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2018年6月 3日 (日)

しかし、国柄という根っこから遮断された戦後のほとんどの日本人は、利他心のエネルギーを断たれている

ーー以下「伊勢雅臣コラム」より抜粋編集

5月19日、「教育を良くする神奈川県民の会」にて『世界が称賛する 日本の教育』と題して、講演をさせていただいた。

内容は拙著『世界が称賛する 日本の教育』に基づくものであった。

ーー

例えば、パリのフレンチ・レストランでも、日本人シェフたちが際だった躍進ぶりを見せている。

2月5日、ミシュランガイド・フランス2018年版のレストラン格付けが発表され、パリで一つ星を獲得した15軒のうち、日本人シェフの店が4軒もあった。

そのうちの一つの店は、パリで開業してわずか1年で一つ星をとった。

量は少ないが丹精のこもった料理が、少量かつ次々と何皿も出てくる。

まるで日本の懐石料理のようなのだ。

「和の趣向を加えた」とは、こういうことを意味するのだろう。

ーー

今年は、日本人がシェフを務めるレストラン5店舗が新たに一つ星を獲得し、2店舗が二つ星に昇格した。

伝統的な(クラシックな)フランス料理や和の趣向を加えた(テイストをミックスした)フレンチなど作られる料理は様々だ。

このような日本人シェフに共通しているのは食材へのこだわり、創意工夫、日々の努力の積み重ねである。

ーー

しかし、日本人シェフたちのこの精進ぶりは、どこから来るのか? 

ーー

拙著『世界が称賛する 日本人が知らない日本』では、わが国での食事は食材の「命をいただく」ことであり、それゆえに料理は神事であることを述べた。

「食材へのこだわり、創意工夫、日々の努力の積み重ね」に精進する日本人シェフたちは、無意識のうちにも「料理は神事である」という使命感を抱いているのではないか。

いずれにしても「食材へのこだわり、創意工夫、日々の努力の積み重ね」で丹精を込めた料理が、フランス人にも高く評価されているのである。

ーー

今や欧州の自動車メーカーも、日本のモノづくりの影響を強く受けている。

現在では以下のような日本製の用語が世界中で使われ、共通語となっている。

Kaizen(改善)、Muda(無駄)、5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾)、Kanban(看板、在庫補充の指示票)、Andon(行灯、設備故障の表示灯)Pokayoke(ポカヨケ)  

日本のモノづくりは、手法面にとどまらず、原理原則面でも根本的な変革をもたらした。

ーー

例えばそれまでの欧米流品質管理では、「品質を良くするにはコストがかかる」と考えられていた。

100円の不良が出ても、それを解決するのに千円かかるのであれば、その程度の不良は見過ごしてよいと考えられていた。  

一方、物を粗末にすることを嫌うのが日本人である。

せっかくこの世に役立つ材料として生まれてきたのに、未熟な技術で不良にしてしまっては、もの本来のあるべき姿(物体、もったい)を実現できないので「物体ない」と感じてきた。

そこで100円の不良をゼロにするために、1万円かけても「Kaizen」を行う。

ーー

その過程で発見したのは「品質を良くすれば経費(コスト)が下がる」と言う逆説だった。

(経費が下がれば儲けが増える)  

不良をゼロにするためには、その不良がどのように生まれるのかを科学的に究明することが必要である。

そこで得られた製造技術が、他の製品の不良ゼロ化につながり、またさらに性能の良い新製品の開発にも役立てられる。  

何よりも不良ゼロ化の過程を通じて、技術者や作業者の能力と意欲が向上し、それがさらなる「Kaizen」に向かう力となる。

日本製品は品質が良いという定評はこうした活動によって築かれた。  

ーー

世界を席巻する料理もモノづくりも、「もったいない」という日本文化が根っことなっている。

ーー

日本のモノづくりが世界の常識を変え始めたのは1980年代からだ。

ちょうどその頃、以下のような「教育改革の基本的方向」と題する答申が発表された。

「これまでの我が国の教育の根深い病である画一性、硬直性、閉鎖性、非国際性を打破して、個人の尊厳、個性の尊重、自由・自律、自己責任の原則、すなわち個性重視の原則を確立することである」

(臨時教育審議会第一次答申(昭和60年))

