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2018年6月 9日 (土)

それぞれが個として個別に在りながら、時に出会い、ともに過ごし、また別れて行く

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

松本徹『西行 わが心の行方』(鳥影社)

数年前、楠木正成の千早城跡、赤坂などを見て回り、山を下りると小さな集落があった。

西行が「廣川の里」と呼んだ場所だ。 

緑の木立に四方を囲まれた、ここに西行終焉の地とされる弘川寺がある。

ーー

本書を読みながら、そのときに見学した記憶が甦った。  

緑濃い廣川の里、松本徹氏はこう描写する。

「石段はその門の前を過ぎ、広壮な建物の瓦屋根よりも高い位置の、簡素な門へと導かれる」

「潜り入ると、左手が本堂であった」

「密教寺院として法具を並べた檀が据えられ、奧には等身より小ぶりな薬師座像が安置されている」(p344)

ーー

「西行堂」は、その裏山へ登る場所にあった。

「生い茂る楠(くすのき)の陰に茅葺(かやぶき)の小さな建物」

お墓と伝えられる土盛りがあって、それが、どうやら西行の墳墓らしい。

ーー

願わくは花の下にて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ

(「如月の望月のころ」は二月十五日(満月)をいう。太陽暦では三月末に当たる)

ーー

著者の松本氏は西行が営んだ庵を訪ね歩いた。

23歳の若さで出家して、73歳でその生涯を河内で閉じた。

西行は、その間に平泉から讃岐まで、とりわけ高野山、吉野、伊勢、富士の裾野、鴫立沢(しぎたつさわ)と旅を続け、その先々で歌を詠んだ。  

ーー

心なき 身にもあはれは しられけり 鴫たつ沢の 秋の夕暮

(最初の奥州の旅、26歳の歌としては枯れ過ぎている)

ーー

当時の旅は、平坦な道などないところを、道を探しながら歩く命がけの旅、つまりそれは修行であった。

ーー

「(平安時代からの)大規模な逸脱が、平安王朝そのものを掘り崩す方向へと突き進み、一時代の夕映えを華麗に繰り広げつつあった」

「(この乱世の)大きな渦のただ中を、独自な姿勢を貫いて生きたのが西行であった」

ーーそして

「(西行は)武芸に秀でているだけではなく、凛々(りり)しくも美々(びび)しい衣装に身を包み、貴人の警護に当たれば、盛大な儀式の進行を実質的に司り、官位は低いが、都人の注目を集める存在であった」(p9)

ーー

西行は、鳥羽院の北面の武士だったのである。  

朝廷に近く、苛烈かつ陰湿な政争をかいくぐり、保元・平治の乱に巻き込まれ、世の無常を体験し、そのうえ時の権力者、平清盛、源頼朝と渡り合う政治力を発揮した。

人徳があったので、数々の寺の再建資金を集め、その交遊は広く、乱世を矍鑠(かくしゃく、健康に)と生き抜いた。

ーー

その交遊には多くの恋愛も含まれていて、それが彼に華やかな歌を詠ませた。

ーー

松本氏は西行ゆかりの庵(いほり)、寺、場所を次々と尋ね歩く。

松本氏の西行の旅した道程をたどる旅の連載は六年以上に及んだ。  

ーー

「在ったはずのそれらすべてが実体を失って透明になり、わたし自身、光りになってそれらを通り抜けて行く」

「九百年近くの年月が経過した後、再びその時点に立ち戻ろうと思いつつ現地を歩いていると、時間や空間意識が捩(よじ)れて、こういう感覚が生まれる」(p23)

ーー

西行は崇徳院が流された讃岐へ向かう。

「もろもろの存在の根底を貫く『あはれ』に触れたとの思いを覚えたのであろう」

「それぞれが個として個別に在りながら、時に出会い、ともに過ごし、また別れて行く、そこにこそ、『命』が端的に働いている」

「(西行は)浄土教の厭世観、虚無感をふつきれずに、密教に近付いたが、ここではつきり脱却したと思われる」(p262)

ーー

かくして西行は、乱世の虚無に果敢に立ち向かい、克服した成果として花と月とを見事に謳いあげた。

夜を徹して本書を読み終えたが、感動の余韻が脳裏に残る。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>西行伝
 西行は、私も好きな人物ですが、本格的に興味を持ったのが、目を悪くしてからですので、大した知見を持つには至っておりません。 ですから、このお題は非常に私にとってはありがたいですね。

 弘川と言う地名は、近畿の何処かで、多分生駒の山中ではないかと思って居たのですが、楠正成の千早赤阪の近くでしたか。 

 彼の晩年の歌の中に、寝乍らに耳を澄ますと、谷を流れる川のせせらぎ迄が聞こえる。と、その絶対静寂さを伝えますが、私の勝手な空想では、その静寂は暗闇を伴ったものであり、その暗闇の中には、オドロオドロしい物の怪が潜んで居る様に思えます。

 西行は、本名を佐藤義清(のりきよ)と言って北面の武士「=近衛兵」であり、若き日の平清盛や源義朝と同輩で、特に源氏の御曹司だった義朝とは、親交があったのではないかと思います。 

 和歌は当時から出色で、宮中の歌の講師もやって居た様ですから、相当にもてたのでしょう。 然し、其処で白河法皇の愛妾であった上臈と恋仲になって、発覚、咎められて、職を辞し、妻子も捨てて出家して居ますから、人生何が災いの元になるか分りませんね。

 まぁ、その後、武士同士の争いである、保元・平治の乱が起こって居ますから、もし在職して居れば、必ず、巻き込まれたでしょうから、西行は誕生し無かった可能性が有ります。「人間万事塞翁が馬」と言った処なのでしょうか。

 彼の歌の才は、後に後鳥羽上皇から大いに評価され、鎌倉~室町時代に持て囃され、色々な、尾鰭が付いて過大評価気味の部分もある様ですが、23歳で出家して、74歳で没するまで、人生を旅に暮らした生活歌人で有ったと私は認識して居ます。

 西行の歌の背景には、厳しい武士の世界が感じられるのは、孤高の精神を其処に感じるからだと、或る時、気が着いたのですが、最近「男性ホルモンは、一人を好む方向に作用し、女性ホルモンは、集団で居る事を好む作用を人間に齎す」と聴いて、納得する共に。ちょっと安心しました。

 私にも、無性に一人になりたい時が有るのですが、ままなら無い時は、西行の歌の絶対静寂を思いだして、心を鎮める事にして居ます。

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