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2018年6月20日 (水)

記紀の「高天原」は、この日高見国を神話化したもの

ーー以下「伊勢雅臣コラム」より抜粋編集

田中英道『日本国史』より

田中氏(東北大学名誉教授・美術史家)によると、わが国では歴史学と考古学はそれぞれ別々に研究しているのだという。

たとえば、日本国内において近年、重大な考古学的発見が次々となされている。

考古学的発見としては、日本で1万6500万年前の世界最古の土器が見つかっている。

青森県の三内丸山遺跡では5千年も前に建てられた(小学校の4階建て校舎ほどの)巨大建築跡が見つかった。

さらに北海道や長野、新潟から運ばれた黒曜石の飾り石などが発掘されている。

別の6千年前の遺跡からは稲作の痕跡が発見されているのである。

ーー

これらの考古学的発見をまともに考えれば、日本列島には数千年前の縄文時代から高度な文明があったと考えざるを得ない。

ところが、中学の歴史教科書で過半を占める東京書籍版では、縄文時代の想像図で、縄文人たちはいまだに毛皮を着て狩りをしている。

ーー

田中教授は、記紀・風土記・祝詞(のりと)などの古代文献に、考古学の最新の知見を加えて、日本の古代像を『日本国史』の冒頭で説明している。  

『日本国史』というのは「日本国」の「歴史」という意味である。

日本列島は、縄文時代から、村落・氏族の緩やかな連合という形で、国家が存在していた、というのである。  

ーー

記紀が朝廷の権威を高めるために創作されたものだとしたら。

たとえば、天孫は南九州ではなく、なぜ初めから中心地たる大和に降臨しなかったのだろう。

そちらの方がはるかに目的に適う。

また神武東征といっても、九州から大和地方までの西日本しか言及されていない。

中部地方以東はどうなっていたのか、記述がないのである。

ーー

九州から大和地方まで従えたのなら、さらに東海、関東、東北まで一気に平定した上で、中央に都を造ったとした方が、朝廷の権威も高まったはずである。

なぜこんな中途半端な物語になっているのか。

逆に言えば、天孫降臨から神武東征は、曲げられない史実であった可能性が出てくる。

ーー

田中教授によると、縄文時代の日本には関東、東北を中心に多くの村落が共通の神道信仰・文化で結ばれた「日高見国(ひたかみのくに)」があったのだという。

記紀の「高天原」は、この日高見国を神話化したものなのだと。

ーー

3千年前ごろから、気候が寒冷化し、それまで東日本に集中していた人口が南下し、西日本に移動し始めた。

その頃大陸では周から春秋戦国時代を経て秦が成立している。

すると大陸・半島からの難民・移民が増え、西日本の治安が悪化した。

ーー

そこで東日本を統治していた日高見国は、西日本の統合を決断した。

そのために、まずは日本列島の西端たる南九州に大船団を送って地固めを行った(天孫降臨)。

そこから北九州や中国、近畿地方の要衝を抑えていく(神武東征)という挟み撃ち戦略をとった。  

神武天皇が西日本を抑えて、大和地方まで進出したことで、従来から東日本を統治していた日高見国と合わせて、日本列島の主要部分はすべて統治下に入った。

その後、日高見国の主要部族も大挙して大和に移住し、大和朝廷は繁栄していく。

一方、日高見国は、寒冷化とともに人口減少で衰えていき、ついにはその存在も忘れ去られていった。

ーー

日高見国の存在について、田中教授は、膨大な論証をされている。

ここでは素人にも分かりやすい何点かのみを紹介しておこう。  

まず考古学的に、気候がまだ温暖だった約5千年前の縄文中期には人口が東日本に集中しており、人口比では東日本100に対し、西日本は4弱に過ぎなかった。

また縄文時代の集落は三内丸山遺跡に見られるように、500人前後の人々が狩猟、漁労、採集をして暮らしていた。

そのような縄文遺跡は甲信越から関東・東北に密集していた。  

それらの遺跡は地理的に連続的しているので、道でつながり、互いに連絡し合い、物資の交換が行われていたと考えられる。

ーー

この事は青森県の三内丸山遺跡から、北海道や長野、新潟産の黒曜石の飾り石などが見つかっていることからも実証されている。  

縄文土器も関東・東北・甲信越あたりから大量に出土している。

太陽信仰につながると考えられる石を環状に並べた遺跡(ストーン・サークル)も、東北・関東に数多く見られる。  

ーー

同時に縄文時代はきわめて争いの少なかった時代と推定されている。

発掘された人骨のうち、何らかの武器の攻撃を受けた痕跡があるのは1.8パーセントで、欧米やアフリカでの10数パーセントよりは1桁少ない。  

