったおかずをつまんで、彼は、まあそれなりにうまいと言った。

ーー

27歳になっても私にとって男性は、どこまでも謎のままだ。

付き合った男性はいたが、相手の立場や考えを理解しえないまま、分からずじまいで別れた。

これはお互い分かり合うことがなかったと考えるべきだろう。

この男子生徒と話していると、私の精神が15歳のままで止まっているように思えた。

相手を思いやることも、現状を理解し対処する賢(かしこ)さも、この男子生徒以上だとは思えないのだ。

ーー

ある雨の日に、彼のノートを覗き込んだ。

彼は、見ないでほしいと言い、隠そうとしたが、見たところ女ものの靴をいくつも描いていた。

彼は、将来、靴職人になりたいのだといった。

母子家庭育ちで彼には働いている歳の離れた兄が一人いるらしい。

そして料理等の家事をこなし、靴作りの専門学校に行くため毎日のようにバイトをしてお金を貯めているのだと言った。

それで友達に和歌のことを聞く時間がなかったのだと思えた。

ーー

彼とこんな会話をするうちに彼が作ってくれた弁当の味がわかるようになった。

私も彼の役に立ちたいと思い「靴を手作りする」教本を買い入れた。

それを渡すと、その本のことを知っていて、欲しかったが洋書で高価なため買えなかったのだと言い感激しつつ礼を言った。

ーー

ある雨の日、私が一人ではまだ歩く自信がないと言っていたのを覚えていたのだろう。

彼は、私が歩きたくなるような靴を作ってあげると言って、足を測らせて欲しいと言った。

彼が私の足に触れ測りだすと晴れてきた。

彼は、足型をとり、カバンから道具を取り出して、丁寧に靴づくりに必要な部位の計測をした。

ーー

梅雨が明け、晴れの日が続き、彼に会えない日が続く。

そして長い夏休みが過ぎた。

私は、学校を辞め故郷である四国に帰る決心をし、その準備をしていた。

ーー

それはある晴れの日のことだった。

彼が久しぶりに東屋にやってきて、歌を返したのだ。

雷神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて 降らずとも 我は留らぬ 妹し留めば

(たとえ、雷が鳴り響いたり雨が降らずとも あなたが引き留めるなら私はここにいる)

