朝鮮人らにとっては、「自分たちの内紛あるいは内戦に、周辺国や他民族を巻き込むのはむしろ彼らに一貫した習性である」
ー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集
石平『結論! 朝鮮半島に関わってはいけない』(飛鳥新社)
本書は、朝鮮半島の特徴的な歴史を簡潔に叙述している。
それは、権力争いである「内ゲバ」と、その際必ず「外国を巻き込む」という行為を繰り返した歴史である。
これが、朝鮮半島の伝統的なやり方だとして、半島の歴史を絵巻のように描いて見せる。
そのときそのときに朝鮮人らが起こした政局を明確に腑分けして、朝鮮人のDNAに染みこんだ事大主義、無責任、逃避癖、讒言の得意技を、整理整頓して見せてくれる。
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そして著者は、朝鮮人のその特質は今も同じであるのだという。
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金正恩は叔父も実兄も邪魔者だとして粛清した。
祖父の金日成は支那派、ロシア派、民族派を次々と粛清した。
南も「従北派」の文在寅大統領は、前任の朴権惠と李明博を逮捕して裁判にかけ有罪にし投獄した。
その前の大統領盧武鉉は自殺し、その前任者すべてが刑務所か、暗殺か、亡命している。
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なぜこんなことが繰り返されるか。
それは朝鮮人の体質、つまり自分だけの利益を優先して、残虐この上ない内紛を、この千年来続けてきた。
その体の奥深くまで染みついた体質をぬぐい去ることが出来ないからだ。
しかも、この事実は、「周辺国のわれわれにとって他人事ではない」と石平氏は強調する。
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朝鮮人らにとっては、「自分たちの内紛あるいは内戦に、周辺国や他民族を巻き込むのはむしろ彼らに一貫した習性である」からだ。
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「白村江の闘い」とは、天智2年8月(663年10月)に朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた、倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争のことである。
新羅の脅威に対応するために百済が日本に支援をもとめたことから日本が巻き込まれた。
同情による派兵という、日本独特の情緒的防御作戦は、新羅を支援した唐の大軍によって敗れた。
しかしもともとは新羅と百済の内戦が原因だった。
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その前に、隋は、「百万人の大軍を派遣して高句麗征伐を」したが、「高句麗に抗戦され失敗」している。
この挫折が煬帝の権力基盤を弱体化させ、王朝の崩壊を早めた。
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習近平があれほど金正恩を嫌い、南北朝鮮の統一を嫌がるのは高句麗の再来を恐れるからである。
そして隋が四度も高句麗成敗に失敗した経過を教訓としているからだ。
隋の崩壊を継いだ唐王朝も、じつに三回、つまり随・唐で合計七回も高句麗遠征を繰り返し、いずれも失敗している。
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半島の内戦に巻き込まれ白村江で敗北を喫した日本は、以来、明治になるまで半島からは手を引いてきたのだった。
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元寇では、元朝のお先棒をかついでフビライを焚きつけ、日本侵略に先頭切ってやって来たのは高麗であった。
しかし、尚武の精神に溢れた鎌倉武士によってさっさと追い返された。
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しかし半島にかかわるようになった明治政府は、さっそく朝鮮王朝の内紛に巻き込まれ、日清・日露を戦う羽目になっている。
石平氏は朝鮮戦争について、スターリンと毛沢東が金日成の謀略に引っかかり、またアメリカは李承晩に騙されて参戦し、苦戦したという説を採る。
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このような朝鮮人の習性を理解すれば、誰もが半島にかかわることを嫌がるのは当然のことだ。
半島にかかわった国は日本以外すべて滅亡し、日本も史上初めての内地を戦場とした戦いに敗戦を喫している。
