無料ブログはココログ

« ところが日本では、まるで日本に恨みでも持っていて、日本人や日本国の足を引っ張るような人たちが国会議員に選ばれている | トップページ | しかし、国柄という根っこから遮断された戦後のほとんどの日本人は、利他心のエネルギーを断たれている »

2018年6月 2日 (土)

人々が国の再建と経済を発展させるために献身的に尽くす光景は、今もまぶたに焼きついています

ーー以下「わかり松ブログ」より抜粋編集

マハティール首相の著書『立ち上がれ、日本人』の「序章 日本人よ誇りを持て」より引用。

ーー日本に学んだこと  

発展途上国であるマレーシアは、日本から多くのことを学びました。  

首相に就任した1981年、私は「ルック・イースト政策(日本に学ぶ政策)」を国策として採用しました。

これは第2次世界大戦で焼け野原となった日本が、たちまちのうちに復興する様から学ぼうとした政策です。  

かつて読んだソニーの盛田昭夫元会長の本に描かれた、日本国民の強い愛国心と犠牲を払っても復興にかける献身的な姿は、私に深い感銘を与えました。

ーー

労働者は支給される米と醤油だけで一生懸命働き、近代的な産業を育てるため寝る暇を惜しんで技術を磨いていったのです。  

ーー

日本人の中でも私がとりわけ尊敬するのは、戦後の日本を築いた盛田昭夫氏と松下幸之助氏です。

いずれも先見性を持ち、開拓(パイオニア)精神と失敗を恐れずに挑戦(チャレンジ)する精神、そして独自の考えとやり方で技術革新を生みました。

さらには日本の経済成長を助ける経営(マネージメント)能力を兼ね備えていたのが、彼らのすばらしいところです。  

ーー

私が初めて日本を訪れたのは1961年、家族旅行でのことでした。

当時の日本はまだ復興途上で、あちらこちらに爆弾による破壊の跡が残されていました。

それでも、大阪では水田の真ん中に建つ松下の工場が私の度肝を抜き、オリンピックの準備中の東京では、日本橋の上に高速道路が建設されつつあるのを目にしました。  

このとき、私は日本と日本人の復興への情熱(ダイナミズム)を体感したのです。

ーー

人々が国の再建と経済を発展させるために献身的に尽くす光景は、今もまぶたに焼きついています。

その後も訪れるたびに発展していく日本の姿を見てきたからこそ、首相になったとき私は日本と日本の人々から学ぼうと思ったのです。  

ーー

もっとも注目したのは、職業倫理観と職場での規律正しさによって、品質の高い製品をつくりあげるという姿勢でした。  

戦前の日本製品は「安かろう悪かろう」の代名詞でした。

しかし戦後は品質の高い製品を次々に生産し、日本は国際社会で大きく成功しました。

ーー

労働者は職業倫理観が優れていて、管理能力も高い。

多くの国民が戦争で命を落としましたが、残された者が立ち上がり、新しい産業を興し、日本はすばやく発展していきました。  

電子産業の革命を起こしたソニーもその一社で、すばらしい技術でテープレコーダーを生み出しました。

松下は戦後再建し、多くの大企業が次々と復活しました。

ーー

米占領軍は財閥を解体したけれども、新しい形態の会社が次々と生まれていったのでした。  

日本の大企業の仕組み(システム)は、欧米の会社の仕組みとはずいぶん違っていました。

会社同士は競争しても、会社は社員の面倒を見る。

終身雇用という形態は、西側諸国にはないものでした。

社内で従業員による混乱は少なく、労働組合によるデモも就業時間外に行われたため、生産活動には支障を来さなかったのです。  

ーー

多くの製品が生まれ、輸出され、外貨を稼ぎ、結果として日本は大きく発展しました。

私たちが日本から真似して取り入れたかったことは、日本型の仕組みなのです。

国を発展させるための政府と民間企業の緊密な関係を、私は「日本株式会社」と呼んでいます。

私たちはこの日本から学ぶことで、他の発展途上国に比べて早く発展することができました。  

東南アジアをはじめとしたアジアの近隣諸国もまた、日本とともに働き、日本の繁栄と技術から学びたいと思っているのです。

日本の新しい技術を学ぶことによって、域内全体が繁栄することは間違いありません。

ーー日本人よ自信を取り戻せ  

マレーシアは、近隣諸国を豊かにすることが、自国にとっても大事なことであると確信しています。

けっして、貧しい国を置いてきぼりにしてはなりません。  

近隣諸国が貧しければ、多くの問題が自分の国にふりかかってきます。

貧しい国から難民がどっと入ってくれば一大事ですが、近隣諸国が豊かになれば自国製品を輸出することもできる。

だからマレーシアは、近隣諸国を富ます政策を積極的に取り入れているのです。  

ーー

戦後、独立国として生まれ変わったマレーシアには、日本など海外から多くの投資がなされました。

日本の企業が進出したおかげで多くの雇用が生まれ、失業率は著しく低下し、国民は完全雇用の状態となりました。

このため、海外からの労働者を雇わなければならなくなったほどです。  

ーー

マレーシアは日本にとっても、良い市場として生まれ変わりました。

日本は投資したものを回収しただけでなく、豊かになったマレーシア人に製品を売ることもできる。

2倍儲けることができたというわけです。  

