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2018年6月18日 (月)

みんなで力を合わせることによって、日本人は、ひとりの力や能力ではとても到達できない高みを実現してきた

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

毎年たくさんの外国人が日本にやってきます。

彼らは「日本人を観に来た」のです。

ーー

なにしろ日本は、1854年に開国するまで、長崎の出島にオランダ船にしか寄港を許していなかったのです。

その国が1868年に明治政府を作り、広く列強に開国して、1895(明治27)年には大国・清と戦い勝利し、清国の属国だった朝鮮を独立させてしまった。

またその10年後の1905(明治37)年には、大国ロシアと戦って勝っている。

1914年~1918年の第一次世界大戦では戦勝国となり、5大国入りしている。

ーー

1939年~1945年の第二次世界大戦では、英蘭仏には圧勝している。

ついに米国による空爆と原爆によって国土の8割を焦土とされて負ける。

しかしこの日本人が白人と戦う姿を見て、これまで白人に植民地化されていた地域がことごとく独立してしまった。

ーー

そして敗戦国日本は、市街地の8割が焦土と化していたはずなのに、みるみるうちに復興し、

1964年、終戦からわずか19年後には東京でオリンピックを大成功の裡(うち)に開催してしまう。

ーー

1989年末には、東京都の地価がアメリカ全土の地価以上となって、強くなりすぎた経済力に諸外国、特に米国から報復される状況となった。

そのため当時の大蔵省(現財務省)は貸し出しに総量規制をして自ら経済力をそぐような処置をするほどだった。

それ以来29年間物価はぴたりと動かず、人々の生活水準は見違えるほどに上昇した。

(物価の安定は国民を豊かにするのだが、それを実現するのはとても困難とされている)

どこへ行っても清潔で、街並みも落ち着いた洗練されたものとなり、訪れた外国人を驚かすこととなった。

ーー

そしていつの間にか日本アニメが世界中で鑑賞されていて、世界中に大きな影響を与えていたのだった。

しかも、1995年に阪神淡路大震災、2011年には東日本大震災、巨大津波、福島第一原発事故、が起きた。

日本人は、度重なる大震災でも人々が整然と行動し、復興税を拠出することで復興を国民全体で支えた。

気がつけば日本の安倍総理は、世界の政治を牽引する人物になっていた。

(日本には言論の自由があり安倍総理を悪く言う人もいる)

ーー

いったい、日本は、どうなっているのか。

日本人というのは、どのような民族なのか。

本で読んでもわからない。

自国にやってくる日本人に聞いても、全く説明できない。

ーー

それなら、自分で日本に行って、自分の目と耳と肌で日本を見てくるしかない・・・というのが、来日の動機なのだそうです。

ーー

分かっていることは、日本には磨製石器が3万年前の地層から見つかっているということです。

3万年前の磨製石器は世界各地で見つかっているのですが、それらは後に連続した生活の痕跡がないのです。

ところが日本の遺跡は、唯一長期間(1万年以上)に連続する痕跡が見られる。

ーー以下抜粋

(日本で発見された磨製石器は)昭和24年に発掘された「槍先形尖頭器」と呼ばれる石器です。

長さ約7cm、幅約3cmのこの石器は、薄緑色に透き通る黒曜石で出来ています。

群馬県みどり市笠懸町にある岩宿遺跡(いわじゅくいせき)で出土したものです。

時代は、いまから約3万年前の旧石器時代のものです。

ーー

そしてこの石器は、単に旧石器時代の石器というだけでなく、「人の手による加工技術の産物」として「世界最古の道具」でもあります。

日本以外では、こうした石器は、オーストリアのヴォレンドルフ遺跡出土の石器が、約2万5000年前のものとされています。

日本の磨製石器は、それよりも5千年も古い。

日本の加工技術は、なんと3万年の歴史があるなんて、なんだかすごいですよね。

ーー

技術大国日本の象徴のような気がします。

とっても感動的です。

ーー

ちなみに青森県の三内丸山遺跡といえば、いまから5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡なのです。

