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2018年8月28日 (火)

色んな表現の仕方

「聲の形(こえのかたち)」は、2016年に「君の名は。」と同時期に公開されたアニメで、ネット上では絶賛されていた。

「君の名は。」はその物語の面白さで、「聲の形」はその物語の深刻さ(奥深さ)で観客を魅了したのだった。

そのアニメ映画「聲の形」がこの8月25日NHKEテレで放映された。

ーー

何度も泣かされた上に、主人公のふるまいのそれぞれに引き込まれ、思わず息を呑んだ。

以下は、もうネタバレまくりの小説仕立てで、その感動を分かち合いたい。

これで興味を持たれた方は映画を見てください。

ーー

俺は自分が嫌いだ。

それは小6の時に起こった。

転校生がクラスにやってきた。

彼女(西宮硝子)は、耳が聞こえない上にしゃべれない聾唖だった。

ーー

最初はそんな彼女にクラスの生徒たちは興味を持って相手をしていた。

しかしだんだん相手するのが面倒になったのだろう、相手にしなくなった。

何しろ言ってもわからない、会話が記帳など面倒極まりないからだ。

ーー

そんな孤立していく西宮硝子(にしみやしょうこ)を見ていた俺は、彼女にそんな態度ではみんなから疎ましがられると注意したのだった。

すると西宮は済まなさそうにして、俺と自分を指さし胸のところで両手をくんだ。

後でこれは手話(しゅわ)で友達になりたいという意味だと分かったのだが、その時はそんなことはわからず、気持ち悪いと言って砂をぶっかけてしまった。

ーー

こうして俺はその気持ち悪い西宮をクラスみんなでいじめてしまったのだ。

ーー

また、西宮が両耳に補聴器をつけていることがわかったとき、俺はそれを取り上げて汚いといって外へと投げ捨てた。

それを何度も繰り返した。

すると、校長先生が現れて、西宮の母親から5か月間に8個もの補聴器が亡くなったり故障したりしている。

これは誰かが娘をいじめているためではないかと訴えてきていると注意がなされた。

すぐに俺が名指しされてしまった。

ーー

俺の母は、西宮の家に俺を連れて謝りにいった。

もちろん補聴器代170万円をもって。

するといままで友達と思っていた奴らが一斉に俺の周りから去り、俺に対して、俺が西宮にしていたのと同じいじめをするようになった。

ーー

そのいじめと孤立感を味わうことで、俺は西宮の苦しみを身に染みて知った。

しかし俺は西宮とは違って耳も聞こえるし言葉もしゃべれる。

西宮に同じ苦しみを与えていたと思うともう最低の自分が許せなかった。

ーー

中学でも「いじめていた」という噂を広められて、俺は孤立し、それは現在の高校生活でも変わらない。

俺は、そんな自分のことが好きになれず、死ぬことに決めた。

ーー

しかしまず母に170万円を返さねばならない。

それで高校生になってから、バイトをしまくった。

3年になってほぼ170万円ができたので、自殺の日を決めカレンダーに印(しるし)を付けた。

その日になって、橋の橋脚に上り、そこから飛び降りるつもりで出かけた。

予定どおり、橋脚に上ろうとしたとき、下でパーンと花火の音がして、はっと我に返り自殺を思いとどまったのだった。

ーー

翌日母は、枕元に置いておいたお金を見せて、がんばったわねーと言い上機嫌に見えた。

ところが突然、部屋が片付いていること、家具がすべて売られて無くなっていること、カレンダーの15日以降が破り取られていると言い、

死ぬことなど絶対許さないと怒り出し、死なないと約束しない限りこのお金を燃やすと俺を脅した。

もちろん俺は、土下座して母に死のうとしたことを謝り、もう自殺などしないと約束した。

ーー

死ぬことを思えば、何でもできる、それで俺は、西宮に会って謝りたいと思った。

もう手話も勉強済みだ。

自分の思いを伝えられる。

ーー

手話教室に行くと偶然西宮に会うことができた。

「西宮、俺小6の時の石田将也(いしだしょうや)、覚えてる?」

すると西宮は逃げ出した。

追いかけていくと、下の階の吹き抜けの廊下の手すりをもってしゃがみこんでいた。

手話で話しかけると、手話ができる俺に驚き、何か?と言う。

ーー

俺は、持ってきた小学校の時の西宮の筆談帳を見せ、「これは西宮の忘れ物だ、受け取ってほしい」といった。

西宮はそれを手に取り「ありがとう」と言った。

俺はとっさに、自分と西宮を指さし両手を組んだ。

「友達になりたい」この手話は小6の時に俺に向けて西宮がしていたものだった。

ーー

