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2018年9月 4日 (火)

神道は宗教ではない、「信徒がいない」「教典がない」

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

マンリオ・カデロ、加瀬英明『神道が世界を救う』(勉誠出版)

カデロ(サンマリノ大使)は、在京外国大使団の団長を努め、サンマリノに神社を建立された人である。

加瀬氏は外交評論家として活躍をされているが、また支那古典に明るく、そのうえ神道にも詳しい。

ーー

阿弥陀仏を信じる(南無阿弥陀仏)と言えば浄土(天国)に行けるとか、法華経を信じる(南妙法蓮華経)と言えば現世の利益が得られるという。

お経はあるものの僧侶さえその意味を知らず、信者には仏の教えが何なのか全く分からない。

僧侶も説明しない。

どんな教えなのかも全く分からないのに、それでも日本ではそれが仏教だと信じられている。

この対談では神道が仏教化したのではなく、仏教が神道化したのだという。

ーー

神道は宗教ではない。

「信徒がいない」「教典がない」

したがって経文もない。

「天国」も「地獄」もない。  

合理・主知の近代の智恵とは無縁の存在である。

神道は、争い事を好まず、寡黙である。

日本の歴史の中から、自然発生し、それが逆に日本人の特性を形づくってきた。

ーー

戦国期、西洋人が切支丹としてやってきた。

そして神道に解釈学が流行する。

カデロ大使はイエズス会という訳語は誤りであり、ただしくは「イエス軍」だと言えば、加瀬氏は「いまのタリバンやアルカィーダのような過激派だった」という。  

ーー

江戸期には国学の興隆があって、さらに明治維新では過激な国学思想が廃仏毀釈をうんだ。

戦後は占領軍GHQが、靖国神社を廃止しようとするようなあやまった政策を押しつけた。

占領軍GHQが神道を宗教と誤認したからだった。

ーー

日本古来の神道は宗教ではない。  

日本人の底流には、神への崇拝、崇高なものへの憧れがあった。

それは、古事記、日本書紀にあらわれた神話が物語っている。

ーー

カデロ 「神道は宗教というよりも、人々の日常を律している『ライフスタイル(生活態度)』か、『フィロソフィー(人生哲学)』だといったほうが、よいのでしょう」  

加瀬 「宗教が理性にもとづいているのに対して、神道は心の働きです」  

ーー

こころのなかを覗けるのは神のみである。

ーー

日本の近代は合理主義や虚無主義(ニヒリズム)に覆い尽くされた。

ニヒリズムとは、この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。

というよりも既成の権威を否定する立場をとることであるといえよう。

ーー

例えばコロラド州立大学の哲学者ドナルド・A・クロスビー(英語版)は、ニヒリズムを5つの類型に分類している。

1、政治的ニヒリズム - 自由を束縛する、あらゆる権力に暴力で反抗するニヒリズム

2、道徳的ニヒリズム - 自己と他者の関係を規定し、社会秩序の基礎とする行動規範としての道徳を否定するニヒリズム

3、認識論的ニヒリズム - 理性の認識能力はごく限定的であり、真理や現実は一定の立場や色眼鏡抜きに掴む事は不可能であるという主張

4、宇宙論的ニヒリズム - 宇宙に意味は無く、人間に宇宙の本質を掴む事は出来ない。人間が見いだした宇宙の価値と無関係に宇宙は存在するという主張

5、実存的ニヒリズム - 人間存在は無意味であり不条理である。例え何かの意味を見付けたとしても、最終的には死が待っている、という考え方

このニヒリズムのところを「否定」とすれば一挙に理解しやすくなる。

ーー

つまり西洋的理性がそれこそあらゆるものを否定しまくったために体系だった主張自体ができなくなりつつあるのだ。

いわばその影響を受けて日本でも哲学不在なのだが、それが日本人にはとてもあっている。

というわけで神道が、見直されるべきものとなった。

というのも否定すべき対象を神道は何も持たないからだ。

ーー

(伊勢神宮の式年遷宮に外交団長として招かれた折)

カデロ大使曰く、

「暗闇のなかで篝火(かがりび)が勢いよく燃えさかる、漆黒の静まりかえった境内で式典が行われ、神々しい時間がすぎてゆきました」

「深く感動しました」

「時間がたつのを忘れて心が揺さぶられました」

「じつに神秘的な体験でしたね」

ーー

加瀬氏は

「深い自然がそのまま神威となっており、古代から変わることがない社殿によって、心が休まり洗われます」

ーー

現代は、合理主義と主知主義が蔓延し、共産主義と酷似した地球主義(グローバリズム)が流行している。

両者は人間の価値観や生活習慣を規定してきた神を否定して平然としている。

これでは、何が正しくて、何に価値があり、どう生きるべきか、わからない。

ーー

一方、神道は、何が正しくて、何に価値があり、どう生きるべきか、を語らない。

にもかかわらず、人間を含めた自然の中で、その自然とともに生きるという生き方が無言で提示される。

神道の見直しが今後さらに本格化するだろう。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>東洋と西洋の神の大きな違いの原因
 先ず、私は日本に生まれた事、日本人で一生を送って来れた事に感謝をしたい、感謝の相手は、神であり、親であり、そして私を導いてくれた師=周りの人々です。

