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2018年8月27日 (月)

我が国はアジア圏とは違う文明を築いていたのだ

ーー以下「黒木頼景ブログ」より抜粋編集

毎年、八月中旬になると、反日メディアや反日学者らは「善人気取り」で、得意になって「軍国主義」日本を批判する。

しかし肝心の軍国主義者がいなかったことや、代わりに共産主義者がウヨウヨいたことを意図的に無視する。

赤く染まった軍人や官僚が日本を敗戦に導いたんだから、そっちの方を批判すべきなんじゃないか。

ーー

帝国軍や官僚に潜む共産分子は、やたらに強い帝国軍が「北進」するとソ連が壊滅するから、日本を英米にぶつけるべく、「南進せよ !」と叫んだのだ。

近衛文麿も、陸軍参謀の瀬島龍三なども、日本の惨敗を期待していた。

ーー

晩年の瀬島はフジテレビが企画した『日本の夜明け』という番組に出演し、自己弁護に務めていた。

対談相手の笑福亭鶴瓶は歴史に無知だから、瀬島の正体を見抜けず、ただ感心してうなづくだけだった。

学校秀才の参謀らしく、瀬島は饒舌なトークで観客をたらし込むのが実にうまい。

ーー

しかし、彼は波瀾万丈の人生を語っていても、なぜか「シベリア抑留」時代に触れようとはしなかったのだ。

つまり、この男は、日本人を裏切り、ソ連共産主義者の命令に従っていた。

だから、「シベリア抑留」拉致時代を詳しく述べる事が出来なかったのである。

ーー

瀬島が語る嘘で塗り固めた「悲劇の軍人像」には腹が立つ。

瀬島陸軍中佐は、参謀本部作戦課部員で軍令部作戦課部員を兼務していた。

ベストセラーになった『幾山河』を出版した瀬島は、多くの軍人や民間人が貴い命を失ったことに“胸が痛む”と述べ、自己防衛に成功する。

そして、ちゃっかり「太平洋戦争戦没者慰霊協会」の会長に納まった。

ーー

毎年、停戦記念日を迎える頃になると、各雑誌は大東亜戦争を取り上げ特集を組む。

ところが、戦場に赴き銃撃戦をくぐり抜けた言論人というのは意外と少ないのだ。

その経験を持つ京都大学の会田雄次は論壇では貴重な存在だった。

その他の知識人と言ったら、陸軍少尉だった山本七平くらい。

ーー

会田は、ビルマ戦線で散々な目に遭ったにもかかわらず、日本への愛国心と忠誠心を持ち続けていた。

が、無謀な作戦に駆り出され、捕虜生活を味わったせいか、心の片隅にどことなく醒めた人生観を持っていた。

その会田が独特な切り口で大日本帝国時代と明治維新を語っている。

ーー

会田によると、列強がアジア諸国を植民地にしていることを知って、国論が沸騰し、近代化(白人の社会制度の導入)と富国強兵によって独立を維持したのは、日本だけであった。

ーー

清国は、英国の攻撃を喰らうと“あっけなく”大敗し、あろうことか第二首都にまで攻め込まれて降伏した。

アヘン戦争を目の当たりにした日本人は、幕藩体制のままでは(幕府では)どうにもならないと悟り、自ら体制改革に着手した。

(薩英戦争では、英国相手に一藩が戦った、これでは列強に勝てないと考えたのだ)

日本人と異なるアジアの諸民族は、アヘン戦争の経緯が伝えられても、その本質を理解することさえできなかったのだ。

ーー

列強による植民地化に関して、会田は「アジアの中で日本ただ一国」が危機感を募らせ、蹶起して近代化(白人化)を成し遂げた、と述べた。

だが、日本はアジアの国ではない。

我が国はアジア圏とは違う文明を築いていたのだ。

ーー

大陸に接する朝鮮人は絶えず支那北方民族の圧力を受け、略奪される度に抵抗すれど百戦連敗。

だから、いつも属国のままだった。

朝鮮人は、モンゴル人や支那人の侵攻を防ぐために、魅力が一切無い汚穢地(おわいのち)になるという政策を取った。

確かに、誰も肥溜めを占領し、その上澄み液を飲もうとはしない。

ーー

モンゴルに支配された朝鮮人は「モンゴル顔」を嫌い、いまも顔面工事をして繕っている。

ーー

列強に対するビルマの対応は酷かった。

会田によると、イギリス人は易々とビルマを征服している。

イギリス人は、「分断して統治した」のだった。

ビルマの少数民族、すなわちモン、カレン、シャン族などを懐柔し、彼らを唆(そそのか)して叛乱を起こさせた。

つまり、異なる民族を巧みに反撥させることで、イギリス軍は乏しい兵力でもビルマ人を征服したのだ。

ーー

アラウンパヤ王朝最後の王、とりわけ英傑と呼ばれたミンドン王は、いったい何をやっていたのか?

