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2018年5月17日 (木)

キリスト教の宣教師たちは侵略の先兵だった

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

平川靜『戦国日本と大航海時代』(中公新書)

本書は書かれるべくして書かれた、正当な歴史書である。

あの大航海時代に、世界を荒らし回ったスペインとポルトガル。

スペインはフィリピンを植民地と化し軍事拠点としていた。

そして厳重に武装を固め、日本からの攻撃に震えながら備えた。

ーー

日本は世界最強のスペインの侵略を跳ね返したばかりではなかったのだ。 

こうした真実は、戦後長きにわたって歪められて解釈されるか、無視され続けた。  

ーー

近年、キリスト教の宣教師たちが侵略の先兵だったことは広く知られるようになった。

貿易の利を吹聴しつつ、ホンネはいずれ日本をまるごとキリスト教の植民地にする。

日本に運ばれる珍品は、ときに彼らが倭寇も顔負けの海賊行為を働き、ほかの貿易船から盗んできたものだった。

ようするに南蛮船とは海賊船と同義語でもあった。  

ーー

異教徒の宣教師が日本に上陸して布教を始めたのは九州が最初だった。

大友氏、島津氏、そして長州では大内氏が異教に寛容だった。

なにしろ彼らは、彼らの神を大日如来にして大名に取り入ったのだった。

そしてマリアは観音菩薩に模された。

いったん受領されると、彼らは、信者らに神社仏閣を破壊させた。

それを神仏混交の仏僧らは強く抗議していた。

ーー

信長は比叡、石山ならびに伊勢の一向一揆に手を焼いており、この当面の敵に対応するためにキリスト教を利用しようとした。

それゆえ信長はキリスト教の布教を許したのだった。

ーー

正親町天皇は、僧侶らの抗議を受け入れられ伴天連追放の綸旨(りんじ)を出されていた。

信長は、「馬揃え」(軍事パレード)にそんな天皇と、宣教師のウォリヤーノ(イエズス会インド管区巡察師)を同席させたのだった。

平川氏は、「この演出(パフォーマンス)は諸大名向けというに留まらず、まさに天皇とイエズス会の上に信長が君臨するというメッセージ」だと解釈する。  

ーー

「ザビエルが来日してから、わずか40年にして、日本のキリシタン人口は約20万人あるいは30万人に達したといわれている」

「この勢いに気をよくしたイエズス会は、切支丹大名を支援して日本をキリスト教国に改造することを構想していた」  

そのうえ日本人を拉致し、アジアからインドへ奴隷として売り飛ばして巨富を稼ぎ出した。

ーー

宣教師らは、戦国大名の何人かをキリスト教で洗脳し、当該藩内では社寺を打ち壊させた。

まさにキリスト教の野望、止まるところがなかった。  

宣教師らは、本国への報告文の中で、「大名を煽動して、シナ侵略の手先につかえば、日本の武士の戦闘力は高いから、きっと役に立つ」と述べている。  

ーー

秀吉は早くからその脅威を認識していたが、全面禁止に到らなかったのは、かれらが運んでくる文明の利器、世界情勢に関する鮮度の高い情報が必要だったからである。  

しかし「朝鮮出兵によって日本は、朝鮮および明国の軍隊と干划(かんか)を交え」

「それと前後して、世界最強といわれたスペイン勢力にも服属を要求するなど、強硬外交を展開した」

「朝鮮出兵という、日本による巨大な軍事行動は、スペイン勢力に重大な恐怖心を与えた」

ーー

フィリピンに駐在したスペイン提督はマニラに戒厳令を敷いた。

軍事大国としての日本の存在は以後、世界史に登場することになる。  

フロイスやヴァリヤーノよりも強烈な野心を研いで日本侵略の野望を捨てなかったのはコエリョだった。

コエリョは日本準管区長であり、日本における信者獲得実績を誇大に報告して成績を上げることにも夢中だった。  

ーー

