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2018年6月19日 (火)

つまり、もぅ「国軍不保持、交戦権放棄」の条文で日本人を縛り上げる手法は、無効になり始めて居るのです

ーー以下読者投稿より抜粋編集

ソロです。

1945年の終戦(敗戦)から1952年に連合国との講和がなるまでの間、日本は占領軍の支配下に置かれた。

占領軍は、旧体制を破壊するために協力者を募り、禁止用語(プレス・ラジオコード)表を協力者らに提示し、言論の検閲と弾圧をさせた。

そして協力者らに20万人もの旧体制協力者を告発させ、公職から追放し、代わりに協力者らを公職に就けたのである。

ーー

言論・メディアは、日本の戦後社会を決める重要な位置にあった。

その言論・メディアを支配していたのが、占領軍に協力し敗戦利得者となった人々であった。

現在ネット上で在日・反日勢力と呼称されている人々である。

ーー

彼らは、戦争の惨禍に対する国民の復讐(ルサンチマン)の思い(エネルギー)を反戦・平和という言葉で、消し去ることに成功する。

そして「国軍不保持、交戦権放棄」の条文を持つ占領軍(マッカーサー)憲法を日本人に強制した。

そうすることで、支那・朝鮮による軍事的な対日恐喝を有効にし、敗戦利得を維持することに成功したのである。

ーー

彼ら在日・反日勢力は、日本が国軍を持つと支那・朝鮮による対日軍事恐喝が無効になり、利権を失ってしまう。

それで言論・メディアは、「日本を取り戻す」という安倍政権を倒そうと躍起になった。

つまり、言論・メディアは、露骨に反国民的な運動を行いだしたのである。

ーー

しかし言論・メディア産業は、国民の視聴率や新聞の定期購読で、経営が支えられて居る。

ネット環境を手にした人々は、もうすっかり、既成の言論・メディアに対しては愛想を尽かしてしまった。

支持が減る中、それでも、国民の側に立とうとしないところを見ると、言論・メディアは、日本人に「日本を取り戻され」てはよほど困ると見える。

ーー

背後には、彼らが戦後手に入れたすべての敗戦利得を失いかねないような醜聞が存在するのだろう。

ーー

在日・反日勢力は、川崎デモで明らかにされたように、自分たちの利権を維持する為には、臆面もなく暴力を揮(ふる)う。

つまりこれは、「彼らを制するためにはそれを上回る暴力が必要だ」と言うことを意味する。

この単純な真理に、国民は気付き始めた。 

ーー

つまり、もぅ「国軍不保持、交戦権放棄」の条文で日本人を縛り上げる手法は、無効になり始めて居るのです。  

ーー

ネット住人の間には、在日・反日勢力に対する敵意すら存在する。

この敵意は、遠からず反日を主導してきた既成言論・メディアに向けて爆発するでありましょう。

その一番の平和的な措置は、圧倒的な武力を持つ存在、つまり自衛隊(軍)による反日メディアの制圧でしょう。  

ーー

日本では、事態を悪化させ、事態を回復出来無かった組織の責任者は、切腹しなくてはならない。

が、今の言論・メディアの責任者に、その覚悟がおありだろうか?   

国民を騙すような行為は、神を冒涜したに等しいのですよ。

(日本人は神の子孫) 

その責任を自覚出来無いようでは、企業の責任者としては勿論、日本人としても失格ですね。

ーー

それでは、われわれは、日本を「在日・反日勢力の手から取り戻し」た後どうすべきなのか。

それは、占領軍や在日・反日勢力が破壊した国体を取り戻すことでありましょう。

つまり明治政府が作り上げた富国強兵かつ人倫国家であり、教育勅語にある世界に戻ることを意味します。

ーー以下「伊勢雅臣コラム」より引用

戦後のアメリカ占領軍は、日本の強さの源泉が教育勅語にあると見破っていた。

だから、日本弱体化のために、真っ先に教育勅語の奉読を禁止したのだ。

ーー

現代アメリカで3千万部を超える大ベストセラーとなった「The Book of Virtue(道徳読本)」は教育勅語を下敷きとしていると言われる。

(Virtueは美徳)