俺は最低の男であることに変わりはない。

友達になどなれるわけがないのだ。

ところが西宮は「ありがとう」といって微笑んでくれた。

火曜日に水門橋で鯉にえさをやっているのだという。

ーー

それから火曜日になると俺は西宮に会うためにパンを買って水門橋に行くことにした。

ーー

西宮には妹の結絃(ゆずる)がいて、いつも西宮と一緒にいる。

どうやら、「自分が嫌いという西宮が自殺しないように見張っているらしい」

西宮は俺と同じではないか。

西宮は、自分がいなければ、俺がいじめられることもなかった、自分の存在こそが俺やクラスのみんなを不幸にしたと考えているらしいのだ。

そういえば西宮は、俺がいじめているのに、「ごめんなさい」と謝っていた。

ーー

あるとき俺は結絃(ゆずる)が姉と喧嘩をして家出をしているところを偶然発見し助けてしまったのだ。

結絃(ゆずる)は俺に、贖罪のため、あるいは自己満足のために姉と友達になろうとしているだろうと批判した。

そうかもしれない。

そう考えている俺のことをどうやら結絃(ゆずる)は信用してくれたようだ。

ーー

結絃(ゆずる)は男のようにふるまう。

あるとき結絃(ゆずる)からメイルで「石田、パンを買って鯉に餌をやりに行け」と言ってきた。

おれが水門橋に行くと、西宮がいた。

髪型がポニーテイルに変わっていた。

そこで話しかけると、顔を少し赤らめて一生懸命しゃべろうとする。

俺には月としか聞こえなかった。

ーー

俺は確かに贖罪のために西宮に会っているのかもしれないが、会うと楽しい。

夏休みになって、俺は、西宮や結絃(ゆずる)と遊園地、ファミレス、美術館といろいろ遊びに行った。

そして西宮は俺に一緒に花火を見ないかと誘ってくれた。

それで、出かけると、花火がまだ終わっていないのに、勉強することがあるので帰ると言って、一人で帰っていった。

結絃(ゆずる)が俺にカメラを持ってきてくれと頼むので、俺は西宮のマンションにカメラを取りに行った。

すると玄関の戸は施錠されておらず、部屋も明かりがともされてはいなくて、時々外の花火が明るく部屋を照らしていた。

花火が上がり、部屋が明るくなったとき、ベランダに西宮の姿が照りだされた。

ーー

西宮はベランダの塀に上りかけていたのだった。

俺は急いで止めに行った。

椅子につまずいたため、俺は西宮の右手をつかむことしかできなかった。

俺は、もう困難から逃げずクラスみんなの顔を見、話を聞くから西宮を引き上げる力をくれるように神に祈った。

俺は、まだ西宮に面と向かって謝ってもいない、それに俺のことをどう思っているのかも聞いていない。

どうか死なないでほしい。

ーー

すると西宮は生きる気になったのだろう、左手を伸ばしてベランダの塀の一部を捕まえた。

俺は力を入れて引き上げたのだがそれからどうなったのかは思い出せない。

ーー

どうやら俺は西宮と入れ代わるようにして落下したらしい。

そのまま意識を失っていたようだ。

西宮は、右ひじの脱臼だけで助かった。

ーー

西宮は俺を昏睡状態にしたことや、俺の生活環境を破壊したことについて罪悪感を抱いて、自分の手で元通りに修復したいと考えたようだ。

俺が昏睡中に、生活環境を破壊したと考えている小6の同級生を一人ひとり訪ねて、和解していった。

ーー

俺は、昏睡の夢の中で、西宮に会おうとしていた。

「もう火曜日が終わる」

西宮に会わなければいけない、俺は焦った、そして目が覚めた。

俺はベット上に居て、俺の体にはパルスオキシメーターや心電図の電極がつけられていた。

急いでそれらを外し、早朝の水門橋へ向かった。

ーー

まだ体はふらついたが何とか水門橋にたどり着くことができた。

みると夢のようだが、そこに西宮がいたのだった。

俺は恐る恐る西宮の顔を覗き込んでみた。

西宮も半信半疑なのか俺に近づいてきて人差し指で触れて、驚いたように後ずさりした。

俺は、西宮の顔を見て、心からいじめたことを許してくれるように謝罪した。

ーー

西宮は目を涙でいっぱいにして、自分がいなければ、あなたはこんな目に合わなかった。

「ごめんなさい」といったのだ。

俺は、近づいて西宮の両手を重ねるようにして取っていた。

そして「生きるのを手伝ってほしい」といった。

西宮は彼女の両手の小指を絡ませて立て、必ず手伝うと約束してくれた。

お互い本当に死ななくてよかった。

ーー

結絃(ゆずる)があとで俺に、「あの時姉ちゃんは月といったんではなくて、好きていったんだ」と知らせてくれた。

ーー

(Eテレで9月2日14時30分から『聲の形』が再放送されるという)