ーー

「我が国の教育の根深い病である画一性、硬直性、閉鎖性、非国際性」とはよくも言ったり。

これは教育審議会の「識者」たちが、日本の独創的なモノづくりが世界を席巻していた事実を全く見ていないことを示している。

彼らの、こんな主張こそ、「画一性、硬直性、閉鎖性、非国際性」のお手本であった。  

ーー

文部行政における「画一性、硬直性、閉鎖性、非国際性」は、初代文部大臣・森有礼(ありのり)が「日本は欧米文明に早く追いつくために英語を日本の国語にすべき」と主張したことに始まる。

この英語国語化論が完全に誤っていた事は、開国から70年足らずで日本が国際連盟常任理事国4カ国の一つとなったことで実証された。

ーー

日本の急速な近代化は、世界史にも特筆すべきものだろう。

これが、江戸時代の世界ダントツの識字率を基盤としていた事は『世界が称賛する 日本の教育』でも指摘した。

が、同様に、もう一つの原動力となったのが教育勅語である。

ーー

『世界が称賛する 日本の教育』にはこう書いた。

明治三十八(一九〇五)年の日露戦争の勝利は、アジアの一小国が白人の大国を近代戦争で打ち破った戦いとして、世界を驚嘆させた。  

英国は、日本の発展の要因を、教育勅語をもとにした道徳教育にあると考えて、講演者を派遣するよう日本政府に要請してきた。

これに応じて、元東京帝国大学総長・菊池大麓(だいろく)が、教育勅語を英訳し、明治四十(一九〇七)年、英国各地を講演して回った。  

その結果、たとえば全英教員組合の機関紙は絶賛した。

「この愛国心が強く、勇敢無比な国民は、教育上の進化を続け、結果としてその偉大な勅語に雄弁に示された精神をもって、国民的伸展の歴程を重ねていくであろう」と。

ーー

英国は日本と同様、歴史的によくまとまった島国であり、国民が国家のために尽くす伝統がある。

その伝統から、教育勅語に込められた精神を敏感に感じとったのであろう。

戦後のアメリカ占領軍は、日本の強さの源泉が教育勅語にあると見破っていた。

だから、日本弱体化のために、真っ先に教育勅語の奉読を禁止したのだ。

ーー

現代アメリカで3千万部を超える大ベストセラーとなった「The Book of Virtue(道徳読本)」は教育勅語を下敷きとしていると言われる。

その10の徳目も以下のように、教育勅語の12の徳目に類似している。

1)父母ニ孝ニ 
2)兄弟ニ友ニ 
3)夫婦相和シ = Compassion  
4)朋友相信シ = Friendship  
5)恭儉己レヲ持シ=Self-discipline、Perseverance  
6)博愛衆ニ及ホシ=Faith  
7)學ヲ修メ業ヲ習ヒ 
8)智能ヲ啓發シ=Work  
9)公器ヲ成就シ = Honesty  
10)公益ヲ廣メ世務ヲ開キ=Responsibility  
11)國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ=Loyalty  
12)義勇公ニ奉シ=Courage

ーー

しかし、教育勅語の徳目の順序をよく見ると、独特の人間観がそこに潜んでいる事が見えてくる。  

まず1)から4)は、家庭や交友という日常生活の中で習得・実践すべき徳目である。

次に5)から9)では、恭儉、博愛、学業、知能、公器という社会に出るために必要な性格や能力を磨く。

最後に、10)公益世務、11)国憲国法、12)義勇奉公は公のために尽くすべきことを示している。  

すなわちここでは、人間はまず家庭や交友を通して生き方を学び、次に社会に出るための修養を行い、その上で国家公共のために尽くすという人生観を前提としている。

ーー

これに比べれば、「The Book of Virtue」が説く項目は、あくまで良き個人となるためのもの、という印象を受ける。  

そもそも日本語の「人間」には、英語の「man」にはない「間」という字が入っている。

これは人は他者とのつながりの中で生きているという人生観の表れだろう。  

ーー

われわれは家庭では親であったり、職場では上司であったり、地域では町内会の役員であったりする。

我々は、他者との関係に従ってさまざまな役割を負い、それを立派に果たすことによって自らの処を得て、生き甲斐を感じることができる。  

教育勅語の説く徳目はそのような「他者とのつながりの中での人間」としての成長を目指したものであり、他者とは断絶した「個人」の人格的完成を説くものではない。

ーー

この「他者とのつながりの中での人間」という人間観は、国家や宗教などの共同体を前提としている。

わが国はこの面で非常に特異な歴史伝統を持っている。

それは教育勅語の冒頭の一文に謳われている。

(現代語訳は文部省図書局『聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告書』(昭和15年)より)

ーー

朕惟(おも)フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ

(朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、)

