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2018年9月28日 (金)

三葉が三年前に死んでいるからこそ、カタワレ時に二人は会うことができた

ネット上で、RADWIMPSが歌う「前前前世」 が世界中で再生視聴され続けている。

再生回数は1.9億回を超えた。

2016年9月に公開された「君の名は。」をご覧になっていない方は、大げさで不可解な表現と思われることだろう。

ご覧になった方は、以下の歌詞に思い当たるところがあって心打たれると思う。

ーー以下抜粋一部編集

「遅いよ」と怒る君
これでもやれるだけ飛ばしてきたんだよ

君の髪や瞳を見るだけで胸が痛いよ
同じ時を吸いこんで離したくないよ

遥か昔から知る その声に
はじめて出会って 何を言えばいい?

銀河何個分かの 果てに出逢えた
その手を壊さず どう握ったらいい?

前前前世から僕は 君を探しはじめたよ
その騒がしい声と涙をめがけ やってきたんだよ

君の前前前世から僕は 君を探しはじめたよ
そのぶきっちょな笑いかたをめがけて やってきたんだよ

君が全部なくなって チリヂリになくなっても
もう迷わない また1から探しはじめるさ
この歌を口ずさみながら

ーー以下「megamarsunブログ」より抜粋編集

これから、アニメ映画「君の名は。」が、深みのある背景を持つ歴史に残るべき傑作だと言う話をしたいと思います。

まず、この作品は、「科学の知見に基づく話SF」の枠組みをもった作品であるということです。

しかし、新海さんは、SFお宅であり、一般の人に娯楽作品としてSF作品を提供するには、かなり噛み砕いて出さないといけないという認識があった。

(と私は考えています)

ーー

SF作品は、一般の人には難解なので、たくさんの人に見てもらえない。

そのため科学的正しさについては控えめな作品となった。

つくり手が意図的に科学の難しい議論を控えた作品といえるでしょう。

ーー

そこに科学的に起こりえないなどと突っ込むのは野暮というものです。

ーー

この作品では、糸守(いともり)という架空の町を彗星(すいせい)の一部が直撃し破壊します。

その時の死者数が500人という数字だった事を疑問に思いませんでしたか?

小学校から高校まである町が一つ消えたならもっと死者の数が多くても良いはずです。

そもそも糸守は架空の町ですから、人数は自由に設定できたはずです。

この数字には理由があります。

ーー

3.11の震災がこの作品に影響を与えたことについて、監督は、「震災を意識してないことはない」と述べている。

むしろ、12歳〜13歳くらいの体験からの影響が強いと、NHKでの川上未映子さんとの対談で語っている。

(監督の愛読書のひとつが、コニー・ウィリスのSF作品「航路」であり、著者がタイタニック事件とヒンデンブルク号事件の同時代を生きたことが著作の動機になっています)

ーー

1973年生まれの新海監督が12〜13歳の頃といえば、1985年〜1986年です。

他にもあるかもしれませんが、次の3つが起こっているのです。

・1985年8月 日本航空機123便墜落事故(死者520名)
・1986年 ハレー彗星が76年ぶりの地球接近
・1986年1月 チャレンジャー号爆発事故  

ーー

映画をみた人は、二回目に観るときにこれらの事件を重ねて観て下さい。

ーー

なぜ、三葉(みつは)と瀧(たき)の二人は入れ替わったのか?

男女の入れ替わりについては、監督が記者会見で「入れ替わりは物語の導入のための仕掛けであって、入れ替わりである必要は無かった」と述べている。

そして三葉にはある能力が設定されている。

三葉には祖先から伝えられた巫女(みこ)の能力、時空を超えて他人の脳に干渉できる力がある、と。

その能力が、入れ替わりとして現れたという事になります。

ーー

なお、その能力が現れる条件が設定されていることが映画からわかります。

それは二人が実際に出会い、身につけていたもの等を相手に渡す事です。

二人が、始めて出会うのは、三葉が高2、瀧が中2の時です。

その時三葉は瀧に「身につけていた組紐(くみひも)」を手渡した。

このような物理的接触があったから、入れ替わりが生じたのです。

ーー

ちゃんとした理由があって入れ替わりが生じたという話になっているのです。

ーー

映画の中の時間の関係は以下のようになっています。

彗星落下の前日、高2の三葉が中2の瀧に会って組紐を手渡す。

(巫女能力によって、この出来事についての瀧の記憶は消える)