王は、ビルマやその周辺の学僧たちを集めて、南方仏教の経、律、論の三蔵を校訂し、それを大きな大理石の石版729枚に刻ませ、それを嵌め込んだパゴダ(仏塔)を建てさせたのだった。

これは数年がかりの大事業で、その建物を披露する1871年には、全アジアから人々を招待し、第五回世界仏教徒大会を開いた。

ーー

会田は次のように評した。   

飢えた虎狼が爪をとぎ、牙をみがいている最中にあって、軍備を整え、国論を対英抗戦で統一するといった手段はまったくとっていない。

「ひたすら祭壇を築き、仏陀の加護を祈ることに巨費を投じていただけである」(上掲書 p.174)   

次のチボウ王の時代、ビルマは抵抗らしい抵抗もせず、英国にあっけなく征服併合されてしまった。

ーー

日本人だけが覚醒し、挙国一致して富国強兵をすることで独立を保った。

それがなぜなのか、会田はその理由を述べなかった。

筆者は、我々日本人が戦闘民族であり、しかも同じ種族のまま長いこと暮らしてきたからだと考えている。

ーー

日本人は同じ土地で二千年以上も共同生活を送り、皆が皇室の神聖さを疑うことなく敬ってきた。

しかも、時折、各地の武士が戦を起こすことで軍人魂が鍛えられ、切磋琢磨しながら武力を高めていくという歴史を辿っていた。

日本人の民族の精神が活き活きしていたのは、武士の伝統を温存していたからだろう。

ーー

注目すべきは、日本の戦争が殲滅戦ではなく、大将の首を取ったら終わり、という闘争だったことである。

「戦国時代」といえども、領民の絶滅を招く収奪すら無かった。

甲斐の武田軍が越後の百姓を皆殺しにしたとか、越後の上杉軍が信州の女・子供を串刺しにしたという話は聞かない。

第一、「義」を尊び「信」に厚い謙信が、占領地で掠奪放火強姦の限りを尽くすなんて想像できない。

ーー

日本の戦国時代は謂わば煌びやかな絵巻物で、魅力溢れる武将が死闘を繰り広げる英雄譚に近い。

ーー

一方、支那軍は敗軍の将兵を容赦無く追討する。

民衆に対する掠奪と強姦が兵卒への褒章になる。

戦場は血みどろの生き地獄と化し、国土と人心はボロボロになる。

しかも、殺害された人肉は兵の食料とされる。

ーー

支那人の戦争は宇宙人や蛸でも真っ青になるくらいの恐怖(ホラー)映画の世界だ。

ーー

支那人に滅びの美学なんで一切無い。

あるのは勝者が敗者の顔を踏みつけて雄叫びを上げるだけ。

支那の武将はせいぜい、匪賊の頭目か暴力団の首領といったところだ。

ーー

支那の民衆は統治者から大切にされたことは一度も無いから、信じるのは自分自身と血族くらいで、他人は潜在的な敵か、どうなってもいい虫けらである。

だから、支那人はイギリス人やフランス人が攻めてきても、自分の家族さえ助かればいいと思っている。

誰が支配者になろうが、支那が最低の国であることに変わりがない。

むしろ、法治主義を実践するイギリス人に征服されて支那人は喜んだのだ。

ーー

香港割譲を悲劇と教えているのは日本のアホ教師くらいだ。

現地の支那人は大英帝国に併合されて幸運だったという。   

ーー

強い国家は血で結ばれた者同士が同じ文化や信仰を共有し、君民一体となって団結できるという点に特徴がある。

第19世紀にドイツと日本が勃興したのは、こうした國體(こくたい)を有していたからだ。

ドイツはキリスト教で日本は神道という違いはあるが、どちらも戦士気質を尊び、昔から変わらぬ血の絆で結ばれていた。

だから、外国からの脅威を感じると、国家の末端まで戦慄が走り、官僚組織から教会、組合、私的クラブまで様々な国家的筋肉が反応する。

ーー

同質民族で成り立っている国家には、「郷土愛」と「同胞」に共鳴する神経が張り巡らされており、各細胞が密接に繋がっている。

日本人が朝野を挙げて国難に立ち向かうことができたのも、朝廷と幕府が祖先と神々の血で結ばれ、庶民も同じ絆を有し、日本全体が運命共同体となっていたからだ。   

ーー

しかし、国内に異民族が蔓延(はびこ)っていると国内に亀裂が生じる。

ドイツの場合はユダヤ人で、日本の場合は朝鮮人だ。

長いことドイツ人から賤民扱いで、ゲットーからの解放後も異人種と見なされていたユダヤ人は、ナチス政権で大迫害を受け、ゲルマン人に深い恨みを抱いている。

ドイツ人意識を持ちながらも「除け者」にされたユダヤ人は、ドイツ人が“種族的”に団結することを極端に嫌う。

