無料ブログはココログ

« それぞれが個として個別に在りながら、時に出会い、ともに過ごし、また別れて行く | トップページ | 官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す »

2018年6月10日 (日)

仮想敵として日本を選べば、とても安くつくのである

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

石平v矢板明夫『私たちは中国が世界で一番幸せな国だと思っていた』(ビジネス社)

石平氏は支那系日本人、矢板明夫氏は支那残留日本人孤児である。

ともに文革時代の支那を経験されている。

両人の目の前で惨劇がおきたのだ。

ーー

といっても支那は広い、両人の体験はそれこそ東京と大阪で暮らす日本人の体験以上の差があるはず。

ところが両人の話は何故か似ている。

矢板、「子供の時分からこのような密告社会に身を置いていると、結論としては誰もホンネを言わなくなる。嘘しかつかなくなる」

ーー

矢板氏は、残留孤児として天津で育った。

幼い時から日本人であることがすなわち「外国のスパイ」だとしていじめにあったのだという。

そんな「スパイ」という言葉を支那人の子供たちが知っていたということに驚かされる。

ーー

ところが、田中首相の訪支で日支国交回復がなされると、その支那人社会が、途端に彼をちやほやしだしたのだという。

ーー

支那人社会で孤児がどのように扱われていたのか、個人差があるだろうし、日本で生活している日本人には知る方法がない。

だから、まあそんなこともあったのかぐらいの認識でいいのだろうと思う。

ーー

石平氏のほうは、両親は大学教授だった。

少年期、石平氏は、「知識青年」として下放され祖父の元で育った。

漢方医だった祖父は論語を教え、世間の常識を教える人だった。

(この論語は日本人が考えるものとは内容が天と地ほども違っている)  

それでも石平氏は周囲の環境を見ながら育つ。

ーー

毛沢東の写真が掲載された新聞に芋を包んだだけで処刑されたおばさんがいた。

肉は配給で週に一度。

極貧のなかにあっても、アメリカはもっと貧しいと思っていたのだという。

そして共産支那で暮す人民は世界一幸せなのだと信じてきた。

ーー

自由主義社会から地獄の十年といわれた「文革」が終わると大学が再開された。

支那国内で一斉に統一試験が行われた。

高校の先生と現役の生徒と、そして老齢の人も一斉に試験を受けた。

ーー

(支那では試験に合格することが利権を得る一手段だからだ)

ーー

日本の映画が解禁されるや『君は憤怒の河を渡れ』と『幸せの黄色いハンカチ』が熱狂的に受け入れられた。

高倉健はたちまち支那人の英雄(ヒーロー)に、中野良子は女の憧れ(ヒロイン)になった。

支那人社会には、日本との友好を叫ぶ声があふれ、すこしでも日本に近付こうという社会風潮になった。  

ーー

北京大学を出た石平氏に「配給された」仕事場は四川大学だった。

そこで教鞭をとることになった石平氏は、本当のことを教えると周りから疎(うと)まれる。

やる気がなくなっていたところに、日本留学中の友人から『日本に来たら』と誘いを受けた。

それで、日本語も出来ないのに衝動的に日本への留学を決めたのだという。  

ーー

1989年6月4日の天安門事件で、北京共産党は、自由主義社会から批判の嵐に直面した。

すると北京は、突如『反日』に舵を取ったのだった。

爾後、北京は日本を敵視するようになった。

ーー

無知な支那人を統治するには、仮想敵をつくり社会を引き締める必要がある。

日本はマッカーサー憲法を持っており、しかも日本人は法を守る人たちである。

北京にとっては、「国軍不保持、交戦権放棄」の条文を持つ日本国は、米国の植民地のようなものだった。

いくら脅そうとも、何をしようとも、日本の方から攻められることがない。

仮想敵として日本を選べば、北京にとっては、とても安くつくのである。

ーー

ことはそれだけではすまなかった。

日本の温泉が評判になり、支那人業者が一儲けしようと、温泉発見のために、日本から専門家を呼び寄せた。

すると、儲けさせはしないと考える支那人が、日本人専門家らを『スパイだ』と告発。

日本人の温泉専門家らは、それから一年以上になるがまだ勾留されままだ。

ーー

日本国内では在日・反日勢力がこれまで言論・メディアを支配して、大きな顔をしてのさばってきた。

彼らは、支那から日本政府への圧力を期待して、支那でロビー活動をするために「友好屋」を営業していた。

それも、支那人を見下し、我が物顔で反日工作にいそしんでいたのである。

そんな彼らも、支那人からすると、「日本を売るような日本人はおかしい」として『スパイだ』と告発され、拘束されたままだ。

ーー

(これが反日メディアの支那絶賛の声が弱まっている理由の一つなのだ)

