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2018年10月25日 (木)

僕が「Rain」を書いて歌ったときに見えた景色と、新海さんが作られている景色と場所は違うんですね

ーー大江千里氏の記者会見 より抜粋編集

記者ーー著書「ブルックリンでジャズを耕す~」の帯にコメントを寄せている新海誠監督は、ご自身の映画「言の葉の庭」で大江さんの楽曲「Rain」を使用しています。

今回の帯の文を書くにあたって、完成した本の1.2~3倍もある校正前のゲラをすべて読んだりと、大江さんの大ファンだそうですね。

ーー

大江ーー「Rain」を使いたいというお話をいただいたときに、もう新宿御苑(東京都新宿区)とかの映像を手持ちのビデオで撮っていらっしゃっていて、

それと絵コンテを足して、セリフも入っていて、「あんたはそうやって……ずっと一人で生きてくんだー!」っていうところで僕の音楽が入る。

もう画(え)が出来上がってるんです。

実は、僕が「Rain」を書いて歌ったときに見えた景色と、新海さんが作られている景色と場所(ロケーション)は違うんですね。

ーー

映画は新宿御苑でしょ?

僕は(場所としては)つつじヶ丘とか調布の方のロータリーを想像していて。

でも何となく(京王線で)新宿まで来られちゃうから、雨の音がつなぐ何かがあるというか。

新海さんが触発された「Rain」を書いた僕が、それを使って新海さんが作った作品にまた「触発返し」されるという感動がありました。

ーー

記者ーー新海監督が寄せた「思春期に世界の見方を与えてくれた大江千里は、今でも形を変え、世界の美しさを奏(かな)でる方法を僕に教えてくれる」というコメントを読んでどう感じましたか。

ーー

大江ーー僕は女の子のファンが多かった25、6歳のときに、「AVEC」(86年)というアルバムでちょっと真面目な(シリアスな)方向に行って、歌詞をグッと書き込んだ時期があったんです。

その時に想定していたのは、いわゆる男子の隠れファンというか。

僕の曲(メロディー)と構築された詞(ことば)の世界を聴いて、自分の作品作り(クリエーティビティー)につなげる人が出てくればいいなあ、なんて思いながら、

そういう人がファンになってくれるものを作りたい、と思って作っていたから……

でも「まさか本当にそんなことが」って。

ーー

音楽がつなぐ人の縁というか、時代を超えてバトンが渡されてきた生き生きした感じとか、色あせていないものを見せられたというか。

毎回毎回、もう思い残すことがないぐらい命を注いで作品を作ってきて、本当によかったなと思いましたね。

ーー引用終わり

この記者会見からすると、新海誠監督は、思春期(15歳)の頃に聞いた「Rain」の歌詞に触発されて「言の葉の庭」を作ったということになる。

(新海監督は1973年生まれ、大江千里氏は1960年生まれ)

「Rain」が発表されたのは、確かに監督が15歳の時の1988年、「言の葉の庭」が劇場公開されたのは2013年のことだ。

だから小生が、「Rain」の歌詞から「言の葉の庭」を読み解こうと何度も挑戦したが無駄だったのだ。

しかし、新海監督の頭の中では、「言の葉の庭」は「Rain」で終わるように作られていたのであろう。

是非ここをクリックして聞いてほしい、秦基博が歌っている「Rain」は、まるで「言の葉の庭」のために作られたように聞こえる。

ーー

それにしても「言の葉の庭」を離れて、以下の歌詞を読むと、日本経済が世界を席巻していたころに書かれたものであることがわかる。

で、色んな思い出と共に想像力が掻き立てられる。

しかし小生は、雪野先生は彼に「行かないで」とは言えなかったと考えている。

ーー大江千里「Rain」の歌詞

言葉にできず凍えたままで 人前ではやさしく生きていた しわよせで こんなふうに雑に 雨の夜にきみを抱きしめてた

道路わきのビラと壊れた常夜燈 街角ではそう だれもが急いでた きみじゃない 悪いのは自分の激しさを かくせないぼくのほうさ

Lady きみは雨にけむる すいた駅を少し走った

どしゃぶりでもかまわないと ずぶぬれでもかまわないと しぶきあげるきみが消えてく 路地裏では朝が早いから 今のうちにきみをつかまえ 行かないで 行かないで そう言うよ

別々に暮らす 泣きだしそうな空を にぎりしめる強さは今はもうない 変わらずいる心のすみだけで傷つくような きみならもういらない

Lady きみは雨にぬれて ぼくの眼を少し見ていた

どしゃぶりでもかまわないと ずぶぬれでもかまわないと 口笛ふくぼくがついてく ずいぶんきみを知りすぎたのに 初めて争った夜のように 行かないで 行かないで そう言うよ

肩が乾いたシャツ改札を出る頃 きみの町じゃもう雨は小降りになる 今日だけが明日に続いてる こんなふうに きみとは終われない

Lady きみは今もこうして 小さめの傘もささずに

どしゃぶりでもかまわないと ずぶぬれでもかまわないと しぶきあげるきみが消えてく 路地裏では朝が早いから 今のうちにきみをつかまえ 行かないで 行かないで そう言うよ

どしゃぶりでもかまわないと ずぶぬれでもかまわないと 口笛ふくぼくがついてく ずいぶんきみを知りすぎたのに 初めて争った夜のように 行かないで 行かないで そう言うよ

