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2018年5月29日 (火)

そういう人たちは、日本が変ったら、逮捕されるか抹殺されてしまう人たちです

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

日本にも1543年にポルトガル人が来日し、鉄砲が伝えられました。

けれど日本は、鉄砲をまたたく間に国内で自製しすさまじい軍事大国となっています。

秀吉が関白となった1586年には、日本は全世界の鉄砲保有数の約半数を持っていました。

けれど、鉄砲に使う火薬の原料となる「硝石」は、日本で産出しません。

あたりまえのことですが、火薬がなければ鉄砲はただの鉄棒です。

ーー

ですから、日本の戦国大名たちは、こぞってポルトガル人達から火薬を買いました。

代金は、金・銀の他に、火薬一樽につき、日本人の若い女性50人が相場です。(徳富蘇峰、近世日本国民史)

日本女性が奴隷に売られたのです。

日本でも、コンゴで起きたことに近いことが、現実にあったわけです。

ーー

けれど日本がコンゴのように、ポルトガルの属国とならずに済んだ。

それは、鉄砲を日本人が自製し改良を加え、大量に作って鉄砲隊まで組織してしまったからだった。

それにより、日本は、ポルトガルだけでなく当時世界最大の軍事大国でフィリピンを植民地にしていたスペインでさえ震え上がらせる程だった。

ーー

さらに、秀吉は、その圧倒的な軍事力によって、伴天連に対し奴隷売買とキリスト教を禁じ、日本人女性が奴隷として国外流出することを阻止したのです。

ーー

同様の事態が幕末動乱にも起こった。

日本は、列強の圧力に対し、欧米の学問を学び、吸収して、列強と同等あるいはそれ以上の軍事大国を作り上げた。

なるほど幕末、日本は、列強によって、開国を迫られ不平等条約を締結せざるを得なかった。

けれど明治44年には、日本は、完全に外国との関係を対等なものに修復しているのです。

ーー

もし、日本が明治維新を成し遂げ、列強に教えを請い、近代化に向けての教育制度など様々な改革を自力で成し遂げとていなかったなら、

そして富国強兵政策を掲げ軍事大国になれていなかったなら、

もしかするとアフリカやアジア諸国のように列強の植民地にされていたかもしれないのです。

ーー

コンゴと同様に、男は奴隷に売られ、女性たちは人質にされ、旦那のために手首を斬り落され、コンゴで起きたように、手首が通貨として用いられるような国になっていたかもしれない。

