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2018年6月11日 (月)

官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す

ーー以下「余命ブログ・読者投稿・あまむし」より抜粋編集

日本人の考えている「法律」の意味と、西洋人の考えている「法律」の意味とは、そもそも根底から違っている。

日本人にとっての「法律」とは、せいぜい社会生活を円滑にするための「社会規範」であろう。

しかし、西洋人にとって、「法律」は、「他者を支配」する道具なのである。

ーー

西洋人にとっては、如何に「法律」を作り運用するかで、支配する側に立てるかどうかが決まる。

ーー

在日・反日勢力は、支那・南北朝鮮から(過去にはソ連から)の支援を受けて活動している。

ただ支那・南北朝鮮人は、法治をまだ理解できない状態にある。

それゆえ、その背後に、グローバル勢力(ユダヤ金融勢力)の存在がうかがえる。

ーー

グローバル勢力(ユダヤ金融勢力)の思想は『旧約聖書』にあると考えられる。

ユダヤが「神と交わした契約」、それが『旧約聖書』なのである。

つまり、『旧約聖書』にある「律法による支配」こそが、発想のもとになっている。

ーー

「神が条件(契約)を創り、人間がそれに従う」これが「契約の思想」である。

ーー

その「神との契約」を守れば、人間は罰せられずに済み、守らなければ神から罰せられる。

「神との契約を守らなかったことによって、アダムとイブはエデンの園から追放され、人類は〝原罪〟を背負った」という神話を彼らは創った。

「原罪」の原点は、「神と交わした契約」なのである。

ーー

この思想、「神との契約を人間は守らねばならない」という考えは、自ずから、「支配・被支配」の関係を作り上げる。

人間、国、民族の間の「支配・被支配」の関係を築き上げて行く。

つまり、『旧約聖書』に基づいて作られた、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の文化には、「侵略と隷属」が刻まれている。

西洋社会の本質は、「契約社会」なのである。

ーー

因みに、西洋社会における「労働」の観念は、「原罪」に基づく「罰則」から来る。

したがって、日本民族の様に「労働」を神聖視することは出来ないのである。

この「労働」を「罰」と捉える考え方も、『旧約聖書』から発している。

ーー

一方、日本では、そのような「支配・被支配」の思想がない。

日本人は「侵略と隷属」とは無縁の歴史を築いた。

『古事記』にその原点が見られる。

ーー

神が神々を生み、森羅万象を生み、更に天孫降臨によって神が人間の形となって天降った。

その子孫の天皇も国民も全員が〝神〟が生んだ神の子孫である。

森羅万象は、八百万の神として礼拝の対象となる。

ーー

故に日本人は、全ての人と森羅万象を神として重んじる。

日本人にとっては、他人も森羅万象も一切が「神の兄弟」であるから、「一体」であるばかりでなく、「神聖なるもの」と感じる。

それ故に、「支配・被支配」の概念の入り込む余地がないのである。

ーー

一方、『旧約聖書』は、「神が人間を土の塵で造った」という。

『旧約聖書』では、「神は創造主で、人間は被造物」なのである。

(神は支配者で、人間は被支配者)

