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2018年5月28日 (月)

でなければ、日本は4百年前のコンゴになってしまうのです

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

日本に西洋人のポルトガル人がやってきたのは、1543年(1542年という説もあり)のことで、この年に鉄砲も伝来しました。

コンゴにポルトガル人がやってきたの1482年で、西洋に近い分、およそ60年早かった。

コンゴでは、最初にポルトガル人がやってきた2年後の1485年には、コンゴ王国とポルトガル王国との間で国交が結ばれました。

この国交条約は、双方の国が「対等な関係」にたつという内容のものでした。

ともに五分と五分のお付き合いをする。

ーー

ただしポルトガル宣教師によるキリスト教の布教を認めることが条件となっていた。

ーー

1491年には、ローマから宣教師も派遣されています。

そしてコンゴ国王のジンガ・クウは、自身をカトリックに改宗し、さらに自分の息子で王子のジンガ・ムペンパを、ポルトガルに留学させました。

ムペンパは、ポルトガルにいて学問を修め、1506年に父親の後を継いでコンゴ国王に即位しています。

そして彼は、積極的なコンゴの欧化政策を採りました。

さらに、多くのポルトガル人を受け入れ、コンゴの近代化に励んだのです。

ーー

と、ここまでは、悪くない話です。

ーー

ところが、そうした欧化政策と、ポルトガル人の招聘(しょうへい)のために、コンゴ国内にポルトガルの奴隷商人たちが、大量に入り込み出したのです。

奴隷商人たちは、人の売り買いをするわけですが、元手は、そこらへんで捕まえてきた黒人です。

多少の経費はかかりますが、元手はタダです。

そして奴隷は高値で売れます。

ーー

奴隷商人達は、またたく間にたいへんな金持ちとなりました。

そしてコンゴの国政を平然と壟断(ろうだん、利益・権利を独り占めにする)しはじめた。

ーー

コンゴは歴史ある王国です。

ですからコンゴ王国の民衆も、自然の愛国心や、愛郷心が育まれていました。

しかも、身内が同じ国内にたくさんいるわけですから、当然のこととして、一定の規律は守られていたのです。

ところが、外国人であるポルトガル商人たちには、そうしたコンゴへの愛国心も愛郷心もありません。

あるのは、欲得だけです。

そして彼らは、あらゆる方法を使って自分たちの行いを正当化した。

気がつくとコンゴ国内は、ポルトガル人の奴隷商人たちと、その下請けとなったコンゴ人達が、経済的政治的に多大な影響力を持つようになっていたのです。

ーー

事態を憂慮したコンゴ王は、ポルトガル王に対し、奴隷貿易を止めるようにとの書簡を送りました。

けれど、ポルトガルは、コンゴ政府ではなく、コンゴ国内の治安維持に責任を持っているわけでもありません。

あたりまえのことですが、ポルトガルは、ポルトガルの都合で動きます。

ですから当然のように、コンゴ王の書簡は無視されました。

そしてポルトガルの奴隷商人たちは、本国政府が黙認することに自信を深めた。

コンゴにおける奴隷貿易は、ますますを盛んになり、ついにコンゴは、アフリカにおける最大の奴隷貿易の中心地となってしまいました。

ーー

コンゴの民衆は怒りました。

当然だろうと思います。

ある日突然、家族が、子供達が白人達に追いかけ回されて網ですくわれ、拉致され、奴隷、つまりモノとして勝手に売買されてしまうのです。

それでもコンゴ人達は、敬愛する王を信じ、事態が必ず解決し、いつか拉致された人々も国に戻れる日が来ると信じました。

そして、そんな日が来ないまま、コンゴ王が永眠してしまったのです(毒殺されたという話もあります)。

ーー

王が亡くなると、コンゴの民衆は、ついに暴発しました。

民衆は反乱し、暴動が相次いだのです。

ところがその頃のコンゴには、もはや民衆の暴動を鎮圧できるだけの力は残っていません。

博愛主義を説くキリスト教によって、国は武装解除されていた。

しかも適齢期の若者達は、男女を問わず奴隷狩りにあっていた。

それでも、王は、なんとか暴動を鎮圧しようとしました。

ーー

そんなとき、1568年、ジャガ族が襲来したのです。

(これはポルトガル人の「やらせ」だったという話もあります)

