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2018年7月25日 (水)

天皇の存在を除外視して日本の歴史を語ることは、野球のルールでサッカーをやるようなものと言えるでしょう

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

日本は古来よりずっと八百万の神々の国です。

異なる価値観、多様な価値観をすべて認めるという、世界的に稀有な国なのです。

つまり、多種多様の意見のすべてを認めようという社会を築いてきました。

ーー

そもそも人の思考とは複雑なもので、思想的には反日であっても、スポーツに関しては超日本ファンの人もいる。

あるいは自由主義を標榜しながら、職場では部下に絶対服従を強いている人もいます。

人はいろんな考えを持っており、しかも個人であっても、置かれた状況や立場で、あるいは時間の移り変わりの中で考えを変える。

日本社会は「だから全部認めてしまおう」というのです。

ーー

誰もが平和で豊かで安全で安心して住める社会の実現が理想なのです。

ーー

そうであるなら、どんな考えも、いわば「肥やし」として、すべて受け入れ実行してみようではないか。

結果がだめならその考えを捨てればよい。

それが日本の古来からの異なる考えに対する対応の仕方であった。

ーー

けれども、だからといって極端なものまで許容する社会ではありません。

極端なものを排除する。

右か左か、中央で2つに分けて、どちらかを排除するのではありません。

偏差値でいえば、マイナスの者や、100を越えるものを排除する。

偏差値でマイナスや100を越えるものがあるのか、と言われそうですが、それがあるのが人間社会です。

具体的には、破壊活動を行う者、強姦魔、殺人鬼、強盗や傷害の連続犯、盗賊、放火魔など、要するに社会に害をなす人非人たちです。

ーー

そうした者たちは、必ずしも社会の底辺の悪党ばかりとは限りません。

社会のいわば頂点に居る者が社会に害をなす人非人であることもあるのです。

上に立つ者が、人非人であれば、悪の天下になってしまう。

ーー

我が国でも、そうした人非人が社会の頂点を極めそうになった危機が何度かありました。

代表的なものが道教事件であり、大生部多(おほふべのおほ)による芋虫教団事件でした。

前者では和気清麻呂(わけのきよまろ)によって、後者は秦河勝(はたのかわかつ)によって、それらは排除されました。

ーー

我が国は、そうした人非人が社会の頂点に立つことを防いできた。

それは、我が国に天皇がおられたからでした。

天皇は、日本国の最高権威として神に通じ、民衆を「おほみたから」されている存在です。

日本の権力者は、天皇から、民衆を守るためにその地位を与えられる。

ーー

だから日本人はお上を信じることができた。

行政組織が民のために存在してきたからです。

ところが日本以外の多くの国では、行政組織は、権力者の権力維持のための装置で有り、警察はその権力者の犬である。

例えば日本以外の多くの国では、警官は全く信用できない存在なのです。

ーー

この日本の民が守られる状況は、究極の民衆政治democracyというべきものなのです。 

つまり、天皇という存在が、権力者が民を奴隷化することを阻止している。

天皇の存在によって、「おほみたから」である民を害する者が、悪だということになる。

ーー

そのような者は、朝敵として、当然、早い段階で処罰すべき者です。

そのうえで、自己の利益のために悪事をはたらく者、そのために暴力を用いる者は誅(ちゅう)する(殺さなければならない)ことになります。

ところが民に害なす者を殺す(誅す)ものは、同時に武力を用いる者でもあります。

だから古来我が国では、武は、どこまでも「たける(理不尽を正す)」ためのものとされてきたのです。

ーー

おそらく我が国においても、民に害なすものが現れた時代は、歴史以前のもっと古い時代にも何度もあったのであろうと思われます。

なにしろ磨製石器の時代から、すでに3万年もの間、連続して列島の中で人々の営みが続けられてきたのです。

さまざまな出来事があったであろうことは容易に想像できることです。

ーー

そして三万年という途方もなく長い歳月の経験から我が国の先人たちが「これしかない」と編み出したものが、天皇を扇の要として民を「おほみたから」とするという我が国の形です。

