無料ブログはココログ

« 日本という国が間接侵略されている非常事態 | トップページ | 韓国は、朝鮮儒教的価値観(華夷秩序)、つまり日本を韓国より下にすることだけに拘泥してきた »

2018年10月 8日 (月)

(彼らは)国益や共同体益を無視して、ひたすら「平和」と「人権」という観念をひろめた

日本でリベラルと呼ばれている人たちは、今やネット上では完全に馬鹿にされる存在に成り下がっている。

リベラリズムと言うのは自由主義の意である。

リベラリスト(自由主義者)というのは、例えば政府が、自由を抑圧している場合は、それと戦う人たちということだ。

ーー

日本のリベラルを名乗る人たちは、反体制を掲げて、日本政府と戦うそぶりをみせている。

ところが、自由を言論弾圧という・見える形で抑圧している支那・朝鮮とは一向に戦おうとしない。

全く主張していることとやっていることが違っているのだ。

これでは、客観性、合理性、公平性という近代精神を欠き、ネット上で「あほ、バカ、最低」と言われても仕方あるまい。

ーー

しかも、日本の体制は民衆政治なので、体制というのは国民が選んだものだ。

それに対する反体制と言うのは、すなわち反日本人を意味する。

つまり日本のリベラルの行動は、日本の国益を顧みないどころか、むしろ日本を全体主義国である支那・朝鮮に売ろうとしているように見えてしまう。

ーー

こんな不可解な行動をする日本のリベラルと自称する人たちとは、一体何者なのか。

ーー

彼らは、ネット上では、占領軍の占領政策に協力し、敗戦利得者となった人たちで、在日・反日勢力と呼称されている。

彼らは、戦後日本の政財界、教育界、言論・メディア、法曹界を支配してきた人たちだ。

それでネット上では、敗戦利得を維持するために、護憲・東京裁判史観・侮日を日本人に強制してきたのだと言われている。

ーー

憲法は、敗戦の翌年1946年に占領軍によって一週間で作られたもので有り、「国軍不保持、交戦権放棄」の条文を持つ。

つまり日本国憲法は、自国を国民自身では守れないという主権国にとっては明らかな欠陥憲法である。

というのも占領軍が日本に復讐をさせないように作り、強制したものであるからだ。

ーー

東京裁判史観とは、戦争責任が、一方的に日本側にあるとするものだ。

いわゆる自虐史観のもとになっている。

しかし、ネット環境が整備されてから、米国が真珠湾攻撃以前に、支那に軍を展開していたことや、

ハル・ノートという最後通告をして日本を戦争に無理やり追い込んでいたことがわかっている。

ーー

侮日のもととなった情報は、従軍慰安婦も731部隊も南京大虐殺も日本の言論・メディアが捏造した謬説(びゅうせつ)であった。

ーー

つまり、リベラルを自称する在日・反日勢力が、言論・メディアを使って日本人に強制してきたものは、日本人に罪悪感を抱かせ、彼らの奴隷にするためのものだったのだ。

このような日本のリベラルを自称する人々について、小川栄太郎氏が「正論11月号」で解説している。

ーー以下「正論11月号pp157~162」より抜粋編集

「彼ら(リベラル)は大日本帝国が後進国であり、歴史の必然は共産主義へと向かっていると考えた」

「(しかし)冷戦時代、共産主義の幻想は幾重にも打ち砕かれている」

「独裁による粛清の恐怖もすでに知られていた」

ーー

「将来の全人類的な自由のために現在の独裁を許すという「自由主義」などあっていいはずはない」

ーー

「共産主義は、政治に絶対的に盲従することを精神に命じるものだ」

「共産主義は、人をして共産主義者になるか、それを拒むかを厳格に選択するよう要求している」

「日本のリベラルの「悪」は、彼らが共産主義者になることを拒みながら、そのシンパsympathizer(共鳴者)だったことにある」

