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2018年8月 1日 (水)

彼らは、日本人が日本人になってはよほど困るのでしょう

ー以下「宮崎正弘ブログ読者の声(稲村正治)」より抜粋編集

杉田水脈議員の「新潮45」(新潮社)への寄稿が、2018年8月号に「「LGBT」支援の度が過ぎる」という題のコラム記事になった。

「朝日新聞や毎日新聞といったリベラルなメディアは「LGBT」の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好きなようですが、違和感を覚えざるをえません」

「リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです」

ーー杉田議員は続ける。

「「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません」

「しかし、行政が動くということは税金を使うということです」

「例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります」

「しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか」

「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです」

「そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」

ーーと。

この記事に対して反日野党や反日メディアは、「人権」・「多様性」を振りかざして杉田議員を批判している。

ーー

そこで、国の存立という最も基本的な考えから、この問題について議論してみたい。

この問題は、竹田恒泰氏が鋭く喝破したように、天皇を国民と同じと考えるのと同じなのだ。

つまり反日メディアは、平等の名の下に、天皇も、LGBTも差別なく、皆平等にすべきだと言っているのだ。

しかし、それでは天皇はなくなってしまい、「天皇ご不在」の日本は日本ではなくなる。

「天皇ご不在」下では、日本人は、2千年以上の歴史・伝統を持つ日本人にはなれない。

ーー

ロックやルソーは、政治色の強い思想家に過ぎず、厳密な論理の積み重ねによって「人権」思想に到達したのではない。

彼らは、自然権によって保証された人権を持つ人間なるものがあらかじめ存在して、その人間の契約によって、社会が成り立っているとする。

この議論は、例えば、その自然権なるものは、動物や植物にはなぜ存在しないのかに答えられない。

動物や植物にも自然権としての動植物権があると考えれば、途端に人間は食べ物を失い生きていけなくなる。

ーー

つまり、「社会契約説」は、現実離れした空想に過ぎないのだ。

しかし、自然権に基づく人権が、どういうわけか現在に至るも堂々とまかり通って、政治的に利用されている。

そして興味深いことに、人権思想と、マルクス思想とは、同様に国を敵視し、個人の自由を絶対視する。

だから国を敵視し、個人の自由を絶対視する反日メディアは、LGBTを礼賛して、国が衰退するのを歓迎していることになる。

ーー

もっと言えば、反日メディアは、積極的にLGBTを英雄のように扱うことで、彼らに憧れるように、国民を教育している。

これは、国の衰退をめざす意図的な彼らの行動の一つと考えると合点がいく。  

ーー

杉田水脈議員のLGBTへの発言は国の存立を前提にすれば全く正当なものと言える。

そもそも国の存立なしには、人権の議論自体が成り立たないからだ。

共産支那がチベット、ウイグル、モンゴル人の人権を無視して民族浄化を行っていることは世界中の人々が知っている。

チベット、ウイグル、モンゴル人が国を支那人によって略奪されたからだ。

ーー

反日野党や反日メディアは、共産支那にたいしても「人権」・「多様性」を振りかざして杉田議員以上に非難しなければならないはずなのである。

ーーhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20180727/k10011551041000.html

トランプ政権 中国がウイグル族を不当に収容と非難 2018年7月27日 7時58分

アメリカのトランプ政権は、中国政府が、テロ対策を名目に新疆ウイグル自治区で、イスラム教徒のウイグル族を不当に収容し、その数は少なくとも数十万人に上ると明らかにして強い懸念を表明しました。

アメリカのペンス副大統領は26日、首都ワシントンで講演し「中国政府は、数十万人、もしくは数百万人の規模でイスラム教徒のウイグル族を再教育施設という場所に収容している。宗教の信仰と文化的な帰属意識を失わせようとしている」と述べて非難しました。

さらに、アメリカ政府で人権問題などを担当しているカリー大使も26日、議会で開かれた公聴会に出席し「習近平政権が去年の4月からテロとの戦いを名目にイスラム教徒に対する抑圧を強めている」と述べたうえで、ウイグル族を去年から少なくとも数十万人不当に拘束していると強い懸念を表明しました。

また、新疆ウイグル自治区では、イスラム教を若者に教えることやイスラム教徒的な名前を子どもにつけることが禁止になるなど、かつてない抑圧的な政策を進めていると指摘し、中国政府にやめるよう申し入れたことを明らかにしました。

公聴会には、新疆ウイグル自治区出身で、現在はアメリカを拠点にウイグルの現状を伝えている女性記者も出席し、新疆ウイグル自治区にいる自分の家族や親戚20人以上が去年から当局に連行され、今も行方がわからないと訴え、協力を求めました。