すなわち、縄文時代の東日本の集落は何千年もの間、共通の文化・宗教を持ち、互いに連絡・交易をし、平和裡に共存していたことになる。

ーー

従って、それらの集落が連合して、一つの祭祀国家として発展していったと推定することは、きわめて合理的なのである。

ーー

田中氏は、日高見国の中心は、現在の茨城県鹿島地方にあったと推定されている。

というのも、「延喜式神名帳」には、江戸時代まで皇室と関係する「神宮」は、伊勢神宮の他には、「鹿島神宮」(茨城県鹿嶋市)と「香取神宮」(千葉県香取市)のみである。

三つのうちの二つが関東にあり、しかもこの二つは伊勢の神宮よりもはるかに古いのだ。

ーー

鹿島地方は6,7千年前の縄文前期からの土器や遺跡が多数見つかっており、古墳も559基もある。

かつ鹿島神宮の東南2キロの処には、鉄を流した残滓が地表を覆っている製鉄遺跡まである。  

鹿島神宮に祀られている建御雷神(たけみかづちのかみ)は、「高天原」に成った最初の造化三神の一柱であり、天照大神よりも先に生まれている。

ーー

この建御雷神は、香取神社に祀られているフツヌシとともに、「出雲の国譲り」を成し遂げている。  

さらにその娘が、天照大神の子・天忍穂耳尊と結婚して生まれた皇孫・ニニギノミコトが「天孫降臨」の主人公となっているのである。

天孫降臨に随行したアメノコヤネは中臣氏(後の藤原氏)の遠祖であり、香取神宮に祀られている。

ーー

大和最大の神社・春日大社も鹿島神宮と同じく建御雷神を祀っている。  

ーー

ニニギノミコトの四世孫が神武天皇であり、東征においても、建御雷神が高天原から剣を送って助けた。

神武天皇は即位の年に、はるばると使いを鹿島に遣わして、建御雷神を祀っている。  

ーー

こうして田中氏は、鹿島地方を中心として東日本を統治していた日高見国が、西日本を治めるために高千穂への天孫降臨から神武東征までを実行したのだ、という。

ーー

『日本書紀』の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の陸奥における戦いのあと、「蝦夷(えみし)すでに平らぎ、日高見国より帰り、西南常陸を経て、甲斐国にいたる」と記されている。  

この記述からすると第12代景行天皇の皇子・日本武尊の頃には、主要な部族も大和地方に移住し、日高見国は衰えて、一地方となっていたようだ。

ーー

『常陸国風土記』には、「筑波郡茨城の郡の七百戸を分かちて、信太(しだ)の郡を置く。此の地は、本の日高見の国なり」という一節がある。

平安時代につくられた『延喜式』に定められた祝詞(のりと)には、日本全体を示す際に「大倭日高見国」という言葉が使われている。

支那『旧唐書(くとうじょ)』には「大倭日高見国」という名称が頻出する。

ーー

大倭が西日本を治める大和朝廷、日高見国が東日本を治める国、ということで、両方を足し合わせて日本全体を意味したと考えられる。

ーー

「日高見」とは「日を高く見る」という意味だ。

鹿島地方は房総半島の東端で、太平洋から上る朝日を真っ正面に仰ぐ土地である。

太陽信仰から考えても、この地が東日本の中心として、朝日を仰ぐ聖地であったことは当然と思われる。

その後の日本書紀の「日本」という国号にもよくつながっている。

ーー

日高見国の存在については、「総合力を欠いた研究方法」しか持ち合わせていない日本の歴史学界では、見て見ぬふりをするのが精一杯だろう。

しかしこの日高見国は、我が日本という国家の始まりを問う、国民全体にとって重要な問題なのである。                                        

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>日本古代史の謎
 私が一番知りたいのは、望むべくもない事ですが、何を以て「日本の起源」とするのか、そして、その時期は西暦で言えば何時頃なのか、ですね。

 西日本の歴史は、その文化の痕跡が、偶々火山の近くにあったモノは、火砕流や多量の噴石に見舞われて、絶滅したものが見つかっていますので、火山の爆発の歴史は地層で諮れますので、遺跡の年代も確定し易いのですが、逆に、火山周辺で無ければ生活出来無かったと言う理由は無いので、遺跡としてこそ遺っていませんが、食糧や水を得やすい川の有る処、山が近い処、磯の有る浜辺には、一定の住民が生活して居たと思います。 

 ですから、そうしてで居た、集落や共同体が、何時国家を目指して、動き出したか、何故そうしたのか、と言う疑問が湧いて来るのです。 すると、気候変動だとか、異族の侵略だとか、団結するに足る契機になる事象が必要です。 然し、日本列島に人が暮らした歴史は、最古で、12万年前だと言うのですから、全体像が解き明かされるには、オソラク千年位懸るのではないかと、惧れています。w