3年後、高2の三葉と高2の瀧が入れ替わる。

彗星落下3年後以後、三葉と瀧の入れ替わりが起こらなくなり、瀧が糸守に居るはずの三葉に会いに行く。

3年後カタワレ時に三葉(死んでいる)は、瀧と入れ替わり、彗星の一部が糸守町を破壊したのを見る。

そして3年前の彗星がまだ落下していない、三葉がまだ生きている時間へと移動する。

ーー

「まだ出会ったことの無い誰かを探している」という三葉の台詞(せりふ)は、「相手を知らないままに東京に行って瀧に出会った」ということです。

映画を見ている観客は、入れ替わりがあった後に三葉が、瀧に会いに東京に行ったと思った(思わされた)。

しかし二人が会った時、三葉は高2であり、瀧は中2だった(瀧の背が低いことで分かる)。

実際瀧は「お前誰?」と、三葉に言い、三葉のことを知らなかったことがわかる。

ーー

本来知らない瀧を認識できたのは、三葉の持つ巫女能力によるものなのでしょう。

ーー

瀧も三葉もおなじようにお互いを探していますが、実際には三葉の能力に感化された瀧という関係になっているわけです。

つまり巫女能力の設定によってタイム・パラドックス(過去の出来事を改変した結果、因果律に矛盾をきたすこと)は解消されるのです。

ーー

なぜ最後に父親を「隕石の直撃から町民を救うように」説得できたのか?

この部分はかなりぼかしてあるので、多くの人が疑問に思ったと思います。

映画から分かるのは、三葉の中身が別人(隕石が落下した後の時間で生活している瀧)であることを、祖母と父親が見破ったという描写があるところです。

巫女能力による「入れ替わりであること」を二人は知っていたのです。

ーー

とくに父親は、妻(三葉の母親)の死が、彗星と関係していることを悟り、三葉が瀧から三葉に戻っていたため、三葉の話を信じたと考えられます。

(隕石が落下した後の時間へ移動した三葉は、彗星の一部が糸守町を破壊した事実を見ている)

そして、町の住人を救おうとして奔走し、ようやく町長(父親)のもとにたどり着く。

映画ではそんな三葉の真剣な表情が映し出されます。

ーー

しかも何の代償もなく糸守町が救われたわけではなかった。

映画からは、瀧が三葉の時間へと移動した時に瀧が見る「三葉の母親の死の光景」から、推測出来ます。

そのとき父親が「(三葉の母を)救えなかった」と言う、この台詞によって、観客は、代償が払われたと思わせられる。

ーー

糸守湖が隕石湖であることをテッシー(坊主頭の兄ちゃん)が指摘する場面があります。

しかしまあ、同じ場所に彗星が分裂してその一部が隕石となって落ちるなんて、不思議な話です。

テッシーが、並行世界を記述しているムーを愛読しているのは、そんな不思議な話を信じてしまう協力者として描写するためでしょう。

ーー

ここは現実味がなさすぎ、不思議な話(オカルト)すぎる!

