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2018年7月23日 (月)

もともと天皇を称える歌が、一般庶民に流布し、子孫繁栄の歌として使われるようになった

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

古事記の冒頭には次のように記されています。

初め天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が、
次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)が、
次に神産巣日神(かみむすひのかみ)がお成りになられます。

高御産巣日、神産巣日という言葉は、それぞれ高位との結び、神との結びを意味します。

天之御中主之神が現れて後、高位の結び、神との結びが行われるわけです。

神様は、存在だけではなくて、行動や行為やはたらきのすべてが神なのだというのが、古事記の観念です。

ーー

その立場で、古事記はここまでの三柱の神様を 「共(とも)に独神(ひとりかみ)でお成りになられました」 と書いています。

「独神」というのは、「単独の神様だ」とわかります。

三柱の神様は三柱別々におわすのであって、一緒にしてはならない、と。

ーー

要するに上に述べましたように、高位の結びも、神の結びも、それぞれが独立した神々であるということです。

ーー

古事記では、この三柱の神様が「隠身也(かくりみなり)」と書かれている。

三柱の神々がお成りになられ
それぞれの神々は、独立した神様で
それぞれが「隠身也(かくりみなり)」と

この「隠身也(かくりみなり)」について、「身をお隠しになられた」とすると、いなくなってしまわれたことになる。

何もない所に、神々が成られて、そのままどこかに居なくなってしまわれた。

これでは我々は生まれようがない。

ーー

「隠」という漢字の旧字は「隱」です。

この字は大切な心臓を手で覆い、その手の上からさらに道具でこれを覆い、それをさらに手で覆っている象形文字です。

つまり「隠」は、大切に大切に保護したことを意味する漢字です。

だから訓読みが「かくす」なのです。

ーー

続く「身」という字は、上のチョンが頭部、「目」のように見える部分の中にある二本の横線が胎児、下の二本の棒が足です。

つまり「身」という字は、妊婦の象形文字です。

ーー

創生の三柱の神々それぞれが「隠身也(かくりみなり)」というのは、順にすべてを胎内に置かれたという意味です。

ひらたくいうなら、世界(宇宙)は三柱の神々それぞれの属性を身に着けたということになります。

ーー

つまり我々の住む時空は、三柱の神々によつて保護されていることになります。

もっというなら、我々も我々の住む世界も宇宙も神々の一部である、ということです。

ーー

次に宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかひひこちのかみ)
次に天之常立神(あめのとこたちのかみ)が成られ
それぞれ「独神」で「隠身也」

と古事記は書いています。

つまりこの二神もまた、天之常立神の胎内に入れた、というわけです。

我々の宇宙はこれで五柱の神々の属性を持ったことになります。

ーー

そして古事記は、ここまでの五柱の神々が「別天神(ことあまつかみ)」であると書いているのです。

この宇宙は五柱の神々から成る子宮に存在する胎児である。

胎児から見れば、五柱の神々は、まさに別天神(ことあまつかみ、別の神)です。

至極もっともな記述です。

ーー

次に国之常立神(くにのとこたちのかみ)
次に豊雲野神(とよくものかみ)が成られ
「独神」で「隠身也」

と古事記は書いています。

ーー

このように、古事記では、「独神」と「隠身」という語を、三回繰り返している。

つまり「独神」と「隠身」がとても重要な概念であるということを示しています。

これは、我々の住む宇宙、地球、世界、空も雲も海も陸も、すべての物体のことごとくが、神々の一部であることを意味してるのです。

ーー

ですから我々みんながうれしいことは、神々もうれしい。

我々みんなが悲しいことは、神々も悲しい。

個人が自分のためだけにみんなを犠牲にすることは、神々の意に沿わないのです。

ーー

古事記はこのあと、五組の男女神を登場させ、最後に、「いざなう男」である「イザナキ」、いざなう女である「イザナミ」の二柱の神がお成になったと書いています。

大和言葉で、「キ」は男、「ミ」は女を意味します。

(年老いた男女は「おきな(翁)、おみな(嫗)」といいます)

ーー

このイザナキとイザナミから生まれるのが、アマテル(神)です。

(ホツマツタエではアマテル(神)はウヒルキという男神)

