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2018年8月24日 (金)

君は本当にすごい、生きることを愛し、大切に生きている

2017年7月に公開され若者の間で爆発的な人気を博した映画「君の膵臓を食べたい」が、この8月19日テレ朝で放映された。

題名から、とても見るに堪えない映画だろうと思って、ビデオに入れたまま放置していた。

ところが、21日になって恐る恐る見たら何度も泣かされた上に、どうしてもこの感動を誰かと分かち合いたいという思いにとらわれてしまった。

(以下はネタバレしない程度の内容紹介ですが、感動を共感していただければ幸甚です)

ーー

純粋な愛を描こうとすると、大人が関与しない空間に置かれた思春期の若者を使わざるを得ない。

そこで死を目前にして必死に生きるおませな乙女と、孤高のまま生き抜こうとしている大人びた青年とのやり取りが描かれた。

ーー

「君の膵臓を食べたい」の主人公は、高校1年生同組(クラス)の男女の二人。

志賀春樹(はるき)は、人間関係を煩わしいと感じていて、自らの意思で他者に関与しないで生きている。

山内桜良(さくら)は、人間関係を大切にし、それなくしては生きてはいけないと思っている。

ーー

春樹は、ある日、虫垂炎術後の経過を見せに病院に来ていた。

待合室で待っているとき、カバーがしてある文庫本が落ちていた。

それを拾い、表紙を開くと、共病文庫と記されていて、さらに頁をめくると、自分は余命いくばくもない病に侵されていると書かれていた。

つまりそれは文庫の形の闘病日記だった。

ーー

それを急いで春樹の手から取り返したのが、桜良だった。

桜良は、文庫を見て自分の身の上を理解した春樹が、いつもと変わらないのに驚く。

自分なら、少しでも知っている人が、余命いくばくもないと知れば心配で黙ってはおられず、何かと相手に尋ねるからだ。

桜良は、自分とは正反対に、冷静でいられる同級生の春樹に関心を寄せる。

ーー

春樹の態度が変わらなかったため、桜良が病気であることは、その後もクラスの誰にも知られることはなかった。

桜良はますます春樹に関心を持ち、近づいていく。

そして病気について、「悪いところがあると、その臓器を食べて治すのよ」と持論を披露する。

すると春樹は、「肝臓が悪い人は肝臓を食べて治すという意味?すると君は膵臓を食べるの?」と聞く。

「私生きたい、大切な人たちのなかで」

「食べるとその人たちの中で魂が生き続けるの」と。

ーー

ある日、春樹の携帯に桜良から、待っていると告げるメイルmailが入る。

春樹が待ち合わせの場所で待っていると、桜良がリュックを背負ってやってきて、一緒に旅行しようと誘う。

行き先を言わないので、聞かずに付いていくと桜良は高級ホテルの一室を予約しているという。

ーー

桜良が入浴中に春樹にシャワーキャップを持ってくるように頼んだら彼は目をつぶって桜良を見ないようにして渡してくれた。

一緒のベットで寝ようというと嫌がった。

ーー

桜良はそんな春樹にゲームをしようと持ちかける。

トランプのカードを引き、出た数が多いほうが勝ちで、勝ったほうは負けた相手に真実か奉仕かを要求できる。

負けた方は、真実(を答える)にするか(相手への)奉仕にするかを選べる。

ーー

桜良はそのゲームに勝ち、春樹に自分をお姫様抱っこをさせてベッドへと運ばせ、同じベッドで就寝させる。

翌日の観光で、春樹は、自分が桜良との旅を楽しんでいるのに気づく。

ーー

いよいよ病気が進行して桜良は検査入院していた。

ある日、桜良からのメイルが途絶える。

そこで春樹は急いで病院に駆けつけると、それまでいたベッドに桜良がいない。

驚いて探すと桜良は別室に移されていた。

桜良は心配で不安そうな顔をしている春樹にゲームをしようという。

ーー

カードを引くと春樹が勝ち、残念がる桜良に、どちらにするか問うと「真実」と答えた。

それで春樹は、「生きるってどういうこと」と聞いた。

「まじかよー」と桜良はおどけながら、

「誰かと心を通わせること」「誰かを認める」「誰かを好きになる」「誰かを嫌いになる」「手をつなぐ、ハグをする」「すれ違う、好きなのに嫌い、そういうまどろこしさが生きていることだと思う」

そして「君がくれる(病人扱いしない)日常が私にとって宝物なんだ」と。

ーー

翌日春樹の携帯に桜良からメイルが入る。

「私に生きていてほしいの」

返「とても」

「君がそこまで私を必要としていてくれるなんて」

返「退院したら旅行しよう、だから絶対退院して」

ーー

翌日になつて、

「退院しました」

返「君は本当にすごい、生きることを愛し、大切に生きている。君のように、人を愛し愛される人間になりたい。僕は本当に君の膵臓を食べたい」

ーー

春樹が桜良のことを知ったのは桜が咲くころだった。

そして夏になる前にこのメイルの後すぐに、桜良は突然死んでしまう。

ーー

遺された共病文庫にはこう記されていた。

君が病院に駆けつけてくれた時ゲームに勝っていたら聞きたかったこと。

「どうして私の名前を呼んでくれないの」と。

「私は春樹になりたい、春樹の中で生き続けたい」

「君はいやかもしれないけど、やはり私は君の膵臓が食べたい」

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>自然(神)が与えし法則を超えて生きようとする人類
 確かにドラスティックな題名ですから、其のままグロテスクな話ではないにせよ、悲惨な話なのかと私も思いましたが、「生きる」とは何か? と言う、人間が思春期に最初にぶつかる命題に真面に向き合った話の様に思います。 良い作品ですね。