初代・神武天皇は東征を終えて、わが国の建国宣言とも言うべき詔(みことのり)を出された。

そこでは民を大御宝(おおみたから)と呼び、「天地四方、八紘(あめのした)にすむものすべてが、一つ屋根の下の大家族のように仲よくくらそうではないか」と呼びかけられておられる。  

これが戦後、日本の「世界征服」のスローガンであるかのように非難された「八紘一宇」の出所なのだ。

が、原意は国内の諸部族が仲良くまとまって、一つの国家としてやっていこうという呼びかけだった。

ーー

ちなみに「国家」に「家」の字をつけるのも、外国語にはない表現である。  

歴代天皇は、この精神を受け継がれて、民を大御宝として、ひたすらその幸せを祈られてきた。

わが国はこのような徳を基盤として建てられた国家であった。

「國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ」とは、この事を指していると考える。

ーー

我カ臣民克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世(よよ)厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ此(こ)レ我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ教育ノ淵源(えんげん)亦(また)實(じつ)ニ此(ここ)ニ存ス。

又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。

これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。

ーー

歴代の天皇がひたすら祈られてきた大御宝の幸福を実現すべく、代々の国民もそれぞれの持ち場で、国民全体の幸せのために心を合わせて力を尽くしてきた。

それがわが国の美しい国柄であり、その美風を次代の皇室と国民に伝えていくことが、わが国の教育の目標であった。

ーー

最近の脳科学では、人間の脳は利他的な行動をとると幸福感を覚え、集中力が増し、免疫力も強化されることが、明らかにされつつある。

冒頭で紹介した料理やモノづくりでの日本人の活躍も、金や名誉という利己的な目的よりも、世のため人のためという、日本文化に根ざす利他心からエネルギーを得ているのだろう。  

ーー

皇室はひたすら国民の幸せを祈り、国民はその祈りを実現すべく、互いの幸福のために働く。

わが国はそうした利他心で結ばれた共同体であった。

教育勅語によって、その利他心のエネルギーをフルに引き出された明治の先人たちが、世界史に残る近代化を成し遂げた。

戦後も利他心のエネルギーを引き出している料理やモノづくりの人々が現代世界に多大な貢献をしている。  

ーー

しかし、国柄という根っこから遮断された戦後のほとんどの日本人は、利他心を発揮する場を失っている。

日本人は経済的には豊かなのに、幸福を実感している人の割合が先進国中でも異様に低いのはこのためだろう。

まずは国柄という根っこを回復し、利他心を発揮する場と、利他心を発揮することによる幸福感が感じられるようにしなければならない。  

総合学習や自発的に学ぶ(アクティブ・ラーニング)というような手法次元でなく、自分だけのために生きるという姿勢を正す処から始めるのが、教育改革の正道だろう。                                       

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>伊勢雅臣さん
 この人、確か、フォークグループの「南こうせつとかぐや姫」のメンバーですよね。昔からファンです。 お家は、旧大名だそうで、所謂「世が世なれば・・」の人だそうです。 マァそれは、兎も角、今回、凄く大事な事を取り上げておられますね。

 其れは、「間」と言う、言葉の使い方についてです。 「間」は、「ま」「けん(げん)」「かん」「あいだ」「はざま」或いは「はし」と読みますが、「ま」でも、時の経過やタイミングを表す場合と、場所を意味する場合とあるし、その用法は多彩です。

 私が思うに、この「間」の「ま」は、オソラク原日本語で、最初は、住処の場所や土地の有る場所を意味したのではないか、島(しま)、山(やま)、浜(はま)は、日本列島に棲みついた、海洋民族の倭人(東夷)が棲みついた、と思われる島、それに、上陸して漁労海産を始め、後背地に畑を作って暮らした浜、そして、畑地を広げる為に、開拓しに、川を遡って奥に進んで棲みついた山、全て、広間、土間、居間等、後に応用された言葉の原点になったものだと思います。

 山で、或いは、山に続く森で、狩猟採集民(北狄)の先住民と会合したが、相手は獲物を追って、山地を移動する非定住民だから、生活圏が違いますし、随い、接点も少ないし、言葉は通じないし、で、敵対する事が、もしあっても、傷つけあう様な争いは、少なかったでしょう。

 寧ろ、台風や火山の噴火等で、山地に住処を失った北狄族は、傷つき、飢えて居たのを、海人族が、見かねて援けると言う事が、有ったと思います。

 人間相手に争い、戦って、傷ついたのなら、所謂「手負い」でしかありませんし、下手に援ければ、彼らを傷つけた敵から、仲間扱いされて、襲われる可能性が高まって危険ですが、天災で傷ついて居るのがハッキリして居れば、目の前で、弱って死にかけて居るなら、特に幼い子供や女の人は、哀れに思うでしょう、譬え言葉が通じなくとも、援けてやろうと言う気になるでしょう。