そしてその形は、おそらくはいま世界中で提唱されているどの社会形態よりも、はるかに合理性に富んだものであるといえるものです。

天皇の存在を除外視して日本の歴史を語ることは、野球のルールでサッカーをやるようなものと言えるでしょう。

ーー

占領軍は、日本の占領政策協力者ら、在日・反日勢力に禁止用語集(ラジオ・プレスコードリスト)を渡し、言論を検閲し統制した。

天皇を尊敬するような歴史記述をしてはならない、と。

それゆえ戦後に書かれた日本史には、肝心な天皇の記述がない。

だから、ただ出来事の羅列だったり、出来事が起きた背景やそれによる効果を語っていても、どこか群盲象を撫づ状態に陥ってしまっている。

ーー

逆に、天皇と天皇の「おほみたから」という点を踏まえれば、日本の歴史が、まさに生きた歴史になっていくのです。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>3万年の日本文明が築き上げたモノ
 何時かは、この主題でお話があると思っておりましたが、 近世までの人類界では、3千年前といえば、ちょっと前までの欧州文明では、彼の先進的な科学者ニュートンですら、「地上の創生が行われた」と認識して居た時代だったのです。

 処が、20世紀になって、地球の年齢が46億歳で有る事が分り、然も、地上に生命らしきものが発生したのは、30~40億年と古いのですが、殆ど原生動物や微生物レベルで、植物ですら、20億年前辺りでしょう。 ちゃんとした形の生物が現れるのは、4億年前のカンブリア紀まで俟たねばなりません。

 つまり地球上の生命体の歴史は、今迄過ごして来た時間から考えれば、其の1割にもも満たない時間である事が分って来たのです。 

 しかも、地球上には、気候変動が有って、太陽の活動の変化に拠って起こる氷河期が、生命の大発生期であったカンブリア紀から4億年の間に、数十回おとずれており、亦、地表を形成している地殻は、実はマグマ・オーシャンと呼ばれるマントル層に浮いた島の様な存在で、絶えず移動して居る為に、大陸同士の衝突や地盤の沈降で地震を生じ、押し上げに拠って造山運動が起こり、その度に地殻の上で、生命を繋いで居るものは、大絶滅と繁栄を交互に繰り返してきました。

 つまりは、時間軸を百万年、千万年に広げたダケで、地球上の生物は様相をガラリと変えてきたのです。 ですから、人類の歴史が3万年と言う話等、惑星の1億年が人間の1歳だとカウントすれば、1日が約27500年になり、1日と少しでしかありません。この間にも人類は氷期を1度経験して居ます。 

 然し、人間の一生は今でこそ、100年に到達しようとして居ますが、熱エネルギーに代わる炭水化物を多く含んだ穀類を常食に刷るまでは、男性で30~40年、それに、体力の無い女性や幼児期の死亡率が高かった為に、平均寿命は、20歳そこそこだった筈です。亦、日本列島には大陸から渡って来て棲みつくもの、或いは、狩猟採集を生業にしたいたのですから。獲物が少ないので諦めて別の土地に移動するモノと、様々で有った筈です。

 近年、日本人の遺伝子中には、旧人(ネアンデルタール人)と同じ遺伝子が50%以上も含まれている事が分って居ます。 先ず、旧人は猿人若しくは原人レベルでは、人類の祖先とは別系の進化をして居た筈、その両者間で生殖が可能だった事に、まず驚かされますが、旧人が絶滅したのは、奇しくも3万年前だと言われているのです。 旧人の脳の容積はホモサピエンスの脳の容積より大きく、然も直立でしたので、当時、人類よりも知能が優れて居た可能性が、昔から指摘されて居ました。

 こうなれば、3万前の地層から出土した磨製石器の持主、或いは、製作者が、果たして、どんな出自を持って居たのか、興味を集めますが、日本の弱酸性の土壌では、遺骨の保存は先ず99%あり得ないので、その決定的な証拠の発見はもあり得ず、飽く迄推測の域を出ないものです。

 然し、凶暴で残忍な新人(ホモサピエンス)の台頭で、故地を追われた旧人が逃避行の末に、大陸島の東端の大きな湖「=日本海」を包摂した形の弧状に貼り出した火山で出来た土地に辿り着き、同じく逃げて来た少ない新人の中で、安寧に暮らして居た可能性は有りますね。

 研究に拠れば、旧人は、死者を弔うに花を以ってする習慣が既に有った様で、其の温厚な性質が予想されます。 死後の世界を信じ、争いを嫌い、自然を神として畏れ敬って、自然の中で生かさせていただく、と言う日本精神の原点とも言える、考え方であったと私は空想して居ます。

 つまり、人類の文明の前文明は、旧人のものであり、その文明は争いの無い、平和な文明であった。 然し、平和が過ぎて進歩がなくなり、結局、新たに台頭した、体は小さくても活動的で、攻撃的な新人が台頭して、争うのが苦手なネアンデルタール人は、最初は優勢だったが、新人の「人食い」に滅ぼされていった、と言う事では無いかと思います。

