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2018年5月 2日 (水)

日本人を統治する日本人による日本人のための政府

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

日本では、1603年に徳川家康が、時の天皇から征夷大将軍に任じられて、徳川幕府を開くまで、いわゆる戦国時代がありました。

その際、諸国諸大名は、盛んに軍議を開いていました。

その軍議の前に講談師を呼んで一話読ませたものなのだそうです。

軍議といえば、生きるか死ぬかの大事な会議です。

それだけに事前に歴史物語や先人たちの活躍を聴くことで、皆の考えを一つにする必要があったのだと思います。

ーー

さて古事記には、アマテルカミが天石屋戸(あまのいわやと)にお隠れになり、政治が滞るようになって、人々が苦しみ始めたとあります。

それで八百万の神々が天の安の河原に集まって、どうしたらアマテルカミに天石屋戸からお出まし願えるかを議論します。

これが我が国での会議の始まりです。

ーー

興味深いのは、このとき参加した神々と決定内容です。

ーー

古事記の文意からすると、八百万の神々は全部集まったのではなく、すくなくとも悪鬼悪神などは呼ばれていないし、参加もしていません。

要するに「なんとかしたい」と思う利害関係のある神様たちだけがそこに集っているわけです。

このことは、以後の日本の歴史にずっと共通する事柄になります。

ーー

つまり、会議は利害関係者が集うもの、ということが日本社会のあたりまえ(常識)になるのです。

これは当然のことで、誰もが職を持っており、働かなければ食べていくことができないのです。

ですから寄合(よりあい)は、直接利害関係のある関係者だけが集まるものとされました。

会議は全員参加が原則といいますが、それはあくまで当事者および利害関係人の全員参加を意味します。

事柄に関係のない者が来ても、邪魔になるだけです。

ーー

なぜそのようになるかといえば、会議によって物事を決めるということは、同時にその会議に出席した人たち全員が、その決議事項に「責任を持つ持つ」ことになるからです。

たとえば水害対策に、堤防を強化しようとみんなで決めたのなら、その決めることに参加した全員が、堤防の完成に責任を負担します。

いい加減な仕事をすれば、大雨のときにそこが決壊する。

すると住民みんなが迷惑を被る。

だから、みんなでとことん話し合って決めるし、決めたことには全員が責任を持って対処する。

それがあたりまえのこととされてきたのです。

ーー

それで、責任を負わないで議論する人たちを、侠客(きょうかく)と呼んで区別したのです。

侠客というと、戦前のヤクザを連想する人が多いと思います。

義理と人情の任侠道に生きる人、と想像しがちです。

ーー

しかし「侠」という字は略字で、もともとは「俠」と書きました。

ひとつの字の中に、なんと4つも「人」という字が書かれています。

つまり「俠」という字は、もともと働いて何かを生産するのではなく、人間関係だけで生きている人のことを言います。

そして「客」というのは、あくまでも通りすがりの人であって、当事者として物事に責任を持つ人ではありません。

ーー

ですから俠客というのは、人間関係だけで生きていて、物事に責任を持たない人のことを言います。

ーー

ひるがえって昨今、モリカケ、セクハラを問題にしている人たちは、当事者でもなければ利害関係人でもない、処罰をする人でもない。

何の責任も負わないし、負う気もない人たちが、議論している。

つまり、当事者でも利害関係人でもない人たちが、意思決定をする気もなく、ただワイワイ騒いでいるだけという情況になっています。

ーー

大きな会社の重役会議に、利害関係者が誰も参加しないで、まったくの第三者が参加し、その会社の重要な意思決定を行うとしたら、どうなるでしょうか。

その人たちは会社の利益を最大にし、それを自分たちの懐に入れることしか考えなくなるのではないでしょうか。

従業員、下請けなどの取引先、お客様の御意向を全く無視するはずです。

それでいて意思決定の結果には一切の責任を取らない。

ーー

さらにいうと、その第三者は、自分たちが儲かるのであれば、会社を売り払うことさえ厭(いと)わないで有りましょう。

ーー

日本の国会は、今や「国民の敵」のような人たちが、自分たちの利益だけのために国を売るような困った状況になっているのです。

日本国民のために働くという意思を全く持たない議員らが、自分の言い分だけを一方的に並べ立てる。

それで議論だ、議会だというのですから、聞いてあきれます。

