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2018年6月 6日 (水)

「日本には歴史などない」という結論を言うための議論をしている人たちが日本の歴史学会にはいる

今から40年ほど前に大阪のとある商店街の書店で、「ホツマツタヱ」という不思議な題の本を見かけ、パラパラと読んでみて、その内容に驚かされ買い求めた。

それがホツマツタヱを知ったはじめであった。

この本は、著者の松本善之助氏が、昭和41年のある日、古書店でホツマツタヱの一部を見つけ購入したという話から始まる。

そして氏は、その独特の文字を悪戦苦闘の末読み解き、全文を探し当て、さらには、その文字で書かれた別の文書、「ミカサフミ」「フトマニ」も手に入れられたのだという。

そして氏は、解読している途中だが、ホツマ本文には、例えばこれまで不明とされていた「枕詞(まくらことば)」の意義が記されているのだという。

ーー

その後、氏の研究によって、ホツマツタヱが記紀のネタ元であることが明らかにされていく。

しかし、日本の学究組織(学会)は、日本には文字はなかったということで相手にしなかった。

ホツマの内容を目にした多くの人々が、氏のもとに集まり、民間の手でホツマツタヱの研究が進んだ。

その研究者の一人が、鳥居礼氏であった。

ーー

鳥居氏は江戸時代からホツマツタヱの研究をしてきた子孫にも助けられて、全訳をされ、さらにはその解説本となる「言霊」を、昭和60年に「たま出版」から出された。

ーー

ホツマツタヱ原文は、日本語で有り、日本人であれば誰でも読め、難解ではあるものの理解できる。

学会に取り上げられなかったゆえに、いろんな人がいろんな意見を言うことで、その理解が進んだ。

読むと日本の日常生活が古代から連続していることが分かり、読者は日本人としての自分に自信を持つことができるようになる。

ーー

そのホツマツタヱの中に、「高天原」についての記述がみられる。

「たかまのはら」は政治の中枢とされ、天上と地上に、「フトマニ」に記載のある49(ヨソコの)神が集合する形で、地上では「ひたかみ(日高見)」に存在していた。

日本書紀にも高天原が日高見にあると記(しる)されている。

その日高見を鳥居氏は、ひたかみ⇒きたかみ、北上川流域であるとしている。

現にその地区は今も仙台(これはヤマトと読める)とされている。

ーー

このことについて、田中英道氏が、ホツマに依ることなく『高天原は関東にあった』という本を出された。

日本の学会は、田中氏のこれまでの通説を打ち破る意見を無視し、黙殺した。

本当のことが白日の下に晒(さら)されると、都合の悪い人たちがいるのであろう。

ーー

なにしろ現在の日本の学会は、神武天皇などいなかったと言っているのだ。

要するに日本の学会は、日本の歴史を認めたくない人たちであふれているものと思われる。

その田中氏の最新作を宮崎さんが紹介されているのでお目にかける。

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

田中英道『日本国史 世界最古の国に新しい物語』(育鵬社)