ジャガ族という無法者集団が、コンゴ国内に攻め込み、一部の奴隷商人を襲撃し、さらにキリスト教施設を破壊した。

王は、やむなく鎮圧のために、同盟国であるポルトガルに、支援を要請した。

ポルトガル軍は、またたく間に、ジャガ族を鎮圧。

けれど、事態はそれだけに終わりませんでした。

ーー

すでに武装解除状態であることを理由に、ポルトガルは、コンゴとの関係を、対等な関係から、主従関係へと変更することを要求してきたのです。

圧倒的な軍事力を持ったポルトガルに、コンゴ王は従わざるを得ませんでした。

こうしてコンゴは、ポルトガルの属国(植民地)となったのです。

ーー

王家は名ばかりの存在となり、国は荒れました。

武装した奴隷商人達が人民をほしいままに奴隷にしたので、民衆はひたすらそれにおびえながら生活せざるをえなくなった。

こうして300年が経ちました。

ーー

1885年、ベルリン会議の決定によって、ベルギーが、コンゴの新たな支配者となったのです。

ベルギー国王のレオポルド2世は、コンゴを「コンゴ独立国」とし、自身でコンゴの元首となり、コンゴを自由貿易の国としました。

ただし、カタチは独立国であっても、コンゴは、土地も人も一切合切、レオポルド2世の私有物です。

ですから、ベルギー領となったコンゴの政府は、コンゴにはありません。

コンゴ政府は、ベルギーのブリュッセルに置かれました。

レオポルド2世も、コンゴへは足を運んでいません。

コンゴへは、総督が派遣されました。

ーー

実際にはベルギー王の私有地、私有財産にすぎないのに、カタチだけの独立国です。

英国人達は、コンゴのことを「Congo Free State(コンゴ自由国)」と冷笑しました。

コンゴを私物化したベルギー国王は、1830年にオランダ(ネーデルラント)から独立したばかりでした。

その親元の国であるオランダは、当時、世界中に圧倒的な植民地を持ち、巨富を得ていました。

ーー

総督の任務は、ベルギー初の植民地(私有地)であるコンゴから、一日もはやく経済的利益をあげることでした。

しかしこの頃には、奴隷貿易はすでに下火になっていました。

コンゴには奴隷以外に主たる産業も産物もなかった。

コンゴの経営はたいへんに苦しいものでした。

当初の状態は、インフラ整備のために、むしろベルギー政府の持ち出しの方が大きかったのです。

ーー

ところが、1887年英国で、自転車用のゴムタイヤが発明されたのです。

さらにその技術が自動車のタイヤにも応用されるようになった。

ゴムの需要がうなぎ上りとなった。

ーー

原料のゴムは、他に産業らしい産業のないコンゴの、国中のいたるところに自生していたゴムの木から採れた。

ベルギー人達は、コンゴ人を使ってゴムの木から、ゴムの採取を行ったのです。

コンゴのゴムの生産高は、20世紀のはじめには、世界全体の生産高のほぼ10%を占めるに至りました。

ベルギーは、コンゴ産ゴムによって、経済的にたいへんに潤うことになりました。

コンゴを入手したベルギー王が喜んだことは、いうまでもありません。

ーー

ところが、現地で何が行われていたのか。

ゴムの採取を強制するために、黒人たちから女子供を人質にとる。

働きの悪い黒人に対しては見せしめに鞭打ちで殺し。

また指示した量が達成できないと、人質の女子供らの右手を、見せしめとして切断した。

ーー

ここまでくると、コンゴ人達も黙っていません。

中には集団で徒党を組んで反乱を組織するコンゴ人も出てきます。

白人達は、それに対抗するために、周辺の部族を徴用し、公安軍を組織した。

ーー

植民地支配には、この、 「他民族を利用して植民地を支配する」 という手法が一般的に行われてきた。

ーー

戦後、日本にやってきた占領軍が、朝鮮人に日本人支配をゆだねたのも、この欧米植民地支配の歴史からきているのです。

他部族よる支配は恐ろしい残忍さを発揮しました。

徴用兵たちの任務は、ゴム採集のノルマの達成管理です。

その中には、未達者に対する手首斬り落しの強制執行も含まれていました。

徴用兵達の給料も、利益に基づく歩合性でした。

ーー

そのうち、徴用兵たちの昇級や賞与の額が、切り落とした手首の数によって決められるようになった。