大事なことは、他国に支配されるということは、いかなる場合においても、自国民の幸せには絶対にならない、ということです。

ーー

もちろん例外はあります。

それは日本がかつて統治した国々です。

どの国もすべて発展し、なかには朝鮮のように、世界最貧国から脱し、半島の歴史上初と言って良い平和な時代を迎えています。

けれど、日本の支配がそうだったからといって、他国も同じようにするなどということは、金輪際ないのです。

アフリカ・コンゴのように、他国の支配を受けることは、これ以上ないといって良いくらいの国民の不幸を招くのが普通なのです。

ーー

日本が、独立した国家でいられたのも、いま、私たちが平和に暮らして行けるのも、私たちの父祖、祖先が、それこそたゆまぬ努力を重ねてきたからに他なりません。

ところが戦後の日本は、連合国占領軍の旧体制破壊政策によって日本国憲法を強制された。

それは日本が、米国に復讐できないように、「国軍不保持、交戦権放棄」の条文を持つものだった。

ーー

占領軍の占領政策に協力し、禁止用語(プレス・ラジオコード)によって言論を検閲・弾圧し、旧体制への協力者として20万人以上を公職から追放した者たちがいた。

そして彼らは、戦後社会の政財界・教育界・言論メディア・法曹界を支配し、敗戦利得者となったのだった。

朝鮮人たちは戦勝国人に成りすまし、朝鮮進駐軍を組織して、日本人を凌辱・虐殺し、日本人から・いいように土地や資産を奪った。

ーー

彼らは現在ネット上で在日・反日勢力と呼称されている。

ーー

みなさんは、コンゴが動乱を終え、平和を取り戻すためには、何が必要だとお考えでしょうか。

おそらく、誰もが口を揃えて、「それは、コンゴの人たち自身が努力するしかない」とお答えになるものと思います。

ならば、それはそのまま日本にもあてはまるのではないでしょうか。

ーー

日本が、国軍を持つ主権国家となり、独立と自尊心を取り戻すためには、なにより日本人自身が目覚めなければならない。

それは、現在の日本が敗戦利得者である在日・反日勢力によって文化を破壊され奴隷にされようとしているということに気づくことではないでしょうか。

そのためには何が必要でしょうか。

ーー

在日・反日勢力との対話でしょうか。

そんなものが意味を持たないのは、誰もがおわかりと思います。

彼らは考えを変えません。

なぜなら彼らは自分たちの利権を守ろうとして一生懸命になっているからです。

そういう人たちは、日本が変ったら、逮捕されるか抹殺されてしまう人たちです。

ほっておけばいいのです。

ーー

それよりも、在日・反日勢力の存在に気づいていない人、普通の日本の人たちに、いかに現実を知ってもらうか。

そのために私たち一人一人に何ができるかが、問題なのではないかと思います。

そして日本を取り戻そうという意見が、我が国の本当の意味での主流となったとき、日本は、またたく間に変わる。

必ず変わる。

ーー

そのために、私たち自身が、自分できることを、ほんのちょっとずつでも続けていくことではないかと思います。

1日、たった1分の長さが、4年目には一日になる。

日本人が在日・反日勢力によって奴隷にされているという事実を知り、他の人にもほんのちょっとでも、知らせていく。

これを続けること。

遠回りにみえて、実は日本を取り戻す一番の近道が、そこにあるように思います。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>現在は有史以来、三度目の外国支配の克服を諮る時
 良く、マスコミで、「日本は、外圧が無いと変われない国だ」とかホザク評論家が居ますが、日本は、寧ろ「新たな外国由来のモノを採りいれて、玩味して、日本人に受ける様なモノ、支持されるモノを選別して、元になるモノを上回り、且つ新たなアイデアを採りいれたものを生み出して、絶えず進化をして居る」と思いますので、そう言う見方は日本の評価の方法が、歪んで居るカラ、表現がオカシイ、と思います。 或いは、マスコミの支配者に阿った、意見でしょう。

 でも、現象面ダケで見れば、そう見え無い事も無い。然し、「未知のモノを学習する」時は、先ずは模倣から入ります、先ず、正しい形を身に着けて、その意味を同時に考えて行く、是が、習ったものを土台として、新たな、より良きものを造り出すのに、望ましい過程で有る事に、異論はないと思います。

 我々の父祖、先達は、そうして、新たなものを、伝統の本質を損なわず、極めて現実的な価値判断を以て、伝統の質を高めて来た、と思います。 この「文化の新陳代謝」とも言うべき社会の機能こそ、日本の真の伝統の基軸となるモノだと私は思います。

 然し、1453年に種子島に伝来した鉄砲の様に、新たな種類の武器の突然の登場は、それまでの世を一変させる力を持って居るので、国内での侵略行為や強盗などの犯罪行為にも使われるので、本来なれば、その取扱い上、全般に厳しい為政者の規制が懸けられるのが普通でしょう。然し、時代が戦国時代(1467応仁の乱)であった事が、日本にとっては危機にもなった、と思います。

 この時何処かの大名が、外国と結託して自分の利益のみを諮る様な目根をして居たら、日本が僅か50年の裡に、世界でも有数の鉄砲の所有国にはなっていなかったでしょうから、ポルトガルやスペインに、日本の一部でも侵略されて居た可能性が有ります。

 そして、明治維新前後に、西洋列強が極東に押し寄せ、シナを植民地化し、朝鮮にも、フランスやロシアの侵略の手が伸びていました。 その事を察知した日本人は、外国勢力の扱いで、大揉めに揉めます。 

 最初に米国のペリーの軍艦4隻に拠る恫喝に屈した、徳川幕府を非難する声が高く、攘夷「=夷狄を撃ち払え」を主張する側は、西欧列強が、東南アジアやシナで何をやって来たかを知っていた人々で、其れに対して、その頃の井伊直弼を中心とした開国派は、飽く迄、幕府の施政権の維持、つまり、既得権の維持を主張して居たのですから。

 攘夷派からすれば、開国派は、今で言う情弱の売国奴にしか見えなかったでしょう、おまけに、安政の大獄で、多くの優秀な人士を刑死させると言う弾圧を加えて居たのですから、普通の国なら、既に内乱が頻発して居て可笑しくなかったのですが、状況は、更に変わります。

