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2018年7月 4日 (水)

さてそれでは、支那に世界に誇れる文化というものは残っているのか

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

黄文雄『儒教の本質と呪縛』(勉誠出版)

共産支那は世界各地に「孔子学院」を設置し支那文化である儒教を教えようとした。

ところが儒教には中身がほとんど何もないため、欧米では孔子学院は工作員養成機関と認識され、一部は閉鎖に追い込まれた。

ヘーゲルは儒教の道徳観は市井(しせい)でみられる通俗的道徳(モラル)でしかないという意味のことを書き残した。

ほかの国でもせいぜいが北京語(マンダリン)を学ぶところくらいの認識しかない。

ーー

欧米は、自分たちの文化思想の体現者にノーベル平和賞を授与してきた。

それをまねて支那共産党も、自分たちの意のままに動いた人物に対して、「孔子平和賞」を授与した。

しかし、受賞した連戦も、プーチンも、ムガベ(前ジンバブエ大統領)も、村山富市も辞退するか、授賞式出席を『遠慮』した。  

ーー

ことほど左様に儒教には魅力がないのである。  

黄文雄氏は儒教に影響力がない理由として次を上げている。

(1)中華思想という自己中心主義を生む
(2)根拠のない優越感や自信過剰を生む
(3)官僚による独占が、傲慢、唯我独尊的偏執を生む 

儒教の「あの世がない」「儒毒」にどっぷりと染まった支那人は、現世だけの楽しみのために平然と嘘を吐き悪事を犯す。

そしてこの救いのない文化を、支那人らは世界一だと自慢している。

ーー

それから生まれてくる、極端な利己主義とご都合主義、他人を忖度しない傲岸不遜が、人々をして支那人を忌み嫌うようにしてしまう。

ーー

儒教は仏教と同時期に日本に輸入された。

ところが聖徳太子は仏教については国教としたが、儒教は顧(かえり)みなかった。

それゆえ日本は儒毒に染まらなかったのである。

ーー

そこにはもともと、日本と支那・朝鮮の文化の根本的差違があったからだ。

ーー

かくして「儒教が、東洋以外に拡がることはなかった」(p31)のだ。

ーー福沢諭吉

「儒教は後世に伝われば伝わるほど、人の知恵と徳性を徐々になくさせ、悪人と愚か者がますます多くなる」

「これからも儒教が世に伝わると、禽獣の世界となり、今日に生まれながら、甘んじて個人の支配をうける社会に停滞するしかない」

ーー中江兆民

「江戸儒学も国学もいずれも真の学問ではない古代の陵墓を掘り起こしただけで、宇宙と人生の道理をわきまえていない」

ーー津田左右吉

「儒教が日本化した事実はなく、儒教とは、どこまでも儒教であり、支那思想であり、文学上の知識であり、日本人の生活には入り込まなかったものである」

「だから、日本人と支那人とが儒教によって共通の教養を受けているとか、共通の思想をつくり出しているとか考えるのは、まったく迷妄である」(『支那思想と日本』)  

ーーと。

たしかに江戸時代、官学は儒教、とりわけ朱子学だった。

それは幕府が、階級社会(士農工商)の安定に都合が良いと考えたからだった。

(日本人は、儒教を日本語にするとき、その傲慢、唯我独尊的偏執を克服し、日本式にしている)

ところが朱子学を教えていた高名な儒学者等は、夜ともなると陽明学に親しんだ。  

ーー陽明学

知識をどんなに詰め込んでみても、心を無視しては人間性を育む事はできない。

「自分に嘘をつかないこと」

嘘をつくと、外の世界と内なる心の世界の不一致が生じる。

言葉と心に、さらには言葉と行動に分離をもたらし、生きる喜びが味わえなくなってしまう。

人々は日々、心の浄化に努め言葉と行動を一致させなければ、いつのまにか心は輝きを失ない人間ではなくなってしまう。

ーーここまで抜粋

この陽明学もまた、日本語で解釈されることで、日本独特のものとなっていたのである。

この「人間になるためには心の浄化に努め言葉と行動を一致させる必要がある」という考えは、

山鹿素行、伊藤仁齋、荻生租来、そして熊沢蕃山、中江藤樹、やがて吉田松陰、西郷隆盛へと受け継がれ幕末から明治を切り開く。

そして乃木大将、特攻隊へと流れ込んで戦前の日本を作り上げた。

戦後も三島由紀夫によって受け継がれたものの、言論・メディアを支配した在日・反日勢力によって「無かったことに」された。

ーー

儒教は、支那産の文化力(ソフトパワー)であったはずだ。

それを、共産支那は世界に売り込もうとしたが、その底の浅さと非人間性が知られることによって見事に失敗した。

さてそれでは、支那に世界に誇れる文化というものは残っているのか。

習近平は、それを探り当てることなく世界各国の要人に影響力を及ぼそうとしてただ賄賂に頼るほかなくなっている。

支那は、世界中からその文化の無さを軽蔑されるに至った。

そして今、金の亡者と化した共産支那は逆の経済的崩壊へ向かってなすすべもなく暴走しだした。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>儒教が世界的にならない理由
 私も↑の減少を訝しく思って居ましたが、其れは未だ儒学を、本格的に修した事が無いカラだろうと思って居ました、だって、同じ儒教でも、孔孟から始まって、荀子、朱子、陽明と時代と共に、変化しているのではないかと思って居たからです。 

 処が、ご紹介の記事を読むと、儒学は実に浅い。  仏教や西洋の哲学と比せば、まるで児戯の水準としか感じられませんね。 だって、死生観が無いに等しいのに、その人間の苦悩や惧れに対する言及が無いのでは、現世中心のユダヤ教と変わりません。 然し、ユダヤ教は色々な宗教の基になっていますが、儒教はそれが無い、死生観にに拘っている、イスラム教にも遥かに劣る話です。