その10の徳目も以下のように、教育勅語の12の徳目に類似している。

1)父母ニ孝ニ 
2)兄弟ニ友ニ 
3)夫婦相和シ = Compassion  
4)朋友相信シ = Friendship  
5)恭儉己レヲ持シ=Self-discipline、Perseverance  
6)博愛衆ニ及ホシ=Faith  
7)學ヲ修メ業ヲ習ヒ 
8)智能ヲ啓發シ=Work  
9)公器ヲ成就シ = Honesty  
10)公益ヲ廣メ世務ヲ開キ=Responsibility  
11)國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ=Loyalty  
12)義勇公ニ奉シ=Courage

ーー

しかし、教育勅語の徳目の順序をよく見ると、独特の人間観がそこに潜んでいる事が見えてくる。  

まず1)から4)は、家庭や交友という日常生活の中で習得・実践すべき徳目である。

次に5)から9)では、恭儉(きょうけん、人に対して慎み深く,控え目に振る舞う・こと)、博愛、学業、知能、公器(こうき、公共のためになる存在)という社会に出るために必要な性格や能力を磨く。

最後に、10)公益世務、11)国憲国法、12)義勇奉公は公のために尽くすべきことを示している。  

すなわちここでは、人間はまず家庭や交友を通して生き方を学び、次に社会に出るための修養を行い、その上で国家公共のために尽くすという人生観を前提としている。

ーー

これに比べれば、「The Book of Virtue」が説く項目は、あくまで良き個人となるためのもの、という印象を受ける。  

そもそも日本語の「人間」には、英語の「man」にはない「間」という字が入っている。

これは人は他者とのつながりの中で生きているという人生観の表れだろう。  

ーー

われわれは家庭では親であったり、職場では上司であったり、地域では町内会の役員であったりする。

我々は、他者との関係に従ってさまざまな役割を負い、それを立派に果たすことによって自らの処を得て、生き甲斐を感じることができる。  

教育勅語の説く徳目はそのような「他者とのつながりの中での人間」としての成長を目指したものであり、他者とは断絶した「個人」の人格的完成を説くものではない。

ーー

この「他者とのつながりの中での人間」という人間観は、国家や宗教などの共同体を前提としている。

わが国はこの面で非常に特異な歴史伝統を持っている。

それは教育勅語の冒頭の一文に謳われている。

(現代語訳は文部省図書局『聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告書』(昭和15年)より)

ーー

朕惟(おも)フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ

(朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、)

初代・神武天皇は東征を終えて、わが国の建国宣言とも言うべき詔(みことのり)を出された。

そこでは民を大御宝(おおみたから)と呼び、「天地四方、八紘(あめのした)にすむものすべてが、一つ屋根の下の大家族のように仲よくくらそうではないか」と呼びかけられておられる。  

これが戦後、日本の「世界征服」のスローガンであるかのように非難された「八紘一宇」の出所なのだ。

が、原意は国内の諸部族が仲良くまとまって、一つの国家としてやっていこうという呼びかけだった。

ーー

ちなみに「国家」に「家」の字をつけるのも、外国語にはない表現である。  

歴代天皇は、この精神を受け継がれて、民を大御宝として、ひたすらその幸せを祈られてきた。

わが国はこのような徳を基盤として建てられた国家であった。

「國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ」とは、この事を指していると考える。

ーー

我カ臣民克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世(よよ)厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ此(こ)レ我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ教育ノ淵源(えんげん)亦(また)實(じつ)ニ此(ここ)ニ存ス。

又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。

これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。

ーー

歴代の天皇がひたすら祈られてきた大御宝の幸福を実現すべく、代々の国民もそれぞれの持ち場で、国民全体の幸せのために心を合わせて力を尽くしてきた。

それがわが国の美しい国柄であり、その美風を次代の皇室と国民に伝えていくことが、わが国の教育の目標であった。

ーー引用ここまで

決して国際金融勢力が主導した軍国主義に戻ることではないのです。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>日本語は、人を表すのに人に間「=生きる空間」を着けて、個人では人が生きて居ても、無意味で有る事を教えて居る。
 この伊勢さんの日本語の解釈には、満腔の賛意を表します。 先人が子孫に示した知恵や愛情の様なものを感じるカラです。 国家も亦、然り。 国を建てるダケでは、安定して民の為になる国は出来ません。 家内(いえぬち)の様に、家族が相和し、仲良く暮らせるような仕組みや「間」を備えてこそ、国家足り得る。 と暗示して居るのだと思います。

