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2018年6月21日 (木)

日本書紀が漢文で書かれたのは当時の支那朝鮮世界に通じさせるためではなかった

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

十七条憲法といえば「和を以て貴しとなす」というくらい、この文章は有名です。

その日本書紀の原文は漢文で「以和為貴」と書かれている。

しかしその漢文は、支那人には文章としても理解不能であり、意味も不明なのです。

日本書紀が書かれた8世紀の支那人になら理解されたのかもしれませんが、少なくとも現代支那人には理解不能なのです。

ーー

理由は単純で、現代支那に「和」という文化がないし、「それを貴しとせよ」という発想もないからです。

だから「和を貴しとなせ」という文章は日本人にのみ通じる。

ーー

日本書紀の漢文は、日本人にしか通じない。

つまり日本書紀は、漢文で書かれているものの、「日本語である」のです。

ーー

ローマ字で書かれた日本語の文章。

この文章は、見た目は、英文ですが、英人には意味不明です。

それと似て、日本書紀は漢文で書かれてはいるが支那人には意味不明である。

つまり日本書紀が漢文で書かれたのは当時の支那朝鮮世界に通じさせるためではなかった。

ーー

ではなぜ漢文を使ったのか。

その理由の一つとして文字がなかったとされています。

ところが、例えば「ホツマツタヱ」は日本書紀のネタ元であることがわかっていますが、それはホツマ文字「ヲシデ」で書かれている。

つまり文字はあったのです。

ーー

磨製石器の登場は、村落の形成、その中で社会的分業を伴う共同生活がなされていた。

このことは同時に言語による意思疎通(コミュニケーション)がなされていたことを意味します。

(現代の定説)

ーー

世界の磨製石器の時代は、およそ8千年前にさかのぼります。

我が国では世界最古となる3万年前の磨製石器が発見されているのです。

しかもその後、磨製石器の時代から、1万7千年前に始まる縄文式土器の時代へと

文化の接続を証明する数多くの磨製石器が年代ごとに発掘されています。

ーー

ということは、我が国では、

磨製石器を使っていた人々が、
縄文式土器を作るようになり、
強力な火力を得て、薄手の弥生式土器を作るようになり、
大規模農業の土地開発を行い古墳時代を迎え、
河川に堤防を築くようになり古墳時代を終わらせ、

中世の貴族たちの荘園時代を迎え、
新田開墾者たちが武装して武士の時代を築き、
外敵の侵略に備えるために明治維新を成し遂げ、
戦争の時代を終わらせて

今平成の時代を築いてきているわけです。

ーー

つまり我が国は3万年前の磨製石器の時代から、ずっと伝統文化を継承してきて現代に至っているわけです。

ーー

それだけ古い歴史を持つ我が国では、7世紀初頭の十七条憲法が出来た時代や、8世紀初頭の日本書紀が出来た頃の時代には、

全国の豪族ごとに、かなり異なる言語を持っていたと考えられます。

このことは、現代に至ってもなお、全国各地に方言が強く残っていることで証明されます。

ーー

方言が異なれば、それを表記する記号・・・つまり文字が、全国各地毎に異なっていたとしても何ら不思議はありません。

むしろ3万年もの間、まったく文字を持たなかったと考えるほうが異常です。

ーー

その文字の定義ですが、何をもって文字とするかは、きわめて定義が曖昧です。

なるほどアルファベットや、キリル文字、あるいは楔形文字、篆書(てんしょ)など、世界には様々な文字があります。

が、どの国のどの民族の文字も、もとをたどせば、記号からスタートしていることは、間違いのないことです。

ーー

ですから、たとえば日本人である我々は「あいうえお、アイウエオ」などを文字と考え、♂(おす)♀(メス)や、▲(男性)▼(女性)などは、記号であると学校で教わります。

(ちなみに▲と▼を組み合わせて男女の交合を意味したのがダビデの星(✡)だと言われています)