二度と再び、ゲルマン民族が統一されぬよう、教科書から映画に至るまで、様々な心理・謀略戦を使って分断を図っている。

ーー

ちょっとしたTVドラマでも非ドイツ化の影が見え隠れする。

例えば、ドラマのキャスティングで全員がチュートン系のドイツ人というのは不可能だ。

必ずトルコ系とかアラブ系の血が混じった俳優、ないし北アフリカ系やアルバニア、ボスニア、ユーゴ系じゃないかと思える黒髪の俳優が採用され、多民族国家ドイツというイメージが埋め込まれている。

最近では、アフリカ人やシリア人の若者まで、ドイツ生まれだから「俺はドイツ人」と言い放っているくらいで、日本人からずば、とても信じられない。

ーー

かつてはゲルマン人の血で結ばれていたドイツの國體は、ユダヤ人や左翼分子の攻撃で崩壊寸前だ。

よく冷酷な獄吏が囚人をいたぶる時、抵抗できぬようアキレス腱を切ったり、五寸釘で手のひらを打ちつけて壁に固定し、ナイフを用いて肉を剝いだり、目玉を剔(えぐ)ったりする。

同様に、ユダヤ人はナチスの罪を掲げて、まずドイツ人の精神を叩き潰し、リベラリズムで洗脳。

その後、手足の筋を切断し、じっくりと宿敵の肉体を切り刻んで行く。

ーー

ユダヤ人の仕置きに絶えられなくなったドイツ人は、大粒の涙を流して慈悲を乞うか、自ら進んで「私は悪魔でした。残りの人生を全て贖罪に捧げます」と宣言する。

だから、ドイツには左翼思考の国民が多い。

昔、肉慾に悩んだ修道士が、鞭を持って自分の背中を叩いたけど、現在のドイツ人は“非ナチス”をアピールするため、異常な自虐を国是に掲げている。

ーー

トルコ系帰化人やアフリカ系住民を、ドイツ国籍を持つから「ドイツ人」と見なして、差別主義者の汚名を避けている。

もし、正直に「トルコ人や黒人なんか嫌い !」と口にしたら、「ネオ・ナチ」と疑われ、社会的地位まで失ってしまう。

ドイツにはもはや言論の自由は無いのだ。

ーー

日本もドイツと同じ病を抱えている。

言論・メディアを支配している在日・反日勢力は、日本の同質的社会を「閉鎖的」と非難し続けている。

そして、「国際化せよ」として外国人の受け容れを後押ししている。

どの保守派議員も、アジア移民に対する反対意見を述べることはできない。

ーー

一般国民が「アジア移民の流入」と聞けば、賃金の低下くらいしか思い浮かべないが、本当に怖いのは、移民の子孫が日本社会で台頭することだ。

なるほど、移民一世は教養が無く、筋肉労働に従事する者が多い。

しかし、その子供たちは日本の学校で教育されるから、日系人の子供と同じレベルになる。

ただし、移民や帰化人の子供がみんな直ぐさま秀才になる訳じゃないが、大勢の子供が勉強し始めれば、その中から優秀な子供だって現れてくる。

その優等生が大学にまで進み、専門家となって官庁や民間企業の各界に入り込めば、何をしでかすか分からない。

ーー

外人系の官僚や議員は、子供の頃に味わった差別体験や屈辱感を一生抱くから、日本人のために尽力することはないだろう。

むしろ、無意識の復讐心を燃やし、日本の国益を軽視する。

例えば、入国基準を低くしたり、国籍を誰でも取れるような法案を通すかも知れない。

やがて日本はアジアの一部となるだろう。

ーー

国民の中には自らをアジア人と思っている人が多い。

しかし、「アジア」とはヨーロッパ人が勝手に使っている呼称で、基本的には「トルコから東の異民族が住む地域」という意味である。

例えば、「西アジア」とは主にトルコ辺りを指す名称で、場合によってはアゼルバイジャンやグルジアを含むこともある。

また、我々がよく耳にする「中東アジア」は、シリアとかレバノン、イスラエル、サウジ・アラビからペルシア(イラン)に跨がる地域と考えてよい。

そして、「東南アジア」とは、タイやマレーシア、ベトナム、フィリピンなどの地域で、「極東アジア」と言えば、主に朝鮮と日本を指す。

ーー

でも、普通の日本人が日本人同士で「僕達は極東アジア人だよね !」とは言わないし、トルコ人やアラブ人、ユダヤ人、ペルシア人と同じ文明圏に属しているとは思わない。

彼らに親近感を抱く日本人は稀だろう。

だいたい、上野のアメ横でシシカバブ(焼き肉)を売っているトルコ人や、新大久保で雑貨店を構える南鮮人を「私たちと同じ種族」と見なす日本人がいるのか?

