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2018年6月12日 (火)

日本人が戦うのは、正当な目的のために、ものごとを竹のように真っ直ぐに正すためです

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

「八紘一宇(はっこういちう)」は、戦前の日本の国策とされました。

それは、昭和15年7月26日の「基本国策要綱」に掲げられています。  

「皇国ノ国是ハ八紘一宇トスル  肇国ノ大精神ニ基キ世界平和ノ確立ヲ招来スルコトヲ以テ基本トナシ  先ツ皇国ヲ核心トシ  日満支ノ強固ナル結合ヲ根幹トスル大東亜ノ新秩序ヲ建設スル」

(天皇のもとにある日本の国是は、 天皇のもとにある日本人をひとつ屋根の下で暮らす家族とし、 世界に平和が確立されることを基本的な願いとし、まずは日本を核心として、日本、満洲、支那の強固な結合を根幹とする大東亜の新秩序を建設する)

というものです。

ーー

東亜の新秩序というのは、アジア諸国が植民地支配を脱し、それぞれの国の独立を促すという意味です。

実際、戦中から戦後にかけて、多くのアジアの国々が独立を果たし、植民地支配という隷属からの脱出を図ることに成功しました。

その被植民地からの脱出と独立にあたって、日本がおこなった現地での学校建設、行政指導、教練等が、きわめておおきな役割を果たしたのは、その後の歴史が物語る通りです。

ーー

(要するに戦後にGHQが起草した現行憲法の前文以上に平和を希求する内容なのです)

ーー

ところが昭和32年9月、衆議院文教委員会で、松永文部大臣(当時)は、

「戦前は八紘一宇といって、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた方がよいというくらいな考え方から出発していた」と。

また昭和58年1月衆議院本会議では中曽根康弘総理大臣(当時)は、次のように説明しています。

「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持ち、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった」と。

ーー

ほんとうにそうなのでしょうか?

ーー

「日本書紀」の巻第三神武天皇の条に「掩八紘而為宇(八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為(なさ)む」とあります。

「八紘」は、八つの方位(北、北東、東、南東、南、南西、西、北西)のことです。

「八紘」の読み下しは大和言葉の「あめのした」です。

もともと、「あめのした」という語があり、これを漢文で書き表したものが「八紘」です。

ーー

「あめ」は天です。

その下ということですから、普通に漢字訳すれば「天下」でよかったのです。

それなら地上世界のすべてを意味します。

しかし、この「八紘」は、神武天皇が、橿原宮を造営する際に述べられた詔(みことのり)です。

したがって、この場合の「あめのした」は、橿原神宮に代表される天皇の御在所である皇居を中心として、そこから四方八方を意味します。

ーー

この場合の「あめ」は、天皇のこととなります。

その「あめのした」ですから、「八紘」の本来の意味は「天皇の御威光の及ぶ範囲」という意味になります。

だから日本書紀は「あめのした」を「天下」と訳さずに、意図して「八紘」と訳したと読むべきなのです。

ーー

日本書紀は意図して「あめのした」を「天下」ではなく「八紘」と書くことで、「天皇の御威光のもとにある人々」に特定しています。

これは日本の領土領海内のみを示します。

つまりどこにも「他民族抑圧・併合のための超国家主義」という意味は生じないのです。

ーー

その日本が戦った大東亜戦争についての評価をお目にかけます。

ーー引用開始

貴方がた日本は先の大戦で負けて、勝った私どもオランダは勝って大敗しました。  

いま日本は世界一、二位を争う経済大国になりました。

私たちオランダはその間屈辱の連続でした。  

勝ったはずなのに、世界一の貧乏国になりました。  

戦前のオランダは、アジアに本国の36倍もの大きな植民地もインドネシアがあり、石油等の資源産物で本国は栄躍栄華を極めていました。  

ーー

今のオランダは日本の九州と同じ広さの本国丈となりました。  

あなた方日本はアジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分をさげすみペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。  

ーー

あなた方こそ自らの血を流して東亜民族を解放し救い出す、人類最高の良いことをしたのです。  

何故ならあなたの国の人々は、過去の歴史の真実を目隠しされて、今次大戦の目先のことのみ取り上げ、或いは洗脳されて、悪いことをしたと自分で悪者になっているが、ここで歴史をふり返って、真相を見つめる必要があるでしょう。  

