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2018年9月27日 (木)

共産主義や地球主義というのは、一部の人たちが、自分たちだけの利益のためにその他大勢を犠牲にする考え方であった

ーー以下「takaakiブログ」より抜粋編集

「神の実体」を昔の人はどうやって感じていたのだろう?

本居宣長は古事記伝に次のように記している。

「凡(すべ)て迦微(かみ)とは古御典(いにしえのみふみ)等(ども)に見えたる天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて」

「其を祀(まつ)れる社(やしろ)に坐(ま)す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云(い)はず、鳥獣(とりけもの)木草のたぐひ海山など、其与(そのほか)何にまれ」

「尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微とは云(いふ)なり」

「すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば神と云なり」

迦(か)… 美しい声
微(み)… かすか 非常に細かい

漢字にあてられた意味から探ると、とても興味深い結果がでた。

なんというか…「体感」なんだな、と。

実体がないのに、日本人はこうやって的確に表現していることに驚く。

ーー抜粋ここまで

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

田中英道『日本人を肯定する 近代保守の死』(勉誠出版)

日本土着の信心である神道は教典もなければ布教もしない。

これはユダヤ教とはまったく異なるものだ。

「初詣にいくこと自体が神道です」

「時間というものも自然の一部だからです」

と田中氏は言う。

ーー

新年に日本人は、初詣をして空気が変わるのを体感する。

日本人には季節感の節目を感じる感覚があるのだ。

ところが西洋では新年に花火をうちあげるが、日本人が感じているような季節の感覚はない。

ーー

「神社仏閣へ行くと、とてもすがすがしい気持になる」

「周囲の色彩が、洗われたような、透明感のある新しい雰囲気を持つというのは日本人には親しみのある感覚です」

本居宣長は『古事記伝』のなかで、その不思議を「迦微」(かみ)と比喩(ひゆ)した。

「明治以降、神道の『神』を西洋一神教の『神』と同じように使うようになったのが誤解の始まりです」

ーー

戦後はGHQが神道指令を出して神社を破壊し競馬場にしようと企てるなどアメリカの荒々しい仕業は、日本の神々をおこらせた。

誤解は最初の接触「ファースト・コンタクト」の時から幾重にも起きていた。

ーー

日本人が西洋人に最初に接触したのは1453年に種子島に漂着したポルトガル人だった。

そしてその後、十五世紀に日本にやってきた切支丹伴天連の宣教師らは絶対神を「大臼(デウス)」と書いた。

日本人は、それを大日如来の変形で仏教の新派と誤解したのだった。

ーー

信長も新興宗教の一種くらいにしか当初に認識はなかった。

キリスト教が布教を目的に多くの国々を侵略し、民を奴隷として売り飛ばし、其の国を一神教で支配しようと企図していることに気がつくのは秀吉の時代である。

ーー

さて本書の主題とすこし離れるが、じつは田中氏は、重要な事実を指摘している。

それはコロンブスがユダヤ人であったことを評者(宮崎)は知っていたが、ルイ・ソテロという日本にやってきた宣教師が改宗ユダヤ人だったことだ。

そのことを田中氏は調べ上げた。

ーー

ソテロは伊達政宗をおだてて支倉常長(はせくらつねなが)を日本国王代理として、スペインに送り出す仕掛け人(フィクサー)だった。

1613年、伊達政宗は遣欧使節を仙台の港から送り出し、支倉一行はスペイン国王、ローマ法王に拝謁している。

伊達政宗を「日本国王」と名乗らせたのはソテロの捏造である。

ーー

ソテロはイエズス会ではなくフランチェスコ派の宣教師で、当時スペインの植民地となっていたフィリピンから提督代理としてやって来た。

