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2018年4月17日 (火)

日本での武は、どこまでも「たけふ(理不尽を正す)」ものなのです

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

古事記では、イザナキとイザナミの二神が、混沌の状態の中に、天の沼矛(ぬぼこ)を差し入れて淤能碁呂島(おのごろじま)を造ったとあります。

(自凝島とも表記され、「自(おの)ずから凝り固まってできた島」の意)

つまり古事記は、混沌の状態が凝り固まるには、「矛(ほこ)」が必要だと冒頭に書いているのです。

矛とは槍(ヤリ)のことです。

ーー

そして天照大神(アマテルカミ)は、須佐之男命(ソサノヲ)が高天原にやってくると知らされます。

すると天照大神(アマテルカミ)は、「伊都(二字以音)之男建(訓建云多祁夫)踏建而(いつのをたけぶ、ふみたけびて)」、何かをうちたてようとされるのです。

ここで天照大神(アマテルカミ)は「建(たけふ)」という字を二度繰り返されています。

「建」の字のあとに、 「建を訓(よ)みて多祁夫(たけふ)と云ふ」 と書かれています。

「建」の字は大和言葉の「たけふ」なのですよ、と注釈しているわけです。

ーー

では「たけふ」とはどのような意味なのか。

漢字の「建」という字は、「廴+聿」で、「聿」は、手に真っ直ぐな筆を持つ象形。

「廴」は、「いんにょう」という部首で、長い道のりを行くことを意味します。

つまり漢字の「建」は、まっすぐな筆を手にして長い道のりを歩むことを意味しているのです。

ーー

建は、家を建てるというときにも使われますが、家は柱を真っ直ぐに建てなければ壊れてしまいます。

その「建」の字が、大和言葉の「たけふ」にあてられた。

このことから「たけふ」が、「まっすぐにする」の意であることがわかります。

ーー

つまり天照大神(アマテルカミ)は、ここで単に「うぉ〜っ!」と雄叫びをあげられたのではなく、「何か」をまっすぐにされたということになります。

その「何か」こそが「統治の方法」であり、須佐之男命(ソサノヲ)の「ウシハク(大人支配)」を「シラス(知らす)」につまり権威と権力を立て分けて支配するように、正されたのです。