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>アニメーションの発達と東京の変化
 私は、基本的に東京と言う町が嫌いなので、東京の地名を言われても、全くイメージが湧きません。 でも、江戸時代の街の話は好きなのですがねww 杉浦日向子と言う40代で惜しくも亡くなった漫画家が居ましたが、彼女が愛した江戸のイメージと、現在の東京のイメージとが、全く共通点を持って居ないと感じる事が、嫌いな理由の一つになって居ると思いますね。

 唯、ご紹介いただいたアニメーションは、「独特のリアリティを持ったアニメ」だと、思いました。 映画作品と言うのは、基本的に自分のイメージを具現化して、視聴者の共感を呼び起こす表現方法だと思います。 ダカラ、同じ原作、或いは、同じ題材を扱った作品でも、作り手の感性で、幾らでも違ったものになって行く、そういう面白さもあるのではないかと思います。

 新海監督のリアリティへの拘りは、その情景の描き方で、主人公の表情の変化とか、行動とかは、態と遠景にしておいて、雨の降り方に、街の無機質さの描写に、何気なく過ぎゆく電車から見える景色一つに、所謂、「コマ割り」に、読み手側に立った視点での工夫が凝らされていますね。

 昔、ちばてつやや大友克洋の背景・風景の細部の描写に拘ったやや「偏執狂」的な物とは違う、その「さりげなさ」が、却ってリアリティを昂進していて、また違う表現だなぁと感じました。 それに、作品に使われた技術は素晴らしいものが有ると感心しました。

 こういう作品を看て居れば、「あぁ、もう漫画は、過去のモノになっているんだなぁ」と思いますし、アニメーションも私たちが知って居るものとは別物です。 其処には、新たなアニメーションの可能性を感じさせます。 その裡、ASEANやインド、そして、欧州からも、優れた世界的に支持を博する様な作品が、登場する予感も感じました。

 其れと余談ですが、私が東京について危惧して居る事を。

 既に、今もそうなり始め地ますが、この先も、ドンドン国際化が進んで、NYやロンドンと言った、国際都市になって行くのは、もぅ、既定の路線の様に思います。 なのに、マスコミは、未だに、「東京ローカル」に拘った、放送を流して居る。

 確かに、都内だけで1300万人、首都圏で考えれば、優に3千万人は居るだろうと思われるので、東京の情報は大事だと思いますが、何も、関西に迄、東京ローカルのニュースを流す必要はないと、東京へは、出来るだけ行かない様にして居る、私などはおもいますね。

 東京では、治安の悪化がドンドン昂進して、大久保が「朝鮮人の街」に成った様に、あちこちに「ゲットー」とも思しき、国内国が出現して、日本人が、普通に歩けない時代が来るのではないかと、惧れています。

 何故なら、そういう現象は直ぐに、地方都市にも波及するからで、過度の大都市圏への人口集中に拠って、神戸の様な、150万人程度の中規模の都市圏でも、既にシャッター街が広がり始めて居て、昼でも歩くのが怖い通りも有ります。

 是が地方部に行くと更に酷い話が転がって居て、宮崎市(30万人)等では、私立高校が、日本人の新入生が居ないので、学校の経営維持の為に、シナから留学生を募集して居るそうで、その比率は、日本人1割にシナ人9割と言うのですから、どちらが留学生なのか分らないと言う現象が起きて居るそうです。こんな事が続くと、日本の葉質的に急変して行く危険性が有りますね。

 これも、1票の格差が、3倍に成る位の大都市圏への人口集ね中が齎した、地方部の過疎化の現実です。 で、選挙の結果を看て看れば、あの蓮舫に130万票、107万票、山本太郎に66万票、舛添要一に225万票、小池百合子に290万票ですからね、完全に左翼化して居ます。 小池さんだけ、チョットニュアンスが違いますがね。 

 幾ら、戦後「サヨクじゃないと出世できない」と言う風潮が有ったとしても、東京人は、外見ややトレンドしか見て居ない「中身は空っぽか?」と、疑われても致し方が無いでしょう。

 その証拠に、選ばれた人士は、全て空っぽしか感じない人格の人物ばかりです。 でも、東京人の為に、弁解して置きますと、選ばれた人も選んだ人も、間違いなく地方から出て来た「田舎者」です。 つまり、東京は「田舎者に征服された街に成った」のです、そして、是からは、「外国人に占拠され、支配される街」になって行くのでしょうね。

 そういう意味で、米国の様に、首都を別の街に変更すべきだと思いますね、例えば京都に戻すとか、新たに、ブラジリアの様な年を創るとかですね。

縦椅子様
 今日も素晴らしいブログ有難うございます 
 「ココをクリック」を押すとスバラシイしたたりおちる雨のしずくの映像と…雨音をリアルに再現し音作りに脱帽です。さすが《新海監督が[Rain]に触発されて「言の葉の庭」を作られたというだけの素晴らしい音楽ですね。
小説「言の葉の庭」の中でー「たとえば「情緒」のようなもの。街の夜景の絵を描くとする。そこに、切なさを含んだ音楽をかぶせる。(略)それだけで、情緒としか呼びようのない感情を観客に抱かせることが、映像ならばできる」-とありますが、新海監督は「情緒」を映像化できる監督だと思います。それにくわえて、1300年続いた日本古来の万葉の言の葉のの「情緒」が深く作品に浸透しているように思えます。

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