 ですから、聖徳太子が儒教と仏教の2つを同時期に日本に持ち込む機会を得たとして、太子が元々持って居た、神道の教えである「我らは神の子にして、全て等しく神聖である」と言う、人類観からすれば、神羅万象悉皆有仏性の仏教に比せば、共感と言う意味では、儒学は単に、処世術か道徳の域を出ていない様に感じられたであろう。

 結局、筆者が挙げた儒毒とは、学ぶものを中華思想と言う古代の「独りよがりの井も中の蛙」其のままにして終う、と言う事だろう。 そう言う思い込みは、ロシアでも、アメリカでもある様で、オソラク古代のギリシャローマ、アッシリアやバビロニアの時代にも、有った思い込みだろう。 

 人間が現代の様に、地球の至る処まで3日以内に辿り着けるような、交通手段を持って居なかった頃は、徒歩或いは馬がその手段だったのだから、その人の渉外の行動半径は、精々500㎞未満であろう。 すると、其処から向こうの世界は分らないので、伝聞になって終うが、大抵は、自分達が営んでいる生活水準に比して、低いモノだから、自分達の文明圏が世界の中心の様に思えるのも無理はない。

 シナは、長江文明が黄河文明に簒奪された後も、庶民層で「楚民」として、来たから侵略して来た遊牧民に農耕を教示し、自らの文明を維持しながら生きて居た、その文明が最盛期を迎えたのが、唐代では無かったか。

 然し、打ち続く戦乱で、馬を乗りこなす習慣の無い楚民は、常に徴兵されても歩兵で、真っ先に戦死する処に置かれたし、混血した子孫も、文化を伝える間もなく、戦乱で絶えて終う事を繰り返すうちに、シナの文明から長江文明の成分は、ドンドン希薄になり、殊に、モンゴル族の減に滅ぼされた趙宋の南北朝以降は、文化発信力の著しい衰退が見られるし、その後の明王朝も、シナ文明を継承していると言うには、既に、疑問符が着く文明度だった。

 逆に、満州族支配の清王朝では、陶磁器が東洋の侵略にやって来た西欧列強の関心を引いて、欧州と飛ぶように売れた為に、量産されて、欧州で景徳鎮と言うブランドとして知られる様になったのは、単に商業主義の為せる業であろう。

 そして、異文明民族清の支配は、20世紀初頭まで続いたし、その後に現れたのは、唯の混乱であった。 そして約40年の時間を経て、共産シナが覇権を握ったのである。

 この共産主義は、完全に外来の異文明思想・政体であるから、シナ民衆にとっては、文明的な侵略の筈、処が、シナ庶民にとっては、275年にも亘った異民族支配乱が解けて、40年に亘った戦乱が無くなったと言う現象だけでも、有り難い話で、人口は、見る間に3倍以上に膨れ上がって終った。

 現代の世界をシナが席巻しているのは、その人口の巨大さが主たる理由で有り、それ以外に、取り立てて、云うべき特徴は無い。 世界の工場と言われる様な、現象で、経済が見る間に世界第二位に駆け上がったのも、この巨大な人口の果たした役割は大きい筈である。 処がシナの人口は、「一人っ子政策」と言う政策的な効果もあって、人口の膨張は⒕~15億人をピークに、減り始めて居る。 オソラク、10年もすれば、人口が10億人を切るだろう。 

 すると、シナ経済は既に破綻して居るのに更に経済がガタガタになると、共産党の求心力の著しい低下は避けられまい。 すると、共産党の私兵組織に過ぎない人民解放軍は、統制を失って、武装した唯のゴロツキ集団に早変わりする。

 7つの軍区に分かれた人民軍は、中世の様に、自身の勢力範囲を領土の様に支配し、勝手に徴税を始めると、完全に共産党支配は終焉する。 再生は不可能だろう。

 黄河文明が長江民の中原支配になり替わったのが、BC20世紀だから、黄河文明は、4千年の支配を続けて居る事になるが、シナ人は、400年を超す安定した国家を築けないのは、孔子が、唱えた君子論とも言うべき儒教が、シナの社会常識・道徳を4千年に亘って停滞させて来た原因だと言う事は、明らかである。 

 黄河文明人の出自が文化発信力の無い、遊牧民ダカラ、未だに、世界に誇る宗教の様に考えて居るのには呆れるし、亦、長江民の文明をシナ文明と思い込んで居た日本人は、幻滅する他は無い。

 白人文明は、昨今、異文明と自分文明を比較して、悪い面劣った面は、修正しようとして居るカラ、未だ成長する可能性を感じるが、シナ文明は新たな精神文化を創造する為に、異文明に学ぶような傾向は見られず。 只管、自文明の称揚と押し売りしかして居ないのでは、先は見えて居る。

 現実に世界の覇権国である米国に市場を依存している癖に、僅か30年にも満たない繁栄を勘違いして、復活させた中華思想で身に付けた面子を守るだけの為に、米国と貿易戦争を始める愚をおかしているが、是は、明らかに、シナの終わりへの大きなステップになるだろう。 唯、この地球上からシナ人が消えて、居なくなる為には、後2百年くらいかかるだろうが。ww

似非ユダヤと儒教は、同類なのかもしれない。
だから気性が合致する。
呼び名もジュで合致する。
似非ユダヤの儒教と言えばタルムードに相当するのではないか。
極めて我田引水の書物である。
そのタルムードが、百科事典のアイデアソースらしいが、どうも疑わしい。
孔子も人肉を食べたと言われる。
日本人には、受け入れがたい。
そんな儒教を日本は、全面的に受け入れなかった。
たしなむ程度で有ろう。

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