  「神道とは何か?」と問われれば、西洋の宗教が、人類の道徳規範として、その存在意義を確立したが、其れまでは、単に、自民族に幸運を約束する、見えない何かを神と呼び始めたと言って良い。 そして、それ以前は、人類は狩りをする、哺乳類でしか無かったので、神は、更に、利己的な幸運を齎す力を発揮するモノと言う認識だったろう。 ダカラ、不幸が齎されれば、「使えない神」として、捨てられていた、と言う記録が有る。

 人類が神の存在を意識し始めたのは何時の事なのか、と考えれば、新石器時代「=石を加工して武器や工具にした」だろう。 
 つまり、自然から得られたモノを、其のままで食べるダケで無く、煮たり、焼いたり、解体したり「≒調理」した方が、色々なものを、食糧化する事が出来る事を知った、或いは、教えられたからで、その教えに拠って、人類は、生存率を大きく上げたのでしょう。 或いは、その知恵を授けてくれた人を、神と崇めたかもしれない。

 現在の考古学が、取り上げない、史実に、長江文明とスンダ文明があるが、スンダとは、現在の東南アジアの浅海地域が、7万年~1万2千年前のピュルム氷期の間、海退現象に拠って、南シナ海と言う内海を持つ大陸で有ったが、この地は、赤道直下ですから、氷期でも凍結せず、寧ろ温暖で、多雨な、生物が繁栄するのに適した土地で有った事は、科学的に証明された事である。 何故紹介しないのか、は、多分政治的な話だと思う。

 アフリカの大地溝帯を、オソラク気候の変動で15~20万年前に出発した人類の祖先は、最初は、ナイル河沿いに、下り(北行)、現在のアレキサンドリアに到着するが、其処から、更に、アラビア半島の付け根に当たるシナイ半島、西洋文明最古の地、地中海沿いの現在のシリアに合ったレバントに定住した。

 此処では、後に、未だ内陸湖だった黒海の現在の浅い地域に、農耕文明が栄えたが、11千年~9千年前のヤンガードリアス期に、氷期の終わりで、解けた氷水が流れ込んだ地中海からの海水が、ダーダネルス海峡を乗り越え、短期間に水没しました。 是が、ノアの箱舟伝説の基で有る可能性もあります。 

 人類は、更に北上し、黒海の北辺や東のステップ地帯に定住するもの、或いは、チグリス・ユーフラテス川を下り、河口の広大な湿地帯を迂回して、イラン「=ペルシャ」南部を通り、インドの西側のインダス河の河口付近に出る。

 其処から、ヒンドスタン平原を流れるガンジス河周辺に棲みつくもの、更に、北上して、カイバル峠を超えて、中央平原のカスピ海沿いに棲みつくもの、と分れたが、何れの地も、氷期の真っ最中なので、山岳部には巨大な氷河が行く手を阻み、飲み水を制限したので、それ以上の行進は出来無かった。

 人間の生存条件として、水は、去る意味食糧より重要である。 食糧は1週間無くても、生きてイケるが、水無しでは3日で死んで終う、然も、煮炊きするのも。血を洗い流すにも水が要る、ダカラ、人間の文明は、水利が得やすい川沿いに集中して居る。

 その後、氷河の無いマレー半島に入った人類の前に、巨大な川=現在のチャオ・プラヤ河が、広大な平原を持って現れた、その上、浮稲と言う現在も東南アジアでは水稲と同じ生産量を持つ、稲の原種が、人類のエネルギー源となる炭水化物を供給する穀類として、幾らでもあったので、是を煮炊き出来る様になった時、人類は爆発的に人口を増やしたと思われます。 

 年代としては、スンダ大陸に到達しのが、5万年前、其処で、人類が爆発的に人口を増やしたのが3万年前、そして、氷期が終わり始めて、異常気象や火山の爆発、大地震・津波と言った災害が相次ぎ、スンダの地を後にする人々が、増え始めたのもこの頃だった。

 彼らは、更に東のサフル・ランド「=今のニューギニアやオースとラリア、ニュージーランド」を経由して、南米大陸に渡り、シトカ文明を創るモノ、或いは、昔来た道を戻り、インドに棲みついて、先住民のドラヴィタ人を教化するモノ、葦船を使って、沿岸伝いに、インダス河やチグリス・ユーフラテス河の河口で、干拓~開拓を始めるものと様々でした。