が、ここでは多数の栗やクルミ、トチなどの木の栽培跡が確認され、有名な六本柱建物跡なども発見されています。

これだけ大きな木造建築物を建造するには、まず大木を伐採しなければなりませんが、ではどうやって大木を伐っていたのかというと、これが実におもしろい。

どのような道具で木を伐採していたのかというと、これが実は石でできた石器です。

ーー

どうやったかというと、まず木の根もとで火を起こして、伐りたいところを焦がす。

そして焦がしたところを小さくて先の尖った石斧で、すこしづつ削り、ついには木を伐り倒したのだそうです。

たいへんな時間のかかる作業ですが、そうやって伐り倒した樹木は、今度は枝を打ち払い、必要な長さに切って、家屋の建築や船の制作に使われた。

このときに使われた道具が、冒頭の写真のような先の尖った小型の石器だったわけです。

ーー

言い換えれば、3万年前というとほうもない昔の日本人は、先の尖った小さな道具一本で、大木を倒し、枝を打ち払い、適当な長さに加工して、さまざまな道具や建物建築に使用していたというわけです。

ーー

ちなみに加工をともなわない単なる「石器」では、これとは別に、日本で12万年前のものが発掘されています。

ーー

3万年ほど前に地球気温が急速に低下し、このためバイカル湖辺りのモンゴロイドは、一部はベーリング海峡を渡って北米大陸に向かい、一部は太平洋を南下して日本人となったのだという。 

つまり日本に人が住み始めたのはいまから3万年前だ、というわけで、その3万年前の世界最古の磨製石器が日本で出土した。

これが冒頭の写真となるわけなのですが、ところが、日本で、12万年前の石器が出土しちゃった。

こうなると日本て、いったいどういう国なのだろうと、なんだかワクワクしてしまいます。

ーー

もうひとつ、冒頭の磨製石器ですが、先の尖った形状の道具を使って、木を加工するという技術。

その技術の産物として、加工した磨製石器が出土したわけなのだけれど、このことについて、すごくおもしろいと思うのですが、奈良の法隆寺の五重塔です。

ーー

磨製石器は3万年前のものです。

法隆寺の五重塔は世界最古の木造建築物とはいえ、1300年ほど前の建造物で、時代は全然違う。

しかし耐震性や防火設備をそろえた、あの芸術品とさえいえる五重塔。

この建築は、釘を一本も使わず、ほとんど「槍(やり)カンナ」と呼ばれる先の尖ったノミのような道具一本で、あれだけの構造物が建設されているのです。

ーー

槍カンナというのは、もちろん鉄製なのだけれど、その形状は、そのまま冒頭の磨製石器が鉄になった形状のものです。

思うにそうした日本古来の、先の尖った道具一本で、木材に様々な加工を施してしまうという技術。

それは、日本で3万年前から使われていた磨製石器という先の尖った小型の道具を活用する技術として、日本ではものすごく古くて長い歴史と伝統の中で培われた技術であるように思えるのです。

ーー

そうでなければ、とつぜん降ってわいたように法隆寺の複雑な仕様の建築物など、できるものではありません。

言い方を変えると、世界最古の磨製石器が出土した日本は、世界最古の石を加工した技術国家であり、

かつ、先の尖った道具一本で様々な木造加工技術を開発した技術国家でもあったといえる。

ーー

すごいことです。

なにせ技術に3万年の歴史がある!

ーー抜粋ここまで

しかも世界最古の土器も日本で発見されている。

そして日本の各地でみられる人骨には、その他各地でみられるような武器による損傷が非常に少ないのです。

ーー

この2千年来の政治の仕組みも日本は独自のものを持っていることが知られています。

それは、権力よりも上位に天皇という最高権威が存在していること。

その天皇が、民衆を「おほみたから」とされていることです。

このことによって権力者も民衆も、人として対等な関係になります。

ーー

そして日本では、天皇が、最も優秀な人物を権力者に任命する。

権力者は、民衆が豊かで安心して安全に暮らすことができることについての責任を持つ立場となります。

権力者の才能を民衆を守るために揮(ふる)わせることができる。

ーー

そして今も最高権威である天皇が稲を植え米を、皇后が養蚕をし絹糸を収穫し、それを祖先神に奉(まつ)られている。

つまり天皇・皇后が労働し収穫されることで、民衆も労働が神聖で誇るべきものであると認識している。

こういう仕組みや労働観も、日本を世界の中の独特の存在にしている理由の一つではないかと考えています。

ーー

しかも、治水・灌漑工事を権力者(侍)が民衆を守るための公務として行っていた。

つまりみんなで力を合わせることによって、日本人は、ひとりの力や能力ではとても到達できない高みを実現してきたということになります。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>日本文明の成り立ち
 戦前の大正期に、鹿児島の指宿市(当時は町)と言う処で、雨で崩れ露出した断層の違う高さの層から、夫々違う形の土器を中学生が発見、学校の先生を通じて、京都大学に調査をいらした処、直ぐに調査隊が編成されて、調査が始まりました。