 是が、伊勢さんが仰有っている「利他心」で、仏教に謂う「利他愛」の端緒となる出来事だと思います。つまり、全く人として、自然な心の働きだと思いのです。 ですから、人種が違う西洋の白人や中東の青人にも、そうした利多心は心の働きとして、あった筈です。

 処が、その利他心は、西洋や中東では、人間の徳目としては上がってこない、更に言えば、朝鮮半島やシナ大陸では、そうした利他心は、単なるお人好し「=生き抜く力が劣ったマヌケ者」の扱いしか受けないのが、彼らの社会の常識です。

 この差は何なのでしょう。 結局、日本が他と違うのは、日本では、年中自然の脅威が到来して、住民の生命に危機を齎す、と言う事でしょう。 此の劣等に初めて辿り着いた人類は、オソラク、最初の裡は環境の変化に適応出来なくて、伝染病や、腐ったものを食べて、或いは、台風の度に川の氾濫による洪水や、地震、火山の噴火、そして、雪に凍えて、飢えて死んだでしょう。

 然し、獣や鳥は、同じ目に遭っても、生き延びて居る事を知ります。 彼らが台風の時に、何処に避難しているのか、地震や火山の噴火が起こったらドゥ身を護ったら良いのかも、獣や鳥の行動から、学んでゆきます。 そして、前述の先住民である北狄族からも、色々な生活上の知恵を学びます。 是は、後に、客人神(マロウドガミ)の考え方を、齎します。

 日本人は、自然をヒントにすれば、問題が解決する、生き抜けるのだと言う事を知ります。 そして住居を構え、災害に対する工夫を重ねて、終に年中安心して暮らせる住居の形と場所を見出します。 これが、最初の人工的な「間」でしょう。

 そして、その数を増やし集落にします。 定住してみると、気候の変化も、一定の期間を置いて変化している事に気が着きます。 此のインターバルさえ知って居れば、作物が取れる時期や場所、獣が増える時期も分り始めます。 時間や季節も「間」なのだと言う発見ですね。

 その大切な「時間の間隔」も、「間」と読んで居ますから、間とは、日本人に取って生きて行くに必須のモノ「=世界、場所、或いは時期や間隔」で有る事になっていると思います。 ですから、「間抜け」な事をしたり、「間違う」と、トンでも無い結果になり、落命する事になるかもしれないのです。

 そして、伊勢さんは、もう一つ、国を謂い表す時、日本だけが「国家」と、家を着ける事を指摘されて居ますが、是は、国の成り立ちが、最小単位である男女から、家族、集落、地域、地方と進んで、その集合が国になるのですが、国とは、家中の様に、家長の下に団結した秩序ある状態を指すのだと言う意味だと思います。 つまり、日本は家族主義が政治の原点なのですね。

 ですから、江戸時代迄の武家社会の価値観は、個人中心ではなく「お家中心だった」のでしょう。 戦後、日本の教育評論家が、日本の旧態の(つまりは伝統的な)価値観について、WGIPに阿ったとしか思えない、批判のみを記して居ますが、是は、日本の自然を相手に培って来た日本人の先達の工夫や努力で、築き上げた伝統を、無視したものでしかなく、全く受容出来ないものです。 

 その神髄は、実に伊勢さんが示して居る通り、「教育勅語」に、簡明にして、顕かでありましょう。 米国文化の精神的な先達である英国人が、感動したものを、全く評価できない、否、畏れて居る米国の(GHQの)WGIPが、明らかな誤りである事は、米国人はモゥ気付いて居るでしょう。

 我々日本人は、斯うした我々が日常使う日本語の端々に、先達の細かいメッセージが潜んで居る事を自覚して、原日本語を探し出す事から、真の日本の歴史を知るべきだと思いますね、

>日本のモノづくりが世界の常識を変え始めたのは1980年代からだ。

日本の物作りの評価が高くなったのは、戦後の電化製品の輸出と自動車産業の輸出で製造技術の高品質と安定した製品軍による者のような気がします。

少数の製品は、熟練した少数の技術者で優秀な製品を作ることが可能ですが、大量生産による製造は優秀な技術者より、一定のレベルを満たす多くの工場労働者達が必要なのです。