髭面のパキスタン人やスカーフを被ったマレー人を見たオバちゃん達は、「最近、外人が多くなったわよねぇ~」と愚痴をこぼす。

たとえ日本国籍を持つアジア人が現れても、彼らを“同国人”と思わない。

ーー

そもそも、ヨーロッパ人が日本人をどう呼ぼうが、我々が気にすることではない。

日本人は誰が何と言おうとも「日本人」で、朝鮮人でもなければ、支那人でもない。

イギリス人やフランス人が、日本人を「黄色人種」とか「モンゴロイド」と呼ぶのは、彼らの自由である。

我々は外国人の慣習に干渉すべきではないし、「やめろ !」と厳命することもできない。

各民族には国内で自由な言論を楽しむ権利がある。

ーー

ここでちょっと興味深いのは、モンゴル人との混血児が公立学校に通い、同級生から「モンゴロイド」という綽名をつけられたら、担任の先生はどうやって日系人の子供を叱るのか?

もし、朝青龍みたいな顔をした小太りの女の子が、「朝青龍」とか単純に「モンゴル」とからかわれたら、教師たちは「そんなこと言っちゃいけません !」とは言えないだろう。

なぜなら、日系人の子供たちが「どうして?」と理由を訊いてくるからだ。

日比混血児の場合も同じで、子供同士の喧嘩の際、日系人の生徒が「何だ、このフィリピン野郎!」と罵倒した時、日比混血児の生徒は反論できない。

日系人の生徒が級友から「フィリピン人みたい」と言われれば、「何だよ ! 馬鹿にするな !」と言い返せるけど、母親がフィリピン人だと沈黙するしかない。

実際、フィリピン的容姿を馬鹿にされて号泣する混血児がいるのだ。

ーー

教育評論家は「民族差別はあってはならない !」と綺麗事を口にするが、現場の学校では建前など無力で、子供達の間には生理的嫌悪感が渦巻いている。

ーー

日本人のアジア化はかなり深刻だ。

最近の幼稚園や小学校では、アジア系混血児の子供が珍しくなく、名前は日本的でも顔附きがタイ人風とかベトナム風といった“アジア的”な子供が多い。

しかし、こうした子供たちは確実に投票権を持つ「日本国民」となって行く。

そして、「アジア化」の傾向は日本の将来に暗い影を投げかけている。

もし、日本が様々な民族と雑居する長屋国家になれば、国家的危機に直面しても、「日本国民」が団結することはないだろう。

異民族の血が混じった「国民」は共鳴せず、似た者同士で寄り集まり、各民族ごとに行動するからだ。

たとえ支那海軍が尖閣諸島を占領しても、幕末に見られた国民的沸騰は起こらず、無気力なアジア系「住民」が領土侵犯をボケ~と眺めているだけだろう。

国土防衛に燃えるアジア系国民なんて有り得ない。

むしろ、略奪を手助けする支那系国民が蹶起するだけだ。

ーー

アジア移民が増加しても日本列島の地形は変化せず、統治機構としての政府も残るだろう。

だが、愛国心に満ちた日本人は「少数派」となるに違いない。

やがて、日本社会には「民族的断絶」が顕著となり、日本史上初となる「日系人の終焉」が訪れる。

日本史の授業が「日本人という少数民族(マイノリティー)の歴史」になる日は近いのかも。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>アジア化する日本人の未来社会
 黒木さんの「無敵の太陽」は、私も、「お気に入り」にして、時折覗いて居ますが、氏の論調は、非常にクールな切り口で軋轢を懼れない分、論旨が明快だが、或る意味、「云い過ぎ」の面もあると思います。 

 特に、瀬島龍三氏の話ですが、私には少なからず異論が有ります。

 確かに彼には、終戦時に関東軍参謀として、ソ連軍と交渉にあたり、武装解除した60万人にも及ぶ、兵士の行く先を、シベリア開発に向けると言う結論にして終ったのは、確かに参謀課長として出席して居た、瀬島の責任は重い、然し、その場に同席して居た服部福四郎部長は、一体ドゥ評価すれば良いのか? 