ーー

社会的な影響力を持つ人というのは、どういう地位であれ、それだけの権力を持つ人です。

権力を持つということは、その権力の及ぶ範囲に責任が生じるということです。

逆にいえば、責任を負う意思も気力もない人は、権力も影響力も持ってはならないのです。

ーー

先日25億円も会社のお金を横領した犯人が逮捕されましたが、まだあの犯人は、逮捕されて刑事責任を問われるだけ、実は侠客よりもはるかにマシです。

現実には、何十億どころか、何百億、何兆円といった規模での簒奪が、本来の利害関係人である国民の意思の及ばないところで、何の責任もなく意思決定され、実行されている。

これほど、おそろしいことはないけれど、それがいまの日本で行われているのです。

ーー

どうしてそのような間違いが起こるかといえば、いまの日本が、民衆を「おほみたから」とする社会ではなくなっているからです。

社会の上層部にいる人たちが、民衆から収奪をするという、欧米型の簒奪社会になっている。

そのような社会では、民衆はただ、竹の子のように生えてくる、ただの働きアリでしかありません。

ーー

政治の「政」は、正しいという字の右側にボクッという音符が付いた字です。

つまり、斜めになったものを、殴ったり叩いたりして真っ直ぐに整えるのが「政」です。

「治」の訓読みは「おさめる」で、日本書紀ではこの字を書いて「しらす」と読みます。

つまり、神々の世界で行われているシラスを実現するために正しく整えるというのが、日本で生まれた熟語の「政治」の意味です。

(漢字は、支那生まれですが、政治という熟語は日本生まれです)

ーー

これは祭政一致です。

だから「政治」と書いて「まつりごと」と言います。

現代政治は政教分離をうたいますが、本来我が国の統治は祭政一致です。

根本から異なるものを、我が国に無理やり定着させようとしているのが、戦後政治であり、戦後的価値観です。

ーー

ところが日本の場合、言葉は失われているものの、根底において民衆は天皇の「たから」だという常識があります。

その社会を構成する常識として西暦604年に十七条憲法が作られた。

以来十七条憲法は、1400年以上経過してもいまだに日本社会の常識として尊重され生き続けているのです。

ーー

我々はこの十七条憲法があるために、憲法は、変えてはいけないものという考えがあります。

十七条憲法の憲法は、憲(教え)の中の法(教え)という意味を持つものだからです。

ーー

しかし、日本国憲法の「憲法」は、英語のconstitutionを日本語に訳したもので、国体(政体)つまり国の形を意味するものなのです。

つまり、十七条憲法の憲法と、日本国憲法の憲法では意味が違っている。

ですからドイツも日本と同じ敗戦国ですが、戦後すでに60回も憲法改正を行っています。

人々の生活が第一であり、人が作った国の形(憲法)だから、人の生活の実情に即した形に変えているのです。

ーー

日本は占領下の混沌とした貧しい日本から、世界中の人々に羨まれるような、豊かで、安全で清潔な国になった。

戦後七〇年余り、日本は、国の形がすっかりかわっているのに、憲法constitutionを占領下に作られたまま変えずに来ました。

が、これは世界から見たら「ありえないこと」です。

ーー

憲法が国の形(国体)を意味するのなら、「国軍不保持、交戦権放棄」の条文を持ち、自国を自分で守れない状態は、おかしいと日本人なら考えるはずです。

(占領軍が復讐されないように作り日本に強制した)

自国を自分たちで守れないような国は、独立国でさえないのです。

もしこのことが言論・メディアによって正しく報道されていたなら、日本人は、もうずっと前に、憲法改正を主張する国会議員を選出していたことでしょう。

(日本の言論・メディアは在日・反日勢力に支配されており、日本人は彼らによって護憲を強制されてきた)

そして、憲法(国体)を「国軍保持、侵略者に対しては攻撃し殲滅する」という条文を持つ独立国のそれに変えていたはずなのです。

ーー

自国を自分たちで守ることができるようになって、「国民の敵」を殲滅することができてはじめて、日本人を統治する日本人による日本人のための政府といえるのではないかと思います。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>現代政治は政教分離をうたいますが、本来我が国の統治は祭政一致です。 根本から異なるものを、我が国に無理やり定着させようとしているのが、戦後政治であり、戦後的価値観です。
 私が、このブログに投稿参加して、もぅ大分になりますが、↑のねずさんのコメントは、戦後の日本の政治体制を言い表すのに、正鵠を得て居ると思います。