そのことが、この段を読み進むとわかるようになっています。

ーー

そして、「武」も「たけふ」と読まれてきたのです。

要するに日本人にとって、「武とは建でありたけふこと」なのです。

信長は、強力な武器である鉄砲を手にして、武によって戦国の世に平和をもたらそうと決意します。

それが天下布武なのです。

つまり日本での武は、武力によって混沌(理不尽)を正すものと考えられてきたのです。

これが古代から続く武に対する日本人の考え方なのです。

ーー

「たけふ」は、物事を正常にすることでありました。

正常にする対象は、自分自身の心の歪みであったり、世の中の歪みであったりします。

自分を「たけふ」場合は、心を正すことになり、そこから心技体の精神が生まれました。

また日本での武力は、権力者が私腹を肥やすためではなく、社会の理不尽を正すために使われたのです。

ーー

日本での武力は、どこまでも正義を貫くための道具的存在でした。

そのために日本軍は、その兵のひとりひとりが常に正義を代表する人とされました。

武人が非道を正す存在であると考えられてきたのです。

だからこそ我が国では古来、武人が人々からとても尊敬されてきたのです。

ーー

大陸や半島では終(つい)に「シラス」はなされることなく、「ウシハク」のままでした。

つまり特定の権力者が富を独占し、他の圧倒的多数の人民が貧困のままに暴力によって虐げられる社会で暮らしたのです。

ーー

我が国の民は、天皇の「おほみたから」です。

ですから民は日頃から豊かに暮らしているわけです。

だから誰もあえて戦いなどしたくありません。

ちゃんと食べて暮らして行けるのに、意味もなく命のやり取りなどしたくない。

ーー

日本では、なんのために「たけふ(武力を行使する)」のかを明確にしなければ、誰も兵としてついてきてなどくれなかったのです。 

信長の時代までは、我が国には専業の兵というものはなく、兵の誰もが半農です。

そんな兵は、なにも危ない思いなどしなくても、ちゃんと平和に食べていくことができるのです。

そのような兵が、武器を手にして戦うときというのは、理不尽な暴力を横行させるような不逞なヤカラが、生活を脅かすときということになります。

その理不尽(歪み)を正すために「たける(武を使う)」ときに、はじめて兵は武器を手に戦いに臨んだのです。

ーー

加えて武を用いる者は、日頃から身を律して、正しい道を歩かなければならない。

日本での武士や軍は、まさにその典型とされました。

したがって、末端の一兵卒に至るまで、名誉と規律が重んじられました。

なぜなら、武は「たけふ(理不尽を正す)」ためにこそあると、誰もが信じることができるだけの、まっとうな社会が営まれてきたからです。

これが我が国における武(たけふ)に対する伝統的な考えなのです。

ーー

支那では、人を騙して兵として用いたり、あるいは後ろから銃や槍を突きつけて、戦わなければ殺すと脅して進軍させた。

半島では火付けや盗みを行う者が武人とされた。

あるいは暴力が支配した西洋などとは、日本は社会文化の背景がまるで違うのです。

ーー

日本での武は、どこまでも「たけふ(理不尽を正す)」ものなのです。

それが縄文以来続く日本人の骨肉に沁み込んだ社会常識です。

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>武人が非道を正す存在であると考えられてきたのです。 だからこそ我が国では古来、武人が人々からとても尊敬されてきたのです
 日本の武(たけふ)の道とは、何かを糺す事で、無秩序な状態を、纏め正常な状態にしたと言う、「建国は泥濘の中に沼矛を突き立てて掻き回して出来た島から始まって居る」と言う、国生みの神話そのモノが、「国とは武に拠って正義の拠り代を示し、それに民が祀ろい創られたモノである」と言う極めて現実的な話を抽象したモノであると言えましょう。

 我々の先人達が、其れの現実的な話を、敢えて、抽象的な神話に託されたのは、武を用いて正義を示すにも、棲んで居る地域やその民の生業や出自から、様々な正義=神が存在した事は容易に推測できます。

 唯、日本の国土の70%は山地であり、大平野は旧州の筑紫、中国地方の安芸~吉備にかけて位で、縄文期には、近畿の河内・和泉の平野部も、濃尾平野も関東の大平野や北陸の庄内地方も、未開の土地で、その多くは葦が生い茂る湿地帯でしか無かったし、是の平野部には、必ずその平野を沖積した太河が有り、毎年、氾濫を起こすので、紀元頃、大規模な開墾事業の技術がシナの長江民に拠って齎される迄、多くは定住には不向きな土地でしたから、住民の住処は、海と山に遮断されて、相互の交流も限定的なものであったと、思います。

 ですからそう言った、「異なる正義の衝突」は、あまり起っておらず、然も日本には毎年、大規模な災害を齎す、台風が襲来するし、冬には大雪が降って、住民の生活圏は容易く孤立しましたから、例えば、農業をやれる土地の少ない集落は、簡単に飢えて終うが、彼らが春や夏の大雨に拠って田畑が全滅したり、家が流されて住処が無くなった時に救いの手を差し伸べてくれた漁村の人々の好意から、相互扶助の精神も産まれたのだと思います。

 然し、大河と広い平野を持つ大陸から開墾技術が入って来て、炭水化物の穀物=コメが量産されて、人口が爆発的に増えだすと、斯うした助け合いは、忘れてはいけない伝説として、語り継がれる様になったのですが、様々な人々が集まり始めると、「正義の衝突」も始まって、世の中が混とんとし始めたのでしょう。 

 そんな世をご先祖様は、「泥濘」と表現され、起こるべくして起こった倭国大乱は、9代天皇である、崇神帝によって武力で平定されましたが、二度とこのような大乱を起こしはハイケないと言う、豪族たちの共感を利用して、「統一された正義」の象徴として、天照大神と言う、豊穣と平和の象徴の太陽の女神を戴き、その神を悲しませるような真似をすれば、女神は岩戸に隠れこの世は、夜の国になって、作物は育たず、嵐も止まないという、人間に取って誠に不都合な事態となる。

 この状態を何とかする為に、神に通じる神霊が憑くスメラミコトをその司祭として、此の世を。紙の力で護って頂こう。と、提案。是に、戦いに飽きた豪族たちが、賛同して、大和の国の原型が出来たのだと私は思います。

 つまり、建国とは、国を建てる意味の他に、「混沌とした世に、矛を以て正義を建てる」と言う意味有ったが故に、熊曽の統領であったカワカミタケル川上梟師から引き継がれたヤマトタケル大和(建)武尊「=12代景行帝の皇子、幼名小碓命」と言う様に。「タェル」は国を平定した人への尊称として用いられているのだと思います。