ーー

本当は私共白人が悪いのです。  

百年も三百年も前から競って武力で東亜民族を征服し、自分の領土として勢力下にしました。  

ーー

植民地や属領にされて長い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想をかかげて、大東亜共栄圏という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。  

ーー

本当に悪いのは侵略して権力を振っていた西欧人の方です。  

日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現しました。  

即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わりました。  

ーー

その結果アジア諸民族は各々独立を達成しました。  

日本の功績は偉大です。  

血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。  

自分をさげすむのを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです。

ーー引用ここまで

これは、平成3年、日本傷病軍人会代表団が戦時は敵国であったオランダを訪問した際に、オランダ・アムステルダムの市長の挨拶で、公式に残っているものです。

ーーもうひとつ

Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.

(諸国から訪れる旅人たちよ、この島を守る為に日本軍人がいかに勇敢に愛国心を持って戦い死んだ(玉砕した)かをつたえられよ)

ーー

これは、パラオ・ペリュリュー島の碑文で、米国大平洋艦隊司令長官のニミッツ提督の言葉です。

もし日本軍が、「朝鮮進駐軍(朝鮮総連)」のように武装解除後の日本人に対して略奪、凌辱、暴行の限りを尽くしていたら、敵の将であるニミッツ提督が、こういう碑文を残すでしょうか。

ーー

東京裁判では、清瀬弁護人は八紘一宇について、「日本固有の道徳であり、侵略思想ではない」と明確に述べています。

ーー

八紘一宇の精神による東亜の解放、そんなものは日本の大義名分にすぎず、内容は侵略戦争だったという人がいます。

ーー

もしそうなら、なぜ、日本軍は、インパール作戦で、38,000人の戦死者を出し、4万人以上の戦病を出し、街道に日本兵の白骨を折り重なるように晒しながら、戦ったのでしょうか。

そして飢えと病に苦しみながら、何日も水さえ呑めずに撤収した。

ーー

その街道筋には、ビルマの村や寺が点在している。

現地の人が住んでいる、家畜もいる、畑もある、女性もいる、しかも彼らは非武装です。

そして敗軍となって徒歩で帰る日本兵は、実弾を込めた銃を持っていました。

にもかかわらず、日本兵はその街道筋で、ただの1件も、盗みをしていない。

強姦もしていない、殺人もしていない、自らが、飢えと空腹、渇きにあえぎながらも、だたの1件も奪わず、殺さず、姦せず、

飢えに苦しみながら、日本兵という名の多くの日本人の若者が死んでいった。

それが侵略者・掠奪者の姿なのでしょうか。

(これについても略奪したと教える反日教師がいる)

ーー

八紘一宇は、我々日本人にとって、大義名分などではありません。

いやそれ以上に、私達日本人の生きざまであり、心の柱であったものだし、それはいまも変わっていないのです。 

生きるということは、思いを実現することです。

日本人が戦うのは、正当な目的のために、ものごとを竹のように真っ直ぐに正すためです。 

ーー

戦争を美化するつもりも、礼賛するつもりもありません。

しかし同胞の、先輩たちの思いを、「侵略だった」と蔑むような卑劣漢にはなりたくないのです。

なぜならそれは、先人に対する冒涜というだけでなく、いまを生きるわたしたちひとりひとりを冒涜することだからです。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>八紘一宇を体現した戦前の日本人
 私が中学生の頃、八紘一宇を学校で、「侵略戦争の基になった考え方だ」と言う先生と、「それは嘘だ」と言う先生が対立して居たので、家に帰って母親に訊くと「皆が一つ屋根の下で、家族の様に暮らす事を云うのだから、孫略戦争なんか関係ないよ」と、鋳っいぇいたのを覚えて居ます。

 まぁ、侵略戦争云々と言って居た社会科の先生は、碌に学校に来ない人で、授業も臨時にした以外は、した事が無かった様に、記憶して居ます。 知り合いの線背に訊いたら、「あの人は、日教組の専従みたいな人だからね。」といっていました。