「コエリョは大量の火縄銃の買い付けを命じ」

「有馬晴信や小西行長などの切支丹大名に反秀吉連合の結成を呼びかけた」

そして、「フィリピンの総督や司教に対して援軍派遣を要請した」  

むろん、コエリョの要請をマニラのトップは(戦えば負けることが分かっていたので)拒否した。

ーー

戦っても日本の圧倒的に強大な軍事力に勝てる目途(めど、見通し)がなかったからだ。  

ーー

家康の時代になっても、キリスト教宣教師らは野望を捨てていなかった。  

家康に巧妙に近付き、御追従と嘘を繰り出しつつ、何としても布教権を獲得しようと多彩な工作を展開した。  

日本をキリスト教国に仕立て直し、スペイン国王の支配下におく企みは進行した。

ーー

日本の強大な軍事力を前にして、「武力による征服は不可能と悟った」ため、「布教による征服」に切り替えたのだ。  

ーー

スペインは、メキシコ原住民(インディオ)を残虐な方法で殺戮して支配下に置き、同様にフィリピンまで植民地支配することに成功していた。

しかし次の日本を征服するという構想については捨てざるをえなかったのだ。

臨時フィリピン総督なったビベロが、日本各地をまわって、次のように感じたからだった。

「要塞堅固な城郭に驚嘆し」

「日本の軍事力の強大さ、強硬な日本外交を肌身に染みて感じていた」

ーー

彼は、「日本を征服するどころか、逆にマニラが日本によって征服されるのではないかとすら恐れ」たのだ。  

ーー

家康は新興勢力だったイギリスとオランダを世界の情報源として重宝し、かれらが「布教を条件としない」ことで貿易を認める。

それが平戸と出島だった。  

こうして明らかとなってきたことは、日本の歴史学が閑却した朝鮮出兵の真実である。

秀吉は、スペイン・ポルトガル、イギリス・オランダの正確な情報を認識し、国際情勢に素早く対応していたのだ。

ーー

徳川家康は、キリスト教・布教に潜む侵略の野心を把握していた。

折りから台頭してきた英国とオランダの情報を分析してバランスを取り、とくにオランダを貿易で徹底利用した。

当時の日本の指導者には国際情勢を分析できる、情報源と確かな判断力があったのだ。

ーー

信長の行く手を阻んだのは比叡山の僧兵であり、雑賀(そうか)衆であり、しかも寺社勢力は武装していた。

信長自身は法華経を信じていた。

比叡の軍事力を殲滅するにはキリスト教という新興宗教の力が必要だった。

そして、かれらがもたらした火縄銃という、新兵器の魅力も大きかった。  

ーー

秀吉が前期にキリスト教に寛大だったのは、信長の後継として、外国からもたらされる文明の利器と、マニラを経由して入ってくる国際情報だった。

しかし秀吉は、切支丹大名・高山右近が、領内の寺社を破壊し、硝石と引き換えに領民を奴隷として売っていたことを知り激怒する。

さらにキリスト教徒が日本侵略の牙を研いでいることを知らされた秀吉は伴天連追放に踏み切る。

ーー

家康はもともと浄土宗の信者である。

三河時代から一向一揆の反乱に手を焼いて、大樹寺に助けられて以来、浄土真宗をいかに政治に取り入れるかに腐心する。

同時に家康はスペイン、ポルトガルとは異なった一派が勢力を拡げている事情を英国人ウィリアム・アダムスとオランダ人のヤン・ヨーステンから知った。

それゆえキリスト教の布教を認めず、しかし貿易のために英国には平戸を解放し、オランダ人も通商に限定して、長崎出島への寄港を許した。

ーー

天草でのキリスト教徒の反乱を鎮圧して以後徳川幕府は、管理貿易「鎖国」を幕末・明治となるまで維持したのであった。

ーー

明治政府もまた、キリスト教への防波堤として、尊王思想を奨励し、薩摩や水戸では過激な廃仏毀釈がおきた。

ーー

宗教勢力が政治に介入すると、自由・法治・民衆政治という近代精神が破壊され、イスラム諸国のような「コーランが法」のような状況になる。

政治と宗教は切り離すことが近代政治の常識となっているが、日本では、すでに信長の比叡山焼き討ちによって実現していたのである。