こうして手首は、それ自体が価値を帯びるようになり、

村人たちは、他部族を襲撃し手首を集めてくるようになった。

ここに手首が一種の通貨にさえなったといいます。

ーー

ベルギー領コンゴが、ようやく独立を果たしたのは、昭和35(1960)年のことです。

ベルギー領となって以来、75年間に、コンゴで虐殺された人の数は、1000万〜1600万人であったといわれています。

独立したときの人口は1400万人でした。

しかし独立からわずか1週間で、内乱とベルギー軍の介入によって崩壊してしまう。

ーー

こうして始まったのが「コンゴ動乱」です。

「コンゴ動乱」は、国連が支持し、民主化を促進しようとするムルンバ大統領派と、ソ連やキューバに後押しされたコンゴ国軍が対立するという構図となりました。

さらに国内を二分しての民族紛争がこれに重なり、コンゴはこの後約5年間、動乱の時代となった。

そしていまもなお、コンゴは戦場の中にあります。

ーー

独立国だったコンゴの崩壊の引き金となったのは、1568年のジャガ族の襲来事件でした。

この事件のときに、コンゴが自前で処理できていたら、つまり武力を持っていたら、おそらくジャガ族の襲来もなかった。

もちろんポルトガルに援軍を要請する必要もなかった。

結果としてポルトガルの属国となることもありませんでした。

ーー

それどころか、奴隷商人たちの跋扈そのものを、自前の強力な軍隊の出動によって防ぐことができたかもしれません。

「そのとき軍隊が弱かった」 たったそれだけのことで、コンゴは国を崩落させ、それからいまにいるまで450年、いまだに内乱と戦火の中にコンゴはあります。

コンゴで、これまでに戦火や奴隷、ムチ打ちや私刑などによって、いったいどれだけの人の命が奪われたのでしょうか。

ーー

大事なことは、どんなにご立派な講釈を垂れたとしても、軍事力なき正義は正義になれない。

それどころか多くの国民の不幸を招く、ということです。

現実に日本は、どんなに立派な法的根拠、歴史的根拠を並べ立てたとしても、武力を背景にした他国による侵略の前に、なにもできていません。

竹島や北方領土は朝鮮人やロシア人に占領されたままです。

ーー

朝鮮人に国民を拉致されても、政府は何もできない。

それは「国軍不保持、交戦権放棄」の条文を持つ・占領軍によって作られた憲法を押し付けられたままでいるからです。

強力な自衛隊を持ってはいますが、自衛隊は軍法を持たず敵を殺すと殺人罪が課されてしまうのです。

これでは、敵と戦うことはできない。

ーー

他国が、侵略してきても、攻撃できない。

実際竹島は、世界戦2が終わって武装解除された状態で、朝鮮人に侵略されたままとなっている。

ーー

その日本国憲法前文には「平和を愛する諸国民」と書かれている。

しかし周辺諸国の支那・朝鮮はとても「平和を愛する」人たちとは言えない。

そして支那・朝鮮人には「公正も信義」もない。

ーー

日本が強くなければなりません。

でなければ、日本は4百年前のコンゴになってしまうのです。

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コメント

おはようございます。

昨日の、「彼らは日本国内で朝鮮進駐軍を名乗って日本国内での数々の非合法活動に手を染めています。」において、コメント欄がなかったため、ここに投稿させていただきます。

尼港事件は、第1次世界大戦時に起こったロシア革命の一部だと言うことを長く知りませんでした。それに、シベリア出兵のことも義務教育に書いてあったのですが、それがどういうものかが理解できるものではなかったと思います。

近年映画を見ていますと、パルチザンは第2次世界大戦で正義の味方のように描かれていますから勘違いをし易いのですが、シベリア出兵と尼港事件を思い浮かべますと、実態がよく分かると思います。

日本の歴史は、シベリア出兵の理由と尼港事件のことを詳細に掲載するべきですし、合わせて通州事件や通化事件のことも教えることが必要だと思います。


>この共産テロリストは、その後、通州事件等でも暗躍し、また先の大戦中も暗躍を続けて残酷な振る舞いを繰り返した。
その残党が北朝鮮設立の一翼を担って済州島での虐殺事件を引き起こし、韓国の正規軍がやってくる前に日本に逃れた。

