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2018年5月 4日 (金)

沖縄は日本で最も大陸文化の影響を受けていない地域

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

仲村覚『沖縄はいつから日本なのか』(ハート出版)

沖縄の歴史に関して、まともな解説書がない。

大江健三郎が書いた『沖縄ノート』は著者のかってな妄想の産物に過ぎない。

ーー

「沖縄タイムズ」と「琉球日報」は、反日報道を繰り返している。

支那がこれら2紙を使って対日工作をしているのではないかと思われるほどだ。

2紙の見解は、「沖縄は独立国家であり、沖縄は日本の大東亜戦争の犠牲にされた、それゆえ沖縄人は日本人を恨んでいる」と。

また、「沖縄は独立王国だったのだから独立してしかるべきである」というものだ。

ーー

しかし基地反対とかいって騒いでいるのは本土から日当をもらってやってくる反日活動家である。  

県民は自分たちを日本人だと考えているし、沖縄の歴史もそれを支持するものだ。

沖縄は一貫して日本なのである。  

本書はそのことを証明する「真実の沖縄史」である。

ーー

ところが敗戦以来、ネット環境が整備されるまで、言論・メディアが在日・反日勢力に支配されてきた。

そして日本が再独立した後も米は沖縄を占領し、沖縄人は日本人ではないという洗脳を行っていた。

分断し支配するという・その政策に協力していたのが在日・反日勢力だった。

しかし沖縄人は米国の支配より日本の支配を望み日本の一部となったのである。

ーー

一方の在日・反日勢力勢力は、いまだに「沖縄は大東亜戦争の犠牲にされた、それゆえ沖縄人は日本人を恨んでいる」と繰り返している。

彼らにはもともと「真実の沖縄史」を知らせるつもり(良心)などなかったのだ。

すなわち沖縄二紙を基軸とする在日・反日勢力の宣伝・広報は、あたかも南京大虐殺、慰安婦強制連行と同様に根拠のない悪意の塊(かたまり)なのである。  

ーー

真実はこうであると仲村覚氏は次のように書いている。  

「琉球が明や清の属国であったことは一度もありません」

「琉球人は、支那語を母国語としたこともないし、支那に税金を納めていたこともありません」

「琉球に支那の役所があったこともありません」

「清の時代に、漢民族のように辨髪を強制されたこともありません」

ーー

「明や清は、(沖縄にとっては)単なる貿易相手国」でしかなかったのである。  

ーー

さらに、意外にも「沖縄は日本で最も大陸文化の影響を受けていない地域」(p68)であった。

沖縄に伝わる音楽でも、そのことは証明されている。

『日本民族の魂の原点』が残っていると。  

ーー

沖縄がイメージとして「外国」のように扱われたのは薩摩の政策だった。

薩摩が意図的に沖縄を外国のようにみせて、沖縄・清(南蛮)の通商を独占する合法性を得て利益を手にすることで、軍事力を強化出来、幕府への発言力を担保できた。

パリ万博に出展したときも、薩摩は「薩摩琉球」と名乗っている。   

ーー

ペリーは日本に来る前に沖縄に寄港し、そのあとも沖縄へ寄港している。

明治維新はペリーの沖縄来航から始まり、廃藩置県の最終処分(沖縄県)で終わったのだ。

ーー

さて本書で評者(宮崎)が初めて知った事実がある。  

ジョン万次郎は薩摩が保護し、大抜擢したことはよく知られている。

が、万次郎が上陸したのは沖縄県糸満市大度浜海岸であった。

万次郎以下三人だった。

かれらは七ヶ月も勾留され監視されていたが、島津齋彬が英語を操る日本人がいると聴いて鹿児島へ呼びよせ、以後の大活躍が始まる。  

ーー

この同時期に琉球には英語を操る通詞がいた。

牧志朝忠という北京へ留学した経験を持つ人物だった。

北京語(マンダリン、支配者の満州人がしゃべる言葉)はもちろんのこと、英語・仏語も使え、ペリーが沖縄に来航したときの通訳をしている。

ーー

ところが齋彬の急死によって事態は一変し、反齋彬派が琉球王府内で勢力を回復し、牧志らも齋彬派ということで捉えられ十年の流罪を言い渡される。

が、薩摩は英語教師を必要としていたため釈放されるも、薩摩へ向かう舟から飛び降りて自殺する(謀殺説も有力)。

これにより琉球王府は貴重な人材を失ったのだった。  

本書はアマゾン国際政治部門で、第一位をつけ、多くの注目を集めていることは悦ばしい。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>「琉球が明や清の属国であったことは一度もありません」