石平氏は、日本は半島がどうなろうと関わってはいけないと説く。
じつに納得である。
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コメント
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>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>朝鮮族の習性に見る、排他性と利己主義
私は、民族と言う括りは、造り上げた社会が持つ規範や支配の形に拠って、生み出される常識だとか、性向、正義の在り方によって決まると思って居ます。
地政学的に半島と言う地形は、連結している大陸から、戦乱や飢餓から逃げて来た異人によって、絶えず、その民族が入れ替わったり、混淆したりしますが、食糧を巡って、武力を使うので、社会が落ち着かない状態が永く続く事が多いと思います。 例えば、イタリアやスペイン、そしてバルカン半島と、大陸に面している距離が近い程、戦乱も多く、棲みついた民族も多様で、争いの絶えなかった歴史を持っています。
朝鮮半島の歴史は、自称5千年と言って居ますが、実は、紀元前15世紀位(3500年程前)でしか無く、BC 17世紀ごろに、成立した狩猟採集民の王朝「殷」の遺臣が、建てた百済が、その端緒だと言う説を支持します。建国したとはいえ、国民は、ツングース系の扶余族と濊族と言う、殷と同じ狩猟採集民だったので、百済は武力のみで、君臨して居たダケに過ぎず、治政等の記録は残って居ません。
そして、その後に。北から南下して来た騎馬民族の高句麗「=靺鞨族」や、BC20 世紀に滅んだ、長江族の生き残りが、戦争難民になって居た処を百済が助けて、半島の東側の慶州に匿ったのが、新羅でしたが、何れも、言葉も習俗も違う、異民族であったのは言うまでも無い事です。
半島南部の海岸部は、百済が建つより昔から、海人族の生息域であり、済州島や巨勢島といった島を根城にした漁労海産と畑地耕作を専らとする倭人(海人族)=原日本人が棲みついており、半島にも列島にも交流が有り、一部は、大陸の長江族とも、深く結びついて、東シナ海全域を支配して居ました
するともう是だけでも、4つの異民族が、半島に居たのです。 現在では、多様性「=diversity」は、集団の発展の要素とされて居ますが、当時は、食物を争うライバルでしかありませんから、武力を持った騎馬民族は、農耕民を武力で支配しますが、絶滅させれば、自分達も食糧傆を失って餓死する事になるので、「生かさず殺さず」を目的とした、階層差別射会が出来上がって行ったのでしょう。
半島民の大部分は、権力には従順だが、自分より目下のものには冷酷と言うパターンの性格の人が多く、亦、責任を取らないし、簡単に裏切るし、自分が我慢してでも、法律を守ろうとする潔さより、何とか罰を免れようとして、嘘を吐いてでも、譬え恩人を裏切る事になっても、他人の所為にしても自分は難を逃れようとしますが、後で、何ら恥じる処が無い、と言う性向が普段に見られます。
是は、そう言う社会常識なのだと言う話なので、本人も全く意に介さないので、幾ら批判しても無駄なのです。 つまり、朝鮮奥の利己性は、病気と言う他は無いのです。 ですから、我々と同じく隣国に棲むシナ人で有った石平氏の、「半島で何が起ころうと、決して日本人派か変わってハイケナイ」と言う警句は、蓋し、正しいと思います。
日本は、韓国とは永遠に断行すべきです。
投稿: ナポレオン・ソロ | 2018年5月11日 (金) 11時34分
朝鮮人の思考を、勉強させていただきました。
朝鮮人には助けない、教えない、関わらないしかありません。
日清・日露の戦争だけでなく、戦後も多くの企業が韓国のためにと進出して、痛い目に遭っています。
その企業の経営者の人達は、朝鮮人に欺されるために進出したのではないと思いますし、会社を経営している人達ですから暗偶な人でもないと思うのですが、それでも欺されている(としか思えません。)のですから、余程欺し方は上手なのでしょう。
そして、日本が終戦によって実力を失ったとき、朝鮮人は戦勝国民と出鱈目を主張し、朝鮮進駐軍を自称して日本で無法・不法のやりたい放題をしました。
ここから出てくることは、朝鮮人は力で押さえ込まないと統御できないと言うことです。
彼等が日本で通り名を使っていると言うことは、未だ日本の方に力があるのです。
彼等が日本人に勝ったと判断したときには、通り名よりも本名を使います。
だって、彼等は強い方に流れるのですから、朝鮮人の名前が強いと判断すれば朝鮮人名を名乗る方が有利なのです。
今使っている通り名も元はと言えば、朝鮮人が満州で商売をしたときには、満州人よりも朝鮮人が下位にあるとされたので、日本人名を名乗れば満州人よりも上位になれたことが始まりでした。
投稿: ポッポ | 2018年5月11日 (金) 18時40分