この作品は純粋なSFではありませんので、ここを現実味の欠如として指摘するのは野暮ってものです。

それでも、どうしても気になる人に解説しておくと、一応この彗星の正体を示唆する設定があります。

ーー

外伝小説の題が、『君の名は。Another Side:Earthbound』、Earthboundとは、【〈宇宙船など〉地球に向かっている】という意味だそうです。

彗星が、宇宙船であるという裏設定は、もっと大きな時間軸から由来すると思われます。

ーー

この作品が「都市と星」という1956年にアーサー・C・クラークというSF界の巨匠によって書かれた小説の枠組みをもっていると考えられるからです。

ーー

「都市と星」は、10億年後の世界を描いた話です。

かつて銀河を支配した人類はすでに衰退して、宇宙を捨て地球の一つの都市に引きこもって暮らしています。

人類は不死を実現しており、作者は不死を実現した人類には、男女の愛は不要だと言う。

そして作者は愛情というのは、哺乳類がもつ特別な感情と定義します。

ーー

不死の人類は、子供を生むことがありません(作中ではへそがないと表現されています)。

不死を実現した人類は、データとして肉体を保存し、データから肉体を再現させます。

セックスだけは形骸的にのこっていますが、それには子供を生み二人で育てるという意味は有りません。

ーー

主人公であるアルヴィン少年(見た目は青年)は、とても好奇心の強い人間です。

アルヴィンは、「不死を実現した人類には、男女の愛は不要だ」と言う事実を、まだ子供を生む能力を有し、死を受け入れている外の世界に住む人々と出会うことで知る。

そして彼は健気で可愛くて聡明で彼を愛している幼馴染の美少女アリストラに対する興味を失ってしまうのです。

ーー

そんな小説を書いたアーサー・C・クラークについて新海さんは日記に書いている。

ーー(2008年3月20日の日記より引用)

それから。アーサー・C・クラークが亡くなったのですね。

いつかはそういう日が来るというのは分かるのですが、でもとても残念です。

僕は中学生の時にテレビの深夜放送でたまたま『2001年』を観て、そこで描かれていることの意味をどうしても理解したくて、クラークの小説版を何度も読み返しました。

『太陽系最後の日』や『幼年期の終わり』や『都市と星』や『宇宙のランデヴー』、そういった作品群を初めて読んだときの興奮は今でも覚えています。

僕の「ほしのこえ」という作品の英語タイトルである「The voices of a distant star」は、クラークの『遙かなる地球の歌 The Songs of Distant Earth』からいただきました。

そういえば「秒速5センチメートル」のロケハンで種子島に滞在していたときに、僕は毎晩寝る前に『都市と星』を読み直していました。

砂漠に哀しくも雄々しくそびえるダイアスパーの塔。

その姿は今でも強い憧憬の対象です。

ーー引用終わり

注目すべき点は、「秒速5センチメートル」を作ってる時に、何度も「都市と星」を読み直したという部分でしょう。

これって、「秒速5センチメートル」で主人公が自分を愛してくれる女性に興味を失ってしまうという話にそっくりじゃないですか?

ーー

それでは、具体的にアリストラが最後どうなったか、小説の引用で観てみましょう。

ーー新訳版「都市と星」本文より引用

アリストラは、去っていくアルヴィンの背中を見送った。

さびしくはあったものの、もう胸がつぶれそうなほどの悲しみに苦しむことはなくなるような気がした。

いまならわかる。

自分はアルヴィンを失うわけではない。

なぜなら、いまだかつて、いちどたりとも自分のものだったためしがないからだ。

その事実を受け入れるとともに、けっして報われない愛を失うことへの悲しみから、アリストラは脱けだせそうな気がした。

ーー引用終わり

まわりくどい描き方になってますが、物語を三分の一ほど残して、女性主人公アリストラが消えてしまう。

ーー

「秒速5センチメートル」では、「なんで恋愛ものであんなに非道(ひど)い終わりをつくるんだ!」と怒った人も多かったと思います。

しかしそれぞれの愛が成就しないが故に観客の脳内にもやもやといつまでも残る。

監督は、成就しないがゆえの強烈な「恋愛(ロマンチック・ラブ)」に憧れがあるんだと思います...