そしてアマテル(神)の直系のお血筋が、125代続く天皇です。

その天皇が、我が国の最高権威となり、民衆を「おほみたから」としてくださっている。

そして我が国において、最高権力者は、天皇の下にあって、天皇の「おほみたから」が豊かに安全に安心して暮らせることを使命とする政治責任者です。

ーー

責任者ですから、当然に、政治責任を負います。

なぜなら権力と責任は、常にセットでなければならないものだからです。

ーー

ところが、我が国以外では、歴史を通じて国の最高の存在は、常に権力者でした。

その権力者が、国の最高の存在として統治してきたというのが、世界の歴史です。

つまり他国では、権力者よりも上位の存在が、なかった。

ということは国の最高責任者に対しては、誰も「責任を求めることができない」ということです。

諸外国における権力制の最大の誤りがそこにあります。

ーー

権力だけあって、一切の責任を負うことがないのなら、権力者はやりたい放題です。

ひとり、この世の贅を極め、人を支配し、人の命や心を蹂躙します。

当然です。

略奪、凌辱、暴行等、どんな非道を行っても、一切責任を負う必要がないのですから。

ーー

だから日本人は、こんな歌を詠みました。  

我が君は千代に八千代に さざれ石の 巌(いわお)となりて苔のむすまで

この歌は西暦905年に奏上された古今和歌集第七の賀歌の343番に「題知らず」として掲載された。

初句が「我が君は」になっており、「天皇」を意味しています。

天皇さまのおかげで民が「おほみたから」とされる幸せを得ている。
だから、天皇さまが、未来永劫、我が国の頂点にあってほしい。

という願いを込めたお祝いの歌として詠まれた。

ーー

ところが、12世紀初めに一般向けに編集された和漢朗詠集の流布本から、「我が君は」のところが「君が代は」に変化しました。

そして「君が代」は、以後、一般庶民の婚礼の儀の際の賀歌として、有名な「高砂」と並んで、謡(うた)われた。

ーー

もともと天皇を称える歌が、一般庶民に流布し、子孫繁栄の歌として使われるようになった。

それは、日本に天皇という、政治の最高権力よりも上位の国家最高権威があるからこそできたことです。

日本人は、幸せです。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>宇宙の成り立ちを神に置き換えて説明した古事記
 私は、属している教団の教えから、天之御中主、高御産巣日神、神産巣日神の三柱の神様は、神道の基本で有る事は知って居ましたが、それが、「独立した」「隠されている」ものである、と言う話は、残念ながら知りませんでした。 

 然し是は、やや荒唐無稽ではないかと思いますが、「神が人類に与えてくれている最適解」である、公転半径1億5千万㌔、公転面に対する傾斜角23.4°、公転軌道の真円度97% の3つの条件を指して居るのではないかと閃きました。 この3つの条件は、宇宙の中でもかなり奇跡に該当する話です。 このいずれもが、もし1%多いか少ないかすれば、人類は地球上に存在して居ないでしょう。

 自然とは正に、神の人類への愛の具現形であって、その愛に拠って奇跡が保たれているのだと言えます。 ですから、自然を神とする日本文明が、一番、神のご意志に沿った文明だと言えるのです。

 もし、この古事記を書いた人が、その軌跡を知っていて、奇跡を神として隠喩に使ったとすれば、古事記には現代以上に、宇宙の様子、地球の成り立ち、を含む真理に着いての知識が明らかになっている可能性が有ります。 ねずさんの更なる研究が俟たれますねww

 然し、人類にとって大事な事は、実は、自分の100年にも満たない人生で、後世に名を遺す様な大事業をやり遂げる事では無く、先ず、此の神様の愛によって、我々の日常が、否地球そのものが、何事も無く、正確に、モゥ何億年も変わらず運行されていると言う「当たり前の事」が神の愛に拠って為され、結果として、地球上の生物全てが、繁茂繁栄して居るのだと言う現実に、毎日感謝を捧げる事では無いだろうかと思います。

 思うに我々日本人は、個人的な主張を余り行いません。 数学や物理・化学といった、理系の学問を修めた人なら分ると思いますが、西洋主導のこの分野は、誰々の法則だの、誰々の方式だと言う、個人名を冠したモノが多過ぎます。 譬え其れが、中身を簡略化して類別する一つの表現手段だったと考えてもです。 

