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2018年4月15日 (日)

つまり岡田は見せしめのために殺されたのだ

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

田中秀雄『スマラン慰安所事件の真実』(芙蓉書房出版)

本書は、「パタビア軍事裁判」で、ただひとり死刑判決をうけた岡田慶治が、その獄中で綴った手記の復刻、正確には昭和十七年以後の分量を活字化したものだ。

で、最後に岡田が家族にあてた遺書も収録されている。  

日本帝国軍人としての矜持と、健気な日本男児の生き様が行間から飛び出してくる。

ーー

「慰安婦問題」では、その「強制性」の有無が争われている。

その「強制性」がなかった証拠となる、格好の資料である。  

ーー

そもそも「スマラン慰安所事件」とは何か?  

日本帝国軍はオランダ領東インド(いまのインドネシア)を占領した。

そこでオランダ人女性35人をジャワ島のスマランの慰安所に「強制連行」したうえ、売春を「強要した」と訴えられた。

それはオランダ人の言いがかりなのだが、その訴えに対して、11人が有罪とされBC級戦犯とされた。

そして責任者の岡田慶治が銃殺された。

つまり岡田は見せしめのために殺されたのだ。

ーー

史実は、オランダ人女性を「強制連行」した事実はなかったことを示している。

契約により、ちゃんと金銭の授受もあって当時の常識で言えば「合法」ビジネスでしかなかったのだ。

「強要性」などなかったのだ。

ーー

岡田は剛毅の軍人で、大酒飲み、女大好きで、女性に優しかった。

岡田は広島県福山出身であり陸軍士官学校、少尉に任官し、連隊大隊長としてビルマ作戦に従軍した。

部下の面倒見が良く、ジャワ幹部候補生教育隊の教官もつとめた。

ーー

パレンバン、ボルネオ混成旅団大隊長だった。  

ーー

本書は岡田がまっすぐに心情を綴った遺書代わりの日記風自伝だ。

獄中で書いただけに、読むものに感動が迫って来る。

当時の軍隊の生活、慰安婦への労(いたわ)りが吐露されている。

そして、なによりも経験したことの事実を客観的に書き残すという努力が見て取れる。

それゆえ読むものは事実を知る。

ーー

岡田は、昭和21年3月に復員、22年3月に巣鴨に収監され、やがてジャワに移送。

そして、バタビア軍事裁判で、戦犯・死刑と判決され、昭和23年に刑場の露と消えた。

享年38歳だった。  

ーー

バタビアとはいまのジャカルタ、スマランとは、ジャンジャカルタの北西部に位置する。

ボルネオは北西部が英国が、南東部をオランダが領有していた。

当時、岡田が作戦で赴いた「アピー」とは、いまのコタキナバルである。  

往時の地図をみると現在の地名との懸隔にも驚かされた。   

ーー

こういう地道な、苦労の多い仕事をされるのは、やっぱり田中さんをおいていないだろうなぁと思いながらページをめくった。  

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コメント

>縦椅子様 本日も更新有難うございます。
>>スマラン慰安所事件
 この事件は、戦後の日本軍虐めの典型の様な事件だったと記憶して居ます。 殊にオランダは、インドネシア独立運動に旧日本軍が相当力になって居る事からか、江戸時代からの付き合いも長いのに、日本に対する敵愾心が強く、先帝陛下の処刑をソ連と並んで最後まで主張して居ました。

 外国でも、オランダ人の金銭欲や強い合理性への拘り、つまり吝嗇(ケチ)ぶりは、割り勘を、ダッジ・システム「=オランダ式支払い」と揶揄して言う様に、或る意味、嫌われて居る民族ですね。 島原の乱の時の、原城砲撃によって、3万人もの民間人が死んだ事は、長崎県人は、忘れてはならない事です。

 此のスマラン慰安所も、唯の売春婦でしか無い女性が、「強制されたと言えば金になる」と吹き込まれた結果、強制連行の事実など無かったのに、公正な立場の弁護士も無しに、立証など十分でない、一方的な裁判で、「死刑判決」を下し、無実の罪の日本兵士を刑場の露としたオランダは、自ら、法治国家として恥ずべき判決を歴史に遺しましたね。

 結局、日本が戦争に負けた事が、斯う言う悲劇を発生させて居るワケで、欧州の白人共に、文明的な理性判断を期待した日本人が愚かであった、と言う事になります。

 成る程、昔の話でそんな恥ずべき判決を出した、当時の関係者は悉く死んで終って居るでしょう。 然し、その不名誉な史実は、永久に残ります。 私はオランダ人に、斯う言ってやりたい、foregive but never forge「=赦そう、然し、決して忘れない」と。

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