ーー

「都市と星」の影響だとして、まず、最初にわたしが気がついたのはつぎの台詞(せりふ)です。

「東京だっていつ消えてしまうかわからないと思うんです」

映画の終わりの方で、瀧が就職活動の面接でこう言う。

ーー

「都市と星」では、人類は歴史上はじめて、永遠に滅びない都市の建造に成功します。

しかし、それは、もともと都市というものは、いつか消えてしまうものだという前提があって出てきたSF的な夢なのです。

逆に考えれば、どんな都市もいつかは消えるというのが、「都市と星」の主張なのです。

ーー

そのうえ、「都市と星」と「君の名は。」に構造的な類似点を見出す事ができます。

まず、東京と、糸守ですが、これは、「都市と星」におけるダイアスパーとリスです。

ダイアスパーは不死の人が住む都市で、リスは昔ながらの暮らしをする人が住む田舎です。

ーー

リスは田舎ですが、この10億年でダイアスパーの人とは違った進化をしており、テレパシーで人をあやつる能力をもっています。

ーー

そうです、糸守の巫女能力は、リスの人がもっているテレパシーの能力が元ネタになっています。

さらに、御神体のある場所ですが、これも「都市と星」に似た場所がでてきます。

糸守の御神体がある場所ですが、都市と星では、リスの近くにあるシャルミレインという聖地のような場所に相当します。

シャルミレインも糸守の御神体も同じように、外輪山に囲まれた場所なのです。

ーー

このシャルミレインは、「都市と星」では、かつて人類が宇宙の外敵と最後の戦いをした伝説の場所という設定になっています。

しかしその真実は、地球に落下してきた月を破壊するための兵器があった場所という事が後になってわかります。

そうです!糸守に落ちる隕石の元ネタは、「都市と星」における月の落下だったのですね。

ーー

物語としては、「都市と星」と「君の名は。」は全く違っています。

が、舞台やSF的な設定に「都市と星」にかなりの憧憬(オマージュ)をこめてそれから採用した点が見受けられるのです。

ーー

瀧が三年前に死んだ三葉を追って、口噛み酒を飲んで時間移動する場面があります。

これは、先にも説明したとおり、三葉の巫女能力によるものです。

なぜ瀧は三葉の口噛み酒を飲めば時間移動が可能だと考えることができたのか。

というも三葉の口噛み酒を奉納したのが、瀧(の三葉)であり、その時、結びの概念について、一葉から説明を受けていたからです。

とまあ、このあたりは流石(さすが)に普通に観ていても分かると思います。

ーー

そして二人は黄昏(たそがれ)時になって始めて出会い、お互いを確認することができた。

そのカタワレ時(糸守町の方言)は、あの世とこの世がつながる時間、「人ではないものに出会うかもしれない時間とされています」と。

冒頭で、「言(こと)の葉の庭」に出ていた雪野(ゆきの)先生によって説明されています。

また、御神体のある場所が「あの世」にあり、瀧が水堀になっている・この世との境を越え「あの世」に足を踏み入れたことも示唆されています。

瀧は「あの世」に居た三葉と入れ替わったのです。

ーー

三葉が三年前に死んでいるからこそ、カタワレ時に二人は会うことができた。

ーー

この作品の時間移動は、巫女能力によるものであり、SF的な時間移動ではありません。

ですので、このあたりをSF的に突っ込むのは野暮というものです。

人の心というのは、物質ではありませんので、時空を超える可能性は、SF的にもなかなかおもしろい視点だと思います。

ーー

とはいえ、ふたりはカタワレ時に、組紐を返したり(これで入れ替わりができなくなる)、マジックペンでお互いの手に文字を書くという物理的接触までしています。

そして忘れないように名前を書いておこうと言って、瀧は三葉の掌(てのひら)に「すきだ」と書く。

三葉が瀧の名前が思い出せなくなっていくので、掌を見ると「すきだ」と記されていた。

それを見て三葉は、町の人たちを救うため・生きるため(瀧に会うため)の勇気を与えられる。

このあたりはやはり、監督の観客の心をぐっと掴む腕の冴えと言うべきところでしょう。

ーー

なぜ、二人は名前を忘れてしまうのか?