 瀬島氏は、極東軍事裁判の開廷中に証言の為に一時帰国したほかは、用句留置の最奥区域に、兵士と共に10年間抑留「=重労働」を共にして居るが、この間にソ連は、陸軍の参謀蓮に洗脳教育を施し、現在の日本共産党の委員長の志位和夫氏の伯父上の当たる、陸軍参謀の志位氏は、帰国後、共産党の指導的役割に着いて居る。

 ダカラ、リーダー的な瀬島氏には、特に濃密な洗脳教育を受けて居たのは間違いがない、と言うのは、東京裁判で先帝陛下の処刑に拘っていたスターリンは、瀬島氏を、第二の近衛文麿に仕立てようと思って居たと思われます。 然し彼は、裁判で証人には立ったが、抑留柄逃れて居た癖に、寧ろ、ソ連よりの証言をしようとした服部部長を諫め、ソ連の気に入る証言をすれば、即帰国と言う条件を蹴って、以後、約7年間の抑留を甘受したのだった。

 この話は、本で読んだモノもありますが、私の会社近くで、立ち飲み屋をやって居た酒屋の親父さんが、その最奥区域に10年間抑留されて居た方で、喧嘩し乍も、仲良しの奥さんは、無菌状態に近いシベリアで10年間も居た事で免疫力が低下して、罹った結核で入院した先の婦長さんだったそうですww

 親父さんの話では、抑留生活を共にした、同輩とは、年一回の集まりを催し、当然ながら、写真の一枚も無い、然し、多くの同輩が帰る望みも無いないママ、冬季-60℃にもなる環境の中で多くが死んでいった当時を偲び、生き残った者同士、旧交を温めて居ると言っておられました。 彼の瀬島評は、決して悪いものではありませんでした、だって、彼も、共に抑留生活を送っていたのですから。

 瀬島さんは、帰国後に伊藤忠商事に声をかけられて、食卓でㇲが、イキナリ部長職に着いて居ます。還って来たのが昭和30年代の前半ですから、日本が高度成長期に入る前、朝鮮戦争の特需が終わって、戦争景気で潤った。商社が、ターゲットにして居たのは、多くは独立間もない東南アジアの国々の開発援助でした。

 日本は、戦時に迷惑をかけたお詫び、と言う形で、是等の国に投資したり、企業を進出させて、その国に二度と、欧州列強やソ連の侵略の魔手が伸びない様にと、先行投資したかったのですが、戦前、各国と交渉に当たって居た官僚は、公職追放された20万の中に入って居て、海外に目端が効くような人材は少なかった。

 ダカラ、瀬島氏に白羽の矢が立ったのだろうが、同じように、部長だった服部氏も大手商社から声を懸けられて、応じた様ですが、その人と形の所為か、それとも、国を裏切り、無気力になった所為か、早い時期に一線から引退して居ますね。

 彼は、東南アジアやインドと言った、後に親日国家になる国々の入発資金援助と、日本企業の進出を組み合わせて、実効の上がる手法を確立し、伊藤忠商事の中で実績を積み上げて、部長~重役~社長の階段を駆け上がり、最後には、経団連の会長に収まります。

 抑留から復員してからの彼の華麗な経歴を「何か支援している背後組織が居るのではないか?」と、訝しむ、向きは確かにありますが、当時の占領明けの日本では、反ソと言う風潮が日本中を覆って居た中で、反ソに懸けては折り紙付きですから、米国反共組織が、彼の支援に回った可能性は否定できませんね。

 その当時の日本の状況であった、反ソの時流に上手く乗れたと言う、親父さんの瀬島評価に止めたいと思います。

 さて、現在日本社会では、シナ・朝鮮人のみならず、アジア系の非日本人の子弟が増えて居る事で、危惧を持たれておられる様です。

 然し、此処で黒木さんに反論したい事が有ります。 では、フィリピン人の血を引いて居たら、その子が、フィリピンでは一度も生活した事が無くても、何時かはフィリピン人の血が甦って、日本の社会は、国家存亡の秋になっても、日本人は動かない、とでも、危惧されているのでしょうか?  マァ、今のままではそうなる可能性も、強ち、杞憂とは言えませんね、

 私事で恐縮ですが、私の母方の祖父は、薩摩藩が雇った「御雇外人」の忘れ形見、つまり混血児です。

 お雇い外人の正式な国籍や、名前、雇われた職種、その行方も分りませんが、未だ幼かった祖父は、薩摩藩が用意した、現地妻だった、祖母の行く先「=地方の素封家の後妻」に同行し、いろいろ苦労した様ですが、14歳の時、海軍の兵隊募集に応募して、旗艦三笠に乗り込み、「1番砲塔の砲弾運び」で、日本海海戦に参加、一躍、郷土の英雄になりました。 ダカラ祖父さんは、私が商船学校に受かった時は、殊の他喜び、あちこちで自慢して居た様ですww

