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2018年8月17日 (金)

日本人を革命の奴隷とすることが目的であった

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

江崎道朗『日本占領と「敗戦革命」の危機』(PHP新書)

本書の特徴は新しい観点で現代史を見直したこと、もう一つは「ヴェノナ文書」など新資料がふんだんに駆使され、より迫真性に富むことである。  

ーー

国際的な共産主義者組織(コミンテルン)は占領軍総司令部GHQにも工作員を潜り込ませていた。

共産主義者らは、軍事力で敵を薙ぎ倒すなどという、莫大な費用の掛かることはしない。

もっと安上りな方法を用いて国を乗っ取る。

1、敵国に工作員を送り込み、彼らに敵国政府の敗北を助けさす
2、侵略(帝国主義)戦争を内戦に持ち込む
3、戦争を通じて共産主義(プロレタリア)革命を遂行する

のだと、江崎氏は解説する。  

ーー

つまり国際共産主義者組織の戦略とは、

第一に日米英を戦わせ
第二に、米国を用いて、日本を敗北させ
第三に敗戦の混乱下で革命政権を樹立する

『戦争は手段、目的は革命』であったのだ。

ーー

日本人を革命の奴隷とすることが目的であった。  

ーー

ルーズベルト政権にはおよそ300名の共産主義者の工作員が紛れ込み、対日強硬外交にアメリカを誤導し、真珠湾攻撃を誘発した。

彼らの目的は、日本に革命政権を樹立することにあった。  

ーー

しかしルーズベルト政権には共産主義者の弱い日本(ウィークジャパン)派の謀略を見抜き、それに反対する勢力が存在した。

それが強い日本(ストロングジャパン)派であった。

ルーズベルト政権内、そして占領軍GHQ内部で両派の死闘が繰り広げられていた。  

この占領軍の内部抗争に関しては林房雄が『緑の日本列島』や『池田勇人』で、最初に指摘した。

が、在日・反日勢力の支配下にある日本の論壇はとくに注目もしなかった。  

ーー

共産主義者ら弱い日本(ウィークジャパン)派が最初に手をつけたのは日米和平交渉の妨害だった。

暗号通信を読み取り、徹底的に妨害したのだ。  

これも多くの証言や資料が戦後でてきたため、おおよその全貌が明らかとなった。

が、「ヴェノナ文書」の公開により、より確実な証拠が揃った。  

ーー

驚くべきは大東亜戦争の開戦から僅か三ヶ月で、アメリカでは日本の戦後処理を検討する特別チームが組織化されたことである。  

もっと驚くべき事実を江崎氏はさりげなく挿入する。  

「OSSは、全米の俊秀を集めた頭脳集団であったのだが、多数の共産主義者が深く浸透していた」

「共産主義者の浸透に警戒していたにもかかわらず入り込まれた、というわけではない」

「共産主義者を積極的に迎え入れたのだ」(p92)  

ーー

OSS(Office of Strategic Services)とはCIAの前身である。

CIAは誕生時に、反共ではなく、容共だったのだ!   