「夢は夢、目覚めればいつか消えてしまう」という三葉の祖母である一葉の台詞(せりふ)があります。

じっさい夢の出来事は目が覚めると記憶から薄るれるものですが、もちろん、夢だって覚えてる事はあります。

しかし、この作品の夢というのは、単なる夢ではなく、未来の危険(隕石の落下)を人に知らせるための巫女能力だと考えられます。

ーー

そのため、もともと、宮水家の巫女には、関わった人から記憶を消すような能力があったと推測されます。

二人だけでなく、一緒に旅をした、友人の司(つかさ)や奥寺先輩の記憶も消されていた。

巫女には、その能力を隠すため(悪用されないため?)に、自らの記憶も含めて宮水に関連するすべての記憶を消す能力があったのでしょう。

ーー

終わりの方で何度もすれ違い、なかなか出会わない二人に、ドキドキしたりヤキモキした人も多いかと思います。

が、この作品の最大の奇跡は、同じ場所、同じ時間に二人が出会うことです。

そして巫女能力でお互い忘れたはずの相手を思い出したかもしれない・・・

新海作品に見られる恋人たちが結ばれないという、いつもの重い話は、三葉の母親の世代が背負ってくれたのです。

ーー

「君の名は。」には、誰にでも楽しめる分かりやすい表面上の筋書き(プロット)とは別に、緻密に計算された設定や、SF的にも新しい工夫が凝らされている。

だからこそ、これだけ多くの人に支持されていると私は思っているのです。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難う御座います。
>>「君の名は」のSF的な時空の描き方に思う事
 私は、青春時代を世間と隔絶した少年刑務所の様な、全寮制の学校で過ごした所為か、将又、生来の性格の所為か、恋愛は、大の苦手な領域なので、抑々、此のアニメーションが、何故こんなに世界中から共感を得て居るのか判りませんでしたが、興味も湧きませんでした。

 従い、私が下記に書いて居る事は、可成り、的が外れて居るかもしれませんが、何卒、ご寛恕願います。

 縦椅子様のダイジェストを読んでゆく裡に、SFで齧った知見の中に、量子論で「質量が無い、或いは、ゼロに近いモノは、光速(或いはそれ以上)で、移動する事が可能」と言う事を思い出しました。

 勿論、私論ですが、「宇宙は、我々が普段見て居る世界とは、その距離が途轍も無く広いが故に、或いは、地球上の重力支配の世界とは、適用されるべき物理法則からして異なると言う意味で、異次元世界である」と思って居ます。

 亦、4次元と考える場合に、3次元の「縦、横、高さ」の軸に追加されるべき新たな軸は、「時間だ」と言う考えに同意しているわけです。

 余談ですが、この知見は、昔日に読んだ石森章太郎の漫画「不思議な少年 時間よとまれ」で得たモノですがねww この作品の延長上に在る、「ミュータント・サブ」や「幻魔大戦」、更には。「サイボーグ009」は、私も少年時代に夢中で読んだ作品なので、SFと言う世界には余り抵抗が有りませんね。

 もし、我々が死んで霊魂と言う、科学では未知のエネルギー体に戻った時に、時空を自由に選別して動ける、とすれば、斯う言う、恋愛物語が有っても良いと思うのですが、恋愛音痴の私には、何故こんなに人種国境を超えて共感を得るのかが、モゥ一つ判りません。

 例えば、死生観で考えると、古代アーリア人に起源を持つと言われる輪廻転生が、起こるのを前提として居るヒンドゥー教徒が十数億人近くも居るインドなら、逆にこういう物語は、寧ろ「当たり前」のように受け取られて、新鮮味に欠けると感じられるかもしれません。 

 シナ人や朝鮮人の社会の様に、現世中心にならざるを得ない、生存権発動社会では、端から、夢物語でしかありませんが、厳しい現実が故に、彼らはファンタジーを求めて居るし、「新鮮さ」と言う意味では、興味を集めたかもしれません。