 先ずは、手掛かりとして、偽書、偽史と言われているモノまで含んだ資料を具に当たって行く他はありませんが、この田中英道教授の、「日高見の国=常陸の国」説から、この中に出て来る、鹿島・香取大社が、伊勢神宮より遥かに古いものであると言う話は初めてしりました。 確かに、太平洋に上った日は、「日が高く見える」事に異論はありません。 北海道を除けば、房総半島は、本州の東端ですから、太陽が一番先に上る場所です。

 然し、日高見=北上であるとの説は、偽書であると言う「津軽外三郡誌」の中に、青森の津軽半島の十三湊周辺が、北海道・樺太まで含んだ「日高見の国の中心」であった、と言う説も、私は捨てがたいと思って居ます。

 其れは、海の向こうには。渤海と言う、6世紀~10世紀に栄えた、ツングース系靺鞨族やエベンキ族の国があり、日本と盛んに交流して居たし、その交流は、古く、ピュルム氷期の12000年以上前から、温暖だった北海道のオホーツク海側に文化圏を持って居た、ギリヤーク人や、ヤクート人、オロチョンと呼ばれた、シベリア人とも呼ぶべき、コーカソイド種の赤人である、半農半牧の民族が居た事も、考えて置かねばなりますまい。

 彼らの子孫こそ、嘗ては日本海側のあちこちに居た蝦夷族であり、アイヌ族だと思うのですが、この辺りは、日本の政体の成り立ちに関わる事です。 余り、詳らかにする必要も無い話なのかもしれません。

 蝦夷族を始めとする、ツングース系の人々は、確かに、列島の先住民族なのかもしれませんが、旧唐書に(6~8世紀)に、「大倭日高見の国」との記述があるとの話で、8世紀後半の初代征夷大将軍の坂上田村麻呂の蝦夷討伐や、11世紀~12世紀初頭の「前三年、後九年の役」で源義家が蝦夷族安倍氏を討ち亡ぼす迄では、白河の関より以北の東北・北海道・樺太は、日高見の国として、渤海や唐~宋のシナ王朝を相手に、独自の交易・外交を行って、外国の唐王朝に別の政体を持つ国として認識されて居たということでしょう。

 即ち、唐代には、日本列島は、未だ統一されて居なかったと言う事です。 厳密には、維新後の蝦夷地の平定「=アイヌ族シャクシャインの乱の平定」迄、現在の日本の統一は、達成されて居ないと見るべきです。

 私自身は、常陸の国=日高見の国と言う説には聊か抵抗がありますが、日本は3万年以上の歴史を持つ国ですから、話が前後する事は十分に考えられます。

 唯、私は思うのですが、皇室の歴史資料を管理している宮内庁は、日本の(大倭)の重大な秘密を握っているのではないかと疑って居ます。 その一端として、神宮と大社を分けて居ることがあります。 

 其処で、出雲・多賀・春日が大社で、伊勢や鹿島・香取が何故神宮なのか、同じく異族とされている出雲族を祀っていると言われる大三輪神社は、国幣神社では有るモノの、大社ですらありません。 此のランク付けの根拠は何なのでしょう。調べましたが、戦後のWGIPの日本文明の破壊工作の所為で、神宮も神社もごちゃ混ぜになっている状況で、歴史を大事に思わない、欧米人の野蛮さが見えますね。

 その区分が、単に、古さダケなのだとしたら、蝦夷が日本人の先祖と言う事を、当時から認めて居たと言う事になり、逆に、日本武尊が、その後、各地に神社を建てるのに、神祇は、常陸平定の折に、日高見の神社関係者に倣ったとも考えられますね。 その事を知って居る皇室関係者は、先住民に敬意を表して、神宮の名前を贈って居ると、考えます。

 祖先が源頼朝の庶子とされている島津家の家臣団の系譜を見ると、その殆どが、この常陸の国の武士、所謂、「坂東武者」であり、11世紀後半。鎌倉時代の初頭に島津忠信の日向国移封に従い、大挙して九州に移動している様です。

 斯うした、移封に伴う家臣団の移動は、江戸期にも多く行われて、その所為で、東北人が九州の支配者層になったりして居る事で、寧ろ、日本人の平滑化がおこなわれたのかもしれないなぁ、と思って居ます。