ーー

まあ、石平氏には日本人読者がいるし、残留孤児には日本政府からの手厚い生活保護があるので、その立場上支那には批判的になるのだろう。

それでも両人の体験と具体的な実例は、支那人を理解する上で大いに参考になる。        

« それぞれが個として個別に在りながら、時に出会い、ともに過ごし、また別れて行く | トップページ | 官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>シナ大衆の日本認識を読み解く
 私ら日本人が、常々疑問に思って居るのは、あれだけ広いシナに多種多様な民族が混在しているのに、何故シナ人が揃って反日なのか、と言う事ですが、この疑問は、「共産党の都合」だと、直ぐに解ります。

 と言うのは、例えば山崎豊子の「大地の子」での、中国残留孤児の陸一心が、幼少期に味わった、東洋鬼子(トンヤンメクイツ)と言う、日本人差別で有る様に、大陸で葉顕かなモノだったそうです。

 是は、丁度その頃、私が付き合って居た、瀋陽「=昔の奉天」出身の女性に確かめた話もあります。 「打倒! 東洋鬼子」は、幼少期の口癖だった、と言って居ました。

 丁度、80年代の終わり頃でしたが、「じゃあ、何でお前は日本に居るんだ?」と訊きと、石平さんの証言通り、「日本の真の姿が、実際に日本に来て分ったから」と言って居ましたが、同時に、日本は、物質に溢れてはいるが、決してモノ中心の考え方やお金儲け中心の生き方を良し、としない日本人の精神文化が、シナ人の其れとは大きく違う事に気付き始めて居る様でした。

 「親が、大連から来ているので、会ってほしい」というので、彼女のアパートに行くと。なんと、床の間に、自転車が置いてあり、炬燵はひっくり返して使って居ました。 呆れ乍ら、「是なんで外に置かないの?」 其れに炬燵は伏せて使うもんだぜ」と訊くと、「この自転車は今私にとって、一番大切なモノ、盗られたら困る」「炬燵は、ひっくり返した方が、部屋の中が明るいし、部屋全体が温まる」と、解説?されて、無理に納得させられましたww

 考えて看れば、彼女が生まれ育った瀋陽の緯度は北緯42~3度にあって、然も、大陸の中心付近に常在するシベリア高気圧からの冷たい風が、常時吹いて居るので、気温は冬には、軽く⁻40℃近辺まで下がるので、北海道よりずっと寒いのですから、暖房具の扱いにも、彼ら形の考えが有るのでしょう。 唯、此処は神戸で、瀋陽の様な酷寒の地では無いと言うだけの事。

 其れにしても、シナ共産党のシナ大衆の、情報遮断の上、思想操作術には、恐怖感すら感じますね、その彼女に、南京大虐殺や満州建国の話をしようとしましたが、「難しい事は、嘘が多いので、最初から関心が薄い、皆に従って居るダケ、でも、日本人は中国を侵略したのは間違いないでしょ」と言ってましたので、説明しようとしましたが、「私は、そんな昔の話はドゥでもいい、中国人の言う事は半分以上嘘だから、真偽を確かめようが無い」と言われたので、成る程と思い、その後そう言う話は一切しませんでした、

 斯う言う現実主義のシナ人ばかりなら、韓国人なんかに比べたら、ずっと、付き合い易いと思いますがね。

 唯、一点、不満があるとすれば、シナ人の歴史に対する誤解や思い込みが、史跡の新たな発見等を知らされていない事で、昂進されて居ない事ですが、歴史観そのモノが、似恩とシナ人とでは大きく違うので、これも、同じ歴史観を持つ事自体が、無理な事ですね。