ーー

「(かれらは)限りなく共産主義に憧れ、それに寄り添い、ひるがえって日本の歴史と日本人の後進性を糾弾し、その解体へと誘導した」

ーー

「ところが日本では、共和制を取るか立憲君主制を取るかという争点は一度も戦われたことがない」

「彼らは、ゴールを明らかにせずに、ひたすら日本的なるもの、戦前的なるもの、自民党的なるものを軽蔑し嘲笑するばかりだったのだ」

「ここには論争もなければ思想的な鍛錬もなかった」

ーー

在日・反日勢力は言論・メディアを支配することで、自分たちに都合の良い言語空間を作り上げていたのだった。

ーー

「(彼らは)国益や共同体益を無視して、ひたすら「平和」と「人権」という観念をひろめた」

「国や共同体をひたすら軽視し、勝手放題、やりたい放題を正当化すれば国家は崩壊する」

「(そして)自分の人生のみ一代限りの快適さを追求すれば、少子化に行き着いてしまう」

ーー

安倍首相が発した2大国難「安全保障」と「人口減」は、「平和」と「人権」という政治思想が招き寄せた結果なのである。

「そしてこの「平和」と「人権」といういわば宗教的信条を呼号してきた主役こそが「リベラル」であった」

ーー

「(しかし)リベラルという「思想」が悪なのではない」

「彼らの振り回すリベラルに曖昧さがあることこそが悪なのである」

(彼らは曖昧さでリベラルを自称することに伴う責任を拒否しているのだ)

「現在の言論人は、その曖昧さに徹底的に論戦を挑み、明確な思想戦に持ち込み、切磋琢磨するべきなのだ」

「それ以外に現在の国難を乗り切る方法はないと考えている」

« 日本という国が間接侵略されている非常事態 | トップページ | 韓国は、朝鮮儒教的価値観(華夷秩序)、つまり日本を韓国より下にすることだけに拘泥してきた »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>戦後日本に蔓延ったリベラルとは
 私が中学生の時(1967~69年)に、仲が良かった担任の英語教師に「リベラルって何ですか?」と訊くと、「辞書に『自由な』って、書いてあっただろうが、俺もその訳語は現実に有っていないと思う、敢えて言うなら『理想主義』かな」と答えてくれたので、爾来、役後も「理想主義」と覚え込んでしまった経験が有ります。 

 彼は、大学を卒業して、一旦その頃の「ハシリ」だった、サラ金系の会社に勤めたのですが、性に合わず、2~3か月で退社して、教員になったと言って居ましたから、別に、日教組にのめり込んで居たわけでも無かったのですがね。

 彼の周囲から類推すれば、リベラルと言うのは、「組合専従」の先生の事を言って居た様に思います、当時は左巻きが、「知的な」ものだと言う風潮が有ったのですね。

 でも、その「知的なモノとは何か?」を追究していないのは、彼らの「理想主義者を気取った行動」が、実は空っぽではないかと、疑われて居て、その疑問は、71年の2月の「あさま山荘事件」で、現実となって表れた。

 日本の「リベラリスト」の定義は、この事件を境に、ノンポリ「=ノンポリティクス政治無関心層」と、然程変わった処が有るわけでも無い、と言う見方に成り、「イチゴ白書をモゥ一度」と言う歌の中で、「就職が決まって 髪を切って来た時 モゥ若くないさと 君に言い訳したね~」と言う部分が有るが、日本人の「団塊の世代の反体制の多くは、一時の流行りだった」と言う事だろう。

 この時代に、足をつっこみ過ぎて、刑法犯、特に殺人まで 犯してしまった人達も多数いるし、自身の罪状の所為で、家庭を崩壊させた終った人も多かった。 然し、逆に其の流れを利用して、組織の上層部に駆け上がろうとした人達もいるが、結局の処、大きくその人生を誤っている。