 思うに、日本人は、天皇陛下を戴いて、以来、ずっと、天皇のお言葉を実現する為に、全力を尽くして是を実現せしめて来た様に思いますが、何の疑念も抱かなかったわけではないと思います。 例えば、「日本王」を自称した足利義満や、日本の皇帝になろうとした、織田信長は、その典型でしょう。

 唯、天皇陛下のお言葉には、例えば教育勅語もそうで有る様に、理想は語っているけれども、其処に何の私心も無く、亦、「斯うしなさい」と言う命令や強い願望でも無い、今風に言えば、「呟き」なのでしょうが、周りは、その呟きを、一言一句聞き逃さず、聴きとって、民衆に伝えます。 すると民衆は、驚く程その呟きを恰も天啓のように扱い、次の日から、実行に移すのです。

 ですから自ずと「天皇は現人神で在らせられる」と言う事に、なって終ったのでしょう。 天皇と言う名称が出来た8世紀に、「スメラミコト」や「オホキミ」が、現人神で在る必要は何処にも無かったのですから。

 そして、兵士は「我々は皇軍=天皇の兵士である」と言う意識が強かったが、是は、江戸時代にも、モラルの低い朝鮮通信使が、江戸迄の行き返りの道中の日本国内で、盗みを働いたり、不潔な事をしても、「公方様=将軍のお客様ダカラ」と、問題にしなかったのと同じで、「主の恥になる様な事は、家臣としてはしてはならない」と言う、道徳律がℋたらいた所為も有るでしょう。 

 兎に角、インパール作戦やペリリュー島攻防戦、その他の戦いに起きても、日本兵士が極限になっても、規律を守ろうとするその志は、人間としての鏡であると私は思います。

 この日本人の穢れなき戦いに、戦った相手からも称賛の声が寄せられています。 陛下も、その自らのお命を投げ出して答えようとしておられました。 云わずと知れた終戦のご詔勅は、国民の勇戦奮闘ぶりを称え、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、戦った国民を心から労っておられます。 

 然し、敗戦を受け容れたのは、敵国が、日本国民を殲滅せんと企てて居るからであり、殊に、広島・長崎に投下された新型爆弾は、彼らの意図を現実化したものである様に感じる、故に此処に降伏するが、(私亡き後も)国民は自暴自棄にならず、此の、焼け野が原になった国土を復興し、日本をℋたたび世界二比肩しうる国にしてほしい。 と、まるで遺言の様な無い世でしたが、その陛下の希いを、日本人はあらゆる困難を排して、実現せしめて見せたのです。

 然し、同時に失ったものも多かったのも事実でしょう。 実は、日本人の多くは、その「失いしモノ」の正体が分らず、右往左往しているのが現実なのではないか、何かを置き忘れてきたのではないかと不安になっているのが現代だと思います。 


 日本の歴史では、こういう時に、天皇陛下から、我ら臣民に、今後の国の指針に関するお言葉を賜って、我らの中にある、「迷い」や「不安」を吹き飛ばして頂いて居たのですが、今の日本は、世界でも類を見ない程、近代化が国の隅々に行き亘って居て、その所得格差は、地方と都会では、有るモノの、では、一体幾ら、自由に使える金が遺るのかと言う点に於いて、或いは、生活満足度に於いては、大差ないと思います。 世界中を探してもこんなに平和でk、近代的で、平等な国はありません。

 今上帝は、来年4月30日に帝位を降りられ、皇太子殿下に引き継がれますが、陛下のお仕事は、平成の御代に起こった、数多の天災=火山の大爆発、数十度に亘、深度6以上の地震と、2度の大震災と津波、福一原発の放射線被害、毎年起こった風水害や大雪の被害」に、心休まる事とてない毎日で有らせられた事でしょう。

 それでも、30有余年の御在位を数え、その間に、先帝陛下がご高齢の為、終に成し得なかった、海外の慰霊も果たし、日本兵士の英霊への何よりの報いとなった事でしょう。 誠に有難うございました。

 我々は、WGIPの桎梏が解けた今、「八紘一宇」と言う言葉の本当の意味を、子孫に伝え、我々の先人が、そうした様に。お言葉を、正確に実現せしめて、此の世を、まるで家族が一緒に棲んで居る家の様な世界を作り上げる事が、我らに与えられた、新たな目標であると私は固く信じて居ます