 最初は幕府方に就いて居た薩摩が、薩英戦争を機に、攘夷をやれば、日本が滅ぶ、と言う現実主義に目覚めたのです。 そして、犬猿の仲であった長州と手を携え、京都におられた帝を皇帝に置国を立ち上げる事を画策します。 

 斯う言う経緯を辿って、最後は維新がなって、急速に西欧化して行くのですが。ここでも、日本古来の伝統を刷新する手法が、大いに使われb、寧ろ、日本人が日本の伝統的な度量衡を完全に理解し、労働者レベルでも使い熟して居た事で、基礎的な技術がすぐに、西洋に追い付いたのは、その後の近代技術の発展に大きな役割を示して居ます。

 そして敗戦ですが、日本人派ここでもその柔軟性を発揮して、表向きの、米国支配には、現実的に従い、然し、決して相手を欺かず、70年やってきました。 TV・ラジオと言う通信機器を武器に、戦後社会に既得権を築き上げたマスコミ勢力は、米国を支配している、グローバル勢力に服従の姿勢を見せる事で、自身の既得権益を政治の分野までに及ぼし、亦、G勢力が、アジアアフリカ侵略の戸亥に使った、近隣の異民族に、その相克的な感情を利用して、統治させる手法を用いて、日本の政治の中枢を朝鮮人に委ねさせて居ます。

 この状況を、先ずは多くの人達に知ってもらう事が先決で、維新の時の様な、攘夷と開国で、日本の保守勢力が対立する事が無い様に合いなくてはなり馬さんが、其れを担って居るのが、こう言った、ブログ活動だと思います。 マスコミの自滅行為に拠って、急速にマスコミはその力を弱めて居ますが、我々ネット民は、傲る事無く。然理とて、ネットの力を過小評価する事無く、一歩、一歩着実に、反日・在日勢力を追い詰め、日本から排除しましょう。

昔、「モンゴルの残光」という、豊田有恒氏の小説を読んだことがありました。
内容は、モンゴル襲来のとき、日本が占領されていたと言うものでしたが、日本の武士が強かったことと、自然が味方したからモンゴル襲来において日本は守られたのです。

そうでなかったら、日本はモンゴルの一部にされていたでしょう。
そして、日本の武士もまたモンゴル兵の一部としてヨーロッパを侵略していたら、世界史は変わっていたかも知れません。
でも、日本の武士は、日本を守り抜いたのです。


>日本にも1543年にポルトガル人が来日し、鉄砲が伝えられました。

ポルトガル人が来日して鉄砲を伝えたけども、それと共にキリスト教の伝来もあり、これは日本の植民地化を目指すもので、キリスト教の布教とこれに続くポルトガルやスペインの侵略を計画していました。

ときは戦国時代で、戦国大名は鉄砲を手に入れた後はこれを作り、日本の戦国時代は鉄砲の数が決定したと言っても、過言ではありません。そして、鉄砲に使う火薬は大量に必要でした。

気が付けば、火薬を手に入れるために日本人女性を、奴隷に売っていた大名がいました。
売っていたのはキリシタン大名? 
豊臣秀吉は、日本人奴隷を売ることを禁止しました。
そして、スペインが日本を植民地にしようと考えていたことを知り、それをさせないようにと、朝鮮半島から明国を経由して先手を打っての防衛活動を考えました。

スペインは、日本の軍事力を知って、植民地にすることを諦めました。大航海時代の終わりです。


>明治末期に世界のあらかたを侵略し、植民地とした西欧が最後に狙ったのは日本でした。

米国を初めとする列強は、日本を様々な方法で侵略し、植民地にしようとしました。
日本は、幕府側と維新側に別れて、これに立ち向かいました。
結果としては、幕府は斃れ、天皇を中心とする国になりました。

幕府側も維新側も、どちらも偉かったと思います。
だって、日本は植民地にされなかったのです。
この一時で、日本がいかにこの難局を、上手に乗り越えたと評価すれば良いと思います。
それに、維新後の日本政府は、維新側の逸材だけでなく、幕府の秀才も登用して国力の邁進に最大の努力を払っているのです。
維新側も幕府側も凄い努力をしたから、日本は列強の餌食である植民地にならず、独立を維持したままで難局を乗り切ったのです。

