無料ブログはココログ

« 明智光秀は謀反人ではなく義挙をとげた悲劇の英雄ではないのか | トップページ | 日本は、新石器時代から続く血脈がずっと保持された国である »

2018年5月23日 (水)

日本語には、他の言語にはない、不思議なところがある

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

日本語には、他の言語にはない、不思議なところがあるということを書いてみたいと思います。

日本語には擬声語がとても多いのです。

たとえば わんわん、メーメー、ブーブー、ニャーオ、ホウホウといった動物の鳴き声を真似たものや、

ドキドキ、パチパチ、バキューン、チリーン、ドカン、カリカリ、バタン、ガタピシ、ガタンゴトン、パチバチ、ビリビリ、ジュージュー、グワァ〜ン、パタパタ、ボキポキなどなど、音を真似たもの、

あるいは、おずおず、おどおど、めろめろ、ふらふら、きゅんきゅん、きらきら、ぴかぴか、ぐずぐず、ツルツル、サラサラのように、本来音を発しない感情などを表現する言葉です。

ーー

擬声語(オノマトペ(仏))は、例えば犬の鳴き声にしても、国の言語ごとに表現がまったく異なっているのをご存じでありましょう。

そのほかに、例えばキスは、それをする際の音から日本語では「CHU」です。

英語では「MWAH」、北京語では「BOH」です。

つまり言語によって擬声語は、まったく異なる。

ーー

ということは、各言語圏では、音は違って聞こえているということです。

日本語の擬声語(オノマトペ)が、北京語や朝鮮語とはまったく異なっている。

これからすると日本語は大陸や半島とは全く別の独自の言語であることがわかります。

ーー

しかも日本語には、この擬声語(オノマトペ)が、他の国の言語と比べて著(いちじる)しく多い。

その数、なんと5千語です。

日本語の単語数は、たとえば『日本国語大辞典』の収録単語数が50万語です。

このことは、日本語の1%、およそ100語にひとつが擬声語(オノマトペ)であるということです。

しかもそれらは、日常的によく使われる言葉なのです。

ーー

早い話、今朝起きたとき、ご家族に「ぐっすり寝れた?」と聞く。

その「ぐっすり」というのが擬声語です。

しかし睡眠は「ぐっすり」などという音は立てません。

ではなぜ「ぐっすり」というのかというと、「ぐうぐう、すやすや」寝ているからです。

その「ぐうぐう+すやすや」が短縮されて「ぐっすり」です。

ーー

「ぐうぐう」も「すやすや」も、なんとなく、そのような音を立てているといわれれば、なんとなくそうかもしれないと思われるかもしれません。

では、つぎの表現はどうでしょうか。

風が「そよそよ」と吹く  
太陽が「かんかん」に照る  
白い雲が「ぽっかり」浮かぶ
星が「きらきら」光る 

風は「そよそよ」などという音をたてないし、太陽は「かんかん」なんてしゃべったりしません。

ーー

ではなぜ日本人は、このような擬声語を多用するのでしょうか。

風や太陽が立てる音ではなくて、我々が、風や太陽が立てる音として、そのように聞いているのです。

このことについて考古学者の小林達雄先生は、次のように述べておいでです。

「人々が、人と人との間で行う対話(コミュニケーション)のための言語活動と同じか」

「あるいはそれに近い状態(レベル)で自然と向き合い、自然との間で活発な言語活動を行ってきた結果」(『縄文文化が日本人の未来を拓く』p.134)