これが私たちの経験であり、多くの発展途上国でも同じことが起きてほしいと願っています。

ーー

マレーシアは近隣の国々に手を差し伸べ、投資し、職業訓練のために彼らを招いています。

その国の発展のために、公共事業にも協力しているのです。  

最も大事なことは、国が域内はもとより世界の平和のために努力するということ。

けっしてひとりよがりにならず、他の諸国が発展するお手伝いをするということです。

他国が豊かになれば自国も豊かになり、よりよい世界を築くことができる。

そうすれば戦争は起こらず、テロ行為の恐怖におののくこともありません。  

ーー

いま私は、自分の国に自信をもっています。  

ーー

その一方で、米国型の極端な経済改革を行なおうとしている今の日本では、失業率も高く、国民が自信を失っているようです。

最近の日本の若者は、もはやかつての日本人のように献身的ではなくなったと私は聞かされました。

確かに、貧しい人はそこから抜け出そうと必死に働きますが、ひとたび豊かになると人生はたやすいと思ってしまう。

そして努力することを忘れてしまうのです。  

ーー

しかし日本を再びいい国にするために、ぜひ頑張っていただきたい。

ーー

皆さんには勤勉であるという日本人の素質が根づいているのだから、他国の言いなりになるのではなく、自分の考えで行動してほしい。

そして自信を取り戻し、日本人であることに誇りを持ってもらいたいと思うのです。

ーー辞任にあたって伝えたいこと  

マレーシアは「目標(ビジョン)2020」として、2020年に先進国入りする目標を掲げています。

私は22年の首相在任期間を通じて、その基盤(レール)を敷く努力をしてきました。  

1997年に始まったアジア通貨・金融危機では、これまで私たちが汗水たらして築き上げてきた国の富を瞬く間に失ってしまいました。

しかし欧米型の処方箋を用いず、独自の資本規制などを実施することで、ようやく乗り越えることができました。  

ーー

私は辞任の潮時をいつも考えてきましたが、国内経済がやっと落ち着いてきた2002年、私が総裁を務める最大与党・統一マレー国民組織(UMNO)の党大会で辞任を発表しました。

誰にも相談しませんでしたから、周囲にとっては青天の霹靂(へきれき)だったことでしょう。

本当はすぐ引退したかったのですが、まわりからもう1年だけ頑張ってほしいと嘆願されました。

2003年10月のイスラム諸国会議機構(OIC)首脳会議を終えてから引退するようにと――。

ーー

「足るを知れ」私が幼いころ、母はそう諭(さと)しました。

お腹いっぱいになる前に食べるのをやめなさい、というのが母の口癖だったのです。  

この22年間で、マレーシアの1人当たり国内総生産(GDP)は2倍以上に増えました。

日本を目標にした「ルック・イースト政策」が功を奏したことは間違いありません。

完全ではありませんが、私たちは日本から多くを吸収することができました。

社会の仕組み(システム)や職業倫理、技術――、そして何より文化に学びました。

ーー

首相を退任したいまも、私は日本の支援に心から感謝しています。  

経済危機の最中にも本当に大きな力になってくれた日本は、私たちにとっての真の友人です。

数十億ドルの支援や、マレーシア政府発行の国債に対して保証を打ち出してくれたことでどれだけ助けられたことでしょう。

固定相場制を導入できたのも、日本がバックにいるという安心感があったからなのです。

ちっぽけな東南アジアの一国の民として、私は日本にいつまでも熱いまなざしを注ぎ続けることでしょう。  

ーー

どうかいつまでもアジアの力となり、手を差し伸べてほしい。

今こそ日本に、リーダーシップを発揮してほしいのです。

ーー

(なお、こうしたメッセージに対してはとかく「愛国心を不要にかきたててはいけない」と説く人も登場しがちなので、そういう方に向けてのマハティール首相の言葉もご紹介しておこう)

ーー愛国主義の大切さ  

「軍国主義は他国民にとっては迷惑極まりないことだが、国民が愛国主義的であることは悪いことではない」

「愛国主義は国が困難を乗り越える上で助けになるからだ」  

「祖国を守ることと攻撃的な軍国主義は同義語ではない」

「はっきり申し上げれば、いまの日本人に欠けているのは自信と愛国心です」

「日本が『愛国心』という言葉に過激になる理由は、私にもわかります」

「確かに、過去に犯した多くの過ちを認める用意と意思は持たなければならない」

「しかし半世紀以上も前の行動に縛られ、恒常的に罪の意識を感じる必要があるのでしょうか」

ーー

戦後の日本を支配してきた在日・反日勢力にとっては、『日本人の愛国心』には過激にならざるをえなかった。

というのも日本人が愛国心を持つと彼らの利権が奪われかねないからだった。

彼ら・在日・反日勢力は、今も、ことあるごとに日本人に、戦争責任を思い出すように仕向け、謝罪と賠償を要求し続けている。

« ところが日本では、まるで日本に恨みでも持っていて、日本人や日本国の足を引っ張るような人たちが国会議員に選ばれている | トップページ | しかし、国柄という根っこから遮断された戦後のほとんどの日本人は、利他心のエネルギーを断たれている »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