ーー

戦後占領軍によって、日本史からキリスト教の侵略性を消す作業がなされた。

それに協力する在日・反日勢力によって「鎖国」が日本の後進性の原因になったという教育がなされてきた。

本書は、それら占領軍の悪意のある作為を取り除いている。

そこに現れた秀吉・家康がキリスト教を弾圧し「鎖国」した理由は、宣教師らが「日本人を奴隷にして売っていた」という衝撃的な事実なのである。         

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>キリスト教を侵略の手段と見破って、利用した信長・秀吉・家康
 日本の戦国時代は、約150年間(応仁の乱勃発~家康の死迄)続いて、鎌倉~室町時代に重用された管領クラスの大大名が零落したり、家臣に乗っ取られたりして、信長が出現する頃には、正に群雄割拠状態で、然も下剋上が流行ると言う風潮だったので、大名となったものは、情報収集の大事さを身に沁みて知って居たから、島国で海外の情報が入りにくい日本でしたが、ポルトガルの難破船が伝えた鉄砲が、あっと言う間に全国へ伝わり、当時最強を謳われた武田の騎馬軍団を、1千挺の鉄砲で、撃ち破ってからは、日本の軍事力は格段に進歩して居たと言えましょう。

 唯、火薬の原料になるのが、消石と言う、動物の糞が石化したモノが、日本では殆ど取れなかったが故に、輸入に頼る他は無かったのです。 火薬の需要はその後も、信長の天下統一~秀吉の天下統一~家康の天下統一が成るまでに、大需要期を迎えて居ます。 其処にスペインは着け込んで、日本で産出する金を使った、大判・小判で、大儲けをしたのでしょう。

 然し、日本は当時も、そして265年も続く江戸時代も、米本位制度の経済だったから、金や銀の国外流出にそれ程の関心は持って居なかった。

 米も金銀も、相場で価格が変動するが、コメは食べられ飢えた人を直ぐに救う事出来るが、金銀には其の機能は無いのは自明の理でしょう。その点も日本人の価値観は現実的です。然し、キリシタン大名で有った高山右近が、硝石欲しさに、日本人の主に女性をドレとして打って居た事をs9云った、秀吉は激怒して、キリスト教の布教を禁止しますが、戦後、鎖国した理由から是を外します。

 更に、徳川幕府は、キリシタン勢力の反乱と位置付けられた「島原の乱」の平定に、九州の諸大名を差し向けますが、凡そ、3万人のキリシタンが立て篭もった原城が堅固だったために手こずり、幕府軍の総大将で有った板倉重正が討ち死にするに至り、総指揮を取った松平伊豆守は、丁度、来日中のオランダ商船2隻に頼み込んで、原城の海側の城壁を砲撃して貰い、襄平は土塁から崩れました、其処へ、九州の大名軍が雪崩れ込んで、3万人にキリシタンは皆殺しに遭いました。 

 伊豆守は此の事件で、西洋のキリスト教の野蛮さと排他性、そして、平生は大人しい民衆も、宗教が絡むと忽ち、命知らずの強兵に変わる事を学び、過去の比叡山や一向一揆、法華一揆の例に鑑み、宗教の恐ろしさを改めて認識して、キリスト教のみならず、仏教もその勢いを削ぐ為に、江戸期からは人別帳で家々の戸籍=身分を定めて居たのを利用して、その「宗門改め」を行って、宗門を固定して終ったのです。

 何故なら、宗教の力とは、布教によって拡散する力ですから、宗門を固定されれば、教義に関心は向かず、冠婚葬祭の時にしかお寺は用が無い、所謂「葬式仏教」に堕して終います。 伊豆守は是を狙ったのです。

 斯うして、江戸時代の幕藩体制は、堅固なものになって行きました。 是で、日本が、イスラム圏の様な宗教国家になる事を避けられたのですし、其れ迄、民衆が持って居た過度な宗教依存体質も、次第に改まってきました。

 然し、キリスト教の侵略手段としての応用は、キリスト教の原点である筈の人類愛とは、全く真逆のモノで、実質、欧州の原住民の、それも、差別と戦争好きの青人系の宗教に変質して居たと考えるべきでしょう。