ーー引用ここまで

ところが反日野党や反日メディアが共産支那を非難する声は全く聞こえてこない。

彼らが主張する自然権としての「人権」を支那人らは無視し蹂躙しているではないか。

また「多様性」を認めよという絶叫はまさに北京(支那共産党)に向けられるべきではないのか。

ーー

反日野党や反日メディアは、ウイグル人には人権などなくてもよいと考えているに違いないのである。

つまり、反日野党や反日メディアの考えは北京(支那共産党)と同じだと言える。

ーー

自然権としての人権など存在しないのだ。

ウイグル人が人権を失ったのは国を失ったためだ。

人権を守っているのは国なのである。

ーー

野党議員は、国がLGBTの多様性を認めて差別しないことが、あたかも進んだ国のあり方であるかのように主張している。

しかしそうではない。

ーー

人間とは集まるとお国自慢を始めるものだ。

そこでの多様性とは、国の存在と不可分のものなのである。

それぞれの国が存立するために国民が工夫する中から、その国民独特の個性や多様性が生まれる。

つまり多様性も、国があってこそ存在できるということになる。

ーー

もともと社会は、様々な機能を持つがゆえに、多種多様の職業から成り、したがって単純平等なものでは無く、多様性を必然的に持つ存在だ。

それを、一元的・体系的にまとめ上げているのが、国なのである。

国内で暮らす多くの国民の安心、安全、幸福さえも、国が維持管理していかなければならない。

このようにして、国は、発展し存続してきた。

ーー

企業において企業が存続するために必要なことは生産性を上げることだ。

国が存続するために必要なことについて、杉田議員は「生産性」といった。

これのどこがおかしいのか。

国が存続するためには、最も大事なことだ。

それは多様性の中にも貫かれなければならない。  

ーー

LGBTも、日本人である。

つまり彼らにも、日本国存立のために生きることが求められている。

したがって国を否定して、(国を失えば全てを失うので)一般の夫婦と同等に扱え、という議論は成り立たない。

そのことを杉田議員は指摘しただけ。

非難される筋合いは、一切ない。

ーー

(これを非難できるのは、占領軍だけで有り、在日・反日勢力は自分たちこそが日本国の支配者であると考えているのだろう)

ーー

LGBTに育ってしまって改める意思のない者を、差別する必要はない。

が、手厚くする必要も助長する必要も更にない。

放っておけばよい問題でしかない。

実際、多くの一般のLGBTと呼ばれる人たちの多くが、そう思っているようだ。

ーー

国家を弱体化したい連中だけが、LGBTを、ことさらに政治利用したくて騒いでいるだけなのだ。

本当に余計なお世話でしかない。  

ここが子供が欲しくてもできなかった夫婦と、LGBTとの決定的な違いだ。

すなわち人間として、国民としての正道を歩んでいるかどうか、の違いだ。

ーー

それを同列にして、子供ができない夫婦の心を傷つけた、などと批判するのは、お門違いも甚だしいというべきだろう。  

ーー

この問題の根本的解決は、教育に求めなければならないと考えている。

それは、人間の認識は、ゼロの状態で生まれて、後天的に創り創られて育つものだからだ。

日本国民に育てるのは国、つまり日本人社会だ。

皆一人ではなく、偉大な先達の労苦のたまものとして世界一等の環境で生きていける。

この幸せを感じるとともに、それをより良くして次の世代に引き継いでいく。

国は、その責任と、そうすることの生きがいとを教育しなければならない。

ーー

国は、自分勝手に生きることには、人間としての価値がないということをしっかりと教育しなればならないのです。  

ーー

それでは支那共産党はなぜウイグル人の人権を抑圧し、多様性を認めようとしないのか。

「人権」「多様性」を認めると歴史も伝統もない共産支那という国が成り立たなくなるからだ。

つまり、米国が北京に「人権」「多様性」を認めよと主張しているのは北京の力を破壊するためであることがわかる。

ーー

ということは、日本国内で、人権尊重・多様性尊重・個性尊重を絶叫している人たちが狙っているのは、日本国の破壊なのである。

彼らは、人間が、その国に生まれ、その国の人間としてまともに教育されて、育っていくことを邪魔して、その国を破壊しようとしているのだ。

(彼らは日本が支那や朝鮮のような1948年以降にできた歴史も伝統も持たない危弱な国だと考えているのだろう)

ーー

彼らは、人間は生まれつき自由で平等だと主張している。

これは、教育するな、日本人に育ててはいけないということを意味する。

彼らは、教育すると自由でも平等でもなくなる、という恐怖心を持っているのだ。

彼らは、日本人が日本人になってはよほど困るのでしょう。

(稲村生)

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>神が造り賜いし地球上の生物は皆平等
 読んで居て胸がすく思いでした成る程、人権が有るのなら生命あるものすべてに権利が有るのは、神が自然を創られたとして、現代までの科学で人類が知り得た事から、至極当然の事でしょう。現生人類が人類としてこの地球上に現れ繁栄した時間は、僅かに、15万年/46億年「=0.00326%」に過ぎないのだから。