ーー

つまり、『古事記』と『旧約聖書』とは、人や自然に対する考え方が全く違っているのである。

ーー

『古事記』の思想は極めて「観念的」であり、『旧約聖書』の思想は極めて「唯物的」なのだ。

故に『古事記』の国では観念的文化(和歌・俳句・神道・禅)が栄え、『旧約聖書』の国では物質的文化が栄える。

信ずる「思想」の違いによって、日本人とユダヤ人は、2000年以上の歴史を通じて、正反対の経験を積み重ねた。

どちらが幸福で平和な世界を築いたかは、今や世界中の全ての人々が理解する時代となった。

ーー

誤解を与えない為に「イエス」について、擁護しておきたい。

イエス自身は、「人間は神の子である」と終始説いたのである。

イエス自身が「天にまします我等の父よ」と祈っているように、神は人類の父であると主張していたのだ。

しかし、後のキリスト教会が、「イエスだけが神の子」だと教えて、本来のイエスの精神を歪(ゆが)めたのである。

ーー

「神の子」という思想は、『古事記』の「神が人間を生んだ」「神が降臨して人間となった」という思想と似ている。

イエスは、当時のユダヤの間違った「唯物思想」(人間は土の塵で作られた被造物であるという思想)を、変える為にキリスト(救世主)として出現したのであろう。

しかし、当時のユダヤ人の多くが、その事を理解できずに、(又、何かの不都合を隠すために)イエスを磔(はりつけ)にして殺した。

ーー

西洋文明に見られる差別主義、迫害主義、暴力主義、侵略主義、植民地主義、奴隷制度、共産主義、暴力革命、グローバル主義、銀行による通貨支配・・・

等々は、この『旧約聖書』の思想に由来する。

それに対して日本では、「古事記」に由来する、天皇陛下を中心とする「平和的、繁栄的、安定的、調和的国家」体制が作り上げられた。

それも2600有余年もの長期間、継続して存在している。

ーー

日本以外の諸国では、戦争と侵略によって、絶え間ない国家の破壊が繰り返されて来た。

周辺諸国を見渡しても日本ではたどることができる500年前さえわからない。

この相違は決定的と言える。

ーー

日本における「憲法」は、教え(憲)の中の教え(法)を意味し、それは聖徳太子の『十七条憲法』に見られる。

《和を以って貴しとなし、忤(さから)うこと無きを宗とせよ》

(和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい)

共存共栄のための自然な法(教え)であり、どこにも作為による無理が無い。

ーー

又、明治天皇は『五箇条の御誓文』を布告された。

一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。
一、上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。
一、官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。

一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
一、智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。

なんと、厳粛にしておおらかな誓約であろうか。

そしてこのすべてが実行された。

かくの如きが、本来の日本における「法」であるべきである。

ーー

それは何故かと言うと、前述したように、日本民族が抱いている「神が森羅万象と人間を〝生んだ〟」という根本思想に基づいている為である。

しかし、戦後の占領軍の日本弱体化政策によって、明治憲法を始めとする、良き日本の法体系は破壊された。

そして、欧米の「支配・被支配の思想」と「唯物思想」に基づく法体系にすり替えられたのである。

ーー

そして、その『旧約聖書』由来の「支配・被支配の思想」「唯物思想」が蔓延した。

在日・反日勢力は、この「支配の為の契約」概念を使って、日本人を奴隷化しようとしていることがわかる。

それを仕組んだものは、彼らの背後にいるグローバル勢力(ユダヤ金融勢力)であった。

ーー

西洋の「唯物思想・支配思想」に基づく「法体系」が、在日・反日勢力によって利用された。

その結果が現在の日本人が奴隷にされつつある現状を招いたのだ。

今覚醒した日本人によって、在日・反日勢力の「悪業」が暴かれ、彼らの生存環境が殲滅・破壊されようとしている。

ーー

日本の本来の「法体系」は、日本文化の伝統である「和の精神」(調和と生かし合い)に基づいたものである。

この素晴らしい国家を破壊したのが、敗戦であり、戦後社会の在日・反日勢力による支配である。

しかし今、日本人は、日本本来の「和の精神」に基づく「法体系」を取り戻そうとしている。

安倍総理の「日本再生」と、余命の日本再生事業(プロジェクト)は、「日本本来の国のあり方」への回帰でありましょう。

感謝合掌(あまむし)

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>古事記と旧約聖書に見る日本文化と西洋文化の差が齎したもの
 この余命さんのブログへの「あまむし」さんの投稿コメントには、私が色んな面で探して居た答えが、随所に見られ、半端感動しております。

 殊に、西洋文明では、労働は神が人間に下した罰なのに対し、日本文明では、労働は、神が人間に与えた、自然への対処法であり、「改善を目指して働けば、必ず報われる」と言う、信仰にも似た確信を与えて居る。 更には、旧約聖書を基にした西洋の一神教に共通するのは、神との契約であり、「その契約に違背したものは、敗北する(=奴隷にされる)事を、暗に、神の意思として、正当化しようとして居る」事が窺えます。

 是では、争いに溢れる世を追認しただけと言う事ダカラ、其処を改革しようと「人は皆、神の子で平等である」と言いだした、ユダヤ教ゲッセネ派イエスは、多数派のユダヤ教ファリサイ教徒から異端視されたのでしょう。 そして、「『皆が神の子で平等』の考えが広まると、支配する正当性が失われる」と考えたローマが、イエスを公開処刑(磔)に架けて、殺害した、是は明らかに「みせしめ」です。 

 指導者を失った、ゲッセネ派の信者を、イエスの生前の教えを巧みに使って、纏めあげたのが、ファリサイ派のパウロだったが、ローマに対する阿りから、「イエスが神の子であった。」と、イエスを別格にして終った、処に、民族宗教であるユダヤ教の限界が見えますね。

 処が、地球の裏側には、イエスがその事を言いだす遥か以前から、「人は神の子であり、全て、平等で且つ神聖である」と言って居る民族が居た。 是が我ら、日本民族であり、その歴史は、2700年近くにも喃々とする。