 世界の多くの場所で、旧人と新人の戦いが起こりましたが、しんじんにくいつくされてしまうので、旧人は急速にその数を減らし、生息域を追われたのだと思います。

 ですから、日本人のご先祖様の中には、旧人の血統が世界で飛び抜けて遺っていると言う事らしいので、その思想も引き継いだ可能性がありますね。 世界各地でUMA=未確認動物とされている雪男イェティ等は、斯うした旧人の生き残りなのではないかと思います。 日本の場合、激しい気候変化の中で死に絶えたか、日本人に吸収されて終ったのでは、ないでしょうか。

 それ程、日本文明には謎が多く、世界の他の文明とは成り立ちが違いますね。文明を長さだけでその優劣を決めるのも問題があるとは思いますが、余りに時間の差があると言う事には留意しなくてはイケないでしょう。 

 何せ、不確かなものまで含めても、人類が文明化して僅かに、1万年ソコソコでしかないのに、其の3倍に当たる3万年もの間、変化の起こる要素が沢山ある日本列島で、単一民族でやって来られる筈も無いし、其れでは、進歩も起ら無いでしょう。

 3万年の間に、様々な事が起こり時には、9万年前の阿蘇山の終局的大爆発や姶良火山の同じく終局的大爆発で、近くに暮らして居た人類は火砕流や土石流に呑まれて一時的には絶滅している事が考えられますが、大量の火砕流だと全てが燃え尽きてしまいます。

 その火山の大噴火が、同時に大陸からの住民の移住のモチベ―ションを奪い取った結果、特に、1万2千年前の氷期が明けに、列島が大陸と分離してから、交流は、最小限になったと思われます。 然も、火山の噴火はその後も日本各地で継続したので、追い詰められた戦争難民が移住覚悟で渡って来る場合を除いて、大量の移住現象は起きなかったから、民族は次第に固定化して、住民同士の、大自然の脅威に関するコンセンサスの様なモノが形成されて、其処に、旧人伝来のの援けあう心、力を併せる事で困難を乗り越える事が出来る事を学びました。

 是を伝えたのが、列島に一番古くから棲んで居て少数派の、狩猟採集民=北狄=森の人だったのです。 彼らは異人種が、イザトいう時に力を併せて活動できる様になる為には、お互いの生業を尊重して、棲む場所も別々にする事を提案し、その坂目に、神社を建てて、緩衝地帯としお互いの力が必要な場合に、話し合う場としました。

 そこに、一番収穫量の多い穀物である、稲の水耕栽培法が、戦争難民の長江民によってもたらされて、日本人は、民族の数を増やすのに欠かせない、エネルギー源となる大量の炭水化物を含んだ食糧を手にする事が出来たのでした。

 これが、日本が「瑞穂の国」と言われる所以で、水耕稲作が可能になったからこそ、日本人の人口が増え、生活の余裕が出来て、文化も発達したので、日本文明の栄える基は、間違いなく水耕稲作なのです。

 然し其処に至るまでには、それまでの日本人の生き方を大きく変える必要がありました。 何故なら、その社会の必要が変わる事は、其れまでの社会を維持してきた必要が不要になる事であり、社会の価値観に大変化が起こる事だからです。 この結果生じた現象が、倭国大乱だったと思います。

 私の推定では、西暦紀元の±100年位で、所謂、弥生時代の中期ですね。日本人が、国と言う形を意識し始めた端緒となったと思います。勿論、その時代には鉄を使った武器も使われて居て、木の加工のみならず、青銅期の加工から鉄器の加工も、進んでいったのではないかと思いますが、是等は、戦争難民の長江民の渡来技術だと思います。

 彼らはシナ本土では、呉越に分かれて戦争ばかりして居ましたが、日本に来て、悪戯に争って、奪い取る事だけを考えて居たから、新たな外敵=黄河文明に抗しきれなかったと、気付き、地方で豪族化して居ましたが、本性は隠せず、やがて、戦国時代の主役となります、その闘争心は、新人の野蛮性そのモノですが、新たな文明開拓するには、必要な人材でしょう。

 日本人は、斯うした多様な民族のミックスで成り立っているのですが、現在住んでいる人のDNAを調べて、古代の事を推定するには、かなり無理がありますが、少なくとも今必要な事は、血統では無く、その中身では無いのかと言う事は忘れたくありませんね。

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