 祖父さんはその後、神主の家の長女を嫁に貰いましたが、私の曽祖父に当たる人が29歳で早逝していて後継に男の子が居なかった事で、寺社領も屋敷も、親戚に取られた後でしたので、満州に行って一旗揚げてやろうと、渡満して、港関連の仕事で成功して見事に一旗揚げました。 然し、祖父さんの誇りは、死ぬまで日本海海戦に参加して、命懸けでお国の為に戦った事でした。

 私は、混血後3世代目すから、1/8は白人系の血が流れているのですが、では、私は何人かと問われれば、身も心も、日本人だと思って居ます。 

 その人が何人かを決めるのは。その人がどの様な血を引き継いでいるのかではなく、どんな環境「=家庭、社会」で育ったのか、だと思います。 此の黒木氏の様に、その人間の性質や思想に、血が影響するのが当たり前の様に考えて居る人こそ、実は、ご自身に、自ら日本人足る自信が無いのではないかと疑いますね。

 こう言う傾向は、遠い昔に日本に棲みつき、自分では日本人に成り切って居る様に考えて居るのに、不思議と他所の国の側に立った視点でモノを考えて居た李、故国の因習である、階層間差別「=民族差別」の感覚を密かに持って居る自覚が有る事に、惧れを成して居るのではないかと疑いますが、そんな感情は、実は後着けの知識に拠る妄想・錯覚に過ぎません。 

 大体日本は、地理的に言えば、多くの漂着民や渡来人が多く棲んで居るのが当然の一に在りますが、実は、そういう傾向が少ないのは、日本ン列島の棲み難さに原因があると、私は思って居ます。

 日本人は、現在でも、毎年の地震、台風、そして、時折の津波や火山の噴火、そして冬の豪雪に「苦しんで居ますからね。 治山治水が満足で無かった時代のご先祖のご苦労は並大抵ではありませんから。 特に四方100kmに轟く、雷鳴と火柱は、水平線のっ向こう側からも聞こえ、見えるので、「魔物が棲む場所」として、大陸の海人族には懼れられて板でしょう。

 私論は兎も角、最近のDNAの調査では、大別すれば、バイカル湖伊藤の森林に住居を持ち、大型の哺乳類を追って、地続きだった海峡を渡って、列島に侵入した、所謂北狄族のツングース系の歩と人、或いは、南方のスンダランドから、海流に乗って北上してシナ大陸や南西諸島で、当時内海だった、東シナ海を漁場にして生計を立てて暮らし、後に、揚子江を下って来た南蛮族と共に、長江文明を築いた東夷族と言った、異なった民族の集合体が、日本人を創ったのだと考えて居ます。

 つまり、日本人は、時間を米国の100倍位懸けてできた、混血民族なのです。 犯罪が多い故に法律が発達する王に、争いが多かったが故に、「和を以て貴しとな為す」と言う十七条の憲法が支持されて来たのです。 

 そういう論の基になる、DNAが遺って居ない、と言うなら、3万年の間に、私たちが知らない、栄枯盛衰の歴史があったと言う事でしょう。 歴史は何時でも、勝者に拠る虚偽の歴史や付加で、未完の学問ですからね。 外国人意識が強く出て来ると言うなら、「遅れて来た渡来人」ダカラ、と言う他は無いでしょう。

 ご自分のアイデンティティに悩んで居る人々は、自分の故国の真実の歴史を知り、現状を把握して、何故こうなったのかを真剣に考えて看るべきです。 そして、自分や子孫が将来も、この日本列島で暮らして行く心算なら、日本人とは一体何なのか、を原点に戻って考え、結論を出すべきです。

 そして、自分は半島人や大陸人に、日本社会以上のシンパシーを感じると言うなら、その傾向に従って半島や大陸に還って、祖国や民族の未来の為に戦うべきでしょう。 人生とは、「命の使い方」に他なりません。

縦椅子さま
 
 「ひといきつきながら」のうたを「みやぞんの24時間トライアスロン」の後に聞き、感動し、一刻も早く共有したいと思いました。
          歌:山本彩 作詞:岩田純平 作曲:生沢佑一
いつものまいにち
いつものなかまたち
なんでもないけれど
すばらしい日々