ーー

しかし、これは記号で、こちらは文字だ、と分類されるようになったのは、普通に考えて、文字が音と結びついて、文字として固定化されてから後のことであるといえます。

つまり、もともと記号と文字の間には境目がなかったわけです。

我が国において、その記号がどのようにして生まれたかは、極めて明快です。

ーー

古代においては、我が国では鹿骨占い、亀甲占いが盛んに行われていたことはすでに常識化されている。

古事記でもイザナキとイザナミは水蛭子(ひるこ)が生まれたとき、フトマニ(太占)をしてご神意を伺ったと記述されています。

原文では「布斗麻迩(尓上此五字以音)ト相」と書かれています。

ーー

このフトマニ占いが、鹿の骨を用いたのか亀の甲羅を用いたのかまでは古事記には記載がありません。

が、いずれにせよ、骨か甲羅を火で焼いて、そのときに出来たひび割れのパターンをもって、占いの結果を得ていたわけです。

フトマニによるひび割れのパターンは、

縦に一本線のときは何々、横一本線のときは何々、割れ目が二本のときは何々、ギザギザのときは何々などと、

それぞれの割れ方(パターン)ごとに、意味付けがなされていたものと思われます。

ーー

そして当然、そのパターンには、名前が付いていた。

そうした時代が長く続けば、おそらくは次第にそのパターンと、音声の母音と子音が結び付けられ、整理されて、それが五十音となっていったであろうことは、想像に難くないことです。

そしてそれを表記する際に、地方によって様々な表記の方法が工夫されてい行った。

それが、いま残る神代文字であろうと思われます。

ーー

神代文字は、ホツマ文字、カタカムナ文字、豊国文字など、いまわかっているだけでおよそ300種類もの文字種があります。

それらは現代の学会では、江戸時代の贋作だと言われています。

しかし江戸時代よりもはるかに古い時代の石碑に掘られた神代文字もあり、また菅原道真や源頼朝などがお伊勢様に奉納した神代文字による弊書も現存しています。

ーー

つまり、神代文字は、江戸時代よりも古い時代に、実際に「あった」のです。

その神代文字の中で、カタカナは、男性文字として現代にまで受け継がれています。

もともと漢字仮名交じり文では、女性は漢字のくずし字から進化したひらがなを用いますが、男性はカタカナを用いることというのが、昭和の戦中までの我が国の慣習です。

ーー

書いてみればわかりますが、くずし字であるひらがなの方が、はるかに書きやすい。

にもかかわらずカタカナが正式文字として採用されていのは、そこに意味があるからと考えるべきものです。

ーー

ちなみにそのカタカナにしても、現代学会では、カタカナは漢字の省略文字であるというのが定説です。

なるほど、江=エ、世=セなどは、そうかもしれないと思える。

けれど、ラ=良や、ワ=和などはかなり無理がある解釈、つまりこじつけとしかいえません。

ーー

むしろ新豊国文字の方が、いまのカタカナとかなりの親和性を持ちます。

ーー

十七条憲法が発布された7世紀の初頭や、日本書紀が完成した8世紀初頭というのは、我が国が統一国家として、全国をひとつのクニにまとめようと努力がなされた時期にあたります。

それまでの日本は豪族たちの集合体であったわけですが、ひとつひとつの豪族が、どんなに強くても、共通の言語と文字を持つ唐と新羅の連合軍に、半島で敗れてしまうわけです(白村江の戦い)。

これは当然です。

3万を越える軍勢を半島に送っても、その構成員達は、豪族毎に方言が強くて相互の会話が成り立たないし、使っている文字も豪族毎に異なるのです。

これでは作戦指揮を合理的に取ることさえできない。

ーー

一方、唐の国は、異なる言語を持つ多民族であっても、象形文字である漢字を用いいることで、それぞれの民族毎に話し言葉がまったく異なっていても、文字を使って相互の意思疎通が取れるわけです。

それならば、我が国も、同様に漢字を用いて、これを共通文字にしていこうではないかというのが、7〜8世紀の中央朝廷の大きな政策の柱となっていたのであろうと容易に考えられるわけです。

ーー

したがって、我々の祖先は、漢字を、国内の豪族間の意思疎通の道具として採り入れたと考えられる。

「以和為貴」は、日本語の「わをもってたっとしとなす」なのです。

ーー

神様のお名前もそうです。

日本書紀に書かれた最初の創生神は、国常立尊ですが、「くにのとこたちのみこと」なのです。

そして、「クニ」はこの世界、「トコ」は床の間のような一段高いところ、「タチ」は立つで、「ミコト」は、貴さが極まった存在のことをいいます。

つまり、あらゆる世界の一段高いところにおわす、もっとも尊い神様という、日本語読みした意味が「国常立尊」であるわけです。

ーー

日本文化というものは、現在の日本文化がそうであるように、

大陸やら朝鮮半島から入り込んだようなものではなく、

外国文化も取り入れつつまったく日本独自に発達発展してきたものなのです。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>日本語と日本文字の歴史
 日本に古代文字が存在したのは、災害の多い自然環境下で生き延びる為には、経験を子孫に伝えて置かねば、同じ悲劇を繰り返し事になるので、文字が発達したのは、当然だと思います。