 国を創り建てるには、皆の協力と相和する精神無くば、国家は成り立たない、つまり、国にとは、成る程、現実的な支配力を発揮する体制や、軍事力を背景として、支配者の「正義」を民衆に強制する力が必要だ、と言うのは分りますが、其れだけでは国は継続できないと言っているのです。

 つまりは、民衆の政体や支配者に対する支持が無ければ、もっと言えば、支配者を父共も母共、慕う様な思いが醸成される様な政で無くてはイケないのです。 是が日本文明の国としての結論でしょう。

 教育勅語が、こういう意味であるとすれば、2千年近い絶対王政の社会を経て来た、西洋社会にとっては、そこに理想国家の原型を見た思いだったろう。 何故日本兵士が、年端も行かない少年までもが、愛国心に溢れた勇敢さを発揮したのかが、理解できたのでしょう。

 然し私は、教育勅語だけでは、日本精神は語り尽くせていない、と思います。

 日本には、その半数を占める女性の存在があるのです。 その女性の教育を如何に日本はやって来たのか、と言う事を取り上げないのでは、日本の伝統が、女神である天照大神をスメロギの祖として居る事から考えれば、全く以て、理解できない事です。

 「女大学」というものも有った様ですが、其れは公家・武士層での女性が一種の道具として用いられる世界の話で、大半の日本の女性の教育は、主に、大家族形式の家庭内で行われて来たモノだと思います。 其処では、男女の分業がハッキリして居たので、男女のジェンダー意識は自然に身に着いたものと思います。

 然し、ご存じのように、「天照大神が天の岩戸にお隠れになられた事で世界が暗くなった」と言う記紀の記述で、太陽神だと考えられていますが、是は世界の太陽神の殆どが、男性神である事を考えれば、日本の文明の特殊さを感じます。 

 是を評して、戦前、平塚らいてうは、「原初、女性は太陽であった」と、女性の主権を主張して居ますが、是は、決して、西洋の様な「男性に対する復讐劇」である、ジェンダーフリー思想では無いと思います。では、女性だけで、男性の敵の軍隊から、自分の祖国を護れるのかと言えば、どの様に考えても無理があります。

 日本には、伝統の男女観である「同権異質」が存在して居て、謂わば、ジェンダーを正面から肯定して居ますが、是は、その根本に「民は、皆等しく神の子であり神聖なモノ」と言う絶対平等の精神があるからです。 

戦前でも、こういう掘り下げた解釈が一般的では無かったのは、世が戦争の時代で、男は消耗品の如く扱われて居て、母として、せめて生きて居る間に・・と言う親心があったからだし、国の為に=家族の為に死にゆく男たちも、国よりも、まず、父母に対する感謝を第一に、自分が盾になって、家族を、国家を護るのだと言う決意がありました。

 就中、銃弾をかいくぐって、見事特攻を果たしたのに、爆弾が不発だった機に乗って居た、10代半ばの少年が、懐に母の写真を抱いて居たというのは、有名な話です。 つまり、戦前の日本では、個人の恋愛感情よりも、家族愛が優先して居たと言う事なのでしょう。

 この点を、GHQや日本人の協力者は利用した、と私は勘繰っています。 つまり、3S「=Sports Screen Sex」の最後のSexを、自由奔放に表現して、日本女性が古来から保って来た、貞淑さ、控えめな美しさ、家事に置ける主権者を「古く、忌まわしい差別的な因習」と、無理やり位置づけた。

 この流れに乗って、大いにその宣伝に貢献したのが、破天荒な人生を臆面も無く曝け出して自己肯定して来たのが、作家で似非尼僧の瀬戸内(寂聴)晴美です。 貧雷禁じられている肉食をTVで放映する等、破戒僧の彼女が人生相談などやって居るのを見ると、日本のマスコミの国民に対する悪意すら感じますね。

 そのジェンダーフリ-思想に塗れた、上野千鶴子東大名誉教授等が言う、「新しい女性」と言うワケの分らないモノを、盛んに称揚した結果、都会に行けば行く程、「如何に、自分を高く売るか」と言う、売春婦の様な価値観に毒された女性が多い事に幻滅しますが、然し、その結果が、金だけ持って居る「お一人様」の女性と女性に見捨てられた男性が、孤独死を迎えて居ます。 