日本の企業は、家族型経営として終身雇用をしてきましたが、これを否定して、正社員を減らして派遣会社からの社員を採用したり、アルバイトやパートを増やしたりしてから、かわりだしたのではないでしょうか。

昔の経営者は従業員のことを考えて雇用していたのに、会社の景気によって従業員の数を調整するようになったように思います。
もう古い話になりましたが、日産自動車がルノーに買われて、ゴーン社長は工場を潰して過員となった従業員を整理したことで収益構造を変えました。

企業が収益を求めるのは当然ですし、無駄を削って収益を作り出すのは必要なことです。
しかし、工場を閉鎖することで人員が余剰である状態を作り、その人員を整理して収益が増えることは、企業人として自慢できることではないと思いました。

この後、似たようなことで収益を上げる企業が増えたように思いますけれど、日本の企業の考え方が変わったように思います。
尤も、従業員の抱えすぎで会社が倒産しては、何もならないのですが、先を見た経営をして欲しいと思いました。

だけど、マレーシアのマハディール首相が戦後の日本を高評価してくれたことは、嬉しかったし、忘れてはならないことだと思います。


>「軍国主義は他国民にとっては迷惑極まりないことだが、国民が愛国主義的であることは悪いことではない」
>「愛国主義は国が困難を乗り越える上で助けになるからだ」  

ネットで投稿を見ていますと、「保守」という表現を見ることが多く、「保守」という表現が大切にされていると思いますが、私は「愛国」という言葉を大切しています。

この国の良さを守ると言うことは、「保守」を表すと思いますけれど、この国の良さを守るためには、左翼からの攻撃に耐えなければなりません。
そのためには、この国の良さを守るために進化し続けなければならないのです。
その場合、「保守」では足らなくなると思います。
「愛国」ならば、変わり続ける「保守」を包含できると思っているのです。

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>マハティールマレーシア元首相
 斯う言う国家の舵取りを長い間やって居た人が、親日と言うのは良く聞く話で、その分我々の先人達の高いモラルと日本伝統の平等意識と相手を思いやる「利他愛の心」が、相手の心の琴線に触れる行いが誰に拠らず為されて居たからだと思います。 つまり、彼らは、個人だけでなく。日本の文化・文明のファンだったと言う事です。
 
 もしこれが個人レベルの話なら、海外に学んだ明治期の日本人や政府が招いた外国人の指導者にそう言う人を見出す事が出来ましょう。 然し、戦前の日本人は一般の民衆からして、外国人を感動させたり、唸らせるものがあったと言う事ですから、日本の民度は、欧米に比べて、桁違いに高かったと言う事でしょうね。
 
 私は此の原因は、やはり、先帝陛下のご人徳の所為であると思って居ます。 終戦のご詔勅の後半部分は、慈父が子供達に託した遺言の様に私は感じました。 あのご詔勅を御カキナなられた時に、陛下は、正に自分の命は無いものとお覚悟為されて居たと、推察いたします。 

そして、そのお気持ちは、ご詔勅をラジオを通して聴いて居た国民の一人一人の胸に沁みわたったと思います。 ダカラ、直後に腹を召された人が何人もいて、その多くが高齢者で有った事を聴くに、「陛下お一人を死なせて堪るか」と言う思いであったと勝手に思うのです。 

 ご詔勅の後半部は、是からの日本の再生を託すお言葉で綴られて居ました、「自棄にならず、我慢をして、日本を再び復興・興隆せしめて、世界に比肩しうる国にしてほしい」と。 国民はその言葉に応えて、日本を見る間に、戦前を上回る国に復興させました。

 然し、その復興をたたえたマハティールさんが、現代の日本人を嘆いて居るのは、我々親の世代の日本人の責任であろうと思います。 その原因となった米国のWGIPを狡猾に利用して、戦後財を成したモノ達が居た。 そして、有ろう事か、祖国の弥栄を祈って、戦陣に斃れ、或いは、冷たい海底に水漬く屍となり、或いは、虚空に散華した、275万人モノ英霊たちの名を貶め、辱める事を進んで行った日本人達も居たのです。 英霊たちは、この様な者どもを決して許しはしないでしょう。

 然し、我々の日本に取って大事なのは、是からなのです。そう言った外国人の目から見ても素晴らしいと絶賛された日本の伝統的な、精神を我々は、復活させ、そして子孫に伝えて行かねばならない。一部の腰抜けの売国奴達に、負けてはいけない。

 我々は「日本を取り戻す」のです。それが我々の世代の使命だと、安倍さんと同じ歳の私は、確信しました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« ところが日本では、まるで日本に恨みでも持っていて、日本人や日本国の足を引っ張るような人たちが国会議員に選ばれている | トップページ | しかし、国柄という根っこから遮断された戦後のほとんどの日本人は、利他心のエネルギーを断たれている »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31