ーー

敗戦の土壇場のポツダム宣言受諾交渉は、複雑な駆け引きが秘密裏に展開されていた。

この経緯も殆ど知られていない。  

無条件降伏、天皇制解体というのが当初のアメリカの占領計画だった。

弱い日本派(ヒスやハル、ホワイトら)と強い日本派(グルー国務次官等)の死闘は、この天皇制解体の是否をめぐるものだった。

ーー

で、圧倒的に天皇制解体の主張が強く、トルーマン大統領も、この計画で固まりかけていた。  

そのヒス、ホワイトら日本弱体化派の陰謀を粉々に砕いたのは、大日本帝国軍の鬼神も涙するほどの死闘だった。

ーー

ペリリュウ島で、アンガゥル島で、硫黄島で、沖縄で。

大日本帝国軍のあまりにも強靱な反撃と死をも恐れぬ民間防衛によって、アメリカ兵の犠牲は鰻登りとなった。

アメリカは怯(ひる)んだ。

日本の軍人のあまりの強さに恐れが生まれたのだ。

ーー

他方、北海道も盗もうとするソ連軍を食い止めたのも占守島(しゅむしゅとう)の死闘だった。

ソ連軍に多大な犠牲を与えた。

これによって日本は国家分裂という悲劇を食い止めることが出来た。  

ーー

同時にトルーマンは味方の筈だったソ連軍の敵対行為を目撃した。

それは『あり得ない現実』だった。

ソ連軍は、東欧に電光石火と軍を進めたのだ。

1944年二月から十二月にかけてバルト三国、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア。

そしてバルカン半島でもユーゴスラビアとアルバニアが次々と共産化されてしまった。

ーー

ソ連に対するアメリカの認識は激変した。  

ーー

もう一つ米国の対日政策を変えた重要な要素は、昭和天皇の現状認識力(インテリジェンス)だった。

すなわち陸軍参謀本部から上がってくる情報以外の情報を昭和天皇はお持ちだった。

その決定的な情報がアフガニスタンとダブリンの在外公館から届き、参謀本部を通さずに直接陛下にもたらされた。

ーー

トルーマンが、無条件から有条件降伏に転換していたこと。

トルーマンが、天皇制を守護する方針に切り替えていたことを陛下は事前に掴んでおられたのだ。

そのうえで終戦をもたらし大平を開くために、「進んでマイクに立つ」と仰せになった。

またマッカーサーとの会見では、この身はどうなろうとも日本民族の滅亡を避けるという断固たる決意を示されるに到った。

ーー

革命を目前にして、日本の共産主義者らが企んだ全国労働拒否(ゼネスト)はマッカーサー命令で回避された。

こうして日本の共産主義革命は不成功に終わった。

ところが日本人を革命の奴隷にしようとした在日・反日勢力が、今も、言論・メディアを支配したままなのである。        

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>戦前の米国の容共政権が突如反共に変わった理由
 私は↑の疑問をずっと持ち続けて居ました。 FDRがスターリンと変わらない程の共産主義者であった事が、フーバーレポートやヴェノナ文書の公開によって、明らかになって来るに従い、FDRの死後も終戦までは、米国は確かに容共であったのに、日本のポツダム宣言受諾の辺りから、朝鮮戦争勃発に至る迄に、米国政府内部に大きな変化が有り、GHQも初期の、ホイットニーやケーディスが民政局を仕切って居た頃は、完全に共産主義者的な政策だったが、社会党政権が経済政策の不備で瓦解する頃には、反共のウィロビーが、指揮権を握る様になっていた。

或いは、朝鮮半島で21年の大邱事件は兎も角、23年の4・3事件と台湾で起こった、大陸から逃げて来た蒋介石軍に拠る、2・28事件も、大義名分がレッド・パージ「=赤狩り」である事からして、私はてっきり、当時米国内に吹き荒れていた赤狩り旋風「=マッカーシズム」の余波であろうと思って居ました。

 然し現実は、その後約40年以上続く、米ソ冷戦の契機となる、スターリンの裏切り行為=東欧への侵攻、満州での蛮行、北海道への侵攻・・だったわけですね。 これで、米国内の反共ムードが高まり、GHQの民政局も、方針が180°転換したわけです。

 米国に取って新たな敵として、共産主義の覇権主義が、その姿をハッキリ現したと言う事ですから、地理的に両者の間に位置する日本に取っては、米国の判断如何では、日本は先帝陛下の処刑は勿論、分割統治を余儀なくされただろう事は、粗、間違いない事です。

 それ故、日本が全滅覚悟で、徹底抗戦を繰り広げ、軍民双方に大きな犠牲者が出て居た事で、交戦当事者の英米豪軍は、「日本兵士は世界一の軍隊である」と舌を巻いて居た事が、ソ連を除く、連合軍が日本の降伏受諾を以て、戦争を終結させようと言う方向性が出てきたと思います。 つまりは、決して無駄に抵抗して居たわけではなく、その愛国の志は、交戦相手の将兵にすら、届いて居たと言う事ですね。

 然し、驚いた事が有ります。 其れは先帝陛下が、独自で情報収集期間を持って居たと言う事です。 考えて看れば、先帝陛下の使命の第一は、日本の国体を成す、オホミタカラ「=国民」と皇室・皇統の維持でありましょう。 陛下にしてみれば、御自らのお命の如何は、2の次3の次です。

 ポツダム宣言受諾に至ったのも、この筋からの情報を解析して、皇室・皇統を戦後日本に、遺す事が可能であると判断したからでしょう。 然し其処には、日本が昭和20年1月には、原子爆弾を完成して、陛下のご判断を仰いだ処、「予想される結果が、余りに残虐過ぎるので、使用してはならない」と言う御聖断で有った。

 処が、米国はそれを2度に亘って使用し20万人以上の死者を出し、更に十数発も投下する計画がある事を知らせていましたから、爆弾の威力を事前にして居た陛下は、「是では国民が全滅する」と言う具体的な危機を感じ取って居たと言う事でしょう。

 この時点で降伏は、もう避け様がなかったが、国民の方は、終戦のタイミングだけの問題ですが、皇室の維持となると、無条件で降伏すると、当時2605年に喃々とする皇統を陛下で消されて終う事になりかねない。 そういう時の為に。表向きの情報とは別線の情報筋を持つ事が、役に立ったのでしょうが、是は、推測に過ぎませんが、親子の様に親しくして居た英国の。ジョージⅤの進言に従ったものでは無かろうか。