 然し白人文明は、第一次大戦終了と共に、或いはナチス・ドイツの興隆をピークに、次第に凋落を始め、第二次世界大戦後、白人主導文明乍ら、その実、有色人種の安い労働力に頼った、アメリカ文明も、自身が持つ「差別」容認の反理性的文明に、疑問を持つ様になって、従来の白人優先社会が、次第に崩れかけて居ます。

 この流れはキット、止められないと思いますが、反理性的な既存の文明を批判する、リベラル派の正体は、実は全体主義化と言う結論しか持って居ない共産主義の亜種に過ぎないのですから、次の文明を背負えるわけが無い。

 それでも、我々は進んで行かなくてはならないのですが、将来、日本で何万年も培って居た、文明の力を発揮する日が、刻一刻と迫って居る様に私は思います

戦国時代に日本は、軍事に敏感であるとともに、工作技術が優れていました。
ポルトガル人だって日本の軍事力の低い方が植民地にし易かったでしょうけど、日本人が鉄砲をまねて作り出すとは想像していなかったと思います。

スペインがインカ帝国を滅亡させたのは1553年ですが、フランシスコ・ザビエルが来日したのは1549年で、鉄砲の伝来は1543年ですから、宗教で侵略するための来日は明らかでしたが、当時の日本は幸いにも戦国時代のまっただ中で、インカのようには出来ませんでした。

そして、この鉄砲という新兵器を真似して国産化した日本人は、その使い方も工夫して戦国時代に取り入れています。
戦国時代ですから需要は多く、気が付けば世界で一番多く鉄砲を持った国になっていても不思議ではありません。

こんなときに、日本を軍事占領しようと思ったら、ポルトガルやスペインが本気でも難しかったと思います。
しかし、フィリピンのスペインが、日本の攻撃を恐れていた事は知りませんでした。

もしこれを秀吉が知っていたら、朝鮮征伐はしなかったかも知れませんが、やられる前にやるのは戦いの常ですから、朝鮮征伐に行ったのでしょう。

考えてみれば、日本人を奴隷として海外に売っていったのですから、国も売られる(占領される)可能性を考えたのは、普通のことです。

>しかし秀吉は、切支丹大名・高山右近が、領内の寺社を破壊し、硝石と引き換えに領民を奴隷として売っていたことを知り激怒する。
さらにキリスト教徒が日本侵略の牙を研いでいることを知らされた秀吉は伴天連追放に踏み切る。

このことについて、戦後の歴史教育では教えていなかったと思いますが、戦前の歴史教育ではどうなっていたのかと、気になるところです。


もしこの時代に、日本が戦国時代ではなくて室町時代の継続として安定している時代であったならば、ポルトガルやスペインの利益のために占領され、植民地にされる可能性もあったのですから、日本は戦国時代で良かったと思います。

日本がこの時にスペインの植民地にされていたら、アジアには支那しか植民地でない国はなかったと思いますが、その反面で支那も植民地にされていても、疑問を持つものではありません。。

戦国時代のスペインやポルトガルが世界に植民地を作っていた大航海時代と言い、江戸末期のイギリスやフランスを主体とする国々が世界に植民地を次々に作っているとき、日本が植民地にされなかったのは、正に当時の日本人が頑張ってくれたためだと感謝する他ありません、

日本は統治に真面目な国ですから、一度植民地にされますと、これから脱出するのが大変な国だと思います。
ご先祖様達は、良くこの国を守って下さったと思います。
それから、西欧が関係したことではないですが、蒙古の襲来のときにも日本は撃退することが出来ました。これも、素晴らしいことでした。


このように過去3回の日本に対する攻撃を防御した日本ですが、4回目の日本への企みには対応できず、敗戦となりました。
その結果、連合軍の占領統治によって、未だに日本史からキリスト教の侵略性を消す作業がなされていません。

日本には今でも敗戦による敗戦利得者の反日行動から抜け出せない部分がありますけれど、戦後レジームから脱却して、日本を取り戻すことが必要だと思います。

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