 逆にその必要性が薄く、然も非定住民族で、伝承が難しい遊牧民族では、必要な部分だけ、文字が出来、発達したのだと思います。 今は、滅びて終った満州文字やスキタイ文字等が其れです。

 文化・文明は、定住する農耕民族でなければ、食糧の面から持続・発展性が無いと言う現代の文明判定の基準は正しいと思います。

 それに、文化を発達させるのは、必要です。即ち、人類は、生活上の問題に突き当たった時に、其れを打開する為に、自前で工夫を凝らし、他方の情報を集め、其処に眠って居る知恵やアイデアを契機に、新たなものを生み出して手行くと言う積み重ね、その技術開発は、必要が無くなる迄、続きます。 

 でも、その技術が拡散する前に、大災害が起きて全滅し、新たにやって来た住民は、前の住人が受けて居た同じ自然環境に置かれますが、一から始める他は無かった、でも、例えば、石器とかいうものは、火山の火砕流なら兎も角、風雨や水害では、完全に滅失する可能性は少ないので、伝承されたのでしょう。

 その石器の元になる石の在処や、加工法は、推定してやる他は無い、其れを文字を発明して書き留めても、毎年来る風水害で殆どが失われるし、後続の民族には、もし文書が遺って居ても、何が書いてあるか分らない無価値なものとして見捨てられ田でしょう。 殆どがこの繰り返しだったと、思います。 ダカラ3万年と言う永い時間が懸って終ったのでしょう。

 然し、或る時から、日本人は文書は、自分達の文化を子孫に残す意味で、大変に貴重なものだと気付き、万が一大きな風水害が起こっても、流されにくい場所を経験知を集めて策定し、其処に神社を建てて、文書を保存したのではないでしょうか。 

 文字や文書は、本来、そう言った「文書の保存」の必要性に覚醒した、地方の数だけある筈ですから、その数300では、済まないと私は思いますね。 然し、風水害の他にも、火災と言う頻度の高い災害があるし、神社に盗みに入った、不届き者が、金目のものだと思ったら文書ダケだったと言う事の腹いせに、火を点けたり、損壊・破棄した例は多いと思います。

 有名な処では、息子の蘇我入鹿を殺された、父親の蝦夷が、自宅に火を点けて自害した際に、隣接して居た書物庫も一緒に全焼したと言う故事もありますが、この時失われた書物こそ、日本文明を解き明かすのに重要な書物が相当あったのだと思います。

 ですから、シナの隋代に、朝鮮から感じが伝承され賂迄、日本には文字が無かったと言う、話は、全くの朝鮮人の作り話だと私は思います。 確かに「和邇千字文」等、実しやかなモノが伝わって居ますが、それ以前の日本の歴史が現代に伝わって居るのは何故なんでしょうね。遣隋使が持ち帰った文書を、解読するダケの漢字に対する知kンが突然備わり、それが全国的に、物凄い速度で伝わったと考えるのは非現実的過ぎます。

 渡来人を噂されている蘇我氏と、母親の皇極帝の出身母体である、吉備勢力を背景とする中大兄皇子や共犯者の中臣氏は、聖徳太子系の貴族を仲間に着けて勢力争いをして居増しtから、乙巳の変での、蘇我入鹿の斬殺は、逆にその背後勢力の著しい勢力衰退があったと見るべきで、蘇我氏の全盛期を築いた馬子時代に、色々やり過ぎて、あちこちから恨みw駆って居たと言う事でしょうね。