 多くの日本人の伝統的な感性では「下々のモノが騒ぐ時は、下々のモノに正義が有る」だったから、60年安保~70年安保の10年間は、国民がリベラルを、理想主義者と見て居た時代だったと、私は思う。

 其処には、軽佻浮薄な所謂「カッコよさ」もあっただろうし、反対に「激しい競争を強制する社会に、義憤を持って居た」人もいただろう。 然し、共通して居たのは、「戦後荒れ果てた世の中を、少しでも良くしたい」と言う願いや期待が有ったと言う事で、日本人には、そう言った「復興へのベクトル」が有った様に思います。

 然し、70年になって、彼らに現れたのは「内輪もめ」で、大した理由も無いのに、集団でリンチを加えた後、気温―30℃の中に素っ裸で放り出されて、死に至らしめる、と言う酸鼻なもので、死んだ人間は、何の意味が有って、殺されるのかすら分らなかったであろう。

 日本共産党は、この事件とは、何の関わりも無いと言う声明を出したが、連合赤軍がその名の通り、共産主義者野集団であったから、共産主義者の具体的な危険性は、はっきり認識された故に、共産主義を広めようと言う運動自体が、大きく後退した。

 然し行き場を失った活動家の中には、国鉄や公企業体、そして。マスコミに職を求め、労組活動に参加して、左傾させ、次第に先鋭化して行ったものも沢山いて、ゲリラ化したのも、この頃だった。

 処が、日本の三大新聞の中に入って居て、公正中立な印象を持たれているが、その経営の実態から、コミンテルンの隠れ機関紙であった朝日や毎日と、是らに、全国規模のニュース配信を依存している地方の新聞社が、追随したから、ニュースソースを新聞に依存していたので、日本人の赤化に対する一種の許容性も全国化しました。 日本人は、新聞が「公平、中立、正確」な指標であると信じられていたからです。

 この時に、「市井の我々が、ニュースソースと出きるのは、新聞やTVだけなので、書いてある事の検証等、出来る訳が無い」と言う現実を認識するべきだった。 つまりは、「検証不可能なニュースを信じ込まされていた」に過ぎなかったのであり、是はインターネットの普及で、検証可能になるまで続きましたね。

 この状態が永く続いたので、何時しか、マスコミ側も自分達に「世論形成力が有る」と言う過信を持つ様になって、田原総一朗の様に、自分の予想と違う現実が出来しても、中々認めようとしない、認知症を疑う様な評論家が、生き残って終ったのだろう。

 この老害としか表現できない評論家は、他にも結構いて、大谷昭宏や青木理等、話を聴いて居たら、一体どこの国の人間なのかと、疑う様な話しかしないので、この手合がニュースショーに出て来ると、TVを消してしまう。 その番組の方向性が分るかです。

 安倍さんが3選を果たして、爾後3年内に、「放送法改正」が、法案通過~施行されるのは確定したが、我々は、この法案に拠り、大きな変革を強要される彼ら以上に、その後のこの国のマスコミの在り方について、考えて置かねばならないのでは、無いだろうか。

 世界は今、グローなリズム「=無政府主義、共産主義」と、ナショナリズムの最後の戦いが始まって居て、今の処、共産主義の政体を持つ大国のシナが、その内訌の結果、全体主義化して、「ルールを守らない」ので、世界の異物化して終い、米国の市場を締め出されて、経済破綻・通貨破綻~国家崩壊hの道が、見え始めているのは、グローバル勢力に取って、大きな痛手であろうが、モゥこの流れは止められない。

 其れに連れて、日本の国内に潜む、嘗ての反国家を気取っていた、リベラリスト達も、高齢化が目立ち始めて、メディアが集会を呼び懸けても、殆ど集まらなかった(4・14の大失態)。 つまり、「世論形成力」は、既に全く無い事賀証明された。 国民に支持されない偏向新聞等、唯の機関紙でしかない。