ひといきつきながら
ひとはひとを想う
ひといきつきながら
ひとはつながる

ひとりだけどひとりじゃない
こころの中はひとりじゃない
 
たまにおちこみ
ときにはふりかえるでも
顔上げ前を向けば 
道は続いてる

ひといきつきながら
ひとはひとりたたずむ
ひといきつきながら
ひとはひらめく

ひとりだけどひとりじゃない
こころの中はひとりじゃない

ひといきつきながら
ひとはふみだす
ひといきつきながら
ひとはわらう

ひとりだけどひとりじゃない
こころの中はひとりじゃない

ひといきつきながら
ひとはひとを想う
ひといきつきながら
ひとはつながる

ひとりだけどひとりじゃない
こころの中はひとりじゃない

ひといきつきながら
ひとはもっと働く
ひといきつきながら
ひとは生きてる

ひとりだけどひとりじゃない
こころの中はひとりじゃない

ひといきつきながら
ひとはもっと羽ばたく
ひといきつきながら
ひとは生きていく

ひとりだけどひとりじゃない
こころの中はひとりじゃない

今日を生きるすべてのひとに
しあわせだと思える瞬間がありますように

らーらららーらららーらー
らーらららーらららーらー
らーらららーらららーらー
らーらららーらららーらー

>しかし肝心の軍国主義者がいなかったことや、代わりに共産主義者がウヨウヨいたことを意図的に無視する。

戦後の憲法は、国民に自由、平等、信条、思想、信教等の自由を保障しています。
戦前の憲法は、法律の範囲内で居住、移転、言論、著作と安寧秩序を妨げず、臣民たる義務に背かざる限りにおいて信教の自由を認めています。これに当時は危険としていた共産党のことも、教えていたのでしょう。(戦後も共産党は、武装革命を主張していたこともあったようです。)

そして、戦前の政界や軍部には、共産党の分子が入り込んでおり、活動していたそうです。
日本の戦争相手の米国にも、共産党による活動は、大きな影響をもたらしました。

終戦後の日本で戦勝国となった米国ですが、支那や満州での利権を得られず、それらはソ連が配下の共産党が得ることになりましたから、戦勝によるうま味はソ連が得たと思います。(もっとも、支那共産党は、当初ソ連の配下でしたけれど、その後ソ連と衝突して、ソ連の影響下を脱しました。)


>日本人は同じ土地で二千年以上も共同生活を送り、皆が皇室の神聖さを疑うことなく敬ってきた。

国民の幸せと祈るという天皇の姿は、日本以外の何処にも存在しません。それだけで、日本が世界にまれな幸せな国であると言うことを表しています。


>一方、支那軍は敗軍の将兵を容赦無く追討する。
民衆に対する掠奪と強姦が兵卒への褒章になる。

戦いに勝ったものは、支配地域の全てを手に入れる。その兵隊は、手近にある物品と人を我が物にする。

>支那の民衆は統治者から大切にされたことは一度も無いから、信じるのは自分自身と血族くらいで、他人は潜在的な敵か、どうなってもいい虫けらである。
>だから、支那人はイギリス人やフランス人が攻めてきても、自分の家族さえ助かればいいと思っている。

これを、日本人は想像出来ない。


日本人は、日本を日本民族のものだと思っています。
移民は、あくまでマイノリティだと思っています。
しかし、終戦後の連合国による日本弱体化政策は、日本人が世界における悪の国のような扱いをして、これを敗戦利得者は利用して、サンフランシスコ平和条約の締結後も継続しました。
その結果、日本人には自虐史観が横行したため、未だに誇りを持っている日本民族の姿が、少なくなっていることも残念ながら実態だと思います。

これを復活させるためには、世界最古の国である日本の素晴らしさを判っている者が、これを日本人に少しずつでも広めるしかないと思います。
日本は日本民族の精神的復興によって、始めて国体を取り戻すことが出来るのです。

これは、先の見えにくい長い道になると思いますが、明治維新の時に当時の先達が、西欧列強から植民地にされないように努力したことと同じです。
時間は掛かっても、今の日本人もまたこれを実現すると信じています。

瀬島龍三氏について

今日のブログにおいて、黒木頼景ブログの抜粋原稿では瀬島龍三氏は、近衛文麿氏と同様に日本の惨敗を期待していたとして、極めて評価を低くされています。

これは、笑福亭鶴瓶氏は歴史に無知だから、瀬島氏の正体を見抜けないとか、饒舌なトークで観客をたらし込むのが実に上手いとかの表現で分かります。
また、瀬島氏がシベリア抑留時代の話に触れないことから、瀬島氏は日本を裏切って、ソ連共産主義者の命令に従っていたと断罪した上で、「だから、「シベリア抑留」拉致時代を詳しく述べることが出来なかった」と断定されています。