 GHQが日本に米国化を強いる上での最大の疑問が、日本が辿って来た近代史だと思います。 日本は所謂、西洋で言う民主主義(democracy)ではなく、現代の西洋には無い祭政一致の国なのですが、西洋で祭政一致の国と言えば、古代のローマ帝国位のものである。

 然し、ローマの政治は、宗教儀式は欺瞞行為に過ぎないが、日本の場合、頂点に有る天皇はオホキミであると共に大司祭であるスメラミコトでもあると言う、威力・権力を集中させた専制体制に酷似しているのに、何ら資力も軍事力も持たな無いのに、天皇を生み出す母集団である」、公家も含めて、武士を含む大衆から尊崇を受けて居る。

 亦、徳川幕府と言う、幕藩体制を265年も維持した、権力体制を持ちながら、天皇の詔一つで大政を奉還する「=政権を譲り渡す」と言う、謂わば無血革命をやってのけ、戊申の役、西南戦争と内戦は有ったものの短期間で国を纏め、天皇を中心とする体制に移行して見せ、あっと言う間に近代化して、世界の強国に駆け上がり、白人の支配体制を脅かす存在になったのですから。

 現代の我々から考えれば、白人こそ他国の歴史も知らず、民族の多様性にも関心を持たず、只管、目先の私利私欲を満たす為に、異民族を虐げ。異文化を否定して、自分達の価値観を押し付けて来た野蛮人であると言う事に気が付けて居ないのは、異民族・異宗教を「悪魔」と同定する、つまり、自分達とは異なる価値観や習俗を持つモノを排斥するキリスト教だけが、正しい神の教えであると盲信して居たからでしょう。

 この考え方が大間違いであった証拠に、世界は、世界大戦を2度経て、大量の死者と、不幸な人々を生み出したにも拘らず、未だに、戦争の火種が次々と生まれて、3度目の世代大戦を心配しなくてはならない事態になっています。
 
 戦争の原因となるのは、人間の基本的な欲求を基にした生存権の主張ですが、中には、未だ古代や中世を思わせる、他からの強奪・収奪に拠って、自分の生存権のみならず、欲望まで見たそうと言う他人不在の考え方しか持てない国民や国家が21世紀の世にも数多く存在しているのです。

 生存権の危機意識を刺激するのは、貧富の格差です。 人間は比較する事で、自分を知り、他人を知り、社会を知って、そう言う比較を重ねる事に拠って、人格を成長させるものですが、そうして育った個人が、集団を造り、やがて、より大きな共同体を持ち、そして国家を持つに至る。 此処で、其処に至る迄に、共同体や石を持った集団には、集団の意思を纏めるグループ形、個人が必要であると言う事を学習している。然し、大きな集団には複数の意思を持ったグループが居て、事象を処理するのに、その手段、時期、目的・・について、各論を持っており、時に意見が衝突する。

 皆の同意が無ければ協力も得られないので、事が進まない、其処を、納得が行く結論が出るまで話し合おうと言うのが民主主義で、何処かで、議論を打ち切り、神のお告げを訊くのが神託政治ですしたが、人気がある人物が自分の意思と考えだけで物事を解決してみせる英雄を生み出し皇帝とする専制政治が生まれたのが、西洋文明の政治への理解の筈です、

 日本も、ねずさんが挙げておられるように、天岩戸にお隠れになった農業神を再びお戻りに成らせる事を皆で、相談したとあります、是はオソラク、異常気象か空が暗くなるほどの火山の大爆発が起こって、もう人間の努力だけではどうにもならない事態に見舞われたが、幸い、一定期間で済んだと言う故事を、「禍は、神が不在になる所為である、そして、不在になるのは、お互いが、辛抱も無しに、争い合う事に神様が悲しまれている場合が多い」と言う、「天災は神が示した人間への警告である」と言う事を知らしめようとした逸話だと思います。