 人は或る時期を過ぎると一人で過ごす時間が永くなるものです。 最近知った事ですが、男と女は脳の構造から違って居て、古より食糧を得る為に、狩猟や漁労に出懸けて、命を的に毎日を送らざるを得なかった男は、孤独に耐えられる様に脳が進化して、寧ろ孤独を愛する様になるが、捕食獣や異民族と言った外敵から自分の身体や幼児を護る為に、女は、集団で過ごす事が求められ、次第に集団の中に身を置かなくては不安になる、集団化が阻害されると絶望するようになる。 と言う話を読みました。

 其れで、アルバイトで「新入りいびり」を受けて、悩んで居るうちの嫁から、愚痴を零されますが、女ばかりの集団は、疎外の仕方も。巧妙・陰湿で、相手が嫌がる事を良く知って居るなぁと感心しています。女子高等は、大変な処の様な気がしますねww

 私はと言えば、強制全寮の商船高専ですから、思春期真っ盛りの時代に、男ばっかりの生活で、成る孤独ではありましたが、勿論、船乗りですから、共同作業、集団行動は日常ですが、何かと言えば、生来が生意気なもので、暴力沙汰を受ける毎日で、孤独でしたが、何時しか、「他人は他人、自分は自分」と割り切れる環境を築けるように、自然となっていましたが、将来の船乗りと言う職業が、「日々、孤独に耐えなければならない職業」だと言う事を考えれば、強制全寮制は、そういう意味の訓練の場では無かったかと今更ながらに思います。 

 ですから、嫁にはちゃんとしたアドバイスが出来て居ません。ww

 人間は固より、自分を識る為には、他者を必要とします。世の中の価値観や常識は、相対的な「比較」の産物ですから、その延長で自分をより深く識る為には、他者との心の内面に及ぶ交流が必要で、其処に共感を見出した時に、自分が持って居る物事の正邪や好悪の判断基準の上で、共感を得て行く事が出来、仲間意識が育って行くものでしょう。 

 民族意識も、愛国心も子の延長に在ると言って良い。 ダカラ、民族性と言うのは、共同体験の結果育まれるのだから、その民族が暮らして来た自然環境が、民族的な常識や価値観の基になるのだと思います。

 日本文明は全くこの結果だと言えますね。異民族の混入は確かにあり、日本人そのモノが、混血だと思われますが、集団を民族と呼ぶのに十分な時間である、数千年を遥かに超える永い時間を懸けて、日本人も文明も出来上がったものでしょう。

 然るに、生物の繁殖に関しては、自然は特別な感情を以て、自分が日頃揮って居る、勇敢さや非常さで見た場合自分の餌でしかない「弱いモノ、小さいモノ」に、対して、逆に「護ってやり、仲良くしたい」と言う、真逆の感情を芽生えさせる様に、つまりは、雌雄、男女の別を造り、仲良く相和した結果、子孫が誕生する、と言うお仕組みを与えてますが、是が、上手く機能して、今の生物界の繁栄が有るワケです。

 処が、人間だけではないかもしれませんが、この男女間の意思の疎通が上手く行かず、或いは。何方か、亦は双方が自己中心的な部分が強すぎると、レア委は上手く成就しません。 そこに、求めても得られない事への人間の悩みや葛藤が有り、その感情や苦悩を表現したものが多くの共感を得た時、芸術として称揚されるのですから、文化は斯うした、意思疎通の障害が、その成因の大きなファクターになっているとおもいます。

 この小説の「内臓を食べるとその人の魂が宿る」と言う考えは、古代の食人文化「=カニバリズム」の名残りなのでしょうが、3万年前迄は存在して居た、ネアンデルタール人「=旧人」は、現生人類よりも脳の容積も体の大きさも大きく、すでに、死者を埋葬し、その死を悼んで、埋葬に花を添える習慣を持って居たそうですから、文明を生まない筈が無いのですが、そういう古代文明の跡型が発見されたと言う話を聴きません。(唯、白人文明の構成さには私は懐疑心を持って居ますが)

 然も、旧人が滅んだ原因として、新人に拠る「旧人狩り」つまり、旧人を獲物として、狩って居た事が挙げられています。 動物の肉で一番おいしいのは、内臓です、是は捕食獣が、相手を倒した時に、真っ先に食べるのが、相手の肝臓である事から、この説は。論拠を得て居ます。 でしから、話の中に出て来る、「肝臓を食べると・・」の下りは、この説の引用でしょう。