琉球は、大昔に支那から銀印を受け取ったと聞いたことがありました。
銀印の国が、属国だったとは思いません。


米国に占領されていた沖縄が、日本に返還された日のことを今でも覚えています。
あの日は、それまで道路上の車が前日まで右側通行だったのに、日本に返還された日からは左側通行になり、これをテレビ中継されていました。

沖縄の人も、この時は日本に戻ってきたと喜んでいました。
それが、何時の頃か分かりませんが、基地の存在を原因として反日運動の巣窟のようになっています。

でも、日本と共にやっていこうとする人も沢山おられますから、その人達と日本は共に生きていけたら良いと思います。
反日の人は、日本が嫌いなら好きなところで暮らしてもらえば良いのですし、日本と沖縄の人が仲良くすることの邪魔をしないでと思います。

>縦椅子様 昨日は所用が有った為、コメントできませんでしたので改めて
>>沖縄は終始一貫、日本であった
 私の父方は奄美の出身ですが、琉球の王だった尚家と関係があるらしく、鹿児島市内に、領地を貰って碌を貰って生活して居た様ですが、維新後に区画整理があって、代替え地を貰い、其処で、大島紬の工場を奄美から人を呼んで、紬を生産・営業して居た様ですので、沖縄問題には、昔から興味がありました。

 親父からは、「沖縄と言う寄りも、奄美を含む琉球で考えよ」と言われて居たのですが、遠い親戚に、琉球新報に勤めて居る私の2つ位下で、当時東京で、法政大学に通って居た男と、一か月位、年が近い所為もあって親しくしましたが、なにか、日本人とは異質のものを感じて居ました。

 でもその頃は、彼も沖縄が特別変わった処だ、と言う意識は無かった様に見え、時折発する、「本土は~」と言う口癖も、北海道出身の奴と変わらない様に感じて居ましたね。

 処が、私が40代の後半になる頃、ネットで、「琉球独立党」とか言う連中と、独立の理由や、その実現の可否について、討論しましたが、余りにも程度が低いので、閉口した事もしばしば、結局、他所から「沖縄独立は不可能だし、沖縄人の多くもそれを望んで居ない」と、謂うやや激しいコメントが入って、そこで終わって了いましたが、翁長が知事に出て来た時の主張を聴いて居ると、その時の独立党の主張と丸で同じな事に気が着き、吃驚しました。

 ですから、宮崎さんが仰有る、「琉球独立は、シナの政治的工作」と言うご意見に賛成です。 翁長が知事になって、話がドンドン可笑しな方向に流れるので、「沖縄人は、何故黙って居るんだ、本気でシナの自治区になる気なのか?」と、沖縄人のブログに、コメントした事もありました。

 しかし、昨今、沖縄県に市制を布く、9市の裡、8市の選挙で、オール沖縄勢力を破った事で、沖縄が正常化しつつあると感じ、嬉しい思いを持って居ます。 翁長も、膵臓腫瘍との事で、今年の知事選に出馬できるか不明との事、やはり、沖縄を護って下さっている先達たちが、沖縄の為にならない方向を矯正しようとしていると、私は感じます。

 沖縄のウチナンチュウは、戦争末期に、米国機動部隊が迫って居ると言う方情報が有るのに、サイパンやグアムで、親類縁者が大勢殺されて、米軍の野蛮さを知って居たのに、日本から民間人に、退避勧告が出て居て、本土へ避難出来たのに、敢えて、多くの人が島に残って、「どうせ死ぬなら、愛する沖縄で死にたい」と、避難せず。結果、⒑万人もの人が命を落としました。  

 その「ウチナンチュウの沖縄愛」が、時を隔てて甦って来た様に感じます。 特に、「戦争処か戦後も知らない世代」の若い層が、沖縄の未来を本当に考えて居ることが、私は嬉しくて堪りません。

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