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>「いじめ」の構造
 世には何故「いじめ」が存在するのだろうか。 私は今迄、意識して、他人を虐めた覚えはないが、私が意識して居なくても、いじめられたと感じた人は居るかもしれないと、思いますね。 

 虐めになるのは、相手の身になって考える事が出来ない、或いは、考えるが同情よりも虐待し、自分の周りから排除したいと言う気持ちが湧く要素が、虐められる対象者に在るから起こるのだろう。 そして、圧倒的に後者の方が多いと思う。

 その原因は、不快感や意思疎通が出来無い気味悪さ、面倒臭さとバラエティに富んで居て、中には、嫉み、妬み、劣等感から、いじめ行動に走るものが居る、つまり、「自分達と、同じでは無い=理解しがたい」と言う其れだけの事なのではないか? 

 然し、人間は体も成長するが心も成長する。 過去に自分が犯した、過ちや衝動的な行為の結果、相手を深く傷つけたり、ご紹介の男の子の様に、高価な補聴器を壊し続けて、170万円もの借財を背負って終う子も居るが、世の中には、こういうケースで、この話のy9うに、いじめる側虐められた側双方に、自殺者を出すケースが出て来るのが、現代の闇なのだと思いますね。

 思い返すと、私は小学生の頃、家の事情で、主に、「いじめられる子共」でした。 特に小学3年、4年は、担任の教師にも恵まれなかったので、同じく疎外されている友達と学校を抜け出して、山に遊びに行ったり、欠席が多かったのですが、生じっか成績が良かったので、級長をやらされて、私に反目しているグループと、毎日喧嘩三昧の日を送っていました。

 そんな生活が、中学に行っても続くのかと思うと憂鬱で、6年生の時、突然、鹿児島市内に在る、私立の中学校を受けて、通ったら・・と閃きましたが、そんな財力は、事実上母子家庭だった裡の家には無いし、言いだすのが遅すぎて、応募も出来ませんでした。 この頃は、潜在的に自殺を考えて居ましたね。

 私は「いじめ」は、人間の成長過程に起こある種の自己表現の現象だ、と思います。 ダカラ、いじめは昔からあるモノで、「子供の喧嘩に親が出てはいけない」のが、私の育った鹿児島では常識で、「弱い者いじめをする奴は、卑怯者だ」と言う、不文律が有ったので、いじめは、件数はセーブされて居たかもしれませんが、表には出て来なくとも、前述の通り、陰では、寧ろ、酷いレベルで起こって居ました。

 私より遥かに体の大きい2人が、毎日、騒いで妨害し、叱りつけると、「後でXXに来い」と恫喝されます、其処へ行くと、決まって、2人以上が待って居て、殴る蹴るが始まりますが、小さい頃柔道を習って居た私は、殴られても相手をブン投げて、大概は、相手が捨てセリフを遺して、逃げるパターンでしたが、相手も次第にエスカレートして、最後は、毎日、登下校の際に、待ち伏せされて、数人の上級生を含む、複数のグループに、言葉や暴力で、虐められる毎日でした。

 或る日、2つのグループに挟み撃ちにされ、進退窮まったとき、近くにあった石を、一番背の高い奴の顔を目掛けて投げつけると、見事に命中、ぶっ倒れて血を噴いて、吃驚して皆が尻ごみした隙に、畑を突っ切って線路の向こう側に逃げ込み、必死で逃げましたが、後ろから、石が雨霰と降ってきました、でも、「捕まったら殺される」と言うフレーズが、頭に浮かび、やっと逃げ切った経験が有ります。

 翌日、母親に事件の経緯を話すと、母親は何も言わず、一緒に学校に行き、被害者の子の家を聴き出して、菓子折りを持って謝りに行きました。 相手のお母さんは、絶対に許してくれそうにありませんでしたが、お父さんが、「子供の喧嘩」で、済ましてくれました。 私の不登校に拍車が懸ったのは、云うまでも無い事です。 亦、少々嫌われても平気と言う、図太さもこの時、身につきました。ww