歴史で日本列島程複雑怪奇な島は無い。
先ず住民より先に日本列島の国造りの設定から入って行かないと歴地が築けない。
なぜなら、国造りに於いて記紀と符合する点が無いし、魏志倭人伝の方位にも?が付くくらい不可解なのである。魏志倭人伝の方位が、出鱈目なら大陸で行われる戦の方位も出鱈目で戦わなければいけない。
海に出た時点までは良いが、九州に上陸したとたんに方位がおかしくなるのは、疑問でしかない。
その疑問をいい加減にすれば、理論的解釈を捨てることになる。
日本列島は、本当に氷河時代から此の儘だったのか?
歴史学者は、斉一的に日本は、昔から此の儘だったことを前提に歴史を構築し、不都合なところは、自己解釈や削除もしくは無視である。
妙な解釈無しに歴史を紐解きたいものである。
そうなれば歴史書を参考に不都合なところは、なぜ起こるのかと考えるとやはり日本列島の位置が問題になるのと記紀の国造りの問題になるのである。
素直に考えてもそうなる。
日本列島が、昔の儘だと北海道辺りから青森に掛けて氷河時代のマンモスの骨が、出てもおかしくない筈です。
未だ聞いた事が無い。
北海道の地層で南方由来の地層が出れば、面白いのだが。
遺物には、南方系の貝のブレスレッドが出土している。
福島当たりの縄文遺跡からコメの炭化米が発見され、かなり古くから米が生産されていたと思うが、余りに北に有り過ぎる。
結果は出土している訳で、チャイナ揚子江(長江)流域の河姆渡遺跡の発掘された米と気候・福島の炭化米の質と気候は、符合するだろうか?
米の質が、符合したとすれば本来福島は、もっと南に存在したことにならないだろうか?
つまり九州を軸に右回りに90度回転させると歴史書と符合する点がいくつも出てくる。
プレート移動を考慮に入れない歴史では古代史は解けないのではないか?
役所の様な縦割り学問で無く地球物理的な要素地学と化学・科学分野を入れた考察が無ければ日本の古代史は、見えてこない気がします。
古代の人は、実際に有った事件を神話や物語として語り継いでいるために無視できないのである。
その神話・物語を何処まで整合性を持たせるかで日本史の真の姿が見えてくるのではないか。
シュリーマンのトロイも単なる詩篇に過ぎなかったが、事実として証明された。
日本の古代史も恐らくそうであろう。

日高見国のことは、初めて知りました。
いつもながら、無学を恥じると言えば殊勝な部分もあるのですが、このことについては、想像することも出来ないことでした。

日本は3万年前の石器があり、1万6500年前の土器が発見され、5千年前の巨大建築遺跡が見つかっていると言っても、これまでの知識では、大和朝廷とは結びついていないので、地方にも豪族が会った程度にしか思っていなかったのです。

それが天孫に結びつけられて、天孫は東日本を統治していた日高見の国が、南九州に大船団を送って地固めを行い、そこから北九州や中国、近畿地方の要衝を押さえていく(神武東征)という挟み撃ち戦略をとったとのことですが、何か腑に落ちないものがありました。

それは、日高見の国が関東から九州まで大船団で向かって、そこから大船団で東に戻るのなら、関東から九州まで行かずに近畿(現在の大阪から伊勢の間)で上陸する方法もあるというものです。
尤も、近畿には大勢力があったからそこでは上陸出来ず、周囲に対した勢力の無かった南九州に上陸して、そこで地固めをしてから東に向かうことになったというのも戦略ですけど、これもまた東へ向かうだ船団ですから、スッキリしません。

近畿地方に大勢力があったから、近畿には簡単に攻め込むことが出来ず、南九州まで行った日高見の国の分派勢力が力を蓄えてから、元の関東の勢力と共同して近畿に攻め入ったのかと想像をたくましくしています。
近畿の勢力は、東と西の日高見の国の勢力のために、両方に軍隊を派遣していたら、中央部の警備が薄くなって隙になってしまい、そこを攻撃されたのかと想像しますが、私にとっては全てが想像の中のことです。

このようなことを論証されている田中教授は、東大を卒業してから東北大学で文学部講師から教授になっておられるので、東大は邪馬台国論争でも九州説ですし、東北大学もそれに沿っていた記憶がありますから、東大の九州説の補強と言うより、これを土台にした新説と言った方が、学閥的には問題が少ない気がします。
こんなことを言ってると、日本国史のさわやかな部分がぶち壊しになってしまいます。

いずれにしても、日本は今有る歴史の資料を整理して、国史を作成しなければならないのです。
この時に、日本の歴史が終戦後のGHQのWGIPによって、原形をとどめない程に粉砕したような状態にされたことに、憤りをあらわにするしかないのです。
日本の国史を再構築するときには、これを整理して現在の統一意見と出来る部分と、将来それに無理なく繋がる部分が不自然にならないような形として統合して欲しいし、その時には、天皇の御陵も天皇の権威を踏みにじらない範囲で協力していただけたら、日本の国史が神話の時代も含めて、日本国民に分かりやすく教えていただけると思います。

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