ーー

つまり、日本語は「自然と対話しながら発達してきた言語」なのです。

ーー

だから欧米人にはただの雑音にしか聞こえないカエルの鳴き声や虫の声も、日本人には美しい秋の音色となって聞こえる。

なぜかといえば、それは日本人がカエルや虫たちと対話(コミュニケーション)して移ろい行く季節や美しくもはかない自然を感じてきたからです。

ーー

では日本語は、いつ頃の時代から形成されはじめたのでしょうか。

言語の発達には、集団生活の形成が欠かせません。

集団生活を営むには、言語が必要になります。

石器の登場と時期を同じにするとされているのです。

世界の磨製石器は、おおむね7千年前以降のものです。

ーー

中には2〜3万年前のものもあります。  

シベリアの2万年前のもの  
ロシア南西部の紀元前1万6000年前のもの  
オーストリア中部の2万9000年〜2万1500年前のもの

など、ほんの数例です。

ところがこれらは、異常に早過ぎる磨製石器であって、作成経緯等はすべて不明です。

そして、その後に起こるおよそ7千年前の磨製石器の時代(新石器時代)とは連続していないのです。

ーー

ところが日本の磨製石器は、3万年前の磨製石器だけが単独であるのではないのです。

昭和48年に東京・練馬区石神井川流域の栗原遺跡で2万7000年前の地層から磨製石斧が発掘され、

また同じときに千葉県三里塚からも磨製石斧が出土、以後、秋田から奄美群島まで、全国135箇所から400点余の磨製石器が発掘されています。

そして1万7千年前には縄文時代が始まるのですが、なんとものの見事に、その縄文時代の文化へと、磨製石器の時代が連続しているのです。

ーー

ちなみに長野県日向林遺跡から出土した60点、長野県の貫ノ木(かんのき)遺跡から出土の55点の磨製石器に用いられている石は、伊豆の神津島から運ばれてきた石です。

つまり当時の日本人は航海術に長(た)け海洋さえも自在に往来していたことも伺わせています。

ーー

こうしたことから、英国のJ・ラボックという考古学者は、

「日本列島の住民は世界に先駆けること二万数千~三万年前に新石器時代を迎えていた」

と述べているのです。

ーー

言い方を変えると、これはつまり、日本は世界最古の文明を持っていたことが考古学上証明されている、ということです。

ーー

そして磨製石器の登場と言語の登場、そして集団生活を営むための神話の登場が重なるものであるならば、

日本語は、およそ3万年前には生まれ、そこから現代に至るまで、ずっと続いている世界的にも稀有な言語である、ということになります。

そしてそれが可能になったのは、日本人が殺し合いや、自然の征服を好まず、人と人、人と自然が調和することを好む民族であったからです。

ーー

というより、調和を好むという日本人の性質は、最低でも3万年という途方もない長期間のなかで、最終的に生き残ってきた性質である、ということができます。

ーー

おもしろいもので身勝手な文化、自分さえ良ければという文化は、一時的な成功を手に入れることができても、必ずやがて崩壊し、再起不能になってきた。

ところが調和を大切にする文化は、一時的にどん底に落とされても、必ずまた再生し復活するのです。

ーー

植物には一年草と多年草があります。

最近は品種の改良によって、どちらも美しい花を咲かせます。

しかし、もともとは一年草の多くは、だいたい派手な花を咲かせるのに対し、多年草の花は、わりと地味な花が多いです。

地味だけれど、ずっと咲き続けます。

まるで日本人そのもののようです。

ーー

日本人は、はっきりとわかっているだけでもおよそ3万年、ずっと自然と対話し共生する道を選んできました。

だから他の言語と比べ、日本語には擬声語(オノマトペ)が圧倒的に多いのです。

« 明智光秀は謀反人ではなく義挙をとげた悲劇の英雄ではないのか | トップページ | 日本は、新石器時代から続く血脈がずっと保持された国である »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます、
>>日本語の古さと擬声語の多さについての考察
 この話題は、擬声語を会話によく混ぜる関西人としては、とても面白く読まさせていただきました。 流石は博覧強記のねずさんだけの事はありますね。

 嘗て、「日本には石器時代が無かった」とされて居たのですが、明らかに、是は白人文明の「未開な有色人種には、白人文明の先文明を築けるわけが無い」と言う、差別的な思い込みによって為されて居たのでしょうが、日本のあちこちで、途轍もなく古い文化・文明の証拠が出土するにつれて、「日本理解」が進み始めて、日本を東洋の特異点として、認識する様になっていると思います。

 以前、ねずさんのご紹介で「日本列島での人類の歴史は、凡そ12万年前に遡る」とあった事を思い出しますが、石器の使用開始と言葉の誕生と言うお話は、今回初めての事だと思います。 