しかし、日本の資産である金は、ほとんど費消しました。
けれど、金は幕府と維新側が買った武器に消えたと思いますが、この武器がなければ、列強との侵略戦争になったとき日本を防衛できなかったと思います。


維新後の日本は、列強に飲み込まれないようにと、富国強兵で頑張りました。
日本が独立を維持するためには、朝鮮の北側のロシアが侵略を考えていて危険でした。

これには、朝鮮半島の自立が必要と考えたのですが朝鮮王は、そんなことを考えずに清国の属国として贅沢をすることしかなかったので、独立して国を栄えるようにと日清戦争になったのです。
日本は勝ちましたけど、朝鮮王は国を維持する能力がなく、王室のためになら、国のことも考えていませんでした。

結局、日本は自国を守るために、ロシアと戦わねばならなかったと思います。日本は臥薪嘗胆して国力を整え、日露戦争を戦いました。
日露戦争には何とか勝ちましたが、その犠牲は大きかったのです。


その後、米国・英国・和蘭・支那を中心とする連合国と、大東亜戦争を戦いましたが負けました。
ポツダム条約を受け入れましたが、条件付けの条約だったのに、気が付けば無条件降伏みたいな扱いでした。
そして連合軍は、日本が二度と手向かえないような占領政策をとり、日本はWGIPとプレスコードで雁字搦めにされて、サンフランシスコ平和条約締結まで占領されました。


連合軍は、日本の軍隊が戦況悪化で、苦しくとも負けないことに驚きました。降伏しないのです。

これには、支那軍が日本兵を捕虜にしたときには残酷に扱ったことから、捕虜になる位ならしんだ方がマシとしての指導や、米軍・オーストラリア軍が捕虜を輸送中に飛行機から放り出したことの影響が大きかったと思います。

捕虜になる気のない兵隊は強いし、並みの軍隊では勝てません。圧倒的な武器と兵力の、差がない限り勝てないのです。
日本は、圧倒的な武器と兵力の差で負けました。

だから、連合軍によるGHQは、日本が二度と立ち直れないように、軍隊を持てないようにして、日本を統治しました。
憲法もその一つですし、日本人を米国から支那までが踏みつけにし、最低の位置に置いて、二度と立ち直れないようにしたのです。


いま、朝鮮人は日本が植民地にしていたと言いますが、植民地ではなく併合でした。そして、その併合政策は極めて穏やかなものでした。
併合と植民地を考えるとき、併合される側から見れば、植民地は絶対に損なのです。
では、なぜ朝鮮人は、植民地だったと力説するのでしょうか。
日本人はこの二つの差に余りこだわりませんが、一歩海外に出たらこの二つの差は大きいのではないでしょうか。


京大教授であった会田雄次氏は、捕虜になったとき奴隷並みの扱いをされましたが、この時、分かりやすい扱いをされています。
勝利者であった英国兵の女性は、日本人捕虜の前で裸になっても犬の前で裸になったかのように気にしなかったそうです。
勿論、英国人男性がそこに現れたら悲鳴と共に大騒ぎするのです。

これが、人間と奴隷の差です。
植民地人は奴隷として扱われたのです。

朝鮮人は併合地でしたが、植民地だったと主張します。
しかし、その植民地人が元の宗主国の日本人の上に立って、無法とやりたい放題をする地位を手に入れた方が、楽しいのではないでしょうか。
そして、植民地人である朝鮮人に対して、日本人は占領政策によって何をされても、正当な対応を出来なかったのです。
朝鮮人の民族性と言っても良いのですが、有利なときにはとことん相手を痛めつけます。不利なときには只管退却します。
これは、戦争時に顕著に表れています。


いま、安倍首相は、戦後レジームからの脱却を目指しています。
その方法には、色々な方策があると思いますが、どれ一つとして1日や1年で出来るものではないと思います。

しかし、日本は民主国家です。
頂点に、日本人のことを、大切に思って下さる天皇がいる国です。日本人が今できることを、忘れずにこつこつとしていけば、永く掛かるでしょうけれど、戦後レジームからの脱却は可能だと思います。

そのために、大切なことは一つ。
選挙には必ず行って、野党に二度と政権を渡さないことです。
彼等は、今度政権を取ったら、選挙での不正も厭わぬ可能性があるのです。
(前回のときには、憲法破りで請願権の解釈変更をして、請願は幹事長の専権事項としていました。これをマスコミは非難していません。)

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