フィリピンはポルトガルではなくスペイン系のドミニコ教会派とフランシェスコ派がおさえ、ときにイエズス会と勢力争いを演じていた。

ソテロはすぐに日本語を覚え、江戸で伊達政宗の知遇を得た。

「(ソテロは)ひそかに彼を使って幕府転覆を計画したのです」

「むろんフィリピンからスペイン軍を引きいれることを考えた」

ーー

従来、伊達政宗がスペイン軍と組んで徳川幕府を転覆する計画があったとされたが、実際は逆だった。

日本が改宗ユダヤ人に操(あやつ)られるところだったのだ。

ーー

支倉使節団は伊達政宗が造った500トンのガレオン船でフィリピン、メキシコへ行き、船を乗り換えキューバ経由でスペインへ入った。

ソテロは伊達政宗を「日本国王」と偽った手紙をでっち上げ、金銀造船技術などの通商のみならず、宣教師の派遣要請を勝手に伊達政宗の手紙に書き加えた。

だが、ソテロの個人的な野望は、イエズス会の協力を得ることは出来なかった。

いやそればかりか、スペインはオランダとの戦争を始めており、伊達使節などにかまけている余裕はなかったのだ。

ーー

本書で田中氏は、日本の保守派が守ろうとしたものが何かを追求する。

そしてそれが、共産主義(キリスト教・ユダヤ教)や地球主義(グローバリズム)の対局にあるものであることを示す。

つまり共産主義や地球主義というのは、一部の人たちが、自分たちだけの利益のためにその他大勢を犠牲にする考え方であった。

日本の保守が守ろうとしたものは、「その真逆のものである日本の思想」ということになる。

田中氏は、一部の人たちが、自分たちだけの利益のためにその他大勢を犠牲にする考え方こそが、ユダヤ人の考え方であるとして、その思想の根源にせまる。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難う御座います。
>>日本人が護って来た心とは
 読んでゆくと、田中英道氏の文明への造詣の深さから来る、文明比較の視点が鋭く深いモノで有る事を感じましたね。

 ソテロと言う改宗ユダヤのフランチェスコ派の宣教師が、遅れて産まれた英雄、伊達政宗を唆して、生まれて間もない徳川幕府を倒し、双方が弱った処へ、フィリピン在駐のスペイン軍を雪崩れ込ませる陰謀を持って居た、と言う話を知ると、西洋文明の本質は、利己主義、然も、排他主義、自民族至上主義で有る事が読み取れます。

 そして、彼らが掲げる神は、彼らの為だけ、彼らに利益を齎す神で無くてはならず、明らかに、神も道具や手段化しているワケで、無神論者よりも質が悪いと思いますね。

 彼らの他民族との共存は、平等と言う立場はあり得ず、常に自分達優先で、他民族、異民族は、自分達に付従うモノだけを容認するが、決して、自分よりも上に位置する事は認めない、と言うものだろう。 是では、自然を創造された神を下僕にした様なモノであろう。

 でも、この考え方は、東洋にも存在して居て、隣の朝鮮人やシナ人は、西洋人よりもその傾向が強い。 その利己主義は、民族処か、自分の一族、或いは、自分のみに対して発揮されて居るカラです。 即ち、他の生存権を認めない、絶滅に至る考えでしかありません。 

 この原因は、民族の歴史に対するコンプレックスなのだと、私は思う。 つまり、人間として、神に顔向けできない様な、過去、つまり、道徳を知らない野獣並みの生活を送って来た記憶が、未だ、生々しいカラではないかと思うのです。

 ですから、寧ろ、それが世界の標準なので、人類の葉直ぐに「世界終末論」が流行るのでしょうね。 然し例えば、長い歴史の中で、様々な社会の変化の経験をを持って居る日本やインド、イランの様な国には、本来、眉を顰ませるもの、馴染まないモノの筈です。

 唯、インドやイランは、地続きの国家ですから、民族の混入が絶えず起こって居て、其れに、伴う宗教が混乱を更に深めて居たのです、つまり、日本とは大きく状況が違います。 ですから、イランは、未だ民族が理想とする社会が定まって居ないと見るべきでしょう。 インドの様に、最小公倍数的に、或いは、西洋の宗教の浸透を防ぐ為に、戦略的な意図の下に、閉鎖的な階層社会を伴う、世界最古の宗教を争うヒンドゥー(バラモン)教に、落ち着いているのではないかと、思います。