 残念ながら、是だけ栄えたスンダの神の記録が、皆目見当たら無いのは、謎と言う他は無い、確かに水没は大規模、短期に起こって居るので、保存できなかったのかもしれないが。 しかし、スンダ文明は、人類文明の第二の出発点であると考えるべきだと思うのです。

 東洋文明や南米文明の原点は間違いなく、スンダ文明ですが、西洋文明の原点が、チグリス・ユーフラテス文明やナイル文明、黒海・地中海文明で有る様に、スンダ文明と一番遠い文明は西洋文明だと言えると思います。

 然るに、西洋文明は、スンダ文明が7万年の昔に胎動の兆しが有るのに、例えば、地中海文明がナイル文明を凌駕するほどの繁栄をして居たとしても、遡れるのは、最大でも4万5千年前でしかない。今迄最古と言われたアルタミラの洞窟の壁画も、1万8千年を超して遡る事は出来無かった。

 永々と愚説を述べたが、要は、東洋の自然は、人類にとって、時に厳しく脅威でさえあったが、人類が生物として生きてイケる隙間が大きかった。 然し、西洋は、固より、生存が絶望的な氷に閉ざされた世界で、その期間が終わったのは、僅かに1万2千年前で、人類の歴史から見ても、つい最近である・

 即ち、洋の東西では、人類にとって自然そのモノが、全く性質が違うと考えなくてはイケないでしょう。 是が、私が小学生の時に感じた、「西洋は、人間の中の自然を描く事に傾注するが、日本は自然の中の人間を描こうとする」つまりは、西洋は、「人間中心の考え」なのに対し、日本は、「人間を自然の一部として捉え、究極的には『神人一体』を目指して居る」と言う事では、無いでしょうか。

 そう言う意味なら、西洋のニヒリズムは、或る意味正しいですし、神と人間とは、別の生物であると考え、神を支配者として、その庇護を崇拝と引き換えに契約に委ねる。 つまり、神は人類の神を崇める心を、エネルギー源として生きて居る、別種の生き物と、捉えて居る事になりますね。

 神人一体を、人間の目指すべき姿と考える日本人には、受け容れ難い考えですが、神がエイリアンの様な別種の生き物なら、人類を滅ぼそうと考えるのも、当然、想定しておかねばならないでしょう。

 然し是は、超古代「=3万年以上前」に、旧人の様な別種の人類が生存して居た事から生まれた思想で、旧人が居なかった、或いは、違う種類の類人猿種が、居たスンダとは、違う話になったのではないか。 その後は、人類同士の生存競争で、自身の民族に幸いを齎す「=勝利を齎す」存在が神であると言う考えに引き継がれていると思います。

 だが大陸島の東端の日本にだけは、旧人が生き残って居て、日本人の祖先と仲良く暮らして、交配も行われて居たが、或る時、遺伝的な問題で、旧人の抵抗力が極端に弱い種類の伝染病が、彼らを全滅の追いこんだと言う話ではないかと思います。

 この先、西洋人は、先ずは、自らの宗教心の改革から始めるべきであろう、彼らの言う様な、「異生物の支配者」が、人間の規範を説いた処で、其れが正しくとも、同じ人間の側に立って居なければ、人間は、家畜=食糧でしかない。 二ヒリズムに陥って当然だと思う。 其れより、自分は神の分け御霊、地球の欠片である、と思えば、死もそれ程恐れる事では無い。 勿論、「種の保存」の為に、死は生物に取って恐怖で無ければならないが。

 是等に気付いて、もうすでに、著名人でも、仏教に帰依した人、神道に魅せられて、日本に棲みついた西洋人も沢山いますが、彼らに共通するのは、「西洋のマッチョ主義は、モゥ御免だ」と言う事でしょう、キリが無いですからね。 親子の関係も、その自然さに措いて、東洋と西洋では格段の差が有りますしね。 女性の反動さえ無ければ、、同性愛も大きく減少するでしょうしね。

 尤も、「ガウスの正規分布」が示す様に、例外やクズは、何処にでもいますが、その例外やクズを、殊更言い立てて金儲けをのネタにして、「真実を伝える目的」とは、正反対の結果を造り出して居るマス・メディアの扱いは、この先も人類にとっては、重要な課題になるでしょう。

亡くなった祖母が言っていました。
「かみさんは神さん。ほとけさんは仏さん」
今思えば無学な人でしたが、神道は神さんとして、拝んでいれば良いと思います。
ほとけさんは仏さんとして、拝んでいれば良いと思います。

ただ拝むだけで何も考えませんけれど、それで良いと思っています。

だけど、靖国神社は国のために戦って、亡くなった人達をお祀りしているのです。国がお祀りしませんと遺族年金の対象者が亡くなったら、それで終わりとのイメージを与えることになります。
日本国のために亡くなった人をお祀りするのは、その人達に国が感謝を表すことになりますから、これは国のある限りお祀りしなければならないと思います。