 然し、我々現代に生きるものは、この先達が遺した故事から、学ばねばならない事が有る様に思います。 「其れは、混沌『=放埓、無秩序』の中から生まれるモノは、利己主義と犯罪だけで有る」と言う事で、其れを鎮めるには、「矛『=武力、権力』が必要である」と言う事でしょう。 然るに「混沌は、革新の無き所に生まれる」のであり、「寧ろ、伝統は、保守と革新の鬩ぎあいがあってこそ保たれる」のです。 革命ばかりが正義であると言う、共産主義は、革命を起こすべき対象が、保守に拠って保たれて居る事が前提になる時点で、破綻して居ます。

 我々の祖先は、オソラク2~3世紀には、倭国大乱と言う混沌から、国を建てる事を決意したモノと推察します。 然し、日本も人間の集合であるに変りは無いので、定期的に大自然以外の脅威(その多くは外乱ですが)に拠って、世の中が、革命的に変わって居ます。 然るに、現状の国際情勢を見れば、3度目の世界大戦が一触即発で起こりそうな状況なのに、国民に危機を周知すべきマスコミや国の防衛を論じ、国防を固めるべき政治家なのに、、自身の既得権の為、或いは、外国の意図のままに政治を混乱させているダケで、或る意味、混沌の極みの状況だと言えましょう。 

 然し、天佑神助として、国民がマスコミに操られる事無く、自分の意見を発信し、受信できる環境を与えて頂いております。 斯うして、意見を交換できる者達は、その救国の思想を、周りの人だけでも構わないので、拡散周知して、マスコミの世論形成力を破壊しましょう。 これが、現代の革新=矛の力なのだと思います。

縦椅子さま
今日も素晴らしいブログ有難うございます
「建」の字が、大和言葉の「たけふ」にあてられ、神代より、日本人にとって、「武とは建でありたけふこと」なのですーとあり、また「たけふ」は、物事を正常にする」こで、日本の先人たちが、この国を正しくしようと懸命に、心を一つにしてやってきたからこそ、今の国体が維持されているのですが・・・今の平和に安住し、マスコミに惑わされ、それを維持していく方法を見失っているように思えます。そんな時、このブログが正しい指針を示してくださることはありがたいことです。心から感謝致します。

>つまり日本での武は、武力によって混沌(理不尽)を正すものと考えられてきたのです。

日本における「武」は、武力によって混沌を糺す者ですが、同じ武による政治を目指す場合でも、北朝鮮の「先軍政治」は全てに軍事を優先し、国家建設の主力と見なすとのことで、軍が創建されて祖国解放を成し遂げた後に朝鮮労働党が創建され、軍を正規武力に強化発展させて建国偉業を成し遂げたとしているようです。

しかし、現状は軍に兵隊が多くても国家は停滞しているため、社会主義と言いながらも金王朝という、人民が十分に食べられないものであり、王だけが贅沢をしていた朝鮮王朝と何ら変わらないものだと思います。


>また日本での武力は、権力者が私腹を肥やすためではなく、社会の理不尽を正すために使われたのです。

>日本での武力は、どこまでも正義を貫くための道具的存在でした。

日本での武力は、何処までも正義を貫くための道具的存在で、「道具」という部分の「道」にとらわれるのかも知れないのですが、「武力」は「武道」という「武」だけなら強いだけで良いのですけれど、その先にある精神性を極めなければ、強いことには限界があるとされたと思います。

そして、この精神性を突き詰めていくとき、正義を貫くことがより強いものとして昇華されるのかも知れないと思います。

日本人は、物事を極めるときには「道」として、強さだけでなく精神性を求めていくと考えますが、その時には正義が常に一体になっていると思います。
剣術、柔術のような武術が強さを求めるだけでなく、剣道、柔道として精神性をも求め、極めることを要求するのは日本人の特性なのかも知れませんが、これは民族の民度や品位をより良くしたいとの、欲求が強いことから起こるものかも知れないと思いました。

この「道」を求める姿勢は、相撲のような神事としての格闘技や、スポーツである野球にまで「野球道」を考えるのですが、野球の場合はスポーツであることでルールが定められているのですから「フェアプレー」を求めることなのかも知れません。


これらのことは、日本の建国から天皇が権力者として私腹を肥やすのではなく、民のことを考えられたことから民も又、個人の欲得ではなく国や公のことを考える習性を醸成した結果、日本人の民度や品位が高められたものだと思います。

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