 然し是で分る通り、日本人古くから「寄合い」と言う合議制を採って来た、寄合には、現実問題を抱えたモノ達を中心に開かれたが、利害に関する事ダカラ、納得出来ない井理由で、不利な条件を呑めば、住民の不満を受け争議に発展するが、死人が出たりすれば、全体の組織の存亡にかかわる重大時になる。そこで、意見が膠着しそうな時には、利害の外に居る第三者「=侠客」を読んで、解決への知恵を借りる事にしたと言う事でしょう。

 斯う言う、利害に関係ないとはいえ、他所者の意見を黙って聞くと言う事は、中々出来る事ではありません。 勢い、反対者を暴力で押さえ込む、とか、甚だしきは、相手の村落を襲って、ケリをつけると言う方法に走りがちです。 事実、古代欧州では、そう言う成岩sだったので、収穫期には強盗行為が頻発するので、競技大会で優劣を決めると言う事が、オリンピックの原点だと言われていますが、日本は、「冷静な第三者の意見を訊く」という、別の手段を受け容れる事が出来たと言う事ですね。 

 どの様に考えても、西洋の民主主義の一つ上を日本の古代民主主義は行って居たとしか思えません、w 即ち、戦後のWGIP等は、野蛮な国が先進国を教化しようと試みた、勘違いも甚だしい政策で有った、と言う事ですね。 私はそう確信します。

縦椅子様

今日も目から鱗がおちるようなわかりやすいブログをありがとうございます。
ここに掲げられているのは、古事記の時代より「アマテルカミが天石屋戸(あまのいわやと)にお隠れになり」、それに困った「八百万の神々が天の安の河原に集まって、どうしたらアマテルカミに天石屋戸からお出まし願えるかを議論した」のが「我が国での会議の始まり」で、その「寄合(よりあい)は、直接利害関係のある関係者だけが集まるものとされました」-とあり、この原点からすると、いまの日本の責任を取らない烏合の衆の集まりで有害な議論が横行していますが、そんな状態から、本当に国のことを憂い、今の国難の危機をいかにして乗り越えるかを真剣に話し合う日本本来の会議の原点の在り方に戻る必要があると、心から思いました。

似非ユダヤの日本統治のあり方に、伝統文化を無視した多様性文化の移植は、失敗するであろう。
日本民族の民度の高さが、似非ユダヤ教雑種のカザール人には、到底理解できない範疇である。
適合できないものは、自ずから取捨選択するのが、日本民族である。
強制しても何らかの形で除去されてしまう。
日本とチャイナが、同一でないのは、その取捨選択が、有ったからである。
戦後アメリカの似非ユダヤが、日本を支配して何を得たか?
得たのは、お金だけである。
国営中央銀行の民営化を押し付けアメリカ国債を買わせてアメリカ経営を有利にしているだけである。
時代の分岐に差し掛かり日本が、円の発行権を国が支配すれば、似非ユダヤの牙城は、総崩れで有ろう。
日本は、内需でも十分やっていける過去の実績がある。
是非そうありたいものである。
国の通貨権を何故民間が、運営しなければいけないのか国民としては不思議に思うところである。
民営権にする意味を多くの国民は、知らないのではないか。
国営にすれば、似非ユダヤに取られること無くそれこそ金は天下の廻り物を実感できるであろう。
今の儘では、金は、似非ユダヤに吸い上げられ、天だけで廻っている。
庶民は、低賃金奴隷の方向に向かうだけだ。
この欧米的やり方は、日本人の精神に反する。
日本には奴隷の制度は無く西欧的奴隷搾取の制度に強く反対する。
アメリカ衰退に伴い日本の本来を取り戻す時期も早まっている。
似非ユダヤのNWOや、ワンワールドは作るものではなく自然発生的流れに任せなければいけないものだ。
似非ユダヤのやり方は、危険で間違っている。
つまりせっかちなのだ。
日本の古来からの運営を見てみると、極めてスムーズに統治され国民もそれに馴染んだ統治のされ方を時代に合わせて変遷している。
時代区分は似ているものの欧米の統治のされ方と違う。
これも民度の違いと言えばそれまでだが、日本人が、古くから読み書きのできる人間が、欧米に比べ圧倒的に多かったことを示す。
日本人が、最終的に対峙する相手は、明確に似非ユダヤ共産主義者の本体である。

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