それから、最近は戊辰戦争で亡くなった人を、維新側と幕府型の両方をお祀りした方が良いと思っています。
これは、どちら側が勝っても日本が植民地にならないようにと努力したと信じているからです。

神さんには、ただ拝んでいるだけで、そこに時に応じて色々な感謝が含まれるのですけど、これでは宗教と言えないのかも知れません。

>ポッポさん ソロです。 お久しぶりです、お元気ですか?
 私も、ポッポさんの御祖母様と同じで、日本古来の神道の義に合って居ると思います。 我々は自然の一部に過ぎない、自然とは即ち神だから、神人は一体なので、西洋の神の様にたかが、人間の支配者では無く、広大無辺の宇宙を肉体とするのですから、殊更に、人類の生活規範にまで神が介入する事は有り得ない。 我々は、卑小な存在ですが、神の一部でもあるのです。

 そう考えれば、西洋人の神の俗気が、気になりますが、夫々の先人が遺したものに、膨大な差が有るのですから、仕方が無いと思います。

 近代文明とはいっても、僅か此処100~200年の短い話で、人類の歴史が是で終わるのなら、兎も角、日本人は、新石器時代「=道具を使い始めた時代」から、既に3万年、土器を使い始めてから、1万6500年も経って居るのですが、西洋は、8500年に過ぎません。 つまり、倍近い年月の差が有るのですから。

 靖国神社を参拝する話は、魂の存在を信じて居れば勿論、そうで無くとも、国の為に、国「=公」を護る為に、国民として命を擲った、方々に対する敬意を示し、以て、自分の生き方をに資する事は、宗教の如何とは関係が無く必要な事でしょう。それが出来無いと言う政治家は、決して総理大臣にしてはイケません。

 そして、神道は、税法上の分類で、宗教団体と言う区分になって居るダケで、渡来の宗教の様な要件を満たして居ないので、厳密に言えば宗教ではありません、寧ろ、習慣に近いものでしょう。 それ程、日本人の生活に沁みわたって居るからです。 是が理解・実感出来ないのなら、日本人では無いと思いますね。 僭越ながら、感想迄。

 PS 中韓さんの処で、私を批判しているコメンターに、ポッポさんが、勿体無くも反論してくれていましたね。 有難うございました。 でも、彼は以前から、投稿自体、常に名無しで行う、自分のコメントに責任を持たない卑怯者で、私は数回注意をしましたが、言いっ放しの書き逃げ野郎で、端から相手にしてません。 オソラク、増上慢と言う仏教用語を最近知って、使って看たかったんでしょう(嗤)、その程度のオッサンですよ。 

 ただ気になるのは、投稿者の顔ぶれが一新してしまい、士心さんやky16さん、両班野郎さん、老猫さん、隠居さん他、投稿してませんね。 

 私は、ブログ主さんが、ご高齢の所為なのか、ブログ管理が杜撰になっていて、気象兵器や地震兵器と言った、トンデモ科学や、皇室への中傷記事を張り付けて、何でも安倍政権批判に繋げる、愛信と言う投稿テロリトのアクセス禁止を提案しただけですがね。

 まぁ、投稿は遠慮させていただきますと、怒りに任せて、ツィ書いてしまったのでw、自業自得、私も同時にアク禁を食らった事には、異論は有りませんがね。

縦椅子様
 今日は台風21号で自然の猛威を思い知り、自然という神に謙虚に祈ることしかできない無力さをおもいしりました。
 1・5mX2っ物分厚い鉄板がとんできて、庭に軟着陸、瓦はびゅ~んびゅんとひっきりなしにとんでくる。先日の台風でラミネートの塀がとびそうだったとき、丁度通りかかった近所の大工さんに応急でなおしていただき、業者に発注したのですが、それが飛ぶと大きな被害になります。私は本当に真剣に神様に祈りました。幸いなことに塀は吹き飛ばず、車の窓の処にどこからかとんできたとゆが塀にささっており、車は無傷でした。車の後ろにもトタンが落ちていました。被害はありましたが、最小限にとどまり、神様に感謝した次第です。道には瓦やトタンが散乱し皆無事を感謝し飛んできたいろんなものをかたずけましたが、飛んできたもので、電柱に接触し数軒が今も停電で不自由なおもいをされています。
残念なことに、公園の入り口を樹齢4百年の楠が、無残にもその手足をもぎ取られたのでしょうか、その痛々しい残骸で塞いでおります。このとき「神様も犠牲になってくださっている」-その痛みを分かち合ってくださっているという思いがいたしました。
≪神は人間を含めた自然の中で、その自然とともに生きるという生き方が無言で提示される。≫とあり、その通りだと思いました。本当に素晴らしいブログ有難うございます。 感謝!!

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