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2018年5月12日 (土)

その成功体験が、天皇が代わるたびに都が移されるという古代の習慣となった

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

古事記を読むと、上古の昔、出雲が広大な領土を持つ政治行政経済あらゆる面における巨大国家であったことを示しています。

大国主は、その巨大国家を、降臨された天孫・迩々芸命(ニニギ)に国譲りするのです。

その際、国家最高権威として降臨されたニニギは、出雲ではなく、日向の高千穂に都を築かれた。 

ーー

古事記には、大国主が築いた出雲が、経済流通を中心に置いた商業国であったことが示されています。

大国主神話は、因幡の白ウサギの物語から始まります。

古事記には、ウサギは兔(うさぎ)ではなく「菟」と書かれているのです。

ーー

「菟」はウサギではなく、ネナシカズラを意味する漢字です。

ネナシカズラは、寄生樹といって、大地に根を張らずに樹々に寄生して生える植物です。

昔はお百姓などの農林水産業に従事する人々を土地に根付いた人たちとし、行商などを行なう人たちのことは、土地に根付かない人たちとしていました。

ーー

土地に根付かない人たちは、雀(すずめ)などと呼ばれていたのです。

昔、城下町だったところで、「連雀町(れんじゃくちょう)」という名称が残っています。

これはいまでいう問屋街だったところです。 

ーー

そこに、背中に荷物を入れる籠(かご)を背負った行商人さんたちが出入りします。

問屋で品物を仕入れて、籠に商品をいっぱい入れて、また出かけて行くのです。

その歩く姿が、スズメのように見え、そういう人たちが連なっているから、町の名前が連雀(れんじゃく)と呼ばれるようになりました。

ーー

しかし、よくよく考えてみれば、その姿は、スズメではなく、ウサギにも似ているわけです。

ーー

つまり「菟」は、行商人であると読めるのです。

その「菟」が騙した相手のワニは、近年ではサメの誤記ではないかなどと、わかったようなことをいう先生もおいでになります。

が、古事記には明確に「和迩(わに)」と書かれています。

ーー

古い日本語で「和迩船」といえば、和船の帆掛け船のことをいいます。

ポリネシア地方は縄文時代の日本文化をそのまま継承しているといわれています。

その現地語で、アウトリガー付きで帆を張った船のことを「Wanyui」と言います。

つまり「ワニ」です。

ーー

つまり、
ウサギは、陸上の行商人、  
ワニは、海上の行商人、
と読めるわけです。

ウサギからはじまる国は、商業国家であったと読むことができる。

ところが商業は、仕入れを叩いて、売値を釣り上げれば儲かるという仕組みです。

つまり生産者(農林水産業に従事する人たち)は、常に買い叩かれる立場となります。

ーー

人口構成からしたら、商人の数より、一次生産に従事する人たちや、その加工をする人たちの人口の方が、圧倒的多数です。

つまり、商業国家は、商人やその支配者だけが、大金持ちとなって、圧倒的多数の人々はつねに貧困下に置かれる。

すると社会は、ほんのひとにぎりの大金持ちと、その手先となって働く人、そして圧倒的多数の貧しい人々という構造になります。

ーー

高天原はこれを問題視したのでした。

すべての人々が、神々の子孫です。

天照大御神(アマテルカミ)にとっては、全員が「たから」であり、神々です。

圧倒的多数の「たから」たちが、貧困下にあって、ほんのひとにぎりの人たちだけが、まるで我が世の春ともいえる贅沢な暮らしをし、強大な政治力を発揮して、国を我が物にしている。