 欧米や南米のキリスト教社会、それに中東~中央~南アジア~東南アジア、アフリカに広がるムスリム社会の死生観は、死後の世界を固定している一神教の世界ですから、逆に、霊魂が時空を超えて、自由に動き回ると言う発想は、「千の風になって」と言う歌が流行った様に、青人文明を受け継いだ白人の心の中に、潜在して居る願望の具現化なのかもしれませんし、一つの他の霊魂に拘った場合、同じ場所、同じ時間で無ければ、遭う事が出来ないと言う点で、物語としての面白さを感じ取ったかもしれませんね。

 特に、白人文明は、キリスト教と言う宗教そのものが、実は青人のモノでしか無く、自分達が持って居た宗教は、自然崇拝をベースにしたモノで、森林や山岳、海洋に亘る迄、神が存在する、寧ろ、日本の神道のモノに近かったのではないかと、私は思って居ます。

 ヘブライの民族宗教に過ぎない、キリスト教の呪縛に拠って、漂流している白人文明の「科学」が辿り着こうとしているのは、解き明かされた自然の姿、つまり、神の正体であり、自らの魂霊もその一部であると言う事を知れば、生死に拘って、永遠の生命を得ようとする事が、如何に、低次元で愚かな事かを悟るでしょうね。

 然し、人間と言うのは、生きて居る限り、生に拘るものであって、幾ら知見を蓄えて、悟りを開いた様に見える宗教者の中にも、「死にたくない」と、取り乱す人も大勢いるとか聞きます。 彼らに取って、宗教とは何だったんでしょうね。

 然し、もし、この作品に描かれている様な世界が、本当に死後の世界であれば、「生の苦しみを、死の恐怖を以て我慢している人達」が、その恐怖を乗り越えた人「=自殺者」が、日本だけでも、嘗て、3万5千人を超えて居ましたから、潜在的には、その100倍居るかもしれません、例えば、韓国などは人工は日本の半分以下なのに、自殺者は日本より多いのですからね。 正に、釈尊に曰く「生は苦である」のですね。

 日本では自殺願望者が、約2.7%も居るのですから、是を世界規模と比定すれば、凡そ、2億人以上が、自殺願望を持って居て、死の瀬戸際にあるという事ですね。

 もし、死が快楽や新たな世界への区切りに過ぎないのなら、是だけの人が、今直ぐにでも、死ぬでしょうね。 死が苦しく怖いのは、簡単には死ねない様、神様が、ハードルを上げたモノだと、昨年死にかかった私は思って居ますwww

縦椅子様
 今日も素晴らしいブログ有難うございます
24日の中秋の名月があべのハルカスにかかる新聞の切り抜きを大事にし、昨夜の月もカメラに収めました。月暦カレンダーの通りに日々がきっちりと過ぎていく、恐ろしく正確に・・・と認識しています。じぶんは塵のような存在ですが、不可思議なことが身の回りに起きていて、何かしら守られていて生かされているような不思議な感覚にとらわれることがあります。
≪この作品「君の名は」の最大の奇跡は、同じ場所、同じ時間に二人が出会うことです。≫-ともに霊力をもち、望んでいるから,可能なのでしょう。また最近、探査機「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」に向けて投下した小型ロボットが着地し、移動に成功したと宇宙研究開発機構(JAXA)が22日、発表した。重力が微小な天体での機体移動は史上初めて。-これも、奇跡ですね!感謝!!

地球が生まれてから46億年になるそうです。
宇宙が出来てからなら135億年だそうで、地球が出来たのは結構遅かったのかと思ったら、宇宙の寿命は1400億年もあるそうです。
地球人である人間が種族として生きるのは後どれだけあるのか想像も出来ませんが、ウッカリと人間を滅ぼす戦争をしなければ、あと何百万年は元気だろうし、その後も生きていくでしょう。


アーサー・C・クラーク氏に会った(見た)事を思い出し、まだサインは残っているのだろうかが、気になるところです。

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