「八紘一宇」は、紛うことなく戦前の日本国策で、世界に平和が確立されることを基本的な願いとしており、そのために、先ずは日本を確信として日満支の強固な結合を、根幹とすることを目指していました。

そのために、戦時中の日本は、植民地であった国々を武力で占領して宗主国から開放し、これを独立国としています。
ただ、これは戦時中であったため、日本の戦況が不利なこともあり、十分なものではなかったことが残念でした。

そして、日本の戦争は、終戦という形で終わりました。


>ところが昭和32年9月、衆議院文教委員会で、松永文部大臣(当時)は、
「戦前は八紘一宇といって、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた方がよいというくらいな考え方から出発していた」と。
>また昭和58年1月衆議院本会議では中曽根康弘総理大臣(当時)は、次のように説明しています。
「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持ち、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった」と。

昭和32年は、日本がサンフランシスコ平和条約を締結してから5年を経過しているのですが、GHQによる日本統治の影響からは、まだ脱することが出来ず、「よその国はつぶれた方がよいというくらい」との考えがあったのかと思いますが、昭和58年の中曽根総理の発言は、本心かなと疑問を持っています。

それに、日本の兵隊には、八紘一宇の精神が強く染み込んでおり、終戦後に植民地に戻された国を真の独立国にするために、復員船によって帰国せず、そのまま現地の住民と共に独立戦争を戦った兵隊が、沢山いたことで証明されています。
そして、その独立戦争で戦死した兵隊は、合計すると千人を超えているのです。


>八紘一宇は、我々日本人にとって、大義名分などではありません。 いやそれ以上に、私達日本人の生きざまであり、心の柱であったものだし、それはいまも変わっていないのです。

日本の兵隊は、国が戦争で負けても、戦争目的を忘れずに戦う者もいた。これは、ある意味で、特別攻撃隊よりも覚悟のいることでした。
このような兵隊は、日本以外の国にいないから、外国人には想像できないと思います。


日本人は大東亜戦争を侵略戦争としてではなく、大東亜の解放戦争として戦ったと思います。

日本は、侵略戦争をしたと言う人がいますが、それは間違っていて、日本はアジアの植民地の解放戦争をしたのです。
ただ、力が足りずに、これを完遂できなかっただけです。

縦椅子さま

 ≪「八紘一宇(はっこういちう)」は、戦前の日本の国策とされました。それは、昭和15年7月26日の「基本国策要綱」に掲げられています。≫--が崇高な国策であることを、恥ずかしながら、初めて知り、いかに戦後の教育が、占領軍の意のままに、都合のいいように歪められ、真実が教えられていないのは、極めて遺憾であります。掲載に感謝いたします。
 ここに1989年(昭和64年)1月7日(土曜日)の日本経済新聞の夕刊があります。
 「天皇陛下 崩御」87歳、昭和終わるー在位・生涯とも歴代最長で、記録をすべて塗り替えられた。
 新天皇ご即位 新元号は「平成」あす施行 「大喪の礼」は来月下旬にー
 「大喪の礼」が放映されると、国民みな服喪し偉大な天皇陛下を亡くした悲しみに明け暮れた記憶があります。平成になってから30年、天皇陛下と皇后さまは日々国民の安寧の為に祈ってくださっていることを考えますと、ー日本という国は「天皇」の御蔭で在るーことを深く認識した次第です。-今日も素晴らしいブログに感謝でございます。 感謝!!

インパールのお話:
住民が逃げ出した家から種籾を盗んで、
鉄兜と銃剣の柄でついて脱穀するのももどかしく籾殻ごと喰ってしまったため籾殻団子が直腸につまって排便できない、
というケースが続出、匙で尻の穴をほじくってやるとガスとともにばらばらになった籾殻も出てきて顔に当たる、

みたいなことを知り合いのインパールに青年軍医として出征した老産業医が手記に書いていました。(もうとうになくなられていますが)

他にも火野葦平の戦記文学など、「住民が逃げ出した家から調味料を引いてくる」「放置されている畑から野菜をとってくる」「置き去りになった家畜・鶏などを頂く」というシーンに枚挙のいとまがありません。

特別に残虐非道を好んだわけでもありませんが、今から見たらありゃ、ということをしなかったわけでもない。

美化しすぎてはいけません。

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