しかし、投稿者のソロさんは、これに異論を唱えており、「確かに彼には、終戦時に関東具運参謀として、ソ連軍と交渉にあたり、武装開所した60万人にも及ぶ、兵士の行く先をシベリア開発に向けるという結論にしてしまったのは、確かに参謀課長として出席して居た、瀬島の責任は重い」とする一方で、その席に同席していた服部服史郎部長の評価に疑問を呈しています。

また、極東軍事裁判の開廷中に証言のために一時帰国した他は、抑留地の最奥区域に、兵士と共に10年間抑留していることや、ソ連による陸軍参謀連への洗脳教育を施されたことにも触れています。
このとき、現在日本共産党委員長である志位和夫の伯父にあたる志位正二も洗脳教育を受けていることから、通常は洗脳教育はソ連に協力する者に入念な教育を施すと考えることから、洗脳教育(抑留)が長ければ、ソ連に協力的だと考えることができますが、瀬島氏の場合は抑留中、ソ連側の日本人捕虜に対する不当な扱いに身を挺して抗議をしたこともあることから、一概に反日やソ連スパイの可能性を考えることは出来ないと思います。


ただ、瀬島氏については他の書籍においても、愛国者とは思えない評価をされていたものもありましたから、私のような不勉強な者が判断することなど出来るものではありません。

ソ連が崩壊した後の文書に、日本に施したスパイ戦略やスパイ教育の対象者が分かれば、もう少し正確なことが分かると思いますが、瀬島氏の戦時中の行動が華やかな一方で、戦後の活躍もまた経済界で抜きんでていることから、彼の評価をどうすれば正当な者になるのか考えるものです。
もっとも、彼の没後10年にもなるのですから、新しいことは詣でてこないのかも知れません。

私は、彼が極東国際軍事裁判でソ連から、昭和天皇の戦争責任を証言を求められた際に断固拒否したことと、伊藤忠の会長が彼を信じて会社に招聘したことを、愛国心の発露として信じたいと思います。

>ばら様 
 初めました、このブログで、ソロと名乗って居る投稿者です。  何時も、感謝で始まる爽やかで清々しい投稿有難うございます。

 今回のご投稿の内容である、「私達は決して一人では無い」と言うメッセージ・ソングのご紹介で、この処、日本人にあるまじき、子殺しや虐待、親や配偶者の惨殺~死体遺棄、バラバラ事件等、陰惨なニュースが続いて居ますし、先日の津川雅彦さんや、今日のさくらもも子さんの訃報が続き、暗くなりがちだった私の気持ちに、一服の清涼感を戴きました。 

 「人はいずれ死ぬものだ」とは、理解し、覚悟して居たのですが、昨年3月に,、MRSD「=ブドウ球菌感染症」に敗血症を併発して、寸での処で、あの世へ行く処でした、その影響で、元々糖尿病で、左目を失明して居た上に、左耳も失聴して終い、軽度「=3級」の身体障碍者になりました。

 昔のちょっとした功績で、御情けで雇われて居た会社も、昨年11月に辞める事になり、直ぐに求職しましたが、多重障害者のうえに、一昨年に脳梗塞もやって居るので、雇ってくれる処があろう筈がない。 其れこそ、「世の余計もの」になった様な、疎外感を持って、この1年を過ごしてきました。

 然し、時々感想文を寄稿して居らっしゃる、貴女が公共の為に、公園の掃除などされて居るのを知って、私も体調が落ち着いたら「=片眼、片耳に慣れたらw」、何か始めようと思って居ます。 「生きて居るとは何か」を、考える事が、神様から、今の私に下された、命題の様な気がします。

 確かに、私たちは、一人では無いのですが、外界に絶望して外界への窓を閉ざしてしまうと、物理的にも心理的にも一人になって終います。 是は言わずとも、自分で望んだ事でしょう。 つまり、「自分の運命は、自ら望んだモノだ」と言う事です。

 よく観察していると、自分がこうなれば良い、と思った、その方向に向けて努力した事は、自然に適ってきたような気がします。 適わないのは、自分の努力が足りないか、自分には向いて居ない事だったりするのに、意地になって、無理にそちらに行くと、危険な場合が多かったですね。 是は、自分がきっと誰かに護られているのではないか、時折、思うようになりました。 正に、一人では無いのですね。

 ですから、目が見え無くなった事も、耳が聞こえなくなった事も、更には、失職した事さえ、護ってくれているお方のお導きなのだと、次第に思えるようになりました。 元々は、我の強い性格で、軋轢を懼れないでモノを言ったり、したりするので、大抵の上役には嫌われて来ましたから、自分自身、大きな変化だと思います。 今は、「今の自分に出来る事で、他人の為になる事を、小さくても良いカラ、やって居たい」と、少しづつですが思う様になっています。

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