 ロックやルソーが活躍した近代欧州は、未だ科学の発達は、端緒に着いたばかりで有り、彼の大科学者ニュートンでさえ、「地球の始まりは3千年前である」と大真面目に論説して居たのだから、実態はゲッセネ派ユダヤ教であり、ファリサイ派ユダヤ教である、キリスト教が、民族宗教ユダヤ教に言う選民思想をベースとして居たが故に、当時の常識として、人間優位は当然で、「この地球は人類の為(=我々白人尾為、キリスト教信者の為)にあるので有って、動植物は、神が人類を繁栄させる為に用意した、魂の無い唯の食い物である」と傲った考えに、気が着けなかったのだろう。

 然し、「人権は天が与えし自然権である」と言って居るのに、同じく自然に神がおつくりになった、動植物の生命有るモノの立場に、考えが及ばなかった事は、同じ人類として大変に残念な事である。つまりは、人権は神が与えたものでは無く、神の代理人を偽称している教会が布いた、利己的な社会規範が神の定めたものだと言うデマゴギーが罷り通っていたからだろう。 神聖ローマ帝国の千年は、欧州の人々にとっては、理性を制限されて居たと言う意味で、誠に不幸な時代であったと云えよう。

然し我日本では、殊、平等と言う点では、「皆、悉く神の子であり、等しく且つ神聖である」とし、政体として、神の御声を聴き、或いは、訊いて、自然の脅威の中で、行き抜く方法を知る為に、神の直接のご系統である、スメラミコトを頂点の司祭王として置くが、そのスメラミコトが、民を「オホミタカラ」とすると言うのだから、人類も自然の一部であり、動植物も、否、この大地すら、皆悉くが神の創作物であるからには、仇や疎かに、生命を奪ってはならない。

 その証拠に獣を見よ、必要以上に草木を貪る事もせず、亦、捕食獣も無駄に狩りなどはしない。 神が造られし自然の法則に粛々と従って居るでは無いか。

 つまり、生きとし生けるものは、全てが、人類と同じ神の創造物で有り、等しく、神聖である、 こういう考え方は、何も日本だけでは無く、例えば、仏教の中にも常識として描かれている。 獣にも意思が有り心が有るのだと言う認識である。 

 但し、生き物は皆平等に出来ているが、其処には、「強者の弱者依存」の法則が働いている。 弱者は強者に捕食されるが故に数を多くする必要があるが、強者はそれを捕食する事で命を繋いでいる。 亦、捕食される側も適度な数を保っていける。

 然し、このバランスが崩れる、例えば、捕食される側が数を増やし過ぎると、食物が不足、或いは、獲物が多いので、捕食拾も増え、結果、気候変動で捕食される側の数が激減すれば、捕食拾も飢えて死ぬ事しか無くなる、と言うモノだ
。こうして、自然のバランスは保たれているのだから、是は明らかに神の法則だろう。 人類は斯うした自然の法則「=普段通りの現象であり、説明が着く事」に慣れているので、半端、常識化しているから、法則に反するのではないかと感じる、常識と違う事に対しては、違和感や警戒心を持って終うのだろう。 

 後天的/先天的要因の違いはある様だが、社会に一定数存在するLGBT(性的少数者)もその一つで、生殖行為が子孫を増やす為にあると限定すれば、同性同士で愛を語らう等、人間が決めた社会規範を神のご意志と詐称して居た中世の欧州では、「神をも畏れぬ不届きな行為で、悪魔の仕業に違い無い」とされて、追放や死罪と言った重罪だったから、LGBT者は、社会に潜在する事になった、所謂、禁忌化したのでしょう。 

 然し東洋では、男らしさが必要とされる、戦争時代はそうでも無いが、平和な時代が続くと、社会の男性への男らしさの強要圧力が薄らぐので、LGBTの人達が出て来るのだと思います。 宦官と言う、社会的な栄達手段を認め無かった日本では、同性愛は、よりオープンであり、武将などは「男色は武士の嗜み」等と捉えて居た向きも有った様で、その同じ人物が他方では、子供を数十人設けている例も珍しくない。つまり、生殖と性的嗜好は、完全に別物になっている、と考えるべきだろう。

 この様に、日本はLGBTに着いて西洋よりもはるかに寛容な国であり、人によっては、「単なる個人的な特質である」と認識されて居る。 此の度、杉田議員が、「限られた人数のLGBTの為に、社会規範を曲げるとか、特別な配慮をする事は、国家の税金の使い方として疑問だ」と言って居る事に、私は全面同意すしますね。蓋し正論です。

 是を批判するマスコミや左巻き野党には、共産シナに拠る、チベット・ウィフルの人権弾圧問題に関する報道の不作為「=人権無視」や過去に自分達も、「LGBTに着いては生産性が低い」と、行って居た(菅直人)事、更には、此処は日本で、日本人が棲んで居る国で、日本の歴史や伝統に従って生きているのだから、伝統日本の、性に関する考え方に顧慮も知識も理解も無く、西洋式の道徳観で、唯喚いているのは、問題の政治利用に過ぎないでしょう。

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