それではいけないとアマテルカミは考えられたのです。

ーー

それでアマテルカミは、天孫ニニギに降臨するように命じるのです。

ニニギは、技術集団である五伴緒(いつとものを)の神を連れて降臨されます。

このとき、都を出雲ではなく、日向に置かれた。

ーー 

問題は、なぜその場所が日向だったのか、です。

大国主のおいでになる出雲は、すでに政治経済行政の中心地として、完全に確立されていたことでありましょう。

しかしそれらは、一部の人たちの収奪と圧倒的多数の民衆の貧困をもたらすように機能していた。

それゆえに、すべてを一新する必要があった。

ニニギは出雲から遠く離れた日向を都とされたのでした。

日向に必要なすべての政治経済行政機能を、あらためて別に築かれたのでした。

ーー

そして政治体制を一新することに成功された。

ーー

その成功体験が、天皇が代わるたびに都が移されるという古代の習慣となった。

現在に生きるわれわれも、藤原京、平城京、平安京へと遷都されたことを記録によって知ることができます。

また、武家たちも新政権を作るときには、政権の中心地を鎌倉や江戸に移して新しい政治を行ったのです。

新しい政権ができると、行政の中心地を移してきた歴史は、我が国の神話に由来しているのです。

ーー

日本が生まれ変わるためには行政の中心地を移す必要があるということになります。

ーー

我が国は古代において、むしろそれを常識化していました。

江戸時代後期の国学者、佐藤信淵(のぶひろ)は、文政6(1823)年に『宇内混同秘策』という本を書きました。

そこでは、日本を三都制にすべしと説いています。

ーー

場所は、江戸、大阪、京の三箇所です。

これにともない名称も江戸を東京、大阪を西京、京の都を京都と改称するように提案しています。

大久保利通は、この『宇内混同秘策』に影響を受けて、江戸を東京と改称することを建言したのでした。

ーー

しかしいまや日本は、東京、大阪、京都に拘泥しない、新たな場所への遷都が必要な時期が来ているのではないか考えているのです。

ーー

と申しますのも、東京は、首都圏直下型地震が、いつ起きても不思議ではないとされているからです。

そして幼稚園児にも劣る「国民の敵」のような国会議員が選ばれている。

省庁の高官が国家・国民のことを考えない情況が出現している。

遷都は、こうした現在の危機的な状況を一新するためになされるべきでありましょう。

そしてなによりもその遷都は、日本人の生活が安全で、快適で美しくなるためのものでなければなりません。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>古事記を正しく読むと
 草冠に兎とかいて、ネナシカズラ何ですか、ネナシカズラは寄生植物で、定住しない民の総称で、主に、商売人を指すとあります、それに、商売を行う人を「雀」と言うのも知りませんでしたね、ですから連雀は、問屋街と言う事になりますが、後世の都市の地名には、鳥を美称して、鳳凰とか孔雀とかの名前になって居るのでしょう、それが方位にも使われているのは、面白いですね。

 大国主の話を分析すると、上古の出雲地方が商業で栄えた国家で有った事が分りますね。 然も、ワニ「=小型の帆かけ船で活動した海人族」を騙した兎「=大陸の商人」が、約束を違えたか、海賊行為に遭ったかで、傷つけられ丸裸にされて、困って居るのを、大国主命が傷を癒し食糧を与えて、命を援けて、日本で暮らして生けるまで面倒を看た話になって居るワケで、当時の出雲が、海人族の仲介に拠って、大陸との通商を盛んにして居たとも読めますね。然も、海人族に睨みを利かせるダケの権力も持って居たと思います。

 つまり、商業中心の社会が行きすぎて、国として立ち行く為の肝心の生産層をやる人が少なくなってしまう、と言う現象が出てきたのです、原野を田畑に換えようとすると多大な労働力が必要ですが、その田畑が生み出す生産物は、流通が盛んになれば、安く買いたたかれる様になって終います。 

 唯、農漁業は、天候に左右されますので、 豊作、豊漁の時ばかりでは無いので、凶作や不漁続きの場合、生産層が良い目を味わう事もあったかもしれませんが、そうなれば、今度は飢えた人々が強盗に早変わりして、甚だしいモノは、殺人まで犯す、こんな状況を放置して居ては、生産層が減るのは当然でしょう。 つまりは、大国主の勢力は、内政に、特に、渡来人に拠る治安悪化を鎮圧するのに、失敗して居たのではないかと思います。

 つまり、社会に法律と言う規範が必要だったのです。 そして、是を守らせる強制力としての警察の様な存在も創らねばならなかった そして、そう言う法治社会にする為には、規範を嫌う集団「=ならず者」との戦いが必要になります。