 この一連の、「いじめ」では、私はやられっ放しにはなっていなかったですが、学校には、友達と呼べる人は誰も居なかったし、3,4年の女性教師の担任などは、寧ろ、私を避けて居る様に感じました。 きっと、「面倒な子」だと思われて居たのでしょうね。 でも、私も先生には、何も期待して居ませんでしたがね。

 良くマスコミは、こうした、教師のネグレクトが、自殺者を生んで居るような事を言いますが、トンデモ無く的が外れて居ると思います。 指導者的立場にある教師は、子供達の仲間ではありませんから、子供達の間の正義を一方的に否定する事は、カナリ難しいですからね。 下手をすれば、教師も一緒になってその子を虐めて居るケースが有るのは、その所為だと思います。   思うに、教師は原則傍観者で、子供の喧嘩では済まない場合にだけ、タイミングを見計らって、制止に入るべきでしょう。

 虐める側は、自分達に正義があると思い込んで居るカラ、罪悪感も持たずに一人を大勢で虐めるのですが、これは、相手が強いカラでは無く、「悪いものをやっつけて居る」つもりだから、良心が働かないのです。 その先に、どの様な解決も待ってはいないのは、正に、「相手の身になって考えて居ない」証拠です。

 然し、現実に自殺者が出て、事件化してマスコミに取り上げられると、正義処か、自分は天下の悪党になって終う。すると、周りに居た連中は、自分も具体的な行動はして居なくとも、同じく無視したり、虐めて居たのは、何ら変わらないのに、悪党と決めつけられたモノを、新たないじめのターゲットにする。 是では、いじめは無くならないし、何処にも反省が無い事になります。

 経験から、解決方法には、多分、成りませんが、私は、大人が先ず、「卑怯な手を使って勝っても勝ったとは言わないし、そういう手段を使った事を恥じるべきだ」亦、「一人に大勢でかかるのは、戦いのルールに反する」、つまり、喧嘩にもルールが有る事を、子供達に範を示して教え込む事だと思います。

 皆が仲良くできるのは、互いの反目や対立を何らかの手段で相殺して、解決して居るカラだと考えるべきなんです。 「平和は平和では保てず、ルールを守った戦いに拠って、成り立つモノだ」と言う、古い日本の常識を、思い出すべきなのです。

 虐められ話は、良く訊きますが、誰も、虐めて、差別して居た事を、懐かし気に或いは、自慢気に振り返るものはいません。 思うに、自分の都合の悪い事は記憶から抹消して、周辺の事も、唯の思い出にして居るのでしょう。 自身にそう言う傾向が有ったのではないかと、この頃、色々思い出して点検して居ます。

 すると、商船学校入学以来、偶発的にとか、怒りに任せて、とか相手を傷つけた事を2,3件思い出しました。 出来るものなら、死ぬまでに、会って謝って、許しを請いたいと思って居ます。

 但し、私の小学生時代に対立して居た男は、生来の性格が合わなかったのか、今でも、会えば喧嘩腰になるので、会いたくありませんね。 幼稚園の時から、一緒なんですがねぇwww

縦椅子さま

 今日も素晴らしいブログ有難うございます
 アニメ映画「聲の形」の感動を伝えていただき有難うございます。唇の動きが不自然なアニメ動画は内容が世に取りにくく、この映画もぼやっと画面をみていたところでしたが、文字化していただき映画を見ているかのような臨場感が伝わってきます。
 最近、耳が聞こえない上にしゃべれない障害を抱えて精一杯生ておられる方々の大変さに気づき始めたところです。
子供時代は大家族のなかで、元気な妹にくっついて、石を投げるいじめっ子の家に行って、お母さんにその子をどうにかしてほしいと直談判にいった記憶があります。そのお母さんは全然動じず、世の中そんなに甘いものじゃないと悟った次第です。大家族でしたから、いつも逃げ場ががあり、そこに逃げ込んで好きなことをしておりました。職場で強烈ないじめにあいましたが、逃げに逃げてやり過ごしました。いまでも理不尽ないじめが蘇ることもあります。
 子供が塾の帰りにカバンにセミの抜け殻を入れられたり、自転車にいたずらをされるとかが続き、心配していたのですが、ある日「浜寺公園のプールに友達に呼ばれているから自転車で行く」というので、「溺れさせられる」危険を感じて、逃げるようにいいました。いじめが大々的になったのは家の前で少林寺拳法を習っている友達から、技をかけられ、学校に行けなくなり、病院でCTをとって、診断書を提出、学校は全校集会をひらき、文集などを作って何とか収まりしたが。子供は辛くて、自殺を考えることもあったとか・・・当時は何回の引っ越ししたりで、何もしてやれない状態だったので、可哀そうでした。いまでも何らかの形でいじめを引きずっているようです。担任曰「いじめる方にも問題があって・・・」といわれ「まるで私の方にも問題がある」ような口ぶりで悲しい思いをしました。いじめの鉄則は「逃げる」とことに尽きるとおもいます。今日はいいお話ありがとうがざいました。