「日本には歴史などない」という結論を言うための議論をしている人たちが日本の歴史学会にはいる。

しかし彼らの「日本には歴史などない」という結論の根拠は、朝日新聞の従軍慰安婦のように、ことごとく出鱈目である。

ーー

たとえば神武天皇が実在したことは明らかだからだ。

ーー

日本が歴史(記録が残されている)時代になる前に巨大な前方後円墳が作られている。

それらは、強大な権力の存在を示すものだ。

たとえば仁徳天皇陵は、かの秦始皇帝の陵墓より大きい。

ピラミッドなど問題ではないほどの規模なのである。

つまり当時の日本で、恐らく世界最大規模のひと・もの・知恵の動員が実際になさたことがわかる。

ーー

本書は白村江、東大寺、維新、三島由紀夫と、日本の長い歴史のなかで起きた節目・節目を、これまでとは別の視点から眺めることで、日本文化の根源に迫る。

ーー

田中氏はこう言う。

「天正18(1549)年、イエズス会宣教師、ザビエルが日本にやって来ました」

「このイエズス会というのは布教意欲旺盛なキリスト教の一派で、祭壇には銃を置いているという布教軍団です」

「鉄砲をもたらしたポルトガル人のように偶然漂着したのではなく、日本」(p191)を侵略する目的をもってやってきたのだった。

ーー

そう、ザビエルたちは「布教軍団」であったのだ。

ところが上陸した日本ではすでに高い文化があった。

彼らはキリスト教の布教は難しいと悟る。

ーー

「キリスト教では絶対的な神がすべてをつくったとしています」

「日本人は大日如来と同じものとして理解しようと(努力はしたものの)、大日如来は太陽神のようなもので、宇宙の中心とするのが密教の考え方です」

「しかし、キリスト教は太陽さえ神がつくったと考える」

ーー

つまり日本の神と、キリスト教の神の両者には超えるに超えられない差があった。

西洋人は、日本人とは全く違う人生観、自然観を持っており、それはいずれ衝突する。

文明と文化が異なっているのだ。

ーー

信長以来の日本人の関心は鉄砲や鉱山技術、そして造船技術にあった。

ザビエルらのたくらみ、つまり日本を植民地にするという魂胆には、信長は、軍事力で圧倒しているという確信があったため関心さえなかった。

信長がキリスト教に好意的だったという背景には、単に技術・世界情勢への興味しかなかったのだ。

ーー

やがて、信長も、ザビエルらのたくらみに気づく。

秀吉・家康の伴天連追放令には、田中氏は、「いかに日本の植民地化を防ぐかという大義があった」とする。

南蛮人と彼らを呼んだ文化的な言語感覚からも、多くの日本人が、切支丹伴天連を野蛮な、「侵略者と感じていたに違いない」(p197)のである。

明治以降、明治政府は、不平等条約を改正するために長崎のキリスト教施設を再建して見せた。

それが今、世界遺産に指定されようとしている。

これは皮肉にも、伴天連(カトリック宣教師)が、日本女性を奴隷にして売っていた西洋人の卑劣な行為を日本人の記憶に永遠に留めることになるだろう。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>日本文化の出発点考とマルクス史観の克服
 「ホツマ伝え」は、「津軽外三郡誌」以下、後世の作ダカラ偽書だとか言われて黙殺されている古文書群の一つに数えられていますが、そう言う見方をして居るのは、東大大学院の
を中心としたマルクス史観歴史学者勢力の仕業でしょう。 彼らこそ、曲学阿世の似非学者だと思います。 

 いちいち批判するのも阿保らしいので、そう言う無駄な作業は致しませんが、一点彼らには、人類の文化が恕の様にして起こったのか、と言う、歴史学を志すものとして、原点となる視点が欠落しているとしか思えません。

 さて、「日高見の国」と言う表記が為されて居ますが、是はいったいどこにあったのか。と言う事を考えますと、話は、ピュルム氷期の終末期の1万3千年辺りまで溯らねば成りません。 

 氷期には、海退現象と言う、地球上の陸地に有る水分が凍り、氷河になる事で、海水量が減少して、今の浅瀬が全て陸地になると言う現象が起こります。 

 すると、現在とは相当に違う地図が出来上がります。 日本の近海で考えますと、先ず、ベーリング海峡が陸協となり、亦、アリューシャン列島も地続きになり、内海化したベーリング海以南には、冷たい海水が南下し無くなる。と言う現象が起こります。
 亦、オホーツク海も、千島列島が陸続きになって、恰も、カムチャツカ半島が延長した様な形になって、内海化します、そして、現在は流氷の原因となっているアムール川の淡水も、流入しないので、オホーツク海は今よりかなり規模が小さい海面でㇲが、極めて穏やかな海だったのでしょう。

 ここに、暖流の北赤道海流が北上しているのですから、北大西洋のブリテン島やアイスランド島の様に北極圏(N65~80°)にありながら、暖流のメキシコ湾流の影響で、ツンドラ(凍土)の有無にもよりますが、農耕すら可能になる温暖さを保って居るという現象があったと思われます。

 事実、樺太や北海道のオホーツク海側には、大陸のシベリアに棲んで居たツングース系のギリヤーク人やヤクート人と言った、本来、狩猟採集民であったものが、漁労海産も行う民族に変化し、文化を遺して居ます。 彼らは更に、東行して、エスキモーとなりますが、ロッキー山脈には巨大な氷河があった為。彼らの南進は其処で、一旦止まるのでㇲ。

 唯、このオホーツク海文化圏には、人口を維持できるだけの土地の生産性も、維持力も無かったし、氷期が終わった事で、冷たい北極海の冷水が南下し始め、樺太や北海道はぎゃうに寒冷化したので、彼らの文化も衰退したと言えるでしょう。

 然し、この氷期が終わった直後~2、3千年は、大陸から列島に移り住んで居た民族と大陸に遺った民族派、金親族で言葉も通じたであろうと思われるので、交流は盛んにおこなわれて居たと思います。

 すなわち、日本列島の原住民は、何故か大陸に居た巨大哺乳類「=マンモス、ナウマン像、大角鹿・・」を追って来たシベリア人と、黒潮に乗って流れ着いた南洋の島嶼人や南シナの人々の会合場所で有った、と考えるべきです。