そして彼は、私が自分の高校の古文の教師をしていて学校を辞めざるを得ない状況にあることを知ったと言った。

ーー

急に嵐のような風と共に雨が降り出し、二人はびしょぬれになった。

私は、彼を自分の部屋に誘い、着替えさせ、着ていたものを乾かしてあげた。

私が彼のシャツにアイロンを当てている間に、彼は昼食を作ってくれた。

二人で会話をしながら食事をしコーヒーを飲んでいるとき、私は、今までの人生の中で最も幸せだと感じた。

すると彼は、「僕は雪野さんのことが好きなんだと思う」といった。

ーー

私と彼はまさに教師と男子生徒との恋という許されない関係になろうとしている。

心臓が破裂するかと思ったが我に返った。

彼が私のことを教師だと認識した以上、教師としてふるまわなければならない。

「雪野さんではなく、雪野先生でしょう」と言ってしまった。

そして学校は退職したこと、二週間後には、四国の実家に帰るつもりをしているといった。

彼は悲しそうな顔をして、僕はこれで帰りますと言い、着替えをして、礼を言い帰っていった。

ーー

一人残された私の心に、楽しかった雨の日の二人の逢瀬(おうせ、二人が会っていたとき)が思い出された。

私は急いではだしのままなのも構わず追いかけた。

どうしても彼に会って言っておかなくてはならないと思ったのだ。

彼をここのまま帰すわけにはいかない。

ーー

彼は階段の踊り場で外を見ながら雨が小降りになるのを待っていた。

ーー

私の足音に気づいて彼は振り返り、私を見つけると彼は、僕は雪野さんが嫌いだと言った。

あなたはずっと前から僕が生徒であることを知っていた。

僕にばかりしゃべらせて、内心馬鹿にしていた。

だから僕の気持ちを受け入れられない。

あなたは、教師であることを言わなかった、自分の気持ちを相手に添わせることもなかった。

あなたはずっと一人で生きていくしかないんだ。

ーー

私は自分が教師であることを忘れた。

彼に飛びつき抱きしめて、教師であることを言えなかったのは会えなくなることを恐れたためであったこと、

そして彼の存在があったからこそ一人で歩けるようになったことを告げた。

彼は私を強く抱きしめると、私の言葉に納得したといい、もう小降りになったからと言って帰っていった。

雷神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて 降らずとも 我は留らぬ 妹し留めば

と返歌してきた彼に、私は、居てほしいとは言わなかった、言えなかったのだ。

見上げると空には虹がかかっていた。

« 支那は、我々が望んでいたように、自由を拡大する方向には進まなかった | トップページ | 支那はやがて「無限地獄」の奈落へと陥落する »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>共に悲しむと言う心
 私も、新海さんが言う様に、古代日本には、日本古語が存在して、色々な技術の伝承の有り様から見て、オソラクはカタカナの様な表音文字はあったと思います。 唯、漢字の方が、表意文字なので、同音異義語でも判別し易いと言う広がりを持って居るので、採り入れたのでしょう。 こういう柔軟さや異文明の消化力こそ、日本文明の特徴ですね。

 古事記の記述の中に、「こいしい」を、「孤悲しい」と書いて居る部分があるとの事を読んで、直ぐに、狩野芳崖が描いた、「悲母観音像」を思い出しました。 

 仏教に曰く、慈悲の心の、慈とは、「いつくしむ」とも読み、恰も父親が子供に注ぐような、時に厳しいが、子供の末迄を考える心」と言う説明で納得できるのですが、悲についての定義には、納得が行きませんでした。 其処で私なりに、悲とは、「孤独な心に生まれる、不在の寂しさや絶望による毒から、救いを求める心」と解釈していました。

 悲母観音と言うのは、正に泣いて居る赤ん坊の無力ゆえの不安や孤独から生まれる絶望感を、寄り添い、時には、共に悲しんでくれる母親の愛に拠って救われる様を言うのではないかと、結論付けて居たのです。

 つまり、慈悲の慈は、理性的な愛、悲は、不安を満たし安心を取り戻す愛、と言う事です。

 ご紹介のお話の中には、作者が実体験したと思しき面があり、あぁ、この人も不登校や、人間関係でスポイルされた経験が有るのだろうなぁ、と、経験者の私は確信しました。

 否、多くの人間は皆そういう経験をする可能性を秘めて居ますので、特定な人間だけそうなるとは、思って居ませんが、現実にはっきりした形で示される経験者は、10から100人に1人位だろうと思います。

 物語は、柿本人麻呂の相聞歌「=恋歌」を使った、やり取りに擬した展開で、如何にも古文の先生と生徒の高校生に在りそうな話ですが、現代の受験中心の高校教育で、こんなマイナーな話は、非現実的に思えますね、残念ながらw。

 然し乍ら、追い込まれて自殺寸前に見える女性教師の身になって考えてあげる人が周囲に誰も居ないと言う状況は、明らかに日本人から、仏教に言う処の「利他愛、利他心」が欠如して居ると思わざるを得ません。

 亦、この女性教師も、周囲が救ってやろうと言う心を惹起するダケの素質が無い「=自分自身に利他愛が欠如している」からなのではないかと、疑いますね。

 人は、自分の鏡と申します。 然りながら、人は他人の好意には鈍感でも、悪意には敏感です。 ダカラ、人間関係は直ぐにぎくしゃくし始めるのですが、此処で、自分が人を思いやる心を養い行動で示せば、相手の態度も自然に変わって行きます、何故なら皆、本当は和気あいあいとやりたいのが本音だからです。 すると、他人の立場や、思いを考えて行動出来無ければ、自然と相手も、こちらのの立場や思いを考えてくれなくなります。 自分の環境「≒境涯」は、自分で作って居ると言う事ですね。

 私は、悲の心とは、他人の悲しみを理解・共感して、「共に悲しむ」事で、相手に始めて伝わる、心ではないかと思います。

 其処に、お仕着せの様な義務感や嫌悪感を隠した心が有れば、そんなまやかしの心を示された人は、逆に悲しみを募らせる事に成りますし、生きる事を拒否する可能性だって出てきますが、世の中が、多くの他人の交わりで構成される様になって、斯うした、「共に悲しむ心」が無くなって終って居るのではないかと懸念します。