 日本の様に、海に拠って隔絶した場所に、最小限の流入者で済んで来た地理的な条件に恵まれた国は、他にはないと思われますが、地理的に似た国を挙げよと言われれば、英国なのでしょうが、英国こそ、世界一の侵略国家でしたね。

 ですが、大ブリテン島に、日本の矢い時代の頃に棲み着いたケルト族は、大人しい、民族で、ローマが持ち込んだキリスト教と、民族の神を上手く融合させています。 新教徒の迫害に反発したIRAは、ケルト族の民族独立運動にも通じる運動だと私は思って居ます。

 私は、西洋人の一神教の教徒は、後世の付加や解釈の変更に拠る変質で、既に、創始者の言う神とは別の神を信じて居る、或いは、全く神など信じて居ないのだと思います。 そうで無くては、同じ人間が棲む都市の上に、原爆など落とせるわけが無い。 あれを出来るのは、「神に最も近い悪」である、「野獣の様な心しか持たない」悪魔で無ければ無理でしょう。

 然し、以前私が、投稿者のミラクルさんに、「日本は、幾度も危機を乗り越えて来たが、天佑神助「=神の援け」と言うものは、絶妙のタイミングと言う形で示される事が多いので、我々が気付かずに済んで居る事も多い」と書きました。

 この田中氏の話は、ソテロの謀略が、9分通り上手く行って居たのだから、実は、日本は、最大の危機に見舞われる処だったのに、スペインがオランダと、彼ら同士の内訌「=宗教戦争とに名を借りた覇権争い」に拠って、戦争を始めた事で、自然に回避されて居ます。

 戦後の我々日本人は、西洋人の(おそらく、ハザール系の中のフランクフルト学派の主導)「日本人改造計画」に拠って、日本人我明治維新以来、西洋での神の在り方を日本の神にも当て嵌めて、現世宗教的な国家神道を創り出して、戦争に国民を駆り立てた事を、利用して、「神」を西洋文明と同じ次元に置いてしまった間違いを、日本人は自覚すべきでしょう。

 日本の神は、自然そのものである。 人類も自然の一部なのだから、人類も神の一部である。 ダカラ、取り立てて神を創る必要もないし、創ったら、其れは人工の神でしかない。

 人類が自然の産物である限り、どの宗教の基も、この自然神なので、元は一つなのは当たり前です。 別々の神を立てて、宗教戦争など始めるのは、お互いの邪心「=利己的な欲望」がぶつかるからで、神の名を盾にしてその陰で、略奪や人殺しと言った悪事を行って居る、卑劣な行為に過ぎない。

 自然を良く観察すれば、其処には、生き物を生かそうと言う意図を感じる環境が存在し、法則も、存在する、つまり。 自然は神の創造物で、固より、至善に出来て居るのです。 その仕組みを解き明かそうとする試みが科学であり、科学とは、神のみ技「=自然の仕組み」の様と、その仕組みの内容を知ろうとする学問で有りましょう。

 我々日本人は、何故、天佑神助を与えられて、今迄、生き残れたのか、否、神様は、お遺しになられたのか、その意味を、静かに深く、考えて看ようではありませんか。

縦椅子様

 今日も素晴らしいブログ有難うございます

≪本居宣長は『古事記伝』のなかで、その不思議を「迦微」(かみ)と比喩(ひゆ)した。
 迦(か)… 美しい声
 微(み)… かすか 非常に細かい
漢字にあてられた意味から探ると、とても興味深い結果がでた。
 なんというか…「体感」なんだな、と。≫
≪「周囲の色彩が、洗われたような、透明感のある新しい雰囲気を持つというのは日本人には親しみのある感覚です」≫
8月2日の本ブログで西行法師(1118~1190)が詠まれたー

なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる

ーの「体感」、即ち「自然との一体感」-「神との対話」・・・日本人だけが共有している民族の血ともいえる感覚ーでしょうか。

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