これは、済州島4・3事件のことです。
通常は、この事件のことは李承晩大統領が起こした虐さつ事件として説明されるのですが、今回の投稿では共産テロリストとして非難され、しかも、その後に日本に密入国して朝鮮進駐軍を名乗って数々の非合法活動に手を染めたと非難しています。

日本人が尼港事件のような被害を受けないために、国が国民を守る必要のあることを国民が知ると共に、国民が国を守らないと国が滅びる可能性を知らなければならないと思います。

>縦椅子様 本日も更新有難うございます、
>>コンゴの歴史に学ぶ、「自国民防衛力の必須」
 いやぁ酷い話ですね。 当時のコンゴに生まれなくて良かった、とか遂思ってしまいました。 

 このポルトガル人は、キリスト教文明の野蛮で狡猾な本性丸出し、と言った処で、相手好意や信頼で生じる隙を衝いて、正に悪のやりたい放題をやって居ますね。 現代のポルトガル人派伊那路目に遭わされたら、どれ程天を恨むかと、考えて看たらよい。 亦、其れを受け継いだベルギー人は、端からコンゴ人を人間とは思って居ない事が、丸分りで、何より、国王がこう言った国民の暴挙を禁じ、厳しく取り締まるべきだったと思いますが、目先の金に目が眩んで人間としてしてはならない事をやって居ます。

 然し、この時代(中世)は、欧州全体がキリスト教文明になっていたので、「隣人愛」は非常に限定された範囲のモノでしかあり得ず、正に、民族宗教ユダヤ教そのモノでしたから、当時の社会常識が、如何に「人類愛の対極」にあったか、「宗教に希依する」=神のご加護を受けられるので、何をやっても罰せられない、と言う方向に拡大解釈されたのは、白人文明が如何に、道徳とは無縁の野蛮なものか、を示して居ますね。

 昨日のニコライエフスク港事件で、ソ連のラーゲリ(囚人)兵の暴虐の話が出て居ましたが、其れから25年位の後に、シベリアに抑留されて、直に彼らと接点を持った事がある、ご老人がいうには、「人の形をした獣(ケダモノ)だ」と一言でバッサリ、云いはなって、続けて、「奴らは時計も知らないで、私が大切にして居た時計を取り上げて、散々おもちゃにして居たが、理解できなかったのか、イキナリ床にたたきつけ、踏みつけて壊してしまった。」 「私は悲しみと怒りのあまり我を忘れて、そいつが腰に吊して居た拳銃を抜いて、撃ち殺してしまった。 幸い、物陰だったので、撃った処を目撃されて居なかったから、銃を素早く元に戻したら、銃の暴発と言う事で処理されて命拾いした」という、小柄で大人しそうな外見からからは想像もつかない、衝撃の告白に、一同、しばし、沈黙しました。

 然し、私の母方は満州からの引揚者ですから、そう言うラーゲリ兵の上には、集団を指揮管理している士官が居て、逆らう茂平氏は即銃殺、と言う過酷さだったと聞きます、然し、其のラーゲリ・レベルが、欧州の白人の原型であり、下層民の濃度レベルは、ラーゲリと大差なかったtの証言も訊いて居ます。 結局、AC4世紀末に興ったキリスト教は、そう言う獣人を教化できた唯一の道徳規範であった、と言う事になりましょう。

 日本人は、数万年に亘って、大陸の辺縁に弧状に連なる列島上で、大陸や島々から様々な民族を受け容れてきましたが、結局、斯うした獣人レベルの民族は、お互いが助けあう事の大切さに、目覚められないが故に、100~200年で、火山で成る日本列島に起こる自然の猛威と変化に対応できず、自然淘汰された=自滅したのだと思います。

 然るに。現在の世界を見回せば、嘗ては、世界を思うが儘に、蹂躙・支配した白人文明も、凋落の時を迎えて居ます。 スペインもポルトガルも、英国もオランダも、植民地をすべて失い、植民地の収奪で保っていた、自国経済も火が消えた様になってEUで回復挽回を図ろうとしますが、経済がちょっと良くなると、また、植民地主義に後戻りするから、旧植民地からの移民で、自国内部が多民族・多宗教国家に早変わりして、内乱寸前になっていますが、是等は全て、仏教に謂う「自業自涜」「重々無尽の理」の為せる業でしょう。