 然し、日本人の発明や発見した理論や法則も結構あるのに、個人名を冠したモノは殆どありません。 是は、法則や真理は、実は神様がお示しになられている現象に人間が気付いただけと言う理解が有るので、潜在的に「是は神の領域だ」」と、日本人は分って居るカラ、敢えて、個人名を冠したりする、烏滸がましい事はしないのでしょう。 まぁ、言語が持つ表現力の差は有りますがね。

 是は私の個人的な感想ですが、もし、自然が極大と極小がフラクタルに出来でいるのなら、実は生命の全ては、神の一部であって、我々は神の細胞に過ぎないのではないか、然し、神は人間と違って、全き存在です。 我々細胞に過ぎないモノの、時に、心の変化迄関わって下さる。

 私の感覚で神様の視点に立って生物を見れば、生命界は海の様なモノで、生き物として「此の世に現る」と言う事は、波の一つとして表層に現れたに過ぎないのではないかと思うのです。 波が現れて消えて終う神にとっては其れだけの事でㇲが、人間にとっては一生です。 其れを何時までも繰り返して居るワケです。

 でも、其れでは余りに空しい。 ダカラ、神様は人類に命題をお与えになった。 それは、「今よりもより良き世を造り、神の世界に近づけよ」と。 ですから、イエスにも、ゴータマシダッタにも、「自分以外のものに対する愛」の重要性を天啓として与えたのでしょう。  神に対する愛とは別に、他人に対する愛で、お互いが思いやる事が出来る様に。 つまり、「誰かの為になる」事を皆がする事で、自然に争いの少ない、「利他愛」に溢れた、相互扶助の社会が顕現するのです。

 日本文明で、是を具体的な政体にしたのは、天武帝でしょう。天武帝は、その古事記や日本書紀の編纂をお命じなられた方づすが、オソラク是は、蘇我蝦夷が乙巳の変で、息子入鹿を打ち取られた時、自宅に逃げ帰って家に放火し、書物庫に有ったた、日本の歴史書を全部焼失させた事の補償行為だと負います。

 彼が最初に考えたのは、多頭政治だったでしょう。 つまり、一人に権威・権力を集中すれば、頂点に立ったものを諫められるモノは、いなくなります。 すると、民衆の頂点に立つモノが、無法者になりかねない。 然し、多頭にすれば、其々が派閥を作って争い合う事になる。 是は武烈帝で、経験があるわけで、この時の第二の権力者であった、大伴金村は、武烈帝を誅殺して居ます。

 天武帝は、この故事を知って居たのでしょう。 勿論、自分が頂点に立てた事、然し、余命幾鏌も無い事を自覚して居た事、息子は良く云う事を聴くが、頂点に立たせるには危ういと・・と言った、諸条件もあったと思いますが、自分をスメラミコトとして天皇位につき、息子を権力の王オホキミとして、世継ぎは、天智帝の娘で、自分の妻であった持統帝に指名したのでしょう。

  「威力分離」のシステムは、斯うして、半端、偶然にで居たものだと思いますが、是は、別の意味で、自分の力が如何に強大であろうと、オホキミがスメラミコトを拝し奉り、任命権を握られているし、その背景には、多くの国民が着いて居るを思えば、自身の子々孫々に亘るまでの繁栄を願うのなら、天武帝が御定めになられた政体に従う他は無かったのですが、その根底には、如何に大衆の支持を得たスメラミコトと雖も、全くの私心が無い事が条件だったので、オホキミに当たる権力者は、出来るダケ現実の政から帝を遠ざけて居たのでしょう。

 然るに日本は今、世界に向けて、日本文明の神髄足る「人は皆神の子であり、等しく神聖である」と言う、心を世界に向けて発信するべき立場に、立たされているのだ、と言う事を、国民は自覚しなくては成りません。 それが日本人に神が与えし、使命だからです。

 幸いにして、嘗ての史上最強の敵、米国が全面的な味方になっています、勿論、彼らも国家の利益を背負って居るカラには、計算ずくの処はあるでしょう。

 然し、是は単に日本人の問題だけではありません、世界の人類規模の話なんです。 共感してくれる外国人の協力、否、同志が必要ですが、政治宗教の絡んだモノは、何れ利己的な理由で分裂し、旨くは行きません。 然し、幾度失敗しても、神様のご意志に沿う事ですから、やり遂げる価値がある事なのだと思います。

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