 最初は、違う種族の土器と言う仮説が有力でしたが、地質学者を交えて調査を進めると、全く違う年代のものと判明、此処から、下の地層の土器を縄文、上の地層の土器を弥生時代と比定する事にした。 

 然し、その縄文土器とされるモノは、東北から出るものとは、土器の表面に描かれている紋様が、縄文とは大きく違って居る事、亦、東北の様な文様の土器は発掘されなかった事で、年代は縄文と同じだが、紋様が縄で無く、貝で行われて居たと判定、改めて貝紋土器と呼ぶ事にした。

 と言うのが、私の郷里指宿市の橋牟礼遺跡で起こった事件のあらましですが、其れまでの考古学は、欧州・中東・アフリカが中心で、極東などは後進で、1万年前は無人の地だと勝手に推定されて居たのです。

 処がこの後、霧島連山と桜島の間に有る、凡そ9千6百年前の上野原遺跡からも、貝紋土器が、其ればかりか、食物の保存の為に燻製を行う為の煙道を使った装置跡も発見され、定住民が居たと言う事が分りました。

 戦争による中断はありましたが、何故こんなに急速に、あちこちに遺跡が出て来るのかと言うと、橋牟礼遺跡は、7600~6900年前の薩摩半島の南の海底に有る、鬼界カルデラを創った海底火山が、終局的噴火を起し、火砕流が津波となって、薩摩半島に押し寄せ、其処で営んで居た生活圏を丸ごと飲み込んだし、上野原遺跡も桜島の大爆発で、9600南前に火砕流に呑まれて絶滅した生活痕であると、判定されたのです。

 つまり、火山の大爆発の歴史を辿っていけば、その時代、周辺に暮らして居た住民が居れば、火砕流の被害に遭う公算は高かったと言う事ですし、火山灰に埋まった遺跡の年代も、その火山の爆発の歴史で簡単に確定するのです。 「火山の周りを調査すれば、遺跡に当たる」或いは、「カルデラの周辺を調査すればよい」と言う法則の様なものが出来上がったのは、予算を獲得する上で大きな武器となったのでしょう。

 是等に拠って、60~90年代にかけて調査が盛んに行われて、桜島、霧島、開聞岳、永田岳、其の他の火山が精査が行われました。 桜島が取り残された形で残って居る噴火に拠って出来たと思われるカルデラ湾は、2万8千年前、今は連山を形成している霧島火山群、その間に位置する加久藤カルデラも、9万年前の阿蘇山と同じく、阿蘇以降の時期に、終局的噴火の結果出来た一種のカルデラで有る事が判明して居ます。

 現在、開聞岳とカルデラ湖で有る池田湖を包摂する形で考えられていた阿多カルデラも、現在では、もっと沖合の海底の方に痕跡が多いとの調査結果から、カルデラの規模や多重狩るであらである疑いも出て居ます。 何せ、錦江湾自体が、もっと古い時代に出来た、大きなカルデラ湾ではないのかと言う、推定も、かなり有力です。

 是で、南九州は、阿蘇、加久藤、霧島、桜島、阿多、鬼界と、大きなカルデラが、凡そ50~100km置きに南北方向に6つ並んでいる事になりますが、この火山活動の激しさは、大陸からの移住/侵略を諦めさせるには、火山の無い大陸人には、十分な脅威であったと、私は考えます。

 さらに、屋久島の永田岳周辺にも、文明の痕跡を探した処、隣の種子島に3万年前の遺跡が出て、さらにその下から5千年も古い遺跡が発見されて居ます。 この遺跡の主が、凡そ2万年前とされた、シナの柳江人、南西諸島の湊川人の祖と言う推定も為されて居ますが、列島本土からは、12万年前の旧石器が出土しているのです。