戦後の日本は、この工場労働者を育成できる環境にあったし、日本の教育水準は、工場の製造マニュアルが多少は不十分でも、労働者がカバーできるものだった(労働者達は、改善を提案する能力があった)と思います。


>『世界が称賛する 日本の教育』にはこう書いた。

日本の教育水準が高く、日本を発展させてきた要因には、教育勅語の存在が大きいと思います。
だからこそ終戦後にGHQは、日本の教育から教育勅語を排除したのです。そして、教育勅語の「一旦緩急あれば義勇公に奉し以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」を、侵略を助けると無理矢理こじつけて、この教育勅語を否定したと思います。

ソロさんへ

>伊勢雅臣さん
この人、確か、フォークグループの「南こうせつとかぐや姫」のメンバーですよね。

かぐや姫の伊勢さんは、伊勢正三さんで1951年生まれの66歳で、千葉工業大学工学部中退の方です。

伊勢雅臣さん
この人は1953年生まれの63歳で、東京工業大学社会工学科卒の方です。

それから、髪の毛の量がかなりと違います。

かぐや姫は好きで、良く聞いていました。

縦椅子さま
現代アメリカで≪3千万部を超える大ベストセラーとなった「The Book of Virtue(道徳読本)」は教育勅語を下敷きとしていると言われる。
「朕惟(おも)フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ 我カ臣民克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世(よよ)厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ此(こ)レ我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ教育ノ淵源(えんげん)亦(また)實(じつ)ニ此(ここ)ニ存ス≫特にー≪それがわが国の美しい国柄であり、その美風を次代の皇室と国民に伝えていくことが、わが国の教育の目標であった。 ≫と教育の目標を明確にされています。本当に教育勅語は心を打つ名文で、ご掲載有難うございます。
今日の産経新聞・明治の50冊に徳富蘇峰の吉田松陰が掲載されておりました。
「明治20年代半ば、欧米列強との不平等条約が我が国の発展を阻害、  朝鮮をめぐって清との関係が緊迫、ロシアは南下政策を取り我が国の脅威となりつつあった。維新の大業を成し遂げた元勲たちは若かりし頃に持っていた清新な志をうしなってしまった。
 自由民権運動に参画したのち、自由と平等を目指す「平民主義」を唱えていた徳富蘇峰は若き日に熊本洋学校、同志社で英語をたたきこまれた当時の日本でも有数の英語の読み手。
海外の文献などから厳しい国際情勢をいち早く察知して、膨張主義・帝国主義につながる国家主義へと始めていた。
 明治25年初春、東京の本郷教会堂で行われた後援会で蘇峰は、元勲たちの師であった吉田松陰を取り上げる。そして、講演草稿をもとに自身が主宰する雑誌、「国民之友」に10回にわたり連載、更に加筆し26年の暮に史伝「吉田松陰」を刊行する。
 学習院女子大講師の杉原志啓さんはこうはなす。「蘇峰は、第2の維新とそれを担う第2の松陰を欲していました。当時の歴史背景と松陰の生き方を通じて、自身の強い危機感をつたえようとした。彼にしては珍しく精緻な作品にしあがっています」
 こうして世に送り出された同書は、当時の厳しい国際社会の中で「国民」となりつつあったあ日本人に好意的にむかえられてベストセラーとなり、ナショナリズム形成を後押しすることとなる。
 松下村塾で幾多の志士を育て、安政の大獄に連座して29歳で斬首された松陰を《彼は多くの企謀を有し、一の成功あらざりき。彼の歴史は蹉跌の歴史なり、彼の一代は失敗の一代なり。しかりといえどもかれは維新革命における、一箇の革命的急先鋒なり》と蘇峰は評価し、《彼はもとより生を愛し死を避けんと欲したるに相違なし。ただ彼はときに死よりも重きものあるのを観、これを成さんがために死も辞せざりしなり》と書く。
 東京都大田区の区立山王草堂記念館学芸員の黒崎力弥さんは「国民を覚醒させると同時に、元勲を挑発する意図もあったのでは」と推測する。
 同書刊行の翌年、日清戦争が勃発する。清を下した日本は下関条約で遼東半島を割譲されるが、28年、仏独露が遼東半島を清に返還するように勧告する。三国干渉である。英米は中立を宣言。日本はやむなく勧告を受諾する。
 蘇峰はこのときの憤怒を自著『時務一家言』にこう記している。 
 《無力なる道理は、有料なる無道理に勝たず。…予はこれに於いて、力の福音に帰依したり》
 国民感情も同様だった。こうした情勢の中で『吉田松陰』は読み継がれていく。--以下略(桑原聰)

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