 それにしても国の文化や歴史を記して居た文書を焼いてしまう等、蘇我氏が日本人では無かった可能性は高いですね。

日本の国は3万年もの歴史があったし、文字も持っていました。
それらの神代文字は、今ではなくなっていたりするけども、現代にも受け継がれているものもあります。

日本が漢字を使ったのは、統一文字として整理されていたからかも知れません。

それでも、そのまま使うだけでなくひらがなやカタカナを使って、日本人に分かりやすく、使いやすいものとして改良しました。

日本にとっての漢字文化の危機は、やはり大東亜戦争での敗戦でした。
この時に米国は、日本人にとって日本語で漢字使うのは難しいだろうとして、ローマ字を使わせる計画が合ったそうです。
尤も、こんなことをされては大変だと言うことで、日本側は日本語で漢字や仮名を使っている文化を見せたところ、米国側は現状のままとしたそうですが、こちらから見れば、たった26文字で全部を表現しなければならない英語の方が、余程理解するのが難しくて苦労しました。

日本の古代史全てが、未だクラゲ成す状態で確信が、持てない状態です。
今回は、文字が俎上に揚がっていますが、この文字も曲者ですよね。
日本には、古史古伝に伝えれれている様に何種類も文字があふれている。
歴史学者は、それを説明できません。よって無きものにされてしまいます。
カタカナ・ひらがな・漢字にしても不思議な位日本語に溶け込み本家のチャイナよりも多様な表現と深みを持っています。
カタカナ・ひらがなは漢字由来とされていますが、なるほどと思える節と見方を変えると古代ヘブライ語に極めて類似していると言う具体的な意見も有ります。
コカ・コーラは、そのままヘブライ語文字でも読みでも通用するそうです。
当の宗教的ユダヤ人が、述べていました。
宗教的ユダヤ人も日本に興味が、有るのか日本語の単語が、ヘブライ語と意味も読みも同じ単語が500以上あるそうで、偶然ではこの様な事は無いと言われます。
確かにそうでしょう。
以前ユーチューブでイスラエルの小学校の授業の様子を見ましたが、生徒が正解を答えると先生は、ヨシッ!と言ったのでエッと!日本語と同じだよと思いました。
地名も現在のイスラエルと日本で類似する地名その他人名にも共通点が有ります。
人名の苗字は結構居るんですよね。
部族を形成する家紋も風習的に似てますね。
これはあくまでも古代ユダヤと現日本の比較です。
其処に漢字と言う繋ぎが、有る訳ですが、漢字の出来方もちょっと解らない点が、あります。亀甲・甲骨文字からの発展となっておりますが、漢字の意味は、古代チャイナでも共通で、国ごとに読みだけは、違ったようで紀元前200年代に秦の始皇帝が、漢字の全土共通の読み・意味を統制し度量衡など国ごとに違う計量を共通化したと有ります。
ところが、日本に伝来した漢字の読みは、辞書を見れば解りますが、全て呉音となっています。呉の国の発音と言う意味でしょうか?始皇帝が、制定した読みの発音は、呉音で有ったのだろうか?現在のチャイナは、どうも違っているようです。
と言うのは、始皇帝の父親は、ロフイ(呂不葦)と言うそうで、日本語の漢字でもロフイと読めますが現チャイナでは、読めません。これは、どう言う事なんでしょうか?
しかも始皇帝の制定した漢字は、聖書から漢字を作ったとしか思えない文字が結構ある訳です。
ノアの箱舟の船は、ノアと妻3人の息子とそれぞれの妻を足すと8人なんですよね。
船を見ると八つの口となっています。
古代日本は朝貢で生口を差し出しています。
口は人を表しているのでしょう。
他にもアークの聖櫃は、文字を崩すと木で作られた箱に貴い物が入っていると言う意味になります。
主もメノラではないかと言われています。つまり7つの燭台になりうるのが主でありキリストと7つの光を意味することになります。
上げればきりが無いのですが、何故日本語の音読みだけでヘブライと共通性を持てるのでしょうか。
呉国は、日本とどんな関係が有るのでしょうか?
解らない事が多い。
始皇帝の方士徐福が、呉の出身であると言われています。
徐福と始皇帝の苗字は、同じであると。
エイ(漢字はかなり複雑)氏である。
今は和服・着物と言うが、江戸時代までは呉服と呼んでいた。