 それにしても「孤悲」が恋の原型だとは、深いですね。 西洋の lone の何と軽い事か、是がアガペーやエロスと言う様に、解釈の範囲を広くしても、孤悲「=孤り悲しむ」の深さには問うて及ばない。 つまり、恋とは古代から、一人で悶々として相手を思い、自分の中に育ってゆく思慕の思いを持て余して居る情景すら浮かんできます。

 日本の古語は、現代の日本語にも数多く残って居ますが、現代の西洋文化に併せた教育では、その様な事を教えてくれません。 然し、日本人的な発想を継承する為には、是非とも必要だし、西洋文明の底が見えて終った人類の文化の更なる発展の為には、3万年の歴史を掘り起こして行かねば、そのヒントも得られないでしょう。

 ですから、改革が終わった文科省には、古文では無く、古語のジャンルの教育を新たに始めて頂きたいですね、それも、中学から始めてほしいと思います

縦椅子様
今日も素晴らしいブログ有難うございます

 ナポレオン・ソロさまのコメントを拝読させていただき、≪私は、悲の心とは、他人の悲しみを理解・共感して、「共に悲しむ」事で、相手に始めて伝わる、心ではないかと思います。≫にその卓越したお人なりから体得されたお言葉のように思います。≪それにしても「孤悲」が恋の原型だとは、深いですね。・・・西洋の lone の何と軽い事か、・・・孤悲「=孤り悲しむ」の深さには問うて及ばない。≫-おそらく絶望し、自ら孤独へと追いやってしまっている人の心を唯一救えるのは、悲の心-つまり他人の悲しみを理解・共感して、「共に悲しむ」存在が居るということを、認識することだとおもいます。それは何も悶々とした恋心でなくともいい、「共感」していることをわかっていただける」ことかもしれません。今日私は、以前ボランティアをしていた教会堂で
友の歌うシャンソンを聴きに行きました。シャンソンの語りの部分はほとんど聞こえず、何故かとても独りぼっちでした。ひとりで
丸福へ行き、精華小学校の跡地をまわって、高島屋の地下の改装された本の売り場でご紹介戴いた「言の葉の庭」を求めました。万葉集の歌があちこちに・・・「ああ、わたしは何も知らなくて…嫌になる。がんばろう」と本をパラパラとめくりました。「読んでみますぞ!気合をこめて」

縦椅子さま
What time is it now?
 もう朝だ
 これは自動筆記かな・・・と
 頭にうかぶよしなしごとを
 そこはかとなく書きつけて
 記憶がおぼろげになっていくことに
 抵抗して 生きる
 生きていることが大切・・・
 それに勝るものはない・・・
 人生って
 記憶を共有することに
 あるのかな
 そして誰もいなくなった
 状態になるのかな・・・
    それが怖い
 隕石が3つ
 9月26日 愛知県の
 小牧市に 落ちたという
 「君の名。」のような話は
 最近 小規模に 本当にあったのだ・・・
 何も悩まない人生なんて
 糸の切れた風船みたい・・・
 青年老いやすく・・・「なんだっけ?忘れた・・・」
 「学成り難し」か
 本当にそうだ…

>ばら様 ソロです。
 私の冗長な拙文を辛抱よくお読みいただき、その上、共感のコメントありがとうございます。

 人と人の関係は、共感する事で始まるものだと思います。 共感すると言う事は、「心が相手に届く事」ですからね。 

 我々は、表現をする場合、自分が届けたい心が、先ずあって、其れを、表現方法を習得・練磨して、相手に共感してもらえた時、その相手が、一人であろうが、数十万人であるが、表現者には、同じ感動が有る、喜びが生まれるものであると思います。

 故に、表現者は、他の共感を得る為に、色んなことをやって居て、人生はその舞台であり、実験場で有るかもしれません。

 悲の状態とは、孤独なものです。 何故、悲しいのか自分でもw駆らなかったりする。 自分でも良く分らないのに、判ってやろうと、してくれるのは、表現は泣く事しか出来ない赤ん坊に取って、母親位しかいませんにょね。 ダカラ、悲母観音なのだと思います。

 コメント有難うございました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 支那は、我々が望んでいたように、自由を拡大する方向には進まなかった | トップページ | 支那はやがて「無限地獄」の奈落へと陥落する »

2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30