虐めのことでは、碌な思い出がありません。
私は生まれたときから弱かったようで、生後8日目で感染のため手術をしたとのこと、その後の生活も痩せていたことから近所の渾名は「骸骨」でしたから、体力的にも駄目でした。
尤も、痩せていたのは食糧事情もあったようで、中年になりますと運動力はともかくとして、しっかりメタボになりました。

小学校3年の時ですが、理由は全く分からないのですけれど、同クラスの悪に二人がかりで殴る蹴るを何度もやられました。一人ならともかく二人では適わずに、よく泣かされたもので、クラス替えの有難かったことは言うまでもありません。勿論、クラス替えの後は、悪二人ともクラスが変わり、その後はやられなくなりましたし。
新しいクラスは、いじめっ子が居ず快適な生活を送ることが出来ました。

そんな良いクラスでしたから、3年前にも同窓会を開催しました。
人数は少なかったけれど、二次性徴の前からの男女の友達ですから和気藹々と喋りましたが、もう亡くなった担任(男性)の宣誓のスケベさも笑いながら聞いてました。
それから、この年になりますと、担任だけでなく、早世した同級生もいますから、懐かしい話も沢山あります。

ところが、私にすればこれだけ平和に仲良く過ごしたクラスでしたが、数人のグループの同級生が出てこない。親の家まで行ったけれど、出てこないのです。
想像するに、そのグループは全体がクラスに疎外感があって、虐められていたと思っていたとしか考えられません。

同窓会に出ている人達がいじめっ子であったとは昔を思い出しても記憶がないし、私自身も虐められた側の経験がありますから、悪意で相手をしたり、馬鹿にしないようにしてきたつもりでしたが、もし、そう考えられていたりしたら、もう一度会えたら詫びて仲良くしたいと思いますが・・・・・・。残念です。

>ポッポさん お久しぶりです、ソロです。 その後中韓ブログの方は如何ですか、もう、ブックマークを外しましたので、看て居ませんが。

 私の経験から言いますと、同窓会に出て来ないのは、私の様に、不倶戴天の敵と顔を合わせたくないから、とか、何か、事件に巻き込まれて世を憚る羽目になっている、後は、運が悪く失敗して、零落している、同じく不幸な目に遭って、色々保持繰り返されるのが嫌だ・・と言った、不幸な人生を過ごして来た場合が多いですね。

 亦、私も早逝した友人は多くいて、災害や事故死、病死、自殺と、60年以上生きて来れば、無事に過ごせなかった人も、定数いますね。 斯くいう私も、昨年死んでいれば、その中に入って居たかもしれません。ww

 私は、若い頃から、負けず嫌いで、運動神経は人並みなのに、人が出来る事が出来ないのが悔しくて、何でも人一倍練習しましたから、そこそこには上達するのですが、こんな処は親父似で、さっさと止めて別のスポーツを始める、と言う悪い癖が有って、剣道は三段どまり、柔道、空手、サッカー、ラグビー、バスケット・ボール、バレー・ボール、テニス、卓球は、齧ったダケ、結局、社会人になって始めた、軟式野球(もちろん草)で投手をやって、20年で150勝位したのが、思い出ですね。ww

 こんなダカラ、30代までは、体力自慢で、体重も96㎏ありましたが投手をやって居ました、 でも、40代になって、毎年違う病気を発症する等、其れまでの無茶苦茶な生活のつけが一遍に出て、糖尿病を筆頭に、顔面マヒ、帯状疱疹。継看板ヘルニア、突発性斜視までやって、10年間の裡に、モゥ、ガタガタ。

 是で終わりかと思って居たら、1昨年の脳梗塞、昨年のMRSAで、今や、3級の身体障碍者です。 こうなると、何処も悪くない、ポッポさんが羨ましいですが、全て自業自涜です。 何でも、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」なんだなぁ、とこの頃実感して居ます。 遅いかww

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