 唯、陛下の唯一の失策と言えるのは、ご自身より、10歳年上の五摂家筆頭の近衛家の総領、文麿を3度に亘って総理大臣にする等、重用しましたが、実はこの人物が、ソ連の工作員であったゾルゲ一派と親密で、ナント政策ブレーンにして居たので、実質日本の政策は、ソ連に操られて居たのでした。

 結果として、日本の外交の行方を誤らせた、と言う事でしょう。 陛下にして看ればこの一事を以て、万死に値するとお思いになられていたであろう事は、想像に難くないですね。 終戦から、40数年の後に先帝陛下はお隠れになられましたが、っ其の40数年は、陛下にとっては、1日、1年が、いばらの道であったと推察致します。

 我々は、陛下が遺された玉音放送で読み上げられた、終戦のご詔勅の最後に、「日本をキット立て直し、再び世界に伍する生え有る国に再興して下さい」と、まるで遺言の様な下りが有ります。

 我々の先達たちは、その陛下のお申しtづけを、次の日から資力を傾注して、現在の様な世界もうらやむ経済大国、技術大国にして見せたのです。 私たち跡を継ぐ者は、この先達の志の日を消すことなく、次世代に伝え、以て、日本が世界を平和にするトップリーダーとなる事が、真に、先達たちの志に沿うものであると信じます。

>もっと安上りな方法を用いて国を乗っ取る。

この3項目について、1970年代の尤も日本共産党が若者に人気のあった頃ですが、オルグで企業に入り込みそこに支部を作ると共に、日本の国にもオルグとして活動し、やがては内戦に持ち込むと夢のように話していた友人がいました。

あの頃の若者は、支那のスパイがラオスやカンボジアの赤化を前にして、やがては日本にも共産党が強力になって、自治体や企業でストや争議を起こすことから、やがては日本にも内乱を起こし、これに勝利すれば、革命が起こると本気で夢見ていたと思います。

当時の大学は、学生騒動で各大学は大もめに揉めていました。ソ連は、社会党にも金を渡していました。
学生は警察の機動隊と実力(暴力)で争っていましたが、一般の人は遠巻きに見ていたと思います。
考えてみれば、日本は戦国時代ですら大名と大名の戦いであったけれど、戦いに出ない農民や一般の人に取っては高みの見物であった歴史を持っています。
ですから、それが20世紀に学生対警察という形で復活しても、学生と警察の闘争であって、サラリーマンにとっては高みの見物が日本の文化であったと思います。この騒動は、一般人は学生を応援する形で動いたと思います。

だけど、ソ連や支那は、これを国民全体の戦いにしなければならないと考えていたのでしょう。学生運動から学生が一般国民を巻き込みたいと考えた結果、(象徴的ですが)三菱重工ビル爆破事件を起こしました。

そして、この後の日本人は冷静だったと思います。
学生を心情的に応援していた一般国民は、民間会社に大きな被害が出たときから、学生運動を応援する気持ちを無くしました。
この後は、学生運動は全般的に退潮していき、連合赤軍事件で終わったように思えました。

日本人は日本人同士が争うことも日本のためを思ってならば、それ程目くじらを立てなかったのです。
しかし、日本人の間であって学生と警察ならば、相当のもめ事でも横で見る程度の気分だったと思いますが、密接した関係の無い企業が爆破され死傷者が出るに至っては、国民として明確に反対を示したように思います。
これが、支那や、ラオス、カンボジアなら国民全体が動揺して、武力闘争を受け入れたのかも知れませんが、日本人は反対の意図を示しました。
日本は、一部の者が国を転覆させる程に、柔な国ではないことを示したのだと思います。


戦前の日本も、政府やマスコミにソ連のスパイが入り込んで、政権も揺るがされました。
ソ連のスパイは、米国にも入り込んで日本と米国を戦わせようとしたり、敗戦した日本に共産革命を起こさせることで、日本を社会主義国にしようとしたそうですが、迷惑な話です。

日本は、国民を大切にと祈っておられる天皇がいて、政府は天皇の祈りを実行するためのものですから、支那・朝鮮や欧米のように皇帝や王が国を我が物として、好き勝手にしてきた国とは異なっているのです。
欧米は日本の本質を知らずに、大陸の隣にあるからと、勝手な想像で日本の国を知ったような気分になるのは困りものでした。

>ところが日本人を革命の奴隷にしようとした在日・反日勢力が、今も、言論・メディアを支配したままなのである。  

安倍首相の放送法改正に期待したいと思いますし、ついでに、NHKの公共放送の枠組みを外して、民間放送に移行することを期待します。

ソロさんへ

「中韓ブログ」で愛信の記事がなくなったのは、ちりちゃんの行動よりも辻本様が、愛信を出入り禁止にしたと考えた方が妥当ですね。
ちりちゃんの行動は、辻本様が処理したのなら必要なかったことになりますが、その気持ちは有難く、受け入れられると思います。

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