 つまり、獲物を解体したり、伐採する時に、切り口がボロボロでは、その後、使い物にならない場合、偶然見つけた鋭利な断面を持つ岩や石を使えば、綺麗に切れる事を発見。 この方法を誰かに伝えるのに、此処までは言葉が無くても、目の前で切って見せれば済む事ですが、その道具になった石をどうしたら見つける事が出来るのか、亦は、他にそう言う道具になるものは無いのか、等、多数の人の目や耳を借りる事が、必要になって、簡単な言葉が発生したのではないかと思います。

 日本語に擬声語が多い理由の一つには、現場を知らない相手に、如何に状況をリアルに伝える必要に迫られ、我々の先祖はあれこれ腐心して居た結果、多くなったのではないかと思います。 例えば、大雨が降って川の水が増水して、溢れだす心配がある場合、雨の降り方にも、ポツポツ、しとしと、レベルから ザァザァレベルそれ以上になると、「バケツをひっくり返した様な」と、表現に具体性が混じります。 是は、緊急性も伝えて居る様にも感じます。 川の流れからも、チョロチョロからサラサラ、そして表現に濁音が混じると、皆の注意を惹き易いと言う処から、轟々とか、ドゥドゥとかと言う擬声語を使います。
 
 つまり擬声語は、状況の程度を、その場に居ない人に伝えるのに用いられるのだと思います。ねずさんに拠れば、この擬声語が、日本語には5,000/500.000=1%有ると言う事ですが、是が、日本語を習得した外国人をして「習得するには、奥が深くて大変だが、自分の感情や感性を余すことなく表現するのには、最適の言語である」と言わしめて居る野田と思います。

 成る程、「風がそよそよℋき始めました」と言う文章で、「そよそよ」は、とても大事な役割を果たして居ますが、英語を始めとする外国の言語には、適当な言葉は有りませんね。そよ風は、Gentle breeze とか、Slightly wind なのかもしれませんが、感覚的に表現の精度が粗い様に感じます。

 状況の危険さや、獲物の利益の大きさを伝えるのに、用意して行かねば、或いは、より詳しい現場の状況が分らなければ、手遅れになる場合、特殊な道具が必要な場合、現場の状況を言葉だけで再現して見せる上で、を擬声語は大きな枠割を果たして居るので、人々は多用する様になったのだと思います。

 そして、日本で素晴らしいのは、その工夫や発見が、途切れることなくく、現代にまで伝わって居ると事でしょう。 それには、言語も進化して変化する現状に合わせる必要があります。 ですから、私が生まれて未だ64年しか経って居ませんが、既に死語になった言葉は沢山あります、流行り廃りまでありますので、日本語だけでなく言語は生き物だと思います。

 日本語は世界で最も、多くの言語を受け容れる容量の大きな言語だと私は確信して居ますが、その原点には、仰る様に、日本人が、自然を相手に、否、自らが自然の一部として、「地球の欠片」で有り続けて来たからでしょう。

縦椅子さま
 
 ≪日本語には擬声語がとても多いのです≫≪わんわん、メーメー、ブーブー、ニャーオ、ホウホウ、ドキドキ、パチパチ、バキューン、チリーン、ドカン、カリカリ、バタン、ガタピシ、ガタンゴトン、パチバチ、ビリビリ、ジュージュー、グワァ〜ン、パタパタ、ボキポキ「ぐうぐう+すやすや」「ぐっすり」ーー「そよそよ」  「かんかん」「ぽっかり」「きらきら」 ーー
なんて音楽的で、感性豊かなんでしょうか!まるであらゆるものがしおしゃべりをしているようですね!みるところ悲しい音をたてているものはないようです。みんなしあわせなおとをたてている。«つまり、日本語は「自然と対話しながら発達してきた言語」なのです。≫--すべて生きとし生けるものが、対話しているーーこれは理想郷ですね。今日は胸がきゅ~んとするくらい素晴らしいブログに感謝感激です!本当に有難うございます。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 明智光秀は謀反人ではなく義挙をとげた悲劇の英雄ではないのか | トップページ | 日本は、新石器時代から続く血脈がずっと保持された国である »

2018年6月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30