 唯、そういう経緯はあったとしても、死にゆくモノの魂が、そのモノの体の一部を食べる事で、その魂と一体化する、憑依する、或いは、してほしいと希う、心は寧ろ、人類の記憶の上から共感できます。 こういうカニバリズムを一方的に批判し、人類だけが、「共食い」する動物だと(これも、白人文明の捜索です)して、禁忌化したのは、西洋文明の底の浅さだろうと思います。

 然し何より、人類の愛は、繁殖を主な目的にして居るものだけでは無く、他者と心の交流を求め、「自分を分ってくれる。許してくれる。優しく受け容れてくれる」相手が心から安らいでくれる事を、希い、その為には「自分の命を擲っても構わない」とさえ思う。 それが、生きる意味として、大きな位置を占めていると思います。

 そのカニバリズムとは、チョット違う話ではありますが、動物界には、捕食獣の群れの勢力争いに敗れた方の、子孫を殺す「=食べる」現象、所謂「子殺し」は普通にみられる現象です。 つまり。利己的な遺伝子の働きによって、自分の子孫を遺すためには、他者の遺伝子を遺させはイケナイ、と言う本能的なものが働いているのでしょうが、是も、人類が、生物として従わざるを得なかった自然の法則なのです。

 余談ですが、我々日本人の遺伝子の半分近くが、旧人のモノと一致していると言う話ですが、その現象が有ったと言う報告自体が、西洋文明の意図的に日本文明を貶める意図を含んだモノの可能性が有りますね。 異種生物間で繁殖が起こる垣根が、奈辺に在るかで、旧人の正体が、猿人レベルなのか、或いは、新人よりも優れた生物だった可能性もあります。

 実は、カニバリズムが、真実で、日本人の和を重んじて、他と協調して、何か公共に為のモノを造り出し、其れを皆で護り、災害に遭う度に、改良・改善を重ねて行くそういう文化は、実は旧人から受け継いだものなのかもしれません。

縦椅子様
今日も素晴らしいブログ有難うございます
≪感動を共感する≫ことーこれはとても大切なことのように思えます。どうしても伝えたい感動が湧きあがるとき、人は誰かと分かち合いたいと思います。「この感動はあの人ならきっとわかっていただける」と思い、贈った本に誠実に答えてくださり「感動が感動」を呼んでいることを知ることは、とてもうれしいことです。 たまたま落ちていた、文庫の形の闘病日記をと通して幾ばくも余命無い少女と同級生の男子との魂の交流が描かれている。
≪そして春樹は、「生きるってどういうこと」という究極の問に対して、≪「まじかよー」と桜良はおどけながら、--「誰かと心を通わせること」「誰かを認める」「誰かを好きになる」「誰かを嫌いになる」「手をつなぐ、ハグをする」「すれ違う、好きなのに嫌い、そういうまどろこしさが生きていることだと思う」≫と真実の答えを返す。今まで「心を通わせていた」状態が急に中断すると、人は心配で耐え切れなくなります。この映画に究極の愛の形とみているように感じました。

この題名を聞いただけで、観る気がしなくなりました。
だって、人の内臓を食べるなんて、それだけでゾーッとするのです。

昔のSFで、筒井康隆氏の著作に、女子大生が食べられると言うのがありましたけれど、あの頃は何でも茶化していたような気がしますので、それ程深く考えなかったのですが、今は無理です。(年を取りました。)

幸い縦椅子様の内容紹介は、読むことが出来ました。
縦椅子様の紹介ですと、拒否感は感じませんでしたので、この題名が私にとっては、受け入れられないものだったと思います。
近頃の風潮ではありますが、何でもセンセーショナルな言葉を使えば良いとは思いません。
そんな言葉を使わずにでも、誰もが振り向くような題名を考えて欲しいものです。

仕事は公務員で消防職員でしたけれど、この仕事は採用と同時に消防学校という新人の養成学校に入ります。
今は昔とは、少し変わっていると思いますが、全寮制で午前6時に起きて、体操と朝食の後は午前中は座学で、午後は体力錬成や実技の訓練で、午後5時に終了、10時就寝でした。

私は、運動音痴で体力はなく、運動神経もサッパリで苦労しました。採用パンフレットに適材適所の仕事と書いてありましたから、早めの事務職と考えていたのですが、使う方の都合もありますから結果として、現場を長くやることになり、その内に事務職よりは現場で過ごすことが良いようになりました。時に、市民の人からお礼を言われることが励みになったものです。

今の若い人は、この時に救急隊員の資格の研修も受講するのですが、これの研修に人体を知る必要があり、人体の標本をじっくり見て触っては、余り好きなものではなかったです。
医師や看護師は、私のようなちらっと見た程度ではなく、これに親しくなる程だと思いますので、それだけで敬服しています。
そう思っていたら、娘が看護師になると言って、学校に行っています。

嫁は、若いときに看護師になると言ったことがあったそうですけど、親に反対されて駄目だったとのことでした。戦前は、看護師は従軍看護師があったから、敗戦後の悲惨さを知っている義父はそれを知っていて反対したようですが、平和な日本ですからそんなことはないとは思っています。

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