就中、民族と宗教の坩堝である、米国も、旧態を護ろうとする白人文明と世界覇権を狙って居るグローバル勢力とに分割されて、国としての纏まりも無くなりつつあります。 トランプ政権が国務長官に、エクソン・モービルの元CEOのティラーソンを据えた時点で、トランプのナショナリズムは、上辺だけの偽物か? と思ったものでした。

 今回の朝鮮の「核を使った恫喝」に、もし、前2回と同じく、グローバル勢力の意思に随う政権であったら、朝鮮はいとも容易く「核保有国」になっていたでしょう。 そして、日本も、核武装を余儀なくされるが、国内の核アレルギー論者と世論を2分して居る裡に、朝鮮や韓国から、核で脅されて、極東情勢はさらに緊迫したものになったでしょうね。

 現在でも、日本は、軍事同盟国米国の強大な軍事力の存在があるからこそ、装備も先進的で、経押しも勇猛果敢なのに、軍事予算が低い所為で、継戦能力の低い3流の軍隊でしかない、、飽く迄「米国が救援に来るまでの弾薬・物資」しか与えられていないので、「弾薬が切れたら?」と訊くと、「体当たりしてでも、国を護ります」と答えて居ると言います。

 我々国民の中には、命懸けで我々を護ろうとしている彼らを「人殺しの訓練をして居る人達」と、子供に教え込む様な教師がいる始末です。 幾ら左翼が嘘を並べ立てても、現実にその人と形を看て居れば。そうでは無く、日本古来の。たけふ=正義を守る人だと分る筈です。

 昨日の「そこまで言って委員会」を看て居ましたら、田島陽子さんが、「セクハラ罪を造るとしたら、どの様なモノを考えますか?」と言う質問に対し「西洋先進国を見習う」とか回答して居ましたが。セクハラが個人の感受性のモノで有るのは洋の東西を問わない筈、単なる、西洋崇拝の脳みそしか持って居ない事が丸分り、おまけに、「男は、女をアナとしか思ってない」とか、精神異常を疑いたくなる発言までありました。 是で大学教授(法政)で国会議員(社会党)だったと言うのだから、世も末ですね。

 先ずは日本、否、日本人の正常化が必要だと思った次第

西洋人が日本にやってきたとき、日本が戦国時代であったことにつくづく感謝したいと思います。
日本が武家社会となってから、蒙古が襲来しました。鎌倉時代の武士は蒙古から日本を救ってくれました。

戦国時代に西欧は大航海時代でした。その時代に鉄砲が発明されていましたから、その鉄砲を日本人は真似して作りました。
関ヶ原の頃には、日本に世界の半分位の鉄砲がありました。
西欧の国々は、キリスト教の布教と共に、アフリカ、アメリカとアジアの植民地化を企てましたが、日本の植民地化には失敗しました。

しかし、アフリカのコンゴはキリスト教とヨーロッパの文明に蝕まれて国民を奴隷にされ、国を植民地にされました。
日本がたまたま戦国時代であったことは、幸いだったと思います。

奴隷という言葉は日本人に馴染みがないのですけれど、西欧の国々では普通のことだったのでしょう。
日本に奴隷制度が入らなかったことに、感謝したいと思います。


>植民地支配には、この、 「他民族を利用して植民地を支配する」 という手法が一般的に行われてきた。
戦後、日本にやってきた占領軍が、朝鮮人に日本人支配をゆだねたのも、この欧米植民地支配の歴史からきているのです。

大東亜戦争のポツダム宣言受諾後の日本は、まさにこの手法で酷い目に遭いました。
戦争の勝者である民族が日本でのさばるのはまだしも、日本に協力した民族が戦勝国民であると自称して、日本人を相手にやりたい放題をしてのさばったのです。

そして、これに占領軍であるGHQは日本人より上位にあるとしたため、日本人はやりたい放題をされて、その影響は戦後70年以上となった今でも、残滓は残っています。

日本の国は、日本人が守れるものとするように憲法を改正して、国民が安心して住めるようにするべきだと思います。

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