 此の「民は全て、等しく、そして神聖である:と言う結論が、社会の平和的な安定に最適な政体と民族性を生む事は、実に、日本民族が、主神との接点であるスメラミコトを擁戴する威力分離の政体を、2700年近くに亘って、時に権力を持ったものが、尊重し、或いは、畏敬の念を以て、万世一系の皇統を現在の世迄引き継いでいる事で、顕かなのです。

 勿論、2700年の間には、権力の主は、時に拠り栄枯盛衰を繰り返し、様々に変わったけれど、スメラミコトは、天皇家系から出され、それを、結果的にですが、誰より、民が承認・支持したのです。

 例えば、皇位継承者が居ず、女帝を建てた事が数回ありますが、何れも、男系の皇統を揺るがせて居ません、女帝がご自分の子供を嗣子とする事も出来たのにあえてそれをして居ないのは、「皇室のしきたり」の存在が大きいでしょうが、その根拠は、yはり、民の承認が得られるか否かではなかったか。 民は、神の子孫の集団で有るからには、民の総意は、神の意思に近似したモノと考えて居たと私は思います。

 日本は、有史以来、一度も他国の占領下になった事が無かったのに、敗戦した事で、米国に日本の地の支配を許します。
 然し、その途端に、民の中から、支配者米国に阿り、日本を今までとは異なる政体の国に変えようとする一団が現れた。 是が、所謂、反日・在日勢力です。

 彼らは、支配者GHQに取り入り、2600有余年続けて来た、この政体を、たった一度の敗戦だけで、未だ「平和で平等な争いの少ない社会」を創り出せていない、精神面では、遥かに遅れた、西洋文明式に塗り替えようしたのです。

 爾来、70有余年が経ちましたが、日本は、物質面では、その西洋を追い越し、寧ろトップを走って、先導する様になっていますが、一方の西洋は、「神との契約」を果たしても、その向こう側には、「平和で平等な争いの少ない社会」は現れず、寧ろ、人類の滅亡への道のりが見えて来た感すらあるのに、宗教は全く無力であると言う現実しか、得て居ません。

 この現実に、西洋社会では、既成宗教に対する不信感が先行し始め、或いは、原理主義化して、より過激に他宗教・他文明を排斥すると言う、目指す理想社会とは真逆の事を、神のご意志と偽って、民を不幸のどん底に叩き込んでも「良い事をして居る」と思って居る現象が、中東や欧州に見られています。

 斯う言う世界の現実が出来した原因を、解き明かして行き、その行き先に、西洋文明とは正反対の倫理観を持った、日本文明こそが、世界を救うのである事に、世界中が気付き始めて居るのが、是からの世界の態様形成の指針になるのではないかと、私は期待しております。

西欧の人類は、アダムとイブがエデンの園から追放されることで、現在を背負い仕事をしなければならなくなったのに比して、
日本は、神の子孫である天皇が田植えをするし、皇后が蚕を育てる国ですから、日本人は労働を神聖なものと、考えることが出来ます。


秀吉は日本人が奴隷にされていることを知って、キリスト教を日本から排除しました。
大東亜戦争で初めて戦争に負けた日本は、米国を初めとする戦勝国によって、西洋の「唯物思想・支配思想」に基づく「法体系」が、在日・反日勢力によって利用されましたが、サンフランシスコ平和条約で独立を果たしてから70年を経過した日本は、やっと日本らしい考え方を思い出して、戦後レジームを取り返そうとしています。

、縦椅子さま

≪明治天皇は『五箇条の御誓文』を布告された。
一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。
一、上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。
一、官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
一、智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。
なんと、厳粛にしておおらかな誓約であろうか。
そしてこのすべてが実行された。かくの如きが、本来の日本における「法」であるべきである≫とあり、
朝井まかて氏の{落陽」によると、明治45年七月、天皇の快復を願う万余の人々が宮城前に額ずく中、明治天皇は崩御、直後、渋沢栄一ら東京の政財界人が「御霊を祀る神宮を帝都に創建すべし」と動き始める。一方帝国大学農家大学講師の本郷高徳は、「風土の適さぬ地に、神宮林に相応しい森厳崇高な森を作るのは不可能」と反論。しかし、曲折の末に造営が決定すると本郷は、取材をする亮一に”永遠に続く杜”造りへの覚悟を語った。かくして献木十万本、勤労奉仕述べ十一万人、完成は――は百五十年後。--時今、明治百五十年、偉大な明治天皇の偉業を心から偲んでおります。--素晴らしいブログ有難うございます!

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