 つまり、朝日も毎日も東京も、聖教新聞やしんぶん赤旗並みになって居ると言う事だろう。 ダカラ、新しいメディアの中には、既存の紙新聞は入って居ないと考えるべきで、紙媒体の情報は、情報の保存と言う分野で必要なので、週刊か月刊かに、ジャンル分けで、発行されるが、購入するのは企業や学校、一部のメディア関係者だけしか見込めないと思う。 ネットに、情報は蓄積して居ますからね。

>リベラリズムと言うのは自由主義の意である。

「リベラル」という意味は、長い間、自由主義との意味だと思っていたのですが、一般的に使われるときは、そうではないように感じていました。
それで、自分では使うことを間違えてはいけないので、使わないようにしていたのですけれど、一般的には左翼の人が自称するときに使っていたようなので、自由に発言することを確保するために、左翼の人が自由に発言する立場を確保するとき「リベラリスト」と名乗ると言うことだと思います。
でも、右翼の人が自由に発言するときに、「リベラリスト」とは自称しないのも不思議だと言うことにならないのかと、疑問に思うのです。

左翼が「リベラリスト」と名乗るときには、元の共産主義者と呼ぶのは反感を買うことが多いから止めて、全体から見ると少数者として反政府の立場で「リベラリスト」と名乗る自分は、格好がよく見えるのでしょう。

もっとも、世界的には反政府を名乗ると政府から弾圧される中で戦う行動は、人の積極性が如実に表れて格好良く見えるのですが、日本の場合は、日本の国が大東亜戦争に負けて以降、日本の国自体がGHQによって発言を封じられ、サンフランシスコ平和条約の締結で独立を回復した後も、マスメディアはGHQによる言論体制を維持し、報道の権力を取材、記事の発表共に独占しましたから圧倒的に有利な状況にあったわけですし、反政府として戦うと言っても情報の全てに有利な立場ですから、有利な者が不利な者に挑戦するようなもので、気楽な報道権力でした。

順番が後先になりますが、この後にリベラリストになる挑戦者とは共産主義者であり、形としては最大の戦勝国である米国の資本主義国の少数の資本家に対して、碌な武器を持たずに戦う大多数労働者が挑戦し、労働者が勝利すれば多くの富を平等に分け与えられるとの図式があって、戦後の世界で植民地から独立した国々に革命を起こして共産国とすると共に、これをドミノ理論で次々に拡大すると言うものでした。

ついては、日本に対してもこれを適用し、若者が国のなす政治を変えていく、そしてこれで国の治安を不安定にして、これが成功すればテロによってさらに正常を揺るがし、最終的には政権を崩壊させて、共産主義国家となす。
マスコミはその初期から左翼が入り込み、実数よりもはるかに大きな力を示していたのです。

しかし、左翼の夢は道半ばで崩れました。ソ連は国が崩壊しましたが、中国は経済は資本主義、国は共産主義との分からない方法で、共産党が維持しています。
その他の、共産国は政権が崩壊して、世界に残っている共産国は、今はもう残り僅かです。

こんな時にも、日本の左翼は民主主義国家に与えられた表現の自由を謳歌して、好きなことを発言・発表しています。
日本の左翼は特亜3国と変わりなく、日本を毀損することが表現の自由の権利として、行動しているのです。

今の日本にあるのは日本を毀損しても、誣告しても表現の自由で済ます気楽な連中ですが、一つだけ確かなことは彼等が思う政権が確立すれば、表現の自由を取り上げられ、日本からは民主主義の国家が天皇と共に消え去ることです。
リベラリストや彼等が信奉する政治体制から日本を守るには、憲法の改正を初めとする、日本の国を天皇を中心とする民主主義国家にした国作りをしなければならないと思います。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 日本という国が間接侵略されている非常事態 | トップページ | 韓国は、朝鮮儒教的価値観(華夷秩序)、つまり日本を韓国より下にすることだけに拘泥してきた »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31