日本の古代史全てが、未だクラゲ成す状態で確信が、持てない状態です。
今回は、文字が俎上に揚がっていますが、この文字も曲者ですよね。
日本には、古史古伝に伝えれれている様に何種類も文字があふれている。
歴史学者は、それを説明できません。よって無きものにされてしまいます。
カタカナ・ひらがな・漢字にしても不思議な位日本語に溶け込み本家のチャイナよりも多様な表現と深みを持っています。
カタカナ・ひらがなは漢字由来とされていますが、なるほどと思える節と見方を変えると古代ヘブライ語に極めて類似していると言う具体的な意見も有ります。
コカ・コーラは、そのままヘブライ語文字でも読みでも通用するそうです。
当の宗教的ユダヤ人が、述べていました。
宗教的ユダヤ人も日本に興味が、有るのか日本語の単語が、ヘブライ語と意味も読みも同じ単語が500以上あるそうで、偶然ではこの様な事は無いと言われます。
確かにそうでしょう。
以前ユーチューブでイスラエルの小学校の授業の様子を見ましたが、生徒が正解を答えると先生は、ヨシッ!と言ったのでエッと!日本語と同じだよと思いました。
地名も現在のイスラエルと日本で類似する地名その他人名にも共通点が有ります。
人名の苗字は結構居るんですよね。
部族を形成する家紋も風習的に似てますね。
これはあくまでも古代ユダヤと現日本の比較です。
其処に漢字と言う繋ぎが、有る訳ですが、漢字の出来方もちょっと解らない点が、あります。亀甲・甲骨文字からの発展となっておりますが、漢字の意味は、古代チャイナでも共通で、国ごとに読みだけは、違ったようで紀元前200年代に秦の始皇帝が、漢字の全土共通の読み・意味を統制し度量衡など国ごとに違う計量を共通化したと有ります。
ところが、日本に伝来した漢字の読みは、辞書を見れば解りますが、全て呉音となっています。呉の国の発音と言う意味でしょうか?始皇帝が、制定した読みの発音は、呉音で有ったのだろうか?現在のチャイナは、どうも違っているようです。
と言うのは、始皇帝の父親は、ロフイ(呂不葦)と言うそうで、日本語の漢字でもロフイと読めますが現チャイナでは、読めません。これは、どう言う事なんでしょうか?
しかも始皇帝の制定した漢字は、聖書から漢字を作ったとしか思えない文字が結構ある訳です。
ノアの箱舟の船は、ノアと妻3人の息子とそれぞれの妻を足すと8人なんですよね。
船を見ると八つの口となっています。
古代日本は朝貢で生口を差し出しています。
口は人を表しているのでしょう。
他にもアークの聖櫃は、文字を崩すと木で作られた箱に貴い物が入っていると言う意味になります。
主もメノラではないかと言われています。つまり7つの燭台になりうるのが主でありキリストと7つの光を意味することになります。
上げればきりが無いのですが、何故日本語の音読みだけでヘブライと共通性を持てるのでしょうか。
呉国は、日本とどんな関係が有るのでしょうか?
解らない事が多い。
始皇帝の方士徐福が、呉の出身であると言われています。
徐福と始皇帝の苗字は、同じであると。
エイ(漢字はかなり複雑)氏である。
今は和服・着物と言うが、江戸時代までは呉服と呼んでいた。
叉、我々一般庶民と主要な神社では、文字の書き順が違うものが有る。
そしてそれは象形的に違うものに見えてしまう巧妙な物です。
例えば、京都の加茂神社では天皇の天を工人と書くそうです。
富本銭の本と似ています。大十となっています。
読み下すと大工の白い王で天皇すなわちキリストですよ。
物部系は、キリスト以前のユダヤ教でそれ以後の秦氏はキリスト以後の原始キリスト教と言う事になります。
徐福は、物部の祖に当たる秦からの入り婿で饒速日ニギハヤヒ)の祖となるのだろうか。
ある意味天皇の起源も切り替わりが、有ったと思うのですが、血筋は、全く正統の儘で切り替わっていると思います。
兎に角日本ほど古くてシンプルだが考えると複雑怪奇な国で、この様な古代と現代が同居しているような歴史は、チョット見当たらない。面白くは、有るが、尽きることが無い。其の儘謎が、続くのである。
一説には、京都の冷泉家が、天皇が京都帰還まで守っている開かずの扉を持つ蔵3戸有るようで、その中に喪失したと言われる古伝の文書類が、有るのではないかと言われている。
筆まめで保存することを好む日本人なら、有りそうなことである。期待しているところです。


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