 然しこの現象は、ピュルム氷期が始まる以前のシベリアが温暖だった時代から、ピュルム氷期に入って、巨大哺乳類たちが、寒冷化したシベリアを逃げ出して、未だ陸橋だった間宮海峡や津軽海峡を渡って、より温暖な日本列島に逃げ込み、其れに連れて、ハンター達も入入して来たと考えるべきでしょう。

 ですから、日高見の国を築いたのは、シベリア人に由来を持つ蝦夷族であり、彼らとは彼らの国である渤海が10世紀に、白頭山の大爆発で滅亡するまで続き、今の東北には、彼らの末裔と思われる痕跡を持つ人も少なくない。

 津軽外三郡誌の中には、蝦夷の族長アテルイが、同族出身の、初代征夷大将軍である、坂上田村麻呂に敗れてから前三年後九年の役で、安倍一族が、源義家に滅ぼされる迄を書いてある、いわば蝦夷族の歴史書です。

 その中に、日高見の国とは、「東北北海道全域に亘る範囲にあり、その中心が十三湊「=津軽半島の日本海側の古港で、地震と津波で壊滅した」である、と記されて居るのを、「当時の蝦夷族が、北海道の存在を知って居た可能性は無い」と、偽書の理由に上げて居ます。 

 然し、是は寧ろ、「西洋の文明の方が、東洋より先文明である」と言う、WGIPに沿った考えに阿ったものだとしか考えられない。彼らは同じ理由と阿りで、スンダランドも沖縄の海中に没した神殿の存在も無視したままです「≒人工的な柱に見えるものは全て柱状節理と言う自然現象だ云々」

 キリスト教の布教にしても、生麦事件で斬り殺された英国人のヒューㇲケンが、「クリㇲチヤニティの無い国が、こんなに文明的なのは奇跡だ」と驚嘆した事から考えても、彼らの文明認識の基準や道徳的な感性の原点は、全て、キリスト教依存「=ユダヤ教依存」でしか無く、全ては剽窃ですから、平気で神を道具や手段に使えるのです。 自発的な成分は無いので、その本文は、全く教化されて居ないものが殆どで、未だに野蛮で未開なのでしょう。

 その西洋思想に、膝を屈して、「日本には歴史等無い」と宣う輩が、日本の最高学府の教授だと言うのだから、呆れ果てる他は無いが、「天罰と言うものは必ず下るモノだ」と、私は、教えて頂きましたので、安心して、彼らを無視出来ております。

縦椅子さま

 私も全く同じような経緯で«今から20年ほど前に大阪のとある商店街の書店で、「ホツマツタヱ」という不思議な題の本を見かけ、パラパラと読んでみて、その内容に驚かされ買い求めた。
それがホツマツタヱを知ったはじめであった。≫-以前からqazxさんよりその存在を秘かに告げられていましので、すぐわかりました。«その本も、著者の松本善之助氏が、昭和41年のある日、古書店でホツマツタヱの一部を見つけ購入したという話から始まる≫本で、以来日本の行事などは「ホツマツタヱ」が原点になっていることを知り、興味を持つようになりました。
 縦椅子さまは2018年3月4日(日)「そしてねでたく夫婦の道が定まったのでした≫のブログに≪江戸時代にすでに知られ研究されていた「ホツマツタエ」のなかから、『雛祭り」について記されている部分を紹介したい≫として、長文を掲載してくださっています。
≪ーーホツマツタヱ原文は、日本語で有り、日本人であれば誰でも読め、難解ではあるものの理解できる。読むと日本の日常生活が古代から連続していることが分かり、読者は日本人としての自分に自信を持つことができるようになる»とあり、私も心から同感いたしております。ーー今日も素晴らしいブログ有難うございますーー


 

終戦後の日本では、進駐軍の日本統治に邪魔だと思われるものは全て排除されました。このとき、日本の歴史学者もまた公職追放で大学から放り出されました。

その後、日本の歴史は本来の歴史学者ではなく、公職追放によって空いた席に占領軍に都合の良い学者が収まることになったのですけども、彼等に本当の日本の歴史がどの程度研究できたのやら(元々日本嫌いな連中です。)、何ともです。

そして、日本のまっとうな歴史は、歴史が専門の学者よりも本来は専門でない学者が引き継ぐことになったとか・・・・・
でも、歴史の学者の席は、敗戦利得者が押さえたままなのかも知れません。

いつの日か、この「ホツマツタエ」のことも、日本の学究組織で研究される日の来ることを祈ります。

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