 唯、救いもあります。 シナ人が日本に気て、日本の事を知るたびに、日本人の善良さや、誠実さを知り、大きく評価していると言う点です。 是は、裏を返せば、「日本人は、隙が多い国民だ」と言う、戦略的な認識にも繋がって居る事は用心しなくてはなりませんが、「シナ人が来ない処へ、来ない時期を狙って、日本に来る」と言う、シナ人も多くなって来たと言う話です。

 ですが、シナ人がもし日本で快適に暮らしたいのなら、自身が、日本人並みの公共心や恥を持つ住民にならねば、結局は、疎外され、排斥される事になるのは、間違いの無い処。 然し、移民がその国の風習や常識をs℗ん鳥しなくては、やっていけないのは、世界中どこでも同じ事だと、考えなくてはイケないでしょうね。

>矢板、「子供の時分からこのような密告社会に身を置いていると、結論としては誰もホンネを言わなくなる。嘘しかつかなくなる」

この言葉は、日本人には理解できないと思います。
嘘しかつかないと言うことは、本当のことは全く言わないと言うことです。

昔、テレビなどでは、中国人は普通は余り信用しないが、朋友になると全てを信用すると言っていたのです。
でも、今少し調べてみると、知り合い程度の関係だとのことで、全く違います。
そして、老朋友になると、一度一緒に食事をした位の関係だとのことです。

一寸した人間関係でも築くのは大変なようですが、嘘をつかないと生きていけないのならば、周囲を全く信用できない中で生活するのです。
日本人には、生きていけない世界です。
こんな国とは、条約を結んでも(日本人は、基本約束を守ります。文書の条約は絶対に守ります。)、都合の良いときだけと考えると思わないといけない。例外規定を作ってはならないのです。
条約を守るには、力の保障が必要です。


>北京にとっては、「国軍不保持、交戦権放棄」の条文を持つ日本国は、米国の植民地のようなものだった。

日本はサンフランシスコ平和条約で、占領統治から抜け出して独立を果たしたのですが、支那から見れば「植民地のようなもの」としています。
しかし、そう言いながらも、日中条約を締結して経済協力を受け取る。そして、外交上の問題が生じても、攻められることがないから安心して脅せる、便利な国と考えたのです。

尖閣諸島での漁船衝突事件は、それで日本を脅かしたら仙谷官房長官はビビッテしまい、普段は日本人を脅かすタイプが、逆に簡単に脅かされました。
「友好屋」の真骨頂でした。


>そんな彼らも、支那人からすると、「日本を売るような日本人はおかしい」として『スパイだ』と告発され、拘束されたままだ。

これは、当たり前の話です。
日本人でありながら、「反日」・「売国」の輩ですが、日本人は本気で反日・売国をしても他国の連中から見れば、何か魂胆があってそれを演じているようにしか考えないのです。

ネット右翼をやっていますと、左翼の連中からは共産国の天下になったらネット右翼は粛正されると脅かされるのでしょうけれど、考え方が甘いです。

何処の国の人でも自国を愛し、自国のために行動するのは普通のことです。
自国が良くなることに反対し、自国を売ることはそれ自体が異常なのです。
ですから、左翼の連中は元から信用されず、初めから粛正対象です。
彼等が「本当に反日で売国者です。」と言っても、支那では本当が信用されないので、「本当」も「嘘」も関係ないのです。


> 日本国内では在日・反日勢力がこれまで言論・メディアを支配して、大きな顔をしてのさばってきた。
彼らは、支那から日本政府への圧力を期待して、支那でロビー活動をするために「友好屋」を営業していた。
それも、支那人を見下し、我が物顔で反日工作にいそしんでいたのである。

在日・反日勢力がこれまで言論・メディアを支配し、大きな顔をしてのさばり、「友好屋」を営業してきても、支那人を見下した態度があったのは、日本の「力」と「世界での地位」を利用してきたからです。
また、彼等には、これらが自然に「日本人」として身についているのです(元が日本人ですから、仕方がないのですけどね。)。

支那人から見れば、日本が「敵」であるのは普通ですし、「味方」はいないと考えるのが普通です。

日本人でありながら「反日」であることは、共産国からみれば極めて危険な存在であることを、自覚していなければならないと思います。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« それぞれが個として個別に在りながら、時に出会い、ともに過ごし、また別れて行く | トップページ | 官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31