 是をやろうとしたのが瓊瓊杵尊(ニニギのミコト)ですが、出雲は、大陸からの人間の出入りが多過ぎて、随い、規範を嫌う集団も多かった事から、ニニギは、其れを強行すれば戦を経ねばならないと感じ、断念。 自分の出身地である、海人族、の大集団の豊族の本拠地である日向に遷都したのでしょうが、出雲の国は、その後も商業の地として残されましたが、耕地と生産層が少ない為に、亦、中国山地が交通の妨げとなって、繁栄が止まって終った、と言うのが本当の処ではないでしょうか、

 でも、日本海流洗う出雲は、古代に大陸との貿易を取り扱える要衝にあり、ニニギの様に、遠く日向の国からも、遠征して来ていると言う事は、海人族の行動範囲は、日本全国に亘って居た可能性が有りますね。 海は「アマ」とも読みますので、海が天に換える事も可能ですから、天照大神(アマテルオオカミ)も、海人族の女首長だったのかもしれませんね。

 しかし、此処で古事記が、7世紀に天武帝(オオアマトノオウジ)の命に拠って、編纂されます。 おそらく是は、蘇我蝦夷が、乙巳の変で、息子居るかを殺され、自らも屋敷に火を放って自害した時に、日本の古代史を記した文献が多く蔵われて居た、宝物倉庫も焼失sている処から、変の首謀者の一人だった天武帝が、自隻の念に駆られて行ったものと推察します。 日本の上古史で、全体を通して、比喩を駆使して物語風に収めて居ると言う点が特徴となっています。

 ニニギが海人族の一種の豊族で有った。と言うのは私の勝手な推測ですが、ニニギは、五伴緒(イツトモノオ)と言う技術集団を何処からか、連れて来たとありますが、私は是は、水耕稲作を山地でもやれる様にする、棚田造成集団で有ったと思って居ます。 ではこの技術集団は何処から来て、何の技術を持って居たのかと、推測して看ます。

 ニニギが生きて居た時代は、日本で水耕稲作が始まって、未だ100~200年未満で有り、古代からフィリピンの島で行われて居た棚田耕作法は、未だ、日本には伝来して居なかった、シナ大陸には、有り余る水量の池や湖や川と広大な湿地帯が有りましたから、伝わっていたとしても、耕作法として用い様とは思わなかったでしょう。

 此の技術集団は、測量法に優れ、石積み、水利、道路の作り方迄、棚田耕作法の全てを知って居る技術集団でなければなりませんが、琉球に伝わるニライカナイ伝説の「海の向こうから来て、善きものを齎す集団」では無かったかと推測しているのですが、海人族「=東夷族、長江民の越族と同族」の行動範囲が、わからなければ、是以上の推測は唯の妄想に成りますww。

 この様に、日本の歴史は謎だらけです、古来よりその解読に挑戦するものは後を絶たないもですが、未だ、皆が納得できる解釈を成したものは居ないので、ねずさんの挑戦は、そう言う意味でも大変貴重だと思いますね。

 古文や歴史は勿論、古代からの極東に着いての詳細な知識、大陸に栄枯盛衰した民族の種類とその文化等々全て、時制を認識して、クロニクルな感覚を持たねばなりませんし、果ては、人類のDNAや骨に関する知識までないと、12万年と言う気の遠くなる様な列島に棲んだ人類の足取りや歴史から、「日本とは何か?」「日本人とは何か?」を描き出すに、完全なものは出来上がらないでしょう。

日本は自然災害が多いから、大震災に備えて首都の予備を考えておく必要はあると思います。

東京の官庁群が大震災で使えなくなった場合には、京都と福岡を候補地で上げたいと思います。

京都は御所がありますから、これの空地に仮設建物を建設することと、旧市内の廃校は建物が残っていますから結構使えると思います。

それから、もう一つは福岡です。
福岡は北九州市が隣接していますから、官庁を分散配置するのなら使えると思います。

これらの都市は、新幹線が通っていますから他都市との連絡にも便利だと思います。

それから、大阪や名古屋も候補に挙げられると思いますが、幼稚園児にも劣る「国民の敵」のような国会議員を考えますと、愛知県にはガソリーヌ、大阪は維新の団体と立憲民主党の国会対策委員長、京都は立憲民主の幹事長がいます。

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