 是は、新たな社会問題として、取り組まねばならないと思います。 「永らえるだけが尊いのではない」と言う価値観も見直さねばならないと思います。 唯、もう一度、日本の大家族制度を見直せばよいダケですがね。

 伝統的に、戦士である男は家庭内では、お客さんの立場ですが、主権者は女性なので、その指示に従う他は無い、私は薩摩の出ですが、「出された飯に文句を着ける様な奴は飯を食う資格が無い」と言うのが鉄則でしたから、「卓袱台返し」なんて、欣喜に来るまで知りませんでした。 その上、「男は甲斐性無しでは、相手にされない」のですから厳しい。「何が男尊女卑なんだ」と、幼い頃から思って居ましたねwww

 戦後のそう言った、GHQや同調者の企みにも拘らず、大方の日本女性は、母親を見て育った所為か、その本質を見失わず、家庭では、主に働く男性をたて、子供を慈しみ育て、家人が健康で、世の為になる人間である事を、何より願い、生き甲斐にして居る「おっかさん」で有り続けて居るのが大半で有る事には、3万年の日本社会の強靭さを感じます。

縦椅子さま

 今日はなんて素晴らしいブログ、最高のブログをありがとう御座います!

 ここにはソロさんのおもいが一杯詰まっているたからばこのような、くめどもつきせぬ知恵の宝庫のようなブログに感謝いたしております。言葉がすなわち金言というべきレベルで、本当に素晴らしい言葉が心を打ち、感動をおぼえております。またソロさんのやさしさ溢れる女性に対するコメントをいただき、「かって女性は太陽だった」とおおらかなあかるい大昔の女性像が浮かび上がってまいります。じぶんは大家族のなかで、父母にこの上なくあいされ、兄弟姉妹とも仲よくすごしてまいりまして、まるで教育勅語の実践しているような家庭に育ちましたので、本日のブログー「国は家のようなもの」が日本的な国家感の基礎にあると認識致しました。ありがたく御礼申し上げます

敗戦後の日本は、占領軍による統治で、日本があらゆる面で復活することのないようにされました。
日本の教育の支柱であった教育勅語はもとより、国家の礎となる八紘一宇、憲法もまた彼等にとっての目的の障害になるとして排除されました。

彼等はこれを実行するに際して、協力者を使うと共に日本の国が復興したときに、損益を被るものを手先として使ったのですが、その者共は日本がサンフランシスコ平和条約で独立を果たすと共に表面から消えたように見せましたが、実際は敗戦利得者として日本の裏側で勢力を維持していました。

米国は、本来ならば朝鮮戦争の勃発と共に日本の憲法を改定したことについて、反省しなければならなかったのですが、これを再度改訂することが出来なかったことを後悔したと思います。
そして、敗戦利得者を整理して、日本の愛国主義者を敗戦前のような位置に戻す努力をしなかったことを、反省すべきでした。

米国は日本を理解して、その周囲は危険に満ちていると考えなければならなかったのに、それをせず、米国や連合軍の兵力をつぎ込み、大損害を受けました。
米国は大東亜戦争を日本が発展することを、米国の損益と考えましたが、真実は日本の防衛戦争であり、支那はソ連からの共産主義者によって蝕まれていることを理解できていれば、中華民国という支那の権益胃を失わずに住んだと思います。

これを理解していなかった米国は、第2次世界大戦で大きな支出を必要としただけでなく、支那の権益まで失ったのだと思います。

その上で、朝鮮戦争に敗退していた場合には、東アジアから米国の味方を全て無くして、太平洋を隔てた西側は、全て共産主義国になる可能性があったと思います。


>在日・反日勢力は、川崎デモで明らかにされたように、自分たちの利権を維持する為には、臆面もなく暴力を揮(ふる)う。

川崎デモは、終戦直後の朝鮮人の暴動のように見えました。
そして、これを統制しなければならない警察は、統制しやすいだけのために、法律で許可されたデモ隊を規制したのです。

神奈川県警は、終戦直後のように法律を守れず、違法を黙認して楽をする仕事を行い、警察としての恥をさらしたのです。
これによって、神奈川県警は無能で有ることを、日本中に知らしめたのです。
終戦直後の朝鮮進駐軍のような行動が、神奈川県においては可能であることを示した事例でした。

神奈川県警は、日本の国民を守るための存在であることを証明するのならば、きちんとした仕事をしたことを、日本人に掲示しなければならないと思いました。

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