 更に、欧州で行われた、DNA解析に拠れば、日本人の遺伝子の50%近くは、凡そ3万年前に絶滅したと言われている、ネアンデルタール人と共通して居ると言う驚くべき報告も聴かれて居ます。 この先も、日本の考古学会は、更なる発掘を続けて、12万年~3万年前の歴史の空白期を埋めて、亦、12万年前以前の状況にも及ぼして、日本文明の始まりは、一体何時なのかを確定するべきですね。

 是等の遺跡の発掘は、考古学を生んだ欧州基準で行けば、1万5千年前に始まっている筈の新石器使用が、日本では、倍の3万年前迄には、既に、槍先尖頭石器「=新石器」を生活に多用して、木々を伐採し、加工して、生活具や住居の建築に用いて居たと言う事実を補強するダケの事でしょう。 即ち、現実的には、日本の木工技術は、3万年以上の歴史が積み重ねられていると言う事です。

 今(07:59)、大きな地震が近畿で有りましたが。 日本列島は、4つプレート(地盤)の継ぎ目が集まった、地球上でも珍しい場所ですから、そして、列島自体、火山の隆起の連続で形成されていますから、何処で暮らしても、火山は付き纏います。 列島に暮らし続ける心算なら、地震や火砕流に怯るダケで無く、如何にすれば、危険を回避できるかを考える事が大事で有る事に、気が着いたのでしょう。

 つまりは、火山列島に暮らす日本人は、普通は怖がって済むのを諦める様な、自然の脅威の溢れた土地で、モゥ移住する先が無い事を自覚して、此の厳しい環境の列島で生き抜く為には、先ず自然と戦わねばならず、人間同士の小さな争いに拘っていては、全員が滅びる他は無いと気が着き、より現実的に、より宥和的に、なり、平和な社会が築けたのでしょう。 

 でも、永く平和が続くと、つい、事勿れ主義の弊害に陥って、文明が停滞する事になっても、其れを打破するのは、やはり、自然の脅威への工夫・対応であった、つまり、常に神の思し召しで、試練を与えて貰って来たのだ、と言う事ですね。

 斯うした「自然の災害も、神が与えし、試練なのだ」と、謂えば、判って頂け、「ならば、それを乗り越える工夫を始めよう」と前向きにとらえて下さる、人々こそ日本人なのだと、私は思います。 日本に来る、特亜を除く外国人は、二本分の文明だけでなく、日本人を観に来るのだ、と私も思います。

>彼らは「日本人を観に来た」のです。

このように表現されて、日本人を観に来たとされますと「日本人は見世物か」と思いますが、実際それだけの価値はあります。

倭人と言われる程に身体は小さいのですが、起用に手先を操って仕事をします。
そして、一人一人ならば強いと思えないのに、集団になると不思議な程に強くなるのです。
白人が世界を植民地にしようとしていたのに、最後のところで日本で躓きました。決して狡賢い民族ではなく、約束を違えることはないのですが、白人の狡猾さを以てしても結局罠に嵌まることなく、植民地にされなかったのが日本でした。


ねずさんは、植民地にされなかった理由を、日本の歴史に求めています。
日本の磨製石器の古いものは、3万年前のものとして、その磨製石器の材質を鉄にしたものがあったことに、技術の伝承を見ています。

また、争いの少ない民族であることを個性として、日本の中に発見しています。

天皇がおられるのですが、天皇は権威とされ、天皇は世を治める権力者に統治権を預けており、権力者は、一般の民衆を天皇に変わって統治するのです。

権力者は、天皇から預けられた民衆を、天皇に代わって統治する。
天皇は、民衆を統べるものとして田に入って田植えを行い、皇后は
民衆に代わって蚕を育てます。

他国に、一般の民衆に代わって田を耕し、蚕を育てる天皇はいたのかと思いましたが、そのような天皇がいた試しはないと思います。

日本は、世界の中の一つとして、一般の民衆はよく働き、よく学ぶと思いますが、これには、天皇が労働すると言う世界でも珍しい民族ですが、そうなってきたのは、天皇が働くことで一般